
M3、M2、M4と連綿と継続されてきたM型ライカの伝統的なスタイル…
1971年、それが突然変わりました。
世界に衝撃を与えたM5の登場であります。
露出計を内蔵させるために幅11ミリ、高さ5.5ミリ、奥行き0.5ミリ、重さにして80グラムも大きく、重くなりました。
大したことないように見えますが、クルマだったら大変ですよ。
ライツの意欲作とも言えるこのカメラ、デザイナーが誰なのか分かりませんが、残念ながら顧客には受け容れられず、5年足らずで姿を消し、社運を傾けて開発したのはいいものの、会社自体が傾いてしまうと言う皮肉な結果をもたらすことになってしまったわけです。
もしM5が売れに売れたとしたら、その後のM型ライカのスタイルは全てこの流れとなり、現行のM型ライカは軒並みM5あるいは同時期に登場したライカCLのような形になってしまったかもしれません。
ライツの凄いところは、失策を認めたら、さっさと元に戻したこと…
M4のスタイルに戻したのですね。
その後、デジタルになって、何もこの形を踏襲する必然性などなくなっても、頑なにこの形を守っていると…
全てのモノづくりにこのスタイルが当てはまるかどうか分かりませんが、この姿勢にユーザーは諸手を挙げて称賛するのですね。
んで…
1978年から95年までの間に生産された928であります。
こちらも911の後継者として鳴り物入りで登場したポルシェの意欲作ですね。
実際に、928の売れ行き次第では、911はサンセットしていくことになっていたのだとか…
ところが、その結果は皆さんご承知のとおり…
わたすは凄いクルマだと思っていますが、市場は冷酷なもので…
それでも、M5と違って928は95年まで20年近く生産されたのですね。
その歴史は、そのままポルシェの苦難の歴史であったと…
ライツと違って、ポルシェは928と911を併売し続けました。
開発も製造もカメラより遥かに大掛かりなクルマは、カメラと比べたら身動きも取りにくいでしょうから、5年で簡単に止めちゃうわけにもいかないのでしょう。
後からだから言える話ですが、ライツもポルシェも、新たな製品を投入する時に、全てを傾けて後戻りができないような状況にしなかったところが似ていますね。
往生際が悪い…
石橋を叩いて叩き割る…
あまり良い印象ではないかもしれません。
一方で…
退路を断つ…
背水の陣…
カッコイイ言い方ではありますが…
もし、ライツやポルシェがこれをやっていたら…
我々の趣味ライフはどうなっていたのだろうと考えると…
いやはや、ぞっとしちゃいますね(笑)
Posted at 2017/11/19 08:20:23 | |
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