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とうふ@TW2のブログ一覧

2012年02月17日 イイね!

In the middle of a dream(夢の途中)

In the middle of a dream(夢の途中)ずっと抱き続けていた夢がある









中学の時にRCをやりはじめた
コースに行けば子供は僕だけだった
周囲の大人達は最新鋭で高価なハイパワーEgを搭載し、どう頑張っても勝てなかった
僅かな小遣いの中学生には、Egを買換える事はできなかった

「Egをいじってみなよ」
ある人に勧められて、当時は乏しかったチューニング記事を必死に探し
本屋の立ち読みや、ショップのオヤジに聞きながら知識を得ていった
何度も訪れる僕を見て、本屋のオバチャンが「その本」をこっそりとくれた

ヤスリでチューンドEgを造り、父とチャンバーを造り、キャブ調整をし・・・
何とか「大人達」に付いていくことができたが、ピーキーなそれは非常に神経質で扱いづらかった
それでも周囲に褒められて楽しく走らせていた

技術の授業でEgの時間では教師と真剣に議論をした

13歳の時に内燃機関の魅力を知ってしまった

高校の頃は貰ったモトクロッサーで楽しみ
貰った50ccオフロード車のEgを直して河川敷で走りを楽しんだ

大学に上がり、RZのEgを何機も潰しながらチューニングと走りを楽しんだ
神経質でピーキーなEgを高回転キープして勝負をしていたが、数日の命だった
いつもピストンを磨き、リングを張り替え、ライナーを磨いていた
下宿の4畳半部屋はいつもEgパーツで溢れていた

初めてクルマを運転したのは1000ccのFFだった
55馬力、4速ミッション、細いタイヤの買い物車だったが
単車とは全く違う操作と動きに戸惑いながらも時々山を走った
全てにおいて鈍重に感じ、操作で姿勢を作りながら走る「クルマ」という乗り物を速く走らせる事は非常に難しかった

それでも充分に楽しめた

チューンドは扱いづらくてもろいもの・・・車をチューンして乗り回すなど夢のまた夢

自ら手がけた数々のEgを潰し、山で会うチューンドカーが簡単に調子を崩し、壊れるのを見て
そんな概念が植えつけられていた

ほどなくして2T-Gメカフル車に乗る機会を与えられた
1984年・・・突然の出来事だった

トヨタ製2T-G(ヤマハ製作)・・・
40年近く前の1970年代、2T-GのWRCマシンといえば
トヨタワークス製Gr.4仕様16バルブヘッドを搭載
楽に10000rpmを許容し、1.6リッターながら200PS前後を叩き出す性能であったと聞く

それらWRCマシンを手がけ、ヨーロッパで鍛えたチューナーが造り上げたストリートマシンは
ノーマル8バルブヘッドのままギヤトレーンと304°のハイカムを組み、ソレックスで燃料供給
ポート、燃焼室加工はスワール流と燃焼速度を向上させて圧倒的なトルクとレスポンスを発生
内部パーツは市販と純正を組み合わせて徹底的なバランシングとフリクション排除し、精密組立
点火はデスビを廃した永井製フルトランジスタ制御+CDI+ツインコイル
エアロクィップ社製レーシングオイルクーラー、Gr.2用ラジエター、フェロード社製レーシングパッド
Gr.2用サスペンションパーツで各部を締め上げ
ビルシュタイン社製ショックアブソーバーをマシン性能に合わせてチューニング・・・

28年前の当時、ショップレベルでは行われていなかった最高峰の技術を採り入れ
公道走行可能なハイエンドチューンドとして仕立てられ 兄が所有した
FRPボンネットを開くと整然とした配管配線を施され、鍛え抜かれたDOHCエンジンが低く構えていた

今考えてみると、当時21歳の小僧では乗る事など許されないようなマシンであった・・・

出力はわずか150PSという

既に16バルブヘッドFJ20搭載のDR30スカイラインRSが登場しており、カタログ出力は150PS
対してベースマシンは70年代初頭生産と古く、チューンしてもやっと150PS・・・

少し乗るだけでいいと思った
今さら2T-Gなど時代遅れ
どうせ速くないだろうし、壊れやすいだろうし、僕には扱えない特性だろう

恐る恐るキーを捻るとあっけなく始動し
制御が難しい仕様のEgを綺麗にアイドルさせ、ハイカム特有の力強い音を奏でていた

充分に暖機をして慎重に発進してみる

・・・ホントにチューンドなのか?
そう疑ってしまうほど発進が楽にできる

アクセルを踏込むと・・・瞬時に8000rpmまで上昇し視界が狭くなる
ZF社のLSDがデフロックしてトラクションがかかる
慌ててシフトするもクロスギヤのお陰で息つく暇の無い加速を示す
苦しげな吸気音、高回転Eg特有の高周波ノイズ、ギヤトレーンの唸り音、ミッションの唸り音、弾ける排気音・・・

トルクをフラットに出し、鍛えられたボディ、駆動系、サスペンションが確実に150PSを路面に伝える
速い、速過ぎる・・・しかし安心して踏んでいける

考えていたものとは違う、全く違う!
これがチューンドと言うものなのか!
これが本当に「わずか150PS」の車なのか?
馬力=速さ という考えは間違っていたのか?

「きちんとしたチューンド、速いチューンドとはこういうものだ しばらく乗ってみるといい」
そう兄に言われて
結局半年に渡ってそのマシンを乗り続け、本当のチューンドを味わい、マシンから教えてもらった

プラグチェック及び清掃、油脂類交換、エアクリーナー清掃程度の整備
気温気圧に応じたジェットブロック交換によるキャブレーション程度の
「21歳の小僧」に出来る事で性能を維持し続けた

市街地では扱いやすく、乗るだけでも心が躍った
ツーリングでは穏やかに、力強く何百kmでも巡航した
山に行けば鋭く走り、最新のハイパワーターボとも対等以上に走った
乗りこなす、性能を使い切るなどは全く出来なかったが
そのマシンは、それまで抱いていたチューンドに対する概念を大きく変えてくれた

一度でいい、またいつか・・・こんなチューンドカーに乗ってみたい

幸か不幸か?
素晴らしいチューナーに出会い、真のチューンドに出会い、そんな夢を抱いてしまった

結婚をし、子供を育てながらも見果てぬ夢をずっと抱き続け
所有した車は常に出来うる限りチューニングを施しながら知識を養っていった

それから20年以上の時を経て
フォレスターと出会い、ガレージKM1と出会い
長い時間をかけて僕の求める最高のチューンドカーに仕立ててもらった



タバコに火を点け「俺のマシン」を今夜も眺めている・・・今 まさに夢の途中
Posted at 2012/02/17 21:43:24 | コメント(6) | トラックバック(0) | おもひで | 日記
2011年12月03日 イイね!

Driving high

Driving high久し振りに「バイブル」を手にして
ある人の言葉と情景を思い出しました。








「スピードの中で精神は肉体を超越する」
(トーマス・エドワード・ロレンス)

単車における「ライディングハイ」の状態を
T・E・ロレンス氏が表した名言です。

単車でアタックをしていた頃
どうしても敵わないO先輩に挑み続けていました。

O先輩・・・
愛馬Z750に跨れば誰にも負けず
ブルースとバーボンとショッポをこよなく愛し
普段は優しく、人道に反する事には烈火の如く怒る
・・・男の中の男でした。

O先輩が卒業を控えた晩秋のある日に
それまでのように僕が後追いで挑みました。

RZ250で出力が2倍以上のナナハンに食らいつく時・・・
スピードメーターの針が頻繁に真下までいくハイスピードなコースで
命懸けのライディングになります。

2年間追い続けたその背中を睨み
ステップ、マフラー、膝を路面に押付けながら
激しく舞う落ち葉を僅かな体重移動とスロットルで避けつつ
タイヤが宙に浮いてもなおスロットルを一杯までひねり続ける

激しくリヤを震わせながら加速するZ750のタイヤカスを浴びながらも
不思議と恐怖感はなく
吹き飛ぶ落ち葉の一枚一枚までもはっきりと見え、通るべき道が見える・・・
まるで単車が体の一部になっているかのように俊敏に、精密にライディングしている感覚を楽しんで・・・

気が付けばアタック区間終点まで離れずに食付いていました。

単車から降りたO先輩の開口一番
「スピードの中で・・・精神は肉体を超越する・・・お前、やっと超えたな!今日は飲むぞ!」

その晩は先輩の下宿で飲めないバーボンに挑戦し、時間を忘れて語り合いました。

「俺のバイブルだ・・・時々読んで俺との事を思い出してくれれば、いい
・・・何に乗っていても走りの心を失うなよ」

そう言いながらボロボロのマンガをプレゼントされました。
その中にT・E・ロレンスの言葉が記されていました。

その夜は厳しく冷え込んで山に雪が降り始め
雪解け前に先輩は卒業・・・
その日がO先輩との最後のバトルになりました。

もしかすると先輩は最後とわかってスロットルを少し緩めてくれたのかもしれません。
しかしその時僕は「ライディングハイ」になった事は確かでした。

今は4輪で走りをしています。

年齢も、心も、環境も随分変わったけれど
アツかったあの頃のように
ドライビングハイになれるのだろうか?
いや・・・28年前のあの夜に先輩と約束したのだから
時間はかかっても、そこへいくまで走り続けよう・・・

ボロボロで黄ばんだそれを何度も読み返しながら
忘れかけていたスピリットを心に刻みました。

ドライビングハイを求めて・・・
まだ走りは続きそうです。
Posted at 2011/12/03 20:17:44 | コメント(7) | トラックバック(0) | おもひで | 日記
2011年09月19日 イイね!

凄い男がいるもんだ

凄い男がいるもんだ全日本ラリー、ダートラ、ジムカーナ車
WRCラリーカー
1000PSオーバーのレーシングカー・・・






国内で、世界で戦うマシンを造り続け
造ったマシンは自らテスト走行とセットアップを行う。

海外ラリーではチェイスカーとして機材を積んだレーシングトラックを操り
タイムアウトしないようグラベルを200km/h近くでブッ飛んで行き
道端でミッション脱着を平然と行う・・・。

負ける事は許されない
勝つためのマシンを造り、勝つ事こそ全て・・・。

想像を超える厳しい世界に棲んでいた男
いつも僕のそばにいてくれる男 実弟「はんぺんワークス」

2010年5月 場所はSUGO
初めてのコース、初めてのレースに戸惑いつつも予選アタック
緒方社長からお借りしたA050 GSコンパウンドのお陰で5位を獲得
決勝は4年を経過した中古のA048 Mコンパウンドを使用する。

は:「アニキ、上位4台のうち2台は間違いなく600PSオーバー
 残る2台はレースカーに近いな、結構厳しいぞ!」
 
僕:「うん・・・そうか・・・トップは900PSらしいな」(消沈)

は:「表彰台に上がる方法は一つ・・・
 予選の入れ込み具合からすると一台は間違いなく脱落するな
 アニキは絶対にタイヤをこじらず、軽さを生かしてブレーキングで誘い
 クイックにインを突いて鋭く曲がり、速く脱出する
 相手は焦って追おうとするから、タイヤとブレーキを疲れさせてしまうさ
 パワーで勝てないところはレスポンスとコーナーの鋭さで勝負する
 そして予選より速いタイムで走り続ければ必ず表彰台に上がれる」

僕:「初のコース、初のレース、高速サーキット・・・まだ数周しかアタックしていないし
 勝負のし方も、勝負どころもわからないし、決勝は古いタイヤだぞ そりゃ無理だ」

は:「あのさ・・・何しにこんな遠くまで来たんだ?」

僕:「レースで表彰台・・・・

は:「そう言ってたよな・・・だったらやるしかないぞ
 アニキが出来る事しか俺は言わない
 今まで何年も鍛えてきたんだ
 緒方さんが勝てる車を造ってくれたんだ
 勝てるからこそ店のカンバンも背負わせてもらってるんだ
 馬力が2倍?・・・そんなのカンケーないね
 タイヤが古い?・・・俺が勝てるタイヤに仕立てるから、信じて走れ!」

SUGOというコース、出場マシン、ドライバー・・・そして僕の性格や能力、マシン能力・・・
この男は全てを見通し、観察し、勝つ方法を必死に構築していたのだ
修羅場をくぐってきたこの男の言っている事に嘘偽りはない。

僕はあくまでドライバー
この男を信じて実行すれば・・・いや、それしか方法はない・・・やってみせる!

決勝5分前、はんぺんが仕立てたタイヤをセットしてジャッキダウン
震える手でヘルメットを被り、グラブを着ける
はんぺんがハーネスを付け、各部点検
は:「Egスタート!」

1周回ってはんぺんが待っているグリッドに付く。

緊張、興奮・・・胃が締め上げられて今にも嘔吐しそうになる。

はんぺんの眼は自信に満ちている。

それを見いるうちに極度の緊張も遠のいてゆき
周りの状況が・・・シグナルが・・・コントロールタワーが見え始めてくる。

それを見届けてはんぺんがピットへ戻ってゆく・・・。

決勝では相手の心理までも見えるほどに
マシンやタイヤの状態が手にとってわかるほどに冷静を保って走り続けた。

あの男の予想通り一台が脱落し
パワーマシンもタイヤが疲れてペースダウン。

僕はただひたすらにその言葉を信じてアクセルを踏み続け
予選以上のタイムどころか
周を重ねるごとにタイムアップを続けながら・・・3位でチェッカーを受けた。

ピットロードに戻っても溢れる涙が止まらない僕を
弟は何も言わず、笑って出迎えてくれた。
Posted at 2011/09/19 21:15:46 | コメント(10) | トラックバック(0) | おもひで | 日記
2011年07月28日 イイね!

おもひで 凄い男がいたもんだ

おもひで 凄い男がいたもんだたまたまネット上で懐かしい写真を発見しました。
これからお話する人物の在りし日の雄姿です。
(本人は今も健在です)

・・・最近の僕は
「走り屋」から「語り屋」になってしまいましたが(笑)
身近な存在であった「激烈ラリー野郎」のお話を見てください。

いとこのA君
僕と同じ年齢で
幼少の時は本当によく遊び
いとこの中でも最も気の合う存在です。

聡明にして運動も得意で気のいいヤツ・・・
勉強も運動も駄目であった僕には憧れでした。

何故か趣味も共通して、単車までお互いにRZ250で
同じようにチューンして峠を特攻(笑)

やがて4輪の免許を取得しA君はラリーの世界へ、僕はダートラの世界へ・・・

A君の才能と根性は本物でした。
当時、学生自動車連盟の中で最大級の規模と言われていた
関東甲信越学生ラリー選手権で早々とチャンピオンを獲り
JAF公認ラリーに転向、敵は社会人ラリーストです。

学生ラリーでは充分な戦闘力のA175Aランサーターボ(FRです)も
ひとたび外へ出てみればもう時代遅れのマシン
既にファミリア4WD、コルディア4WD、レオーネRXなどの4WDターボが台頭し
資金も乏しく、非力なFRの旧型マシンでA君は苦戦を強いられます。
(後にセリカGT-Four、VR-4、レガシィ、SSS-Rなどが次々登場)

チューニングができない国内ラリーではベースマシンの能力が戦闘力に直結するため
FRが有利に思えるターマックラリー(舗装路)でさえアドバンテージはなく
グラベルラリー(未舗装路)では駆動力差も加わって絶望的になってしまいます。

それでも地方選シリーズで上位に食い込む恐るべき走りを披露し
激戦のJAF戦BC地区にランクアップしてエントリー。

国内ラリーに詳しい方ならば、80~90年代のJAF戦BC地区がどれほど厳しかったかご存じの事と思います。
関東甲信越及び東北を舞台にするこの地区では、多くの全日本ラリーストやWRCドライバーを輩出しており
この時期のBC地区での有名選手と言えばWRCの新井選手でしょう。
そのような全日本級ドライバーがゴロゴロエントリーしていたシリーズですから
よほどの実績がないとエントリーさえ受理されない程のレベルであり
学生のA君が出場できた事自体がめったにない出来事であったと思います。
(今でもそうかもしれません)

それまで潰したマシンで山ができるほど鍛錬を積んできた彼は
僅かなスポンサードとバイト代で続けていましたが・・・とうとう限界が来てしまいました。
(A君の大学の自動車部敷地に彼が潰した歴代マシンの山がありました)

A君最後のJAF戦・・・

中盤でミッショントラブルを抱えたまま
貧乏学生がドライブする非力でボロボロな2駆のランサーターボが
全日本クラスの4WDターボ勢を抑えて3位キープという、にわかには信じられない驚異的な走りを続けました。
この「事件」にラリー会場ではプレス(報道陣)も含めて騒然としたそうです。

しかし現実はあまりにも非情でした。

最終レグ最終SSのゴール数百m手前でブロー・・・

充分な修理、メンテが出来ないまま限界を超えて酷使され続けたマシンは
A君の意思に最後まで応えられずにあと少しのところで息絶えてしまいました。

リザルトに残ったのは「リタイヤ」のみ・・・

当時はネットも携帯もなかった時代ですから
僕は自宅で連絡を待ち続け、A君からその連絡を貰った時は涙しました。

それは悔しさというよりも
常人ならばやろう(勝とう)とは思わない事に挑戦する精神と
常識を覆す「離れ技」を演じた事の感動によるものでした。

A君の命を投げ出すかのような決死のドライブと
その走りに付いていけなかったマシンの現実・・・
マシンの不利、体制の不利、資金のハンデを背負いながらも
一切の文句も言わず、ただひたすら限界に挑戦し続けた男

「俺が挑戦した事で若いドライバーが続いてくれれば満足だよ」
そう言ってA君は競技の世界から降りて行きました。

そのプレッシャーとハンデをはねかえす驚異の走りと強靭な精神は今でも僕の目標であり
「少々不利なマシンであろうとも戦う」ことへの原動力になっています。

今、A君は数年に渡って重い病と闘っていますが
持ち前の驚異的な精神力でそれを克服しつつあります。

僕にとっての「凄い男」
A君への応援は今でも続いています。


【参考】ランサーターボ前期型特徴(記憶につき間違いがあるかもしれません)
名称:ランサーEX1800GTターボ(A175A)
年代:1981年~1983年
Eg:G62B型 直4 SOHC 1800cc 135ps(グロス)
ボディ:4ドアセダン
駆動:FR 5MT
サスペンション:(前)ストラット (後)4リンク式
車重:約950kg

ラリー界の無敵艦隊TE71の牙城を崩した三菱の名機
「ランタボ」の愛称で呼ばれ
飾り気がない内外装、直線基調のデザイン、荒い乗り味から
「硬派のマシン」と言われていた
GTはエアコン含む快適装備、化粧部品が廃された軽量な競技ベース車
出力特性はドッカンターボ
操縦性は大味ながら素直でボディやサスペンション構成には定評があった
AE86と熾烈な戦いを繰り広げ「ハチロクvsランタボ」の一時代を築き
80年代後半4WDターボ時代の幕開けとともに競技車の役目を終えてゆく
Posted at 2011/07/28 00:03:29 | コメント(7) | トラックバック(0) | おもひで | 日記
2011年05月02日 イイね!

おもひで Gr.Bよ永遠なれ!

おもひで Gr.Bよ永遠なれ!みすた~氏のブログを拝見して思い出しました。








1986年5月2日 WRC第5戦ツール・ド・コルス

当時僕が最も憧れていたランチアワークスの天才ドライバー 
ヘンリ・トイヴォネンは既に2位に圧倒的アドバンテージを持ちながら
最強のマシン デルタS4で果敢にSSをアタックし続けて逝ってしまいました。

僕はその訃報を聞いて愕然としました。
大袈裟に言えば心の支えを失ったかのような心境とでも言えましょうか?

なぜそこまで攻め続ける必要があったのでしょう?
史上最年少チャンピオンの彼の前途は明るいものであり
焦る必要は全く無かったはずです。

あまりにも若く、速過ぎる天才には
当時の最高峰マシンでも付いて行けなかったのでしょうか?
それとも
マシンが天才をもってしても操れない領域にまで達してしまったのでしょうか?

Bカーは若かった僕には夢のマシンであり
これこそが男のマシンであると思っていました。

アウディ・クワトロ ランチア037から始まったGr.Bは
次々と高出力マシンを生み出し
当時のF1と同等の動力性能にまで到達

そして
前年のベッテガの死
コースオフによる観客の大量死
決定的となったトイヴォネンの死

多くの問題が発生して短期間で終了しGr.Aにスイッチ。
僕のWRC熱狂時代もここで終焉を向かえました。

WRC Group B Action - Just natural sound


Tour De Corse 1986 Henri Toivonen Accident



あまりにも激しく、見る者を興奮させたGr.Bよ
僕たちに多くの夢を与えてくれたGr.Bよ
ありがとう!そして 永遠なれ!
Posted at 2011/05/03 21:39:39 | コメント(8) | トラックバック(0) | おもひで | 日記

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