
一応は
東京都なのですが…
神奈川県町田市
↑間違えて覚えている人も多いし…
そしてダメ押し的要素として11日放送のブラタモリでもネタになったし…
(ノリ的にはタモリ俱楽部要素も強かったけど)
当社的にも前回の
どっちの地名ショー繋がりで一気に展開してみよう
そんな思い付きからネタ化してみますた
ただし…
今回のネタは町田市在住の方をはじめ不快感を伴う可能性もありますが
よくよく調べてみると神奈川県に所属していた方が自然だった
そういう事象や間違えられる理由も多数存在することが判明したこともあり
論理的な目線で執筆しておりますので感情的な目線での抗議・コメント等は
一切受け付けませんのでその点はご理解の程をお願いいたします
まず…
神奈川県町田市でググると…
約37,900,000件ヒットします
間違った地名にも関わらずですよ
そしてその中にはなぜ間違えられるのか?
それなりの理由を克明に解説するサイトも多数あるのです
そこで当社もそれについていろいろと考察してみますた
その1 地形的に不自然
まずは町田市がどこにあるのか地図を広げてみましょう

東京都南部に突き出すような形に位置するのが町田市です
東京都 - 神奈川県の境界線は羽田周辺の河口部から調布市付近にかけては
多摩川に沿っているのですが神奈川側の境界線は
川崎市多摩区稲田堤付近から内陸側に入り込んでいく形となり
ここから上流となる右岸は稲城市・多摩市といずれも東京都になります
そして宇宙戦艦ヤマトの第三艦橋の如く突き出て東京都に入る町田市
稲城市 - 多摩市 - 八王子市に続く地形とは明らかに不自然な膨らみですよね
もっとわかりやすくハッキリと言いましょう
神奈川県にグイッと食い込んでいる(笑)
もうちょっとソフトに言えば…
東京都から半島状に飛びだしていて
神奈川県にぐるりと囲まれている特殊な立地
実際神奈川県に含まれていた方が地形的にも自然というか
ホントに神奈川県町田市だったらという妄想神奈川県全体地図が↓
ウ~~~~ン…自然だ!(笑)
では何故東京都なのかと問い質すとこれが複雑怪奇かつ
明治以降の行政のご都合もあったりするのですが…(後述)
それと水系的に見ると多摩川水系は市北西部の一部のみで
むしろ鶴見川水系で相模原市との境界線にもなる境川のそれが主流
相模原市との境界は飛地も存在していたことからも
河川改修工事の度に何度か境界線を変更した過去もあります
その2 神奈川県を通らないと行けない
都内(23区内)からのアクセスですよ まずは鉄道から
新宿からは小田急線
そして多摩境駅のみですが京王相模原線
渋谷からは東急田園都市線
どれも一度神奈川県を通過しないと行けない
※京王相模原線は手前の京王稲田堤が川崎市多摩区菅に所在
さらに…
JRでも同市内を走る横浜線は
前後を神奈川県に挟まれているんですよ
※横浜線の東京都部分は八王子 - 相原間と町田 - 成瀬間のみ
これは道路とて同じで区部からのアクセスとなる
東名高速・R246・世田谷通り→鶴川街道(東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線)
さらには八王子側からのアクセスになるR16も
一度は神奈川県を通過しないと行けません
東名横浜町田ICは元々横浜ICだったんです
横浜青葉IC開設により混同を避けるため改名したわけですが
所在地が
横浜市緑区長津田でインター名も
横浜>>>>町田という時点で神奈川が主という解釈もできるわけです
じゃあ都内から神奈川県を通過せず町田へ行く方法はないかというとあるんです
多摩ニュータウンから鎌倉街道を山越で行くルートがあるのですが
23区からは時間的にも距離的にも不利なのでまず普通は使いません
しかも町田市のアクセスポイントが中心をズレた北側ですからね
それにハッキリ言ってクルマがある現代だからこそ使える手でしょうけど
人力や馬車での峠越えが必要な時代だったらそもそも交流も乏しいはずです
その3 神奈川県との結び付きが強い
一番のメインは相模原市ですが もうこれはイッパイあり過ぎ(笑)
まずは町田駅南口構内に相模原市南区との境界線があります

おかげで階段には↓な表示が…

町田と相模原が共存(笑)
同様に
駅構内におかれる市の広報冊子は両市のモノを置くという念の入れ様(笑)
境界線は↓の店内にも存在します
ビックカメラ町田店
さらに↑のライバルの↓はもっと複雑
ヨドバシカメラ マルチメディア町田店
店舗の住所こそ
町田市原町田になっていますが
ここにクルマで行くと立体駐車場に入れることになるのですが
これがまた境界線の影響で周囲から駐車完了まで
下手にナビの県境アナウンスをオンにしていると
『神奈川県に入りました』
『東京都に入りました』
↑の無限回廊に陥ります(笑)
ちなみに↑の隣に店舗を構える↓
デニーズ町田南口店
↑の登記住所は
相模原市南区上鶴間本町です
そして町田市民の足ともいえるバスは↓
神奈川中央交通(笑)
またNTTの固定電話は相模原・町田エリアで括られており
市外局番は042-7xx
しかも川崎市エリア(市外局番044)とは同一市内通話エリアになっているほか
神奈川県全域と県内通話料金が適用されるという特殊性があります
他にも証明するような↓な事実があります
町田市の図書館は隣接する相模原市・横浜市・川崎市・大和市と相互利用が可能
図書館の郷土資料にも『神奈川県』の棚がある
相模原市や大和市に町田と同じ地名がある(相原・小山・鶴間・矢部など)
神奈川県の地銀である横浜銀行の支店が市内に複数存在
テレビ神奈川の地元密着番組で町田市を何度も特集
神奈川県町田市と誤記しても郵便物は問題なく届く
町田駅周辺を歩く人は居住地神奈川県が3割以上(2009年の調査)
神奈川新聞は町田市にも配達可
町田駅の南側には相模原市の看板が混在
町田市内には川崎市麻生区岡上の飛地が存在する
またまったく別の視点なのですが…
東京ガスの利用サービス案内でも同様に
東京都下各市(町田市を除く)と
町田市・神奈川県にお住まいのお客さまに分けられているほか
町田市を除く東京都・千葉県・埼玉県のマクドナルド全店で有効
↑表記されたマクドナルドのクーポン券が存在したりします
この手のサービス関係で提供地域で
東京都(町田市を除く)
神奈川県(町田市を含む)という表記された記録も見受けられます
さらに隣接自治体は東京都は八王子市・多摩市の2自治体なのに対して
神奈川県は横浜市(青葉区・緑区・瀬谷区)・川崎市麻生区・大和市
そして相模原市(中央区・緑区・南区)と4市6区という神奈川寄りな密接が…
これだけの↑な事実からも
神奈川県町田市でも間違ってない
当社は力説するのですが歴史上でも驚愕な事実があります
江戸時代が終わり明治になった1868年に現在の市を構成するほぼ全域は
明治政府直轄地とされたもののすぐに神奈川県に移管され1871年の廃藩置県後も
神奈川県の管轄となりました
そして…
1878年には郡区町村編制法により南多摩郡に配属
実は↑の南多摩郡配属が行政の都合と言うか実際の人流や土地の結びつき
即ち生活圏も含んで無視したものだったことが今に続く
神奈川県町田市と誤解される遠因になります
話を江戸時代に戻しますが…
現在の町田市と相模原市の境界を構成する一部になっている境川は
武蔵国と相模国の境界線になっておりました
国境と言えども境川を挟んでの人々の交流があったのも事実で
その名残が相模原市や大和市に町田と同じ地名がある事象でもありますし
実際に管轄自治体が変わってしまった地域もあります
むしろ山越をする必要があり人流や商業的関りの薄かった
現在の多摩市や八王子市と同じ南多摩郡に編入することの方が不自然ですが
単に国境で同じ武蔵国だった過去の歴史を踏まえてそのまま組み入れてしまおう
当時の行政はこの編入を間違ってないと判断してしまったというのが伏線にあり
↑な江戸末期 - 明治維新あたりの行政区分をマップにすると↓な感じになります

そして峠越の必要な南多摩郡よりも山越なしで行くことが可能な
都筑郡(現在の横浜市都筑区・青葉区・港北区/川崎市麻生区など)に編入だったら?
↑思うのですが
行政はそこまで頭が回らなったのでしょうね
その結果が生活圏的にも地形的にも不自然な区分が成立しちゃったわけです
町田市地域が地形的に隔てられている南多摩郡への所属は
この他にも諸説混沌としていてよくわからないのも真相ですが
もうひとつ仮説を立てるなら人の往来を阻む多摩川を境界線にした方が
わかりやすく都合が良かったとも推測できるわけでそうなると益々
なぜ南多摩郡?で結果的に
旧国制度だけでの判断は的外れかつ謎
町田→多摩エリアが元から不自然
各状況からは↑判断するべきだと思うんですけど
で…
1893年にこの郡分別にクリビツテンギョノイタオドロなあっ!と驚く事件が勃発
南多摩郡・北多摩郡・西多摩郡を
神奈川県から東京府に移管

↑の移管はいろいろとスッタモンダがあったそうです
しかしあまりにも話がキナ臭くかつ長くなるので割愛しますけど極端な話
世田谷・吉祥寺・八王子も神奈川県だった
そういうことなんですよ
※この詳細を知りたい方→
こちらのリンク先にわかりやすく書かれてます
それこそ1913年の町田村→町田町昇格となり
1943年に東京府→東京都発足 1958年に町田市となっても
1893年以降は東京なんですよ
ただ…
どう見ても結び付きは神奈川の方が濃厚なのは↑からもわかるわけで
次に↓な疑問が浮かび上がります
都県を越境して神奈川編入という手はなかった?
やろうと思えば不可能ではない
実際に編入というよりも所謂ひとつの越県合併という手で
やっちゃったケースが平成の大合併で存在します
2005年に岐阜県中津川市に編入合併した
長野県木曽郡山口村がそれ
明治の文豪島崎藤村の出身地で中山道馬籠宿で知られる村でしたが
地形的にも村の大半が隣接する中津川市と繋がる形となっており
そのため
長野県よりも岐阜県との繋がりが昔から深かったことが
越境合併に至る最大の要因になったわけです
尤もこの山口村も明治以降は結構行政に振り回されているんですよね
1871年7月:廃藩置県で名古屋藩属信濃国筑摩郡山口村は名古屋県に配属
1871年11月:名古屋県の信濃国分を筑摩県に移行
1874年: 筑摩郡田立村と合併して山田村となる
1876年:筑摩県信濃国分の長野県編入に伴い長野県筑摩郡山田村となる
1881年:山田村が分立し長野県西筑摩郡田立村・山口村発足
1968年:西筑摩郡→木曽郡への改称に伴い長野県木曽郡山口村と改称
2005年:岐阜県中津川市へ編入合併で山口村消滅
で…
越県合併で大変だったのは郵便番号の変更と管轄も信越支社→東海支社への移管
それから警察をはじめとした公的機関の変更とかも伴うので面倒だったとのこと
町田市の場合は山口村に比較すると人流や生活圏や文化面に加え
同じ南関東エリアという点で神奈川県編入のハードルは低い気もしますが
当事者の町田市にその気はないようです
だって市役所に↓なのを出しちゃってますから(笑)

ウ~~~ン…もう昔のことはスッカリ忘れているようで
多摩でも東京でも神奈川でもない宣言とも受け取れるし…(笑)
元々不自然から始まったのが長い年月かけて
それが自然になっちゃったからこそな話ですけど
シャレにならないとでも思っているんでしょうかね?
尤も行政・住民だけで判断しても結果は正解とは限らないわけで
現実を考えると…と外野が叫んではみても意味ないか?
でも外野だから言えるのは満更じゃないと思うんですよ