我が地元埼玉では、草加市で小学生の女の子2人が真心の品物を届けるなど、冬本番の列島に暖かな話題が花ほころぶ事となりましたが。
ワタクシ、ほんの半月ですがかつて児相に収容された身としては
「公設、民営問わず児童養護施設に対する公的予算、支援措置はどうなっているのか」
そして
「身寄りのない、本当に貨幣経済の最下層にある子にこども手当が支給されないのは何故か」
と訝ってしまいます。
間違って頂きたくないのは、ワタクシなにも非行事実で児相送りにされた訳ではありませんよ。あの当時はそんな言葉すら無かった「継父のDV」故ですからね(苦笑)。
30年近く前の当時、上尾の中央児相を思い起こすと…食事は大変なボリュームが出されましたが、教科書は版が二つ三つ古いものが大半。
幼児から中学生までが入所していたため職員も手が回らず、授業の時間割は午後も含めて1日4コマのみ…5年生のワタクシにしたらほとんど楽園でしたが
ワタクシは短期で…母親が転居先を探す間だけ…出所(!)と相成りましたが、あの環境で学力の向上などはちょっと難しいかなと。
それでも、たまたま市内に施設があって良かったとも言えますし…継父錯乱当日の晩は確か、上尾署の当直室、ほとんどロッカールームの隅みたいな所で寝たっけか(T-T)
あの頃を思うと、よくまあ中途脱線せずに来たなと。
現実、グレる余裕すら無かった…一番下の妹は生後3ヶ月で、遊びに行くときはよくおぶって(=くくりつけられて、とも言う)出ましたよ。
いくら第2次ベビーブーマーっても親の絶対数が多い訳で、11も歳の空いた4人兄弟てな家はそうは無く、大人・子供問わず周囲の好奇の目は辛かった…(/_;)
くそー。自分の過去を掘り返したら無性に腹立って来た
マーティン・ルーサー・キング師が乗り移ってくるようだ(霊媒爆)!
「私は夢見ている!」
「親の無償の愛を、また親の手引きを失った子供達が、社会の慈愛と手引きに寄って、無限に広がる未来へ漕ぎ出す機会を、漏れなく得られる日が来る事を!」
いじょ( ̄^ ̄;)。

Posted at 2011/01/13 11:38:03 | |
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