昨日は例の車輛の回送に行って参りました~。
先ずは東名で行こうか、新東名で行こうかと考えたのですが、
結局東名をチョイス致しました。
がっ、料金所でトラブル発生。
前日、ETC車載器が付いていたのを見て、あ~良かった、、、と思ったのですが、
カードを入れて確認のランプが点灯していたにもかかわらず、
バーが開きませんでした(苦笑)。
料金所の人の指示でカードの抜き差しをしたり、
一旦エンジンを止めて掛け直したりしてみても交信が出来ず、
結局、通行券を発行してもらう形になっちゃいました(苦笑)。
朝一という事もあってか、対応が結構グズグズしている感じがし、
結構時間を食ってしまったので、イライラしてしまいました。
んで、東名へ。
大体、無理のない速度はこんな感じ。
一応?100キロ巡行は可能らしいですけど、
Tさんに運転させて頂いた事のある戦前車と比べても、
ブレーキの効きが甘いかなぁと思う感じなので、
そういう意味であまりおっかなくなく走れるのは、
まぁ、70~80キロなのかなぁという感じですね。
なので登坂車線がある場所では、勿論そこを走ります(笑)。
しかし、長い坂を上っていると、少しずつ、水温が
ジリッジリッと上がってくるのがイヤな感じでありました。
それも、上のメーター画像の中の水温計を見てもらうと判りますが、
MAXの数字が100で各数字の間隔がメッチャ広いことから、
一寸の水温の変化での針の動きが大きいので、
うぉっ、結構上がったぁと思っても85度位だったりって感じで
その感覚に慣れるまでドキドキでした。
というのも、場所が特定出来ていなかったのですが、
実はオーバーフローパイプ以外のどこかから冷却水漏れが発生しており、
この使い方の中でどれだけの冷却水が居なくなるのかが読めなかったので、
そういう意味でも水温変化が怖かったのですよねぇ。
で、東名最高標高地点を何とかクリア。
まだ朝も早かったので、ここまでの長い上りでも、
前日のMAX水温まで到達する事はありませんでした。
で、そこから先に何度か訪れる下りでは、
速度が乗ってしまうとブレーキが怖いので、エンブレで70キロ位で下って行きました。
上の画像はその為に、邪魔くせえな、、、と思われてトラックにパスされている所です(笑)。
この車の元オーナーに大体1時間毎の休憩を指示されていたので、
料金所でのゴタゴタもあって一寸長めになってしまいましたが、中井PAで休憩。
全体像、初出しですが、こんな車でした。
1953年の170S-Vというモデルですね。
この辺りの年代の車はなかなか接点もなく、
また同じ170系でも年代のモデル構成がゴチャゴチャだったりするので、
どれがなんだっけ?って感じになってしまうので私も一寸勉強し直してみたのですが、
これはこの時代のMBのボトムレンジに相当する車両なのですよね。
この時代のMBでは前モデルの艤装を簡略化して新型の下に据えるという事をやっていて、
1953年と言えばポントンの180がデビューした年なのですけど、
その下に据えるべく用意されたのがこの170S-Vだったのですよね。
この車のベースとなったのは170Vではなく170Sなのですが、
外装ではクロームの量を減らし、内装ではウッドパネルの代わりにベークライトを使用して、
170Vb用のエンジンと
フロントの足回り(=横置きリーフ⇒170Sではダブルウィッシュボーンにコイルスプリング)
を搭載しているんですよね。
中井PAへの到着時刻はこんな感じでした。
この時代はまだ電気式自動巻きにはなっておらず、
ダッシュ下に垂れているノブでネジを巻くようになっているのですが、
朝一で巻いて調整しましたけど、結構正確に動いていました。
さて、休憩ってどんだけしようかな?と思ったのですが、
PAって飲食エリア以外クーラーが効いたスペースに座る所もないので、
せいぜい20分位が限界でした(苦笑)。
冬場だったら良いのでしょうけれども、夏場の長居はキツイですね。
そんなわけで再出発。
その後、圏央道に入ったのですが、時間を見ながら走っていて、
狭山パーキングエリアが丁度タイミングかな?という感じだったので
それを目的地にして走っていました。
すると、到着の一寸前位だったか、一番左の車線から追い越しを掛けて
左にウインカーを出して元の車線に戻ろうとした所、
左側だけにあるサイドミラーに今までウインカーを出した時に飛び出すのが見えていた
前と後ろのドアの中間にある腕木式方向指示棒が出ないのが発覚。
あらら、故障しちゃった、、、と思い、その後は手信号対応をする事にしました。
メーター廻りにインジケーターが無いので、ミラーでそれが見えていて良かったです(笑)。
で、狭山PAに到着。
ヒューズが飛んだのかな?と思って、エンジンルーム内のヒューズボックスを開いてみましたが、
どうやらどこも切れていない様子。
接触不良かな?と思ってぐりぐりしてみたけれど、それも駄目でした。
でもね、後で発覚した事なのですけれども、
実は老眼で見えてなかっただけで、実際にはヒューズが飛んでいたのですけどね(笑)。
まぁ、でも、自分の車ではないので予備のヒューズもありませんでしたから、
(実際にはあったかもしれないけれど、そうだとして私にはどこにあるか判らないし)
その時点でそれに気づいていても居なくても結果は一緒だったのですけどね。
ここでも20分程休憩した後、出発。
で、元オーナーに高坂SAで電話をするように指示されていたので、
そこから割と近くだけど、高坂SAへ。
画像が後ろばかりだったので、ここで前側も撮っておきました。
んで、電話をしてから、ここで給油。
前日に給油しているのですが、燃料計で1/3程度減った所で20ℓ程度入り、
タンク容量ってナンボなのさ?と思ったので調べたら47ℓとの事だったので、
こりゃ、燃料計は当てにならんな、、、と思っていました。
この車の燃費も判らない中、前日と同じような所を指していたので、
まぁ、ここから倍の燃料を使う事は無かろうと思ったのですけど、
念の為に入れておこうと思ったのですよね。
そしたら、16ℓほどだったので少々肩透かしでしたが(苦笑)。
帰宅後計算してみた所、10km/ℓ位は走っている事になるので、
70~80キロで走っている事を考慮に入れなくてはなりませんけれども、
最高速が115キロの車である事を考えればその70%前後で走っている事にはなるのですから、
案外燃費がイイナァという印象でした。
で、元オーナーとの待ち合わせのPAへ。
んで、30分程お待ちして元オーナー到着。
高坂でウインカー故障の件もお伝えしてあったのですが、
流石元オーナーだけに原因はすぐに特定。
配線を纏めてあるボックスを留めているネジが振動で緩んで脱落し、
宙ぶらりんになっていました。
その場では恐らくその影響で配線が緩んでいるのだろうという判断でしたが、
後に現オーナーさんのガレージに収めた所でチェックしたら、ヒューズが飛んでいたので、
恐らくボックスが脱落した時点でどこかに配線がアースしてしまって、
それでヒューズが飛んだという形だったのだろうと思われました。
現オーナーがガレージに移動する時間を考えて、そこで少し話をしていたのですが、
そのパーキングを出る前に、冷却水レベルを見てみようかという話になって、
開けた所、私が出る前に(怖いから)一杯一杯に入れておいたこともあって、
外から見ると結構派手に漏れていたのですけれども、全然問題の無いレベルでした。
因みに、この車の場合、ボンネット先端のマスコットがラジエターキャップになっていまして、
元オーナーがそれを外してみた所、外側のシールは付いていたけれども、
内側のシールが無くなっていたという事が判りました。
これは構造が判ってないと判りようがないですね(苦笑)。
現代車のように加圧式じゃないので、恐らく100度を超えない限り、
そのシールが無くても噴き出す事が無いと思うのですが、
ハッキリ漏れの箇所が特定出来ていなかった中、
そういう理由で漏れていた事が判って良かったです。
それから現オーナーさんのガレージに移動。
3人で色々と楽しくお話をさせて頂いた後、昼食を奢って頂いちゃいました。
そして元オーナーさんに駅まで送って頂いて家路に。
新幹線に乗ろうとホームに向かうと丁度東京行きが出る所だったので
それに急いで飛び乗ったのですが、
その後で気付くと何と全席指定の電車でした(苦笑)。
デッキで乗務員の方が回ってくるのを待っていると、
全部席が埋まっているとの事で、そのままデッキに乗っていてくださいと言われました(笑)。
ってなわけでデッキからの風景を1枚。
その後、東京駅に着くと、改札を出ずに切符の買う方法がよく判らなくてまごつきましたが、
タイミングのよいこだまに乗る事が出来て、且つ、自由席に座る事が出来たので良かったです。
んで、18時頃、自宅に帰還。
あの年代の車に長距離乗るなんて滅多にない機会でしたし、
大したトラブルもなく、楽しく走ってくることが出来て良かったなぁと思いました。
この車の基本設計は1936年デビューの170Vな訳なのですが、
ブレーキ性能や絶対的パワーなど、現代の交通事情の中で少々辛い部分はあるけれども、
その時代にここまで快適な乗り物を作る事が出来ていたんだなァと思うと
素直に凄いなぁと思わせられるものがありました。
しかし、その基本設計の古さ故なのか、たった9年後の220君と比較すると、
その違いの大きさにも驚かされる物があったのですけどね。
ホント、220君なんて普通に感じましたもの(笑)。
乗った事はありませんから何とも言えませんが、
1951年デビューの300系や1954年デビューの300SL辺りだと、
きっと、220君との間に感じる年代差はもう少し薄れているか、
殆ど感じないかなのでしょうね。
あとは~、、、心配していた暑さの方も、朝一で出たことと、
前の左右のドアウインドウを開放すれば、三角窓がなくとも
案外風が入ってくることで、当初は逆に涼しく、
関越道に入った頃から気温は上がってきたものの、大して暑い思いもせずに済みました。
恐らく屋根が深くて、窓に対してアイポイントが高い感じで乗るようになっているので、
それがメーカーの狙った事なのかそうでないのかは判りませんけれども、
日差しに対して頭部が守られている事も快適に過ごせた一因のような気がしました。
何よりも往きの道中、雨が降らなかったのが救いだったと思うのですけどね(笑)。