
川勝宣昭著「日産自動車 極秘ファイル2300枚」
日産の凋落を描いた作品です。
メインストーリーは自動車労連を長年牛耳り、組合利権を欲しいままに振る舞い、最後は「カネとオンナ」の醜聞を世間に暴露され失脚した、塩路一郎退治の話でありますが、社内の病巣を根治できずに業績後退を続け、自力再生を断念するまでの「伏線」も含めたドキュメントです。
仮定の結論を言ってしまうと、日産に目利きの監査役がいれば。はたまた財務専任のCFOがいれば、ルノーに買われる事は無かったのではと。
例えば、日産には遊休不動産の保有額が8000億円あった。遊休、である。不動産専業でいうと、森トラストの総資産が2015年時点で9700億円。これに匹敵するわけである。
この遊休資産を逐次処分したことがゴーンのリバイバル・プランの核となり、管理すべき不動産がなくなった日産不動産は解散した。
ルノーの資本注入額が6430億ですか?
不動産売却と合わせて財務体質改善に1.4兆円。更に村山、座間の跡地の部分売却益、宇宙事業(固体ロケット)の売却など、本業以外の切り売りがゴーン改革のコアであった。その先の利益率向上策は表面的な部品調達コストの圧縮や取引先の絞り込み・切り捨てばかり。部品会社まで鍛えて育てるトヨタなどとは実態が掛け離れており、どっかの党の事業仕分けみたいなものだった。
80年代初頭の時点で台あたり原価は、サニークラスでトヨタより5万円高、生産性や在庫管理コストはホンダはおろかマツダにも劣ったというのが「西の横綱」日産の現実で、
この本でも少し語られていたけども、とにかく労組の経営介入が酷く、稼げるカネをこぼしていたという。
シーマ現象や901運動などはいっときのリバウンドに過ぎず、バブル崩壊後の沈降期、それから提携相手の模索に入ってなお当時の辻会長、塙社長らは「有価証券保有額すら満足に把握していなかった」とまで言われた。
まさに日産は「帆船時代のままの航海術で突っ走る、ど近眼の巨人」タイタニックそのものだったのだ。
…そしてゴーンがやってきた。売上規模は確かに膨張した。ヘッドハントされてやってきた、頭の切れるエグゼクティブはゴーンに切られる前に他社に移った。残ったのはケリーのような腰巾着ばかり。中村史郎氏は数少ない、「やりきって去った」幸運なひとりだ。
トヨタやホンダ、マツダにあって日産にないもの。それは「求心力」に他ならない。トヨタには今だ、創業家直系の豊田章男氏がトップを務める土壌がある。同族を嫌ったホンダには「独創、先進」のホンダイズムという巨大な遺産がある。マツダには、地場のローカル企業からロータリーをモノにしたというDNA、ヒロシマ発・新世界標準というロードマップがある。
国立大学卒の理系エリートによるサラリーマン集団・日産には、創業家への誠を尽くす忠義もなければ、地域一丸という熱量のカタマリにも欠ける。長いモノに巻かれ戦わない、流れに逆らわない。その風土が独裁者への盲従の根っこになる。
塩路一郎と真っ向からぶつかった石原俊氏以降、久米豊、辻義文、塙義一の三代社長を本書は「戦わずに社長の座を禅譲された傍観者たち」と斬って捨てた。シーマを開発承認した久米氏すら、「生産現場への過剰投資で予備浮力を失わせた」張本人と断罪された。
かように自動車業界とは舵取りの困難な世界だ。トヨタですら先行きへの不安や危機感を隠さない。タカタのような「いち部品メーカーの事件」も簡単に完成車メーカーに、そして世界中に飛び火する。世界シェアトップを謳歌して数年で監理銘柄行き、果ては経営破綻。
恵比寿はこれを「他山の石」にできるのだろうか。社長が現場との意思疎通を欠いたなどという言い訳は、正に30年と少し前の日産そのものなのだ。
Posted at 2019/05/05 20:49:32 | |
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