
鈴木亜久里代表の正式ステートメントが発表され、ワタクシもすっかり意気消沈。
恐らく直勤では二度目くらいの2コロフィニッシュをぶっかましてしまいました…一日走って2万円台って事です。酷いもんです。
この「セナと同じ・カート出身の新星」鈴木亜久里がF3000を席巻した頃~オープンホイールもグループAでも速かったですが~、ワタクシもモータースポーツにかぶれておった時期でして、特にWEC-JAPANでの和田孝夫ドライブ・ニッサンR86Vによるポールシッター獲得の衝撃が大きく。
確か「メガネレーサー+国産エンジン」でのWSPCクラス・初ポールじゃないかと思いますが(メガネは余計)、ワタクシにとっては「モータースポーツ=日産」の時代でありました。
そしてその日産と浅からぬ縁のあったのが鈴木亜久里。
スポット参戦とは言えラルースでF1に殴り込みとなった時は、嬉しかったもんです…レーシングスーツのデザインは「ちぃとなんだかな」でしたが

。
その翌年、89シーズンがいきなり可哀想で。
ザクスピード・ヤマハでフル参戦、確か全PQ落ち。=「予備予選落ち」、すなわち予選にも出られなかった。
かの「迷機」OX88ってエンジンは、まぁヤマハも一機入魂、一生懸命造ったとは思うんですが…信頼性・コンパクトネス重視のV8としつつ、回してみたらガッタガタですからね。
そりゃ文句も出るよ

。
一時は「責任転嫁ばかり」みたいな事書かれましたし、実際ワタクシも「亜久里も勝てなくなって変わっちゃったのかな」と思ったもんです。
高校の友達とも「亜久里が言うとこ全部直したら、MP4/Xが出来上がるよ」なんて笑い話してましたが、
…そんなマシンで戦わざるを得なかったあの時期、本当に辛かったと。
当たり前ですよね、仮にもF1パイロット。乗ってる本人が一番分かってるんです。
…
パイロットで挫折。チームオーナー職でまた挫折。
ちょっとこの結末は、あんまりじゃなかろか…。

Posted at 2008/05/07 08:25:50 | |
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