Hさんに修繕中のお宝の現在の様子を見せて頂きに出掛けて参りました~。
普段より一寸遅めの時間帯のスタートだったので、
家を出るタイミングにはすでにそこそこ暑くなってきた所でありました。
まぁ、でも、北に向かうルートなので、
その内涼しく走れるようになるっしょ、、、と思いつつ、走っていきました。
結果としては富士宮市街を抜けて、登山道の途中位までは、
暑いと効かないコペンさんのエアコンでギリギリ汗はかかずに済むかな、、、
という感じの気候でしたねぇ。
そこから先は車が走ってさえいれば、
(クーラーが効いて)十分涼しく快適にドライブすることが出来ました。
ってなわけでいきなりIDEBOKさん。
私が気付いた範囲では放牧場に牛さんは出ていなかったと思います。
県道71号線のいつもの私が好きなエリア。
ここは本当に涼しくて最高でした(笑)。
この辺りにいつも車が数台纏まって停まっている所があるんですけど、
奥に行くと何かあるんでしょうかね?
森林地帯を抜けてパディーフィールド。
こんな中華な警告看板って、前からあったかしら?
他にも多分同じ内容の物があって、当然日本語もあったのですが、
確か、乗馬体験・宿泊をしない人の駐車お断り的な物だったと思います。
この時期の富士五湖周辺の混みようが全く予測出来なかったので、
スムーズに着きすぎてしまった時にはいつもの別荘のオーナーさんの所に
ちょろっとだけ寄ってみよう!と思っていたのですが、
その通りになってしまったので、とりあえず山中湖畔へ。
途中、エンコ中と思しき古いキャデラックに遭遇。
ワタクシ、米車では恐らくキャデラックが一番好きなんですけれども、
全然詳しくはないんですが(笑)、ボディ形態からして
60年代終わりから70年代頭だろうなと思っていたのですが、
帰宅後調べると大正解~(笑)。
これ、エルドラドだと思うんですけれども、前側のライトが隠し扉で覆われるタイプだったので
車は最初期のモデルで年式は1967年か1968年ということになるらしく、
私には恐らくとしか言いようがありませんが、多分1967年の方ではないかと思われました。
(間違っていたらゴメンナサイませ)
これ、第八世代のエルドラドという事になるらしいのですが、
私はその後辺りから前輪駆動になるのかと思っていましたけれども、
どうやらこれが最初の前輪駆動モデルだったようです。
エンジンは一番最初の1967年式のみ7.0ℓで、翌年から7.7ℓとなり、
更にこの型の最終年の1970年には8.2ℓになったらしいですが、
それでFFっていうのが想像出来ませんよね(笑)。
その内、道が混みだしたので、こりゃヤバいな、、、と思った所で
別荘のオーナーさんに電話をしてみました。
すると、その日まで居られたみたいなんですけれども、
きららで行われていたイベントの混雑を避けるべく、
早めに帰ってしまわれたとの事でした(残念)。
それでも、きららの混雑を抜けるのに苦労をしたというお話で、
ぽおるくんも山中湖に居るならきららには近づかない方がイイよ、、、
と教えて頂き、
ひょっとしてこの混雑はそれの最後尾か~と思って、
慌てて引き返したというのは言うまでもありません。
で、朝一、胃の調子がイマイチだったこともあって、
この日はお昼を抜いたろうかなぁと思っていたのですが、
Hさんには午後イチに行くとお伝えしてあったので
時間潰ししましょうってなわけで私にしては珍しく、
独りでファミレスに行って食事をする事にしました。
それによってイイ感じに時間潰しが出来たので、Hさん宅に移動し、
Hさんにお会いすると、すぐにお宝の修繕場所に移動。
日本国内では先ずお目に掛る機会は少なかろうという状態を見せて頂きました(笑)。
うちの220君もあの位状態が良ければもう少し気楽に修繕出来るのになァ、、、
と思ってしまいました。
いやはや、とっても好い物を見せて頂いちゃいました(笑)。
その後は再びHさん宅に移動して、また色んなお話をさせて頂きました。
そんな中で興味深かったのが3.5の2枚扉のフロントシートバックのお話で、
日本仕様の3.5の2枚扉のそこには皆ラゲッジネットが装備されていたと思われるとの事でした。
私的に
このブログの途中に載せた画像の車両以外で記憶がないのですが、
悲しいかな、ネット上の売り物でシートバックが見える状態の画像を載せている物って
案外少ないので、
それで見掛ける事が少ないというのもあるのでしょうね。
ましてや3.5の2枚扉のディーラー物は台数が220SEbの2枚扉のそれに近いレベルで少ない
(前者は高価で買える人が少なかった、後者は生産期間の前半が外貨規制のあった時期だったから買うお金があっても簡単に買えなかった、という感じで意味が違うのですけどね)
ので
売り物自体になかなかたどり着けない中、
そんな部分の画像も載っている売り物っていうのは難しい話ですよね。
ともあれ、今後は一寸気を付けて見てみる事にしようと思いました(笑)。
220SEb2枚扉と1965年までの300SE2枚扉のそれぞれのディーラー車に
世界的なレアオプションであるフロントバケットシートが標準装備だったっぽいのも謎なんですけど、
どういう経緯で3.5の2枚扉のフロントシートバックにラゲッジネットが標準化されたのか、
興味がある所であります(笑)。
まぁ、でもその辺りは
108がどうだったかは忘れましたけど、109にはラゲッジネットが装備されていた筈で
それが最上級クーペに装備されていないとなると、それを買うお客さんが納得しない、、、
的な理由だったのかもですね(笑)。
ってな具合で、この日も17時頃までHさんにお話にお付き合い頂いてしまいました(笑)。
帰り道は混む事もなく、流石にその時間帯になれば暑い事もなく、
快適に家路に就くことが出来ました。
家を出る時に夕飯は要らないと言ってきたので、
富士宮市街まで戻って来た時にまた吉牛に寄って食事をしてきました。
遅ればせながら焼肉の日です(爆)。
から揚げは1個で沢山でしたな。
欲張って2個にしたのでお腹一杯でした(苦笑)。
そこから先の帰路はエアコンの効きも幾らか怪しくなっては来ましたが、
とりあえず、汗をかかないレベルの環境の中、一日コペンさんで楽しく走って来られて良かったです。