
←が
豆炭あんかって言うんだけど
イマドキの若者は知らないだろうなあw
まあ偶々TVでこれをネタにしていたわけなのですが
その豆炭からふと思いましたのが…
鈴菌風味のMAMETAN
スポーツ原付華盛りだった70年代後半からのお話です
今から半世紀程前の1976年は原付革命元年とも言える現象が起きますた
HONDAがロードパルを発売し爆発的ヒットを記録したのを覚えているでしょうか?
この頃の原付市場はロードパルシリーズやYAMAHAのパッソル&パッソーラが中心
しかし現在と異なるのは所謂スポーツ原付と呼ばれるモデルもラインナップ
4ストロークエンジン搭載モデルが中心になるHONDAと原付を持たないKAWASAKI
↑の2社を除いたSUZUKIはロードモデルがRG オフモデルがハスラー(TS)
YAMAHAはロードモデルがRD オフモデルがMRの商標で販売されてました
尤も後になってHONDAはMB・MTで KAWASAKIはAR・AEで
2ストロークスポーツ原付をリリースすることになるのですが
これだけでどれだけ熱かったかおわかりいただけるか想像できるかと思います
さらに…当時の原付にはレジャーモデルと呼ばれるカテゴリーが存在しますた
今でいう処のモンキーやDAXなんかがいい例なのですが1977年に
如何にもSUZUKIが総力を結集した鈴菌保有者への最高傑作が出来上がります
SUZUKI マメタン OR50
50㏄クラスで当時人気が出始めていたアメリカンチョッパースタイルを実現
1,680 x 660 x 1,020(㎜)のディメンジョンからは一段と低い676㎜のシート高と
身体が前傾しない乗りやすいライディングポジション提供へ貢献
空冷2ストローク パワーリードバルブ単気筒エンジンは本来のRG50用から
最高出力5.5ps/8,000rpm 最大トルク0.51㎏-m/7,000rpmへデチューン
しかし常時噛合式5段リターン式トランスミッションを介して乾燥重量69㎏の車体を
軽快に走らせていた タイヤサイズは前輪15インチ/後輪14インチ 標準価格109,000円
書いてて思い出した最初の衝撃は…
11万円でお釣りの来るキセキ
現代と物価が異なるので単純に比較するのもどうかと思いますが
それでもカナリなバーゲンプライスな1台だと思いますよ
実際結構な台数が販売されたのは事実で当社周辺でも友人知人がこの最初期モデルを
複数所有していたのでそれは間違いないと思います
まあ売れたからこそ翌1978年に正常進化します
SUZUKI マメタンカスタム OR50
炎のデカールが印象的な1978年モデルは前輪ブレーキを機械式ディスクに変更し
タコメーターを追加するものの価格は据え置きというさらなるバーゲンプライス
で…スペック的には原付なので大したことないだろうと思えますが
実際にはなかなかどうしてな1台でしたな
チョッパースタイルによる着座位置と併せて発進時にラフなクラッチ操作をすると
簡単にウィリーするくらいのマシンです
実際にSUZUKIの2ストロークエンジン搭載車に乗っていたから言えるのですが
数値以上にパワフルかつやる気にさせるサウンドを持ってますた
SUZUKI製2ストってメタリックな音がする
こんなこと言うのは当社だけかもしれませんがこれで随分とドーパミンを
分必してくれたことだけは間違いないと言えますね
まあSUZUKIには2ストのバケモノみたいなマシーンがありましたから
SUZUKI GT750
水冷2ストローク3気筒エンジンを搭載する750㏄クラスのロードモデル
別名Water Buffalo=水牛という時点でどんなモデルか想像が付くかと?
1970年代前半にCB750FourやZ2という4ストローク4気筒モデルと闘うに際して
横内悦男エンジニアが立ち上がる以前にGSシリーズもまだ存在しないSUZUKIは
大型クラスでも燃費で不利な2ストロークエンジンで立ち向かうしかなかったにしても
これはカナリの意欲作(笑)
3気筒にして4本出しマフラーを装着しちゃったり独自のギアポジ表示をしたりして
俗に"鈴菌"と呼ばれる変態指数がわかりやすいくらいに表現されたと思いますw
まあ話がズレちゃったので話をマメタンに戻しますが1979年にまた進化します
SUZUKI マメタンE OR50-2
ホイールをキャスト化したモデルで従来のスポークホイールを履くカスタムも併売
キャスト化に伴い標準価格を131,000円へアップしたものの
他のスポーツモデルと共通デザインの星型キャストホイールの人気は高く
このモデルがベストセラーとなった
マメタンはアメリカンチョッパースタイルをウリにしていたんだけど
当時売れていたZ400LTDやGL400CUSTOMなどと異なる点は
あえてプルバックハンドルを採用しなかったり
本来ありえないシートカウルをデザインの上で組込むなど
オリジナルな差別化をしてSUZUKI流"俺のマメタン"を前面に押し出したことで
アメリカンじゃなくてマメタン
代表取乱役的には↑のスタンス&コンセプトがお気に入りだったんですが…
翌1980年には最初で最後の大幅モディファイを仕掛けてきます
SUZUKI マメタンE OR50-3
簡単に言うとシートカウル廃止とメッキ多用でよりアメリカンになろうとしますた
と同時に前輪ディスクブレーキを油圧化し1981年には最高出力を6.3psへアップ
標準価格も145,000円まで上がってしまうのですが…
でも これが終りの始まりですた
ハッキリ言って売れなくなりはじめたんですよ
正直なところクラスレスなデカイ原付が売れ始めた
SUZUKI HUSTLER TS50-10
1980年発売のハスラーで通称10型 当時販売されていた市販モトクロッサーRMを
ベースにしたデザインで前19インチ/後17インチまで大径化したところ
これ以前の125㏄クラスと然程変わらないサイズに成長させてしまった(笑)
そこへ既に発売されていたHONDA MT50にYAMAHAもMR50からFMCで
水冷エンジン化を含めて90年代後半まで製造が続いたDT50へスイッチしますた
オフ車から始まった原付大型化ですがこれが原付アメリカンへ飛び火しました
YAMAHA RX50 SPECIAL
XS650 SPECIALをヒット商品にのし上げたYAMAHAが原付クラスに満を持して
投入した本格的アメリカンモデルで最高出力7.0psのハイアウトプット
タンデムシート風ロングシート後部には小物入れを装備するなど高い実用性を備え
プルバックハンドルも採用した1980年発売のフルサイズ原付である
こうなると風味でオリナルのマメタンでは戦闘力不足になるのは
目に見えてくるわけでSUZUIKIも翌1981年に↓を発売
SUZUKI GN50E
もう言わずもがなですよね
SUZUKIのアメリカン原付はこのGN50Eに取って代わられ
マメタンは1983年に製造販売終了となってしまうんです
とはいえ結構なまで暖房用燃料としての豆炭同様にホットだったのは間違いない
これを言いたかったためだけにネタにしただけの話です(笑)
◆余談◆
実はマメタンとほぼ同時発売だったミニトレール原付が存在します
SUZUKI ミニタン OM50
当時販売されていたHUSLER50を小型化したようなモデルで
YAMAHAのMR50に対するGT50(ミニトレ)と同じコンセプトな1台
ただ…こちらは売れなかったようで翌1978年モデルを最後に
わずか2年程で製造中止になってしまった悲劇の1台
まあマメタンも最近殆ど見かけないですし
このミニタンに出会えるとしたら奇跡以上な確率だと思いますよ(
つーか今日のネタわかったら
アラ還なのは確定ですからね(笑)