2024年05月20日
FISCOの思いで。
★鈴鹿は走ったことがない。鈴鹿に関する言及はこれだけ
★次はゲームだ。
ゲームでだけはしった。やっぱり、東コースは好きで、苦手なのはデグナー2個目、スプーン出口、そしてシケインが嫌い。
もう40年近くも前になるけど、ナムコのぽーリポジションのあとにでた、「ウイニングラン」はよかった。
フェラーリー、マクラーレン、レイトンハウスマーチ、あと何だけかな?ウイリアムズ?だったかな?マクラーレンはエヤトンが乗っていたころだね。
通信機能がついていてとっても楽しかった。
これで東コースで引き離し、試験で抜かれるパターンだったな。
「スプーン出口で別手さんが見えるとかならず、失敗するから抜ける」
と言われていた。爆
見えなくても「あ! いた!」って言われるとプレッシャーで必ず失敗する。もう少し落ち着けばいいんだけど・・・爆
その後の「ファイナルラップ」つまらないゲームだった。
「レーザーGP」は映像とステアリング操作感覚はよかったけどね。
「TX-」1は池袋西口北口のロサ会館で結構やったけど、ウイニングランにはかなわない。
その後よかったのは西海岸でテスタロッサ運転するなんだっけ?あれも気に入っていた。音楽ソースも頑張って入手したと思う。「アウトラン」だ!
あれもなかなか楽しめた。
「スリルドライブ」はいまいちでしたな
家庭用機器では私は今でも、初代「グランツーリスモ」のアーケードモードで満足。
音楽はアウトランにかなわないね。
おおもとの「ポールポジション」「ポールポジション2」はよくできていた。
生まれて初めて本物の車を動かした教習所で指導員に乾燥聞かれて、「ものすごくゲームに似ている」って答えるぐらいだからさ。 爆
以上が鈴鹿関連というかほとんどベームだな。
★筑波
筑波は、ソアラとプローブでなんかいか走っているけど全然印象にない。昔の富士の直線はさすがサーキットという感じだったけど、筑波はそれがないからね。筑波の言及はこれだけ。
★会社 会社のコースもよく走り回った、100キロ出るコースだからね。笑。滑りすぎてフェンスに突っ込んだこともある。忘れもしない1988年12月31日。エヤトンが初めてチャンピオンになった年だね。あのとき、車の引き出しに駆けつけてくれたAE86GT-Vさんお世話になりました。
腹がついている、Z31を引きずり出せたのは、RBローレルでも4AG搭載86でもなく、荷物満載したジーゼルホーミーだった。わら。
★富士
で、富士だ。FISCOと呼ばれていたころがよかった。
フェアレディーZ31 300ZX5MTとプローブとソアラでかなりの回数走った。タイヤが持たない。ドレッドがめくれてしまう。
ソアラなんかエアコン切るの忘れて走っていて・・・当初は車が車なだけにドライブ流そうと思っていても半周持たないね。前回走行になる。
ソアラとプローブの時は何回か完熟走行のペースカーをやらせてもらったけど、セッションの間に「早い!」「おせー」っていろんな意見が来るからさ笑
基本、直線は全力。約束の周回数、2周とか3周おわって、さあどうぞとピットレーンに入らざるを得ないわけだけど、もちろんスルーして参戦。
遅い車などはどんどん追い上げてゆくわけだけど、笑えるのは
、なぜかみな、一つのコーナーに対してアウトインインで曲がるのよね。そして、譲り合うのはいいけど徐行して譲り合わなくてもいいでしょ。
ドライバーズサロンで赤いフェラーリーのTシャツのおじさん、本当にフェラーリー乗っているのはすごいな。だけど、遅すぎだろ、笑。アウトインインで回っているのをアウトアウトアウトで十分回れるじゃんという感じ。アウトアウトアウトのラインは誰もいない。
書いていたら走りたくなってきたけど。。。車壊れそうだ。
多分一番初めだと思うけど1コーナーに突っ込んだ。Z31。
ブレーキパッドもブレーキフルードもサーキット用をお)入れてあったからそう簡単にはフェードしない。でもそれは、2回目以降だったかな?
「止まれない」という判断で、縁石超えるときに車が傷まないようにまっすぐにしてブレーキ緩めて進んだので距離が伸びた。笑。
椅子も壊れた。シートバックを支える金属がわれた(誰だ体重のせいだろといったのは)。しょうがないから、ピットで衣装ケースを2by2の功績との間にいれて支える。
リミッターカットのコンピューターも取り付けて、SA22ぶっちぎり。
もっともこちらはSA22なんて眼中になかったけど、SA22側は、カーブでは根性で追いつくけどち直線リミッターでダメだったそうだよ。
2回目はリミッターカットして来てたけど、今度はエンジン回しすぎて、ブローしていた。SA22=初代サバンナrx7ね。この個体はターボ。
ほかに70スープラ2.5ツインたーボもプローブの時かソアラの時か来ていた。Tバーのやつね。
スープラもリミッター解除してブレーキ強化してきた。ATだった。
ATがこわれた。煙吹いた。
まぁその前に、彼は緊張して、ピットロードで前を走るポルシェ911に追突していた。爆。
保険を使うために富士の目の前の道路で当てなおしていたぞ。笑。
プローブの時、売れたシルビアの前のシルビアと同じ「がぜーる(ライトがリトラクタブルのもの)」の1800MT車とはいい勝負だった。
やっぱりカーブで追いつかれるけど、抜かれるまでは至らない。
当時の長い富士の最終コーナーから1コーナーまでの前回区間で引き離す。
当時第一シケインがあったか覚えていないけど、最終シケインがあって、この場所では真後ろに迫られる。笑。
トヨタが「カイゼン」という名の改悪をする前の富士は楽しかったね。どんどん横Gが増加する最終コーナーなんて最高だよね。高橋徹という名前も思い浮かんだけどね。F-1が60秒以内で走りきると困るだろうからの改造だろうけど前の最終コーナーのほうがよく、第一シケインがないのがよかったね。もう世界耐久とかグラチャンのイメージね。
ここの登場人物はフェラーリーのおじさんと911のオーナー以外どのサーキットもゲームの対戦相手もすべて職場のひと。
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Posted at
2024/05/20 19:14:47
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