2012年01月31日
※原稿メモ帳※チェック前 2012.1.31
身体や機器等を使うテクニックの習得は、教えてもらう側の意識の持ち方で、習得達成への近道になるのか遠回りになるのかが分かれる。
知っているのと知らないのでは、時間の掛かり方と、それからの能力の伸び力と、何よりも「考えて自己成長する」才能を放棄しかねない。
教えられ病と言う、自身も知らない病で侵されて、知らず知らずに自らの成長のチャンスの芽を摘み取ってしまう事を理解しないといけない。
先ずは、自身がどのタイプに属するかを知る必要がある。
感覚で覚えるタイプと理詰めで思考するタイプ。
この理詰め派は、教えられ病に掛かる率は少ないし、自ら気付く事もでき、脱却するに苦を伴わない。
感覚派タイプは「教えられ病」に定着してしまう確立は高いし、それを意識する事も脱却することも難しい。
これらは、サーキット場など、クローズドコースにおいて、クルマを早く走らせられる特殊運転テクニックの場合、それは如実に起る。
それらの解決回答を先に明記すると
「場数」「反復練習」の多さを用いることで、自ら気付き、自己成長の方向性を模索し、教えられ病と言うスタンスから浮上できる鍵である。
逆に考えると、特殊運転技術には「場数」と「反復練習」をする環境が作りにくいとも言える。技術の反復練習は、1日**回、週に**回等、練習時間を多く密にとり、日々継続して身に付くものである。
振り返って特殊運転技術の場合、サーキットコースに赴いて、年に*回と、二桁に練習回数を増やせない状況や環境が特徴と言っても間違いないので、反復練習を多く取るのは難しい。
まずは、この環境を自覚するところから、脱却へのスタートとしたい。
技術系の職種に就かれている方は、既にそれらをマスターし、教える側になってる方も多いはず。
反復で習得する技術を人を教える。教える難しさと、ポイントを経験から知っていれば、自身に転換し「思考」するようにすれば、自己成長を自分で舵取りでき、必要な教わりたいことだけをチョイスし、無駄なくいかせられる。
初心者に、マスターが、最初からコツとポイントをうるさく言って、練習をさせても効率的ではない。
くり返して練習して体得する技術は、まずは、1っ、2つ、だけ注意事項をつけたし、後は本人に自由に大胆にさせてやる。出来れば、楽しく好きなように反復のコントロールをさせてやる。
最初から、1から10まで親切丁寧に教えても、教えられる側はチンプンカンプン。理詰めタイプは処理できるが、感覚タイプは「やってはいけない事」ばかり気になり、自由に感性を生かせずに戸惑う。
両タイプも、とりあえず何度も反復すれば、自然と自身から「わからない」ポイントが多く生まれてくる。
そこで、1教えて10を知る、ではないが、急激に伸びシロが増加する。それを取っ掛かりになり、自ら自己成長をしていく。
パターンは様々あるが、技術の習得には近道は少ない。だが、遠回りさせない方法は多くあり、本人が「気付く」「気付かせる」のにアドバイスを送りたい。
仕事でも義務でも無い、車の運転技術の習得。
教えられる病のスタンスも、これはこれで趣味の世界で好きも嫌いも様々。
しかし、そのスキル習得から諦めて降りたり止めたりするのは悲しい。これからも長く続くであろうカーライフ。運転スキルの向上の楽しさは勿論、公道を移動する以上は、安全運転を含めてスキルアップは、義務であるので、特殊運転向上も、安全運転向上も、スキルアップの反復を止めないで、進化して欲しいと願う。
教えられ病の脱却として、視点を変えてみると
アドバイスやレクチャーを
枠を狭くしてタブーを作り、自らの感性を封印してしまう。
応用を考え、試してみようとする思考に至らない。
教えられた点をずっと点で捉えて、トータルで線として繋げられない。
自身で限界の線引きを簡単にひいてしまう。
萎縮する。
etc
と、捉えてしまう傾向が見受けられる。
これらを
Posted at 2012/01/31 12:51:29 |
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コラム | 日記
2010年11月27日
車の趣味をマイペースで楽しめられたら素敵ですよね。
しかし、マイペースって結構難しい事柄なのです。今回は、趣味とマイペースを考えて見ます。
マイペースて、とても身近な言葉です。親しい友達のように何となく自分のリズムに合った、自身が既に有しているモノ。なんて無意識に刷り込みしていませんか。
自分の有する趣味に掛けられる物理的な環境。例えば、趣味に使える時間なりお金なりの物理的な環境資源の中から割り振りして「制限された制約環境」の中で楽しむこととして存在意識していませんか。
マイペースと言う意識のスタートが「制約」「制限」と言う枠が決められた不自由な意識から始められる場合が多いと言う事。
考え方だけの問題なのですが、精神の不自由と自由に縛られることにつながり、趣味に飽きたり、環境に嘆いたりせず、どんな環境でも趣味を楽しめる、本当の自分のマイペースを見つけるヒントになるかと考えたわけです。
つまり、マイペースは、自分のオリジナルのマイペースを探すことが肝心であると思うわけです。
理想と現実。
本当は、願う様な環境で、思う存分に趣味を堪能したいという願望は誰にでもあります。
で
何で、その理想や願う環境って意識するようになったの?
と、考えると、他人様の影響ですよね。存分にお金や時間を使って、憧れの車や環境で趣味を謳歌している他人様を見て、そうありたいと思うようになったのですよね。
これは人間全てに言えるわけですが、専門書を読むと、人は他人の影響と刺激によって「夢や希望」を刷り込みされて、モチベーションを上げて目指して生きていく糧になる、と大雑把ですが訳されています。
他人様に影響されたり流されたりする事は、悪い事でも、自立をしていない事でも無く、人間としてごく自然の真理になるようですね。
ここまでのお話は、大人である皆さんは、無意識に何となく察しているハズ。
「自分の環境に合った、楽しみのニュアンスも同じ他人様のモデルケースを探す」
これに行き着くわけです。皆さんも、勿論私もモデルケースをいろいろと取り入れて、試行錯誤してきていると思います。バタバタして落ち着いた今が、自分のマイペースのイメージが出来る自分になっているはずです。
車の整備に楽しみを得られる方、洗車や装飾により、楽しみを見出される方、車の趣味は本当に様々です。私はどうやら、運転のスキルアップに楽しみを見出しているようです。
しかし、車の運転をする場所は自由ではありません。交通法規と言う法律と、マナーやルールによって、たくさんの国民の方々と、譲り合って利用させていただく公共の場所しかありませんでした。
勝手気ままにマイペースや全開で走ったりして、無法は絶対に許されない場所。
発売される車達は、何百馬力と言う200㌔は簡単に出せるスポーツカーを合法に売っている矛盾。
そんな中で、活路を見出したのは、様々な先人の「車の楽しみ方」のモデルケースの中からチョイスし、そして、サーキットと公道と言う、2つのフィールドの活用法を、その中から照らし合わせて「これだ!」と言う、合法で安全な車の運転の楽しみを見つけられた、所謂、オリジナルなマイペース(うーん・・・苦しい書き方ですね)を発見できたのは大きな成果です。
BMW PoleSitterと言うサーキットフィールドの再開は、様々な願いや想いが入っていますが、単純に、車の運転の楽しさを感じて欲しいと思っています。
あれ
マイペースの話は?
すみません、ポールシッターの宣伝なってしまいました。
Posted at 2010/11/27 11:19:08 |
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コラム | 日記
2010年11月25日
今日は暇?
はい、そうです。お給料日は何故か暇になります。さきほど、20年ぶりに歯医者さんに行って抜歯が3本、虫歯治療が10本と言う悲惨な治療を始めました。
このコラムは、自分の頭を整理する為のもので、まさに日記。ですから、気持に残さずに素通りしてくださいね。
さて、趣味の二面性を理解する事を羅列してみました。
「楽しい自分」と「趣味の道具と環境」と簡単にした2つの事柄になります。
この2つに「バランスと工夫と努力」をする事がヒントになりそうです。
世間的に流行になる趣味で、多くの国民が参戦しながらも、結局廃れてくるのを過去に見てきていますよね。
その場合、よくも悪くも「趣味の道具と環境」に興味をもって参戦にいたります。そのシチュエーションにいる「自分」を想像して酔ったり、実際にその場に居て「自分の気持」を酔わせたいからです。
「趣味の道具環境」が先で「楽しい自分」が後からついてくるのを楽しむパターン。通常の趣味の参戦は、大方このようになりますから間違いではありません。
この後に、継続できるか、つまらなくなり辞めてしまうか。に分かれてしまいますよね。
理由の第一は経済環境。趣味に大きく投資ができ、なおかつ、時間を取る事が出来る、できないです。
趣味の道具に、好きにお金をかけられ、好きな時間を使いたいと誰もが願いますが、なかなか難しいハードルのひとつになります。車の趣味で言うなら、欲しい車を買えて、欲しいタイヤやパーツを付けたい時に付けられて、走りたい時に走りにいける・・・うーん、いいなぁ。そうありたいですよね。
しかし
私から見て豪勢な「趣味の道具と環境」の楽しみ方をしていられる方も、それに比例して「楽しい自分」では無いという摩訶不思議。逆に心が冷めていく心の有様を露呈されると、趣味の難しさを痛感します。
逆に、経済環境に大きな制限があり、限られた「趣味の道具と環境」しかなくとも、「楽しい自分」が止らないと、大満足の方達もいる現状をみると、さきに話した趣味の二つの二面性を発見、大きく趣味を左右する事柄だと推測しました。
この2つの「バランス」のとり方、そして「工夫」する事、「努力」をし続ける事で、「楽しい自分」がキープできるのか理解しました。
マズローの5段階欲求の話を何度かしましたが、これは人事ではなく、自分の本来持っている性質を知る事になりますから、きちんと理解したいです。それらを利用して、自分のモチベーションをコントロールする術となるからです。
車は、趣味が本質ではありません。移動手段が本質です。
なので、車を買っても、パーツを買っても、新鮮な刺激や心の気持を買うことにはなりません。一瞬の高揚感はあったり、人様から「いいねー」と言わりる環境に居つづけられないとモチベーション(楽しい自分)が持続できません。そのために買う、と言うのは手段として本質を得られないのが何となく理解できます。
車から運転によって「自己成長」や「学び」が得られると、日々、車の運転が楽しくなる。
また、車の整備をすることから学び、自己成長・・・
車の洗車から、学び、そして自己成長する・・・
このように、「趣味の道具や環境」を一番にするのではなく、バランスとして「楽しい自分」になれるように「工夫」「努力」し続ければ、見えてくるものや、継続、失ったモチベーション復活のヒントになるかもしれませんね。また、自分が趣味に何を求めているのかも、シンプルにすれば、バランスの比重も見えてくるのではないかと思います。
車の運転では、私は好き嫌いがハッキリしていて、スピードの上昇に比例してスリルが、ドライビングプレジャーの快感で楽しみ!として間違って解釈していた時期がありました。
サーキット走行や、プロドライバーや先人の交流をきっかけに激変し、日常の法定速度内でも、ドライビングプレジャーの楽しみと、スキルアップの楽しみを見つけることができるようになりました。
それはサーキットと公道の2つのフィールドを得られることによって、それらノウハウをプログラム化し、または、仲間にオープンにすることによってカーライフの何かのきっかけとなるようにと、資料作りをワクワクと取り組んでいますので、これも私には立派な趣味なのかもしれませんね。
Posted at 2010/11/25 13:46:45 |
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コラム | 日記
2010年11月25日
趣味として車に向き合うのには、表面的にはイージーに参加できますが、実質的には、かなりハードルが高くモチベーションを持続させるには難しいようですね。
これは、どんな趣味にも通じる事です。
例えばですが、盆栽にスノーボードも全く同じ。人が、その趣味に、気持を惹きつけられる事柄の本質は同じと言う事ですね。
趣味には二面性があるのを理解することが、趣味に失敗しない重要なこと。知らずに安易に参戦すると、確実に失敗します。失敗と言うのは、投資のお金、かけた時間が返らないのと、心の満足や充足感が得られず後悔が残ることですかね。ま、失敗から学ぶ、と言うのもアリですが、大人なのですから、できるだけリスクはさけたいですね。
趣味の二面性と言うのは、簡単に言うと「自分=気持」と「その他=環境」の二つから成り立ちます。
よけいわからない?・・・確かに。
一休さんみたいなトンチになってますね。
「自分=気持」と言うのは、モチベーション等のヤル気や満足感、充足感や興奮など、刺激や新鮮な感覚に触れるのを、最大の好みとして、それを得続けたいと言う欲望。
そして、趣味の作法から内観し、得られる自己成長が、さらにそれらの楽しみを加速させます。
あー
難しいなー
では
「ワクワク、ドキドキという新鮮で気持ちよい自分で居られる、自己成長続けられる精神環境や精神状態」、つまり「楽しい自分」と、しましょう。まずは、これが趣味の二面性のひとつの側面。
「その他=環境」と言うのは、そのまんま、趣味のツール。
道具であったり、ファッションであったり、お披露目する場所であったり、道具を使っての機能を発揮させられる場所であり、関係する仲間達であったりです。
それらの二面性の作用を、ちくっと理解できていれば、現在に、その趣味や状態に対して「何か飽きた」「モチベーションが上がらない」「ヤル気が枯渇状態」「おもしろくない」「燃えない」etcの状態に陥っていても、コントロール次第では、復活も難しくありませんし、そもそも自分が、その趣味に何を求めていたかも見えてきましょう。
「物事の本質を見極める」と言うヤツです。
自分自身が判る事によって、方向転換なり、矯正をする事ができますし、何事においても「本質」を考えられる思考になり失敗のリスクも小さく出来そうです。
Posted at 2010/11/25 12:46:26 |
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コラム | 日記
2010年09月17日
自動車に掛かる税金、地方税(自動車税)と国税(重量税)を一緒にして、税金の取り分を増やすような事が、環境自動車税?
自動車メーカーとしては、新車を買って貰える方向なので問題なし。新車を作るのに発生する全てのCo2を考えたら、環境と言う建前は胡散臭く感じる。そんなことをいうなら、古くても一ヶ月に1,2度乗らない自動車はCo2発生は当然少ないので、税金まけろ、と理屈も通る。ネットの自動車保険みたいだ。
とりあえず、税金を国民から徴収する。ここが基本。国民は何も出来ないので、有無を言わさず増税すれば問題ないが、利害関係のある企業との調整が大事。延々と国民からお金を取り続ける為に、先細りになっても困る。
企業が国民にモノを売りやすい上体を整備しないと、こちらの産むお金は国としてはとっても大事。衰退させたら元も子もない。
環境自動車税の研究会とは、そういう本質。
国民の生活の充実?知ったこたーない。活かさず殺さずお金取れれば問題なし。それは他の部署の担当の責任。とりあえず自動車で取れる目先の税金をどう巧く搾取できるか。
しかし、うまいなーと感心するリークは、軽自動車の4倍値上げ報道。本当に巧い。実質、2倍の値上げに収まっても「安く済んでよかった」と喜ばれ感謝されたりして。
ビジネストークの心理駆け引きですな。
お酒もタバコも何でも、増税は、私らがどうこう言っても執行される。マニフェストが違うといって政治が悪いとつぶやいても何も変わらない。
いつの間にか借金国になっていて、いつの間にか危険な状況になっている私達の国。加害者は誰?
増税、増税と叫ぶ国会議員は、昔のツケを払わされている被害者だけど、彼らの生活は信じられないくらい安定しているので、国民のため、と言うのも他人事。
どんどんと住みにくい国になってきています。
よく漫画にある、虐げられた貧しい国民と馬鹿な国の執行者の物語がリアルになっていたりするのが悲しい。
我々に出来ることは、アクティブセーフティー。お金を稼ぐ道を選ぶか、持っているお金を出さないようにセーブするかの2つ。
車は、移動手段と割り切って、後々にも出費のない車を選ぶ。使い方を考える。車を趣味としたり、走りを楽しむなら割り切らないといけないかも。
また新たな楽しみを見つけたり、お金を使う、楽しみや娯楽はセーブして、お金を使わない、心の豊かさを楽しめる事柄を模索しないといけないのかも知れない。
Posted at 2010/09/17 13:19:23 |
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