
当社のウリのひとつ昔車レビューシリーズ
ナンダカンダでもう1ヶ月近く執筆なし
で…今回は書いてくれリクエストでして
もう
ふたご座の時期だからね
そして…
西堀サンって誰?
これは後半のお楽しみに
ハイ!お題はズバリ↓
☆ISUZU GEMINI(いすゞ ジェミニ)☆
1963年から販売されていたベレットが陳腐化していたこと
さらには提携先のゼネラルモーターズによる世界戦略車構想から
Tプラットフォームを採用して1973年から製造販売されていたオペル・カデットを
ベースに開発され1974年11月に発売された小型乗用車である
発売から暫くの間は後継モデルを印象付けるため車名を
ベレットジェミニとしたほか
オーストラリアGM(ホールデン)向けとしてGemini(ジェミナイ)の車名で
いすゞ自動車が製造して輸出も行われた
車名はTプラットフォームを使用したグローバルカー=世界戦略車であることから
姉妹モデルが多数存在するという意味合いでふたご座を意味する英語から採った
まあ概要つーか開発の経緯を書くと↑な感じなんですが…
今では乗用車製造販売から撤退してしまったいすゞ自動車が
本気で作った小型車という点から見ても非常に面白いのですよ
なので本田技研工業からMJ系ドマーニをOEM供給とした4・5代目を除いた
いすゞ自動車内製モデルの初代 - 3代について今回は語っていきます
☆初代PF系(1974 - 1988)☆
オペル・カデットをベースに開発されたFRモデル
型式名は1.6Lエンジン搭載車がPF50 1977年追加の1.8Lエンジン搭載車がPF60
そして1979年追加のお家芸ともいえる1.8LディーゼルモデルがPFD60
ライバル他車となるカローラ・サニーに比較すると1サイズ大きいボディと
1.6Lエンジン搭載によるアドバンテージのほかサスペンションも
前:ダブルウィッシュボーン/後:3リンクリジットでまだまだリーフリジットが
スタンダードだった時代には先進的だったとも言えるわけで
4ドアセダンと2ドアクーペが設定されますた

↑は角型ヘッドライト変更とPF60を追加した後ですから1977年のカタログから
正直なところオペル・カデットをベースにしただけあって日本語がなければ
欧州車じゃんと思ってもおかしくないわけでして…(笑)
じゃあ実車比較してみますか?
◆1800クーペ LS/G◆
◆OPEL KADETTE GT/E◆
ほぼそのままじゃん(笑)
KADETTE GT/EがWRCに参戦したこともあってジェミニをベースに
カデットもどきにするモディファイが当時そこそこ流行りました
見た目欧州車だけど中身は生粋の日本車
まるでマテンロウのアントニーもしくはデニスの植野行雄みたいな1台(笑)
なのでメンテナンスにかかるコストなんかもあまり気にしなくていいかと?
ちなみに…
コックピットは↓な感じ
※ステアリング・ペダル・シートはノンオリジナル
シフトレバーが滅茶苦茶寝てるんだけど…
ペダル配置も変なオフセットで左足の置場がないよなあ
ステアリングも起き気味でこの辺が如何にもトラックメインのいすゞ面目躍如(笑)
ただ…このオペルもどきのモディファイも1979年のビックマイナーチェンジで
そう簡単にできなくなってしまうんですよ

逆スラントノーズをやめてスポーツ系グレードは丸形ヘッドライトを搭載
これは別のクルマというほど大幅な見た目変更

あれ?ここまでイメージ変わるんかいという感じでした
ただ…これと引換にJT600型ディーゼル搭載モデルと
走りをイルムシャーとは異なるベクトルで特化した↓が登場

元は117クーペに搭載されていたGW180WE型2バルブDOHCエンジン
これをPF型ボディと融合させたZZシリーズを追加したわけです
排気量1,817ccから最高出力:130ps/6,400rpm 最大トルク:16.5㎏m/5,000rpm
スペック的には今の基準で見ると特別尖ったモノではありませんが
1㌧を切る車重に排気量で200㏄のアドバンテージがあったことから
2T-Gを搭載するトヨタ製のDOHCモデルよりはるかに刺激的でした
実際に友人が中古でしたがこれを購入
一度運転してみなよ
↑な甘い誘惑を断るわけないじゃん(笑)
クロスレシオの5速MTやオイルクーラーで武装
4輪ディスクブレーキにフロント・リヤは強化スタビライザーを装着する反面で
パワステなんてない超オモステ(笑)
スポーツ=格闘することが要求されていた時代のクルマですけど面白かった
よく言えば豪快 悪意で言えば面倒くさい
愛すべき1台という感じで友人も2000年頃まで所有していました

その後PF型は1981年に異型角形ヘッドランプにマイナーチェンジを実施
1985年に後述するJT150系FFジェミニが登場後も当初はスポーツ系ならびに
ディーゼル搭載車が設定されなかったことから2ドアクーペを廃止して
1988年まで都合14年 約77万台製造された息の長いモデルとなりました
☆2代目JT150系(1985 - 1990)☆

1985年5月発売の2代目モデルは世界戦略車構想から外れたこともあり
いすゞ自社開発となりFF化されました
当初は1.5Lガソリンエンジン搭載モデルJT150型のみの設定とされたこと
さらにはPF型も継続製造であったことも含めてPF型製造終了までは
FFジェミニの車名でしたが
同時にパステル系カラーの大量採用や4ドアセダン&3ドアHBの設定にも関わらず
この代だけで20万台以上売ったベストセラーとなりますた
キャッチコピーは
街の遊撃手
いや…むしろですよ
源田壮亮・井端弘和・小坂誠・山下大輔・吉田義男・広岡達朗・野村謙二郎・中島裕之
石井琢朗・鳥谷敬・川崎宗則・松井稼頭央・坂本勇人などなどNPBに切ら星の如く
その名を轟かす名ショートといい勝負じゃないかな?
そりゃああまりにも斬新すぎてアクロバッティだった↓のCMじゃないかい?
◆ISUZU GEMINI TV-CM 1985 - 1991 詰め合わせセット◆
最初は大人しかったんだけど途中から派手そして悪ノリ
これが後継のJT151/191系まで擬人化にエスカレートなんですよ
尤もこれだけのテクニックもさることながらCGナシのイッパツ勝負
カメラマンと撮影車のドライバーにもカナリの技量を求められるのは必須
なのであまり表にならない話ですけどフライヘディングで珍プレー大賞を取った
中日の遊撃手 宇野勝氏のようなNG TAKEも結構あったらしいですよ
ただ金をかけられたバブル期だからこそのオール海外ロケCMにしても
ジウジアーロが手掛けたボディも含めて完全に欧州指向なんですよ
そしてその頂点とも言えるのが1986年5月に追加された↓
☆GEMINI Irmscher ☆
独逸のチューナーであるイルムシャーがサスペンションをチューンしたモデル
従来から搭載されていた4XC1型1.5L自然吸気SOHCエンジンに
インタークーラー付ターボチャージャーで武装
過給圧をHi - Low2段階設定としてHiで120ps Lowで105psの最高出力を発揮
正にドーピングされた街の遊撃手でして しかも…
Irmscher エンブレム
大の字デザインフルホイールカバー
Irmscherロゴ入り本革巻ステアリング
レカロシート
↑が標準装備の上で何と150万でお釣りの来る価格設定が嬉しいじゃないですか!
実は当社が購入直前で断念したクルマでもあるんです
事故で手放さざるを得ない状況になったAE82
これに代る1台となり試乗してこれは面白いとなり
いざサインとなった段階で
申し訳ございません
納期未定なんですが…
何でも発注が予想を上回りすぎてレカロシートの入荷が追いつかない
一応納期は2ヶ月ですが下手すると半年待ちも覚悟していただきたいと…
それなら先に言ってくれ
で…
納期半月だったAE86を買っちゃったわけですよ
1987年に吊り目ルックにマイナーチェンジを実施した翌1988年にPF型製造終了
引換にディーゼルターボとヨーロッパ指向をエスカレートさせた↓をリリース
☆GEMINI Handling By LOTUS☆
今度はロータスかい?(笑)
引き続きレカロシート標準装備な上にステアリングもデザイン変更ながら本革

そして↑でもわかるようにBBSホイールを標準装着でしたが
心臓を↓にチェンジ
4XE1型4バルブDOHCエンジン
排気量が1,588ccとなったため型式がJT190となりましたが
最高出力:135ps/7,200rpm 最大トルク:14.3㎏m/5,600rpmのスペック
PF型のZZシリーズがグロス表記でこちらがネット表記ということも踏まえると
結構な高回転ユニットで刺激的な1台だったころだけが確実

で…LOTUSはこのグリーンカラーだからこその味でもありますたが
JT190ってホンの2年しか製造されなかったレアモデルでもあるんです
☆3代目JT151系(1990 - 1993)☆

1990年3月にリリースされたのがJT151・191・641型
当初は4ドアセダンのみでしたが1990年9月に↓のクーペ

1991年3月にはロングルーフが特徴的な3ドアHBを追加

また派生モデルとしてPAネロやピアッッアもラインナップ
スポーツモデルも従来からのハンドリング By ロータスに加え
4XE1型4バルブDOHCエンジンにターボチャージャーとフルタイム4WDで
武装したイルムシャーRも追加されました

PF時代から全日本ラリー選手権にジェミニは出場しておりましたが
JT191型では1990年 - 1992年にBクラス総合優勝を3年連続でゲット
それも絡んでいたというわけではないのでしょうけど
ツルシ状態のままモータースポーツに参戦可能とした
エボリューションモデルとも呼べる↓を50台限定で設定
Irmscher R Competition
バブル期だったこともありイケイケな体制に思われますが
意外にも売れなかった3代目
製造販売期間は3年と短期だったことを考慮しても
国内登録台数が7万台程度とは少なすぎ
これはGMからの要求で北米輸出仕様が主になったことから
アクの強過ぎたデザインにソッポを向かれてしまった
本来は欧州を向いていたクルマを無理矢理亜米利加大陸の意向を受け入れた
これで従来のユーザーが離れてしまったというのは充分納得できる話でして
総生産台数に対する北米輸出が約18万台
他社向けOEMなどジェミニとして製造されなかった姉妹モデルが約14万台
そんな資料も存在したりしますがそれ以上の問題が
サスペンションにあったからとも言われています
2代目の前:ストラット/後:コンパウンドクランク(トーションビーム)から
4輪ストラットに進化しているのですが後のストラットがクセモノで…
ニシボリックサスペンション
ストラットの変形というかリンクの弾性ブッシュを前側を硬く後側を柔くし
リンクの車体装着位置を後側を前側より高くすることにより
パッシブ4WSとしての機能を備えたサスペンション
ニシボリックとは
開発者の西堀稔氏から名付けたモノ
つまりタイトルの西堀サンを意味しまして↓が動作についての解説図

この時期に4WSは日産のHICASやアクティブ式のホンダ・プレリュードなど
採用例は枚挙に暇がありませんがニシボリックはいただけなかった
その最大の理由というか当時の見解で
熟成不足というか未完成のまま市販された
これに尽きるというのがホントのところだと聴きます
理論上ではターンインでスッと曲がり定常旋回ではスタビリティが高まるはず
しかし実際には定常旋回に入っても逆位相が継続する傾向が強く
運転感覚としてはオーバーステアを強く感じるという特性が強い違和感
これがオーバーステアとアンダーステアが奇妙に混在すると表現された
つまり特別な機構無しにブッシュの撓みのみで複雑な動作概念を
実現しようとしたことで単に理論上通りの動作をしなかったばかりでなく
前輪駆動車でありながら定常円旋回の際には強いオーバーステア傾向を示し
コーナリング中のアクセルオフの際にはタックインが起きるのではなく
後輪駆動車がドリフト走行するようにリヤがコーナー外側に流れていく
通常の前輪駆動車では有り得ないような挙動を示すという問題点があった
当時の自動車雑誌がテストした結果酷評をまとめると↑な感じですが
知人がこの型のロータスに乗っており聴いてみたところ
やはり違和感の塊でコーナーリングでオーバーステアになってしまう恐怖心
なので…
通称:ニシボリ殺しと呼ばれる
4WS機能を止めるキットを装着していたというのもまた事実です
キチンと熟成されれば問題はなかったというのは後付な話ですが
極度の販売不振に陥ったことから1992年10月期決算で大幅な経常赤字を記録
資金回収の目処が立たないと判断され1993年8月をもって製造販売が終了
以後のいすゞ乗用車は自社製造から他メーカーのOEMに切り替えられ
2002年には乗用車から完全撤退してしまうことになるのです
走る芸術品=117クーペ
走る時代錯誤=フローリアン
いすゞ製乗用車は結構なまでな拘りを持っていたことだけは事実で…
ん?誰だ
白のピアッッアを走るマヨネーズと言った奴は?(笑)
↑をジェミニで喩えると…
走るヨーロピアンテイスト
イルムシャーやロータスでレカロ・BBSといった欧州ブランドパーツを
ふんだんに揃えたあたりがバブル期のおかげもありますけど
後々廃車が進んだ1990年代後半から2000年代前半にかけて
当社に思わぬ恩恵をもたらせてくれることになりますが
その話はまた改めて…
しかし自社製造終了から約30年
存命個体も絶滅危惧種ないすゞ製乗用車ですが
再び乗用車市場に踏み入れて欲しいという当社だけの希望でしょうか?
↓の歌に代えさせていただきます
い~つまでも どこまでも
走~れ 走れ いすずの乗用車
それにしても今回は当社史上最長のネタになったのは間違いないと思う
使用した画像枚数も過去最多だったし投稿前の通しROMでも
ラクに10分近くかかりましたから(笑)