
史上最も有名なバイオリン製作者、アントニオ・ストラディヴァリが制作したバイオリンを取り上げた番組を興味深く拝見しました。
300年経過したストラディヴァリウスでも、その音はホールの最後列まで届き、世界中のバイオリン製作者がこれを超えるものを作り出そうとしても、誰一人としてその音を超えることができないでいる・・・
ストラディヴァリウスの秘密はどこにあるのか・・・
それを追い求める物語でした。
まず、現存するストラディヴァリウスが600挺もあると言うのは少し驚きでした。
オークションに出たり、その気になれば入手できなくもなさそう・・・
製造台数600台のクルマやカメラなら、結構ありますよね。
それなのに、こちらは一挺2億円からすると言うのですから、これはクルマ以上に世の中の需要があると言うことなのでしょうか。
ストラディヴァリウスは、寸法などの精確な設計図が明らかになっていて、それらしい物を作ることは可能なのだそうで。
じゃあ、ストラディヴァリウスとそうでないものの違いはどの程度はっきりしているのか・・・
ブラインドでテストすると、専門家ですら、必ずしもはっきり峻別できるわけではないと・・・
でも、実機を手に演奏する演奏家の耳には、やはり違いがあるように聞こえると・・・
この程度の微妙な差に2億円・・・
本物のストラディヴァリウスをCTでスキャンして、板の厚みを精密に計測して・・・
採取した微細なニス片を電子顕微鏡で観察して・・・
ストラディヴァリウスが使用したものと同じ産地に生えているスプルース材を追い求めて・・・
大勢の研究者による気の遠くなるような時間と英知を結集させて制作された一挺は、もはやコピーなどと言う単純な言葉で言い表すには余りにも凄過ぎて・・・
でも、演奏家に言わせると、やはり何かが違うと・・・
思ったのは、要するに300年の時は超えられないと言うことなのかなぁと。
300年の時間によって醸し出されてくるものが、現代の作品にはないわけです。
300年後、現代の人は誰一人生き残っていません。
現代の作品も300年経っていますから、それ相応の何かが備わっているでしょう。
でも、そこに600年経ったストラディヴァリウスが現存していれば、300年後の人も、やっぱり何かが違うと言うのではないかと・・・
クラッシック音楽にしても同様・・・
300年後の人達は、やはりモーツァルトを、ベートーヴェンを、ブラームスやブルックナーを語っているのではないかと・・・
軽く、素材がシンプルで、大切に扱われるバイオリンは、風雨に曝される建築物や構造が複雑で自重もあるクルマとは違って、五百年や千年経過しても、これと言った経年変化は出ないでしょう。
そうなると、ストラディヴァリウスが現存する限り、いつになっても後発組は偉大な先達を超えることはできないのかもしれませんね。
それはそうと、クルマって、どの程度もつものなんでしょうかね。
金属は錆びるし、塗装だって、内装の革だって、経年変化を完全に食い止めることは難しいでしょう。
保存してあるものであっても、やっぱりその気になったら走らせることができると言うのがクルマの価値であって、それが叶わなくなって剥製のようになってしまったクルマは、もうクルマとしては終わっているのではないかと。
300年後、現存するクルマは果たしてオリジナルの状態で残っているでしょうか・・・
ナローだったら大丈夫かな・・・
964のコンピューターは果たして機能しているでしょうか・・・
マクラーレンF1の評価は・・・
ははは、そんなこと、どんなに頑張ってもせいぜいあと4、50年しか存在できないわたすが考えても意味のないことですかねぇ(笑)
Posted at 2013/11/04 15:21:18 | |
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