
はい。
さて…
ワタクシから「廃道」感染した皆様の期待とは、かなり異なる内容になるかも知れません。
「ヨッキれん」「Nagajis」両氏のWeb上でのノリからはちょっと違う、非常に堅めの内容でした。
一部:地域オブローディング
伊豆半島における古隧道史を追って行く中で、デザインや工法の変遷或いは継承、共通点の観察・考証を。
~明治期から昭和期にかけて、石造、煉瓦造を経てコンクリート化への流れ~
山がちで三方を海に囲まれ、かつ石材産地だった伊豆半島の限られた域内で、工事従事者がまとまって移動・施工した名残が多く残る様子を詳細に解説しています。
探索の中で発見した素堀の小隧道が、実は「通学路用途」だった、みたいな話も。
二部:残念ファイル+残念ファクター
「ふれあい橋」ってベタなネーミング、なんとかなりませんか…的に、全国の「ふれあい橋」を集めてみたら、数的にとんでもない事になったそうです。
「残念レリーフ」…野麦峠にない「ああ野麦峠」のキャラ付きレリーフ
「道路財源でこんなもの造っちゃダメですよ」
「描くならせめてちゃんと描いて欲しいのに、この口の形は何ですかと」
「既に人の口じゃない。萎えますね」
「第一ここは全然違う峠で、野麦峠は20km先です」
「詐称じゃないですか」
トンネル名の標識だけ7色にしたレインボートンネル、「どれもコンクリート造で、グレー一色ですけどね」
標識にヘボン式で書くのははどうなの…トンネル=「Tonneru」って。
「ふれあい橋はまだ良かった。これを見るまでは」
「交流橋ですって」
「ふれあいはまだしも、交流とはカタいなぁw」
「次は直流ですかと」
「この橋。自動車は入れないんです」
「歩行者用ですか」
「それが、銘版みたらこうです」
「サイクリング大橋!?真面目にこの名前ですか?」
「自転車専用みたいですよ」
「歩いちゃダメなのかと」
等々。
三部:ミリンダ氏スペシャル
これは実際見たら大笑いですが、文章にしちゃうとちょっとアレですね。あのトロッコ動画には、酒吹きそうになりましたが
画面の外から「ガラゴロゴロ…ガタン!ゴロゴロ…」と音がしたかと思うと、錆びたレールの上をゆっくり走るトロッコが現れ、そしてその後端に正座するミリンダ氏。そのまま画面奥にトロッコもろとも去っていくという(^_^;)
ヨッキ氏「細田氏はなんか機械モノを見つけると、すぐ遊びだすんですよ。特に海軍ネタで」
詳細不明な操作盤をガチャガチャ、「7番8番注水開始!」…海江田四郎かとw
司会「この、ジャンプの瞬間というか、飛び上がった写真は何ですか?」
ミリンダ氏「あ、空中浮遊のつもりで」
ヨッキ氏「僕もやらされました。で、新バージョンがこれ」
司「こっちは斜めに飛んでますね、あ、向きが左右に変わってる」
ヨ「ほら、これは誰の真似ですか」
ミ「あぶない刑事の、柴田恭兵のつもりで」
ヨ「これを柴田恭兵の真似とは誰も思わないよ」
司「大体これ、直立姿勢で斜めに飛んでたら人間大砲ですよ」
はぁ~、笑い疲れた

。
この後、Nagajis氏の「滋賀県における隧道黎明期と謎の技術者・村田鶴」のお話。
これは深い。彼が調べたところ埼玉県と滋賀県の人事交流、両県での土木工事の関連性などが明らかになり、とても個人の趣味の範疇に収まる内容ではありません。両県での人事データ照会、旧工手学校・現工学院大学の在籍記録、果ては出身地の茨城県まで追いかけるも
「伝記もない、いち技術者の消息を追うには限界がある。埼玉県では、大落古利根川の改修や畑隧道の施工などに従事した記録があり、昭和11年に千葉市へ移住したようだが」
そこで村田鶴は「消えた」状態になっているそうです。
「大戦末期、彼が住んだと見られる地域は大規模な空襲を受けた記録がある。その後、工学院大学で卒業生の名簿を再作成した際にも名乗り出ていないので、最悪はその時期に…」
「ご実家でもさすがに、三代前の次男坊に関する記憶や記録はないそうで…」
生家まで行っちゃったのか、Nagajisさん(唖然)。
こんな運びで、村田鶴捜索令が発令されました次第です( ̄▽ ̄;)
何か探せるかな~…埼玉にも縁がある人なら、なんとか調べてみたいし、村田鶴も関わったという大落古利根川はすぐ近所ですしね。
関東平野の、廃道なんてそう縁のない(廃線はあります)土地に住むワタクシですが、この方々はそんな埼玉の郷土史まで掘り起こしかねない勢いであります( ̄ω ̄;)。

Posted at 2010/01/31 15:21:33 | |
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