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風呂屋(268)のブログ一覧

2010年09月03日 イイね!

ドライビングプレジャーの快感

昨日、コラムで書いた「交通安全うんちゃら」は勿論、自分自身への戒めです。

当時、様々な車のイベントを主催していると、参加に当たっての「目的」「意味」と「つながり」など、流れを示していかないといけなくなります。

車を運転するのが好きな仲間に、サーキット走行と言う道筋を、先人の秀さんやT.HIROさんに教えてもらいました。それをイベントとして「サーキット走行会」とし開催するにあたり、道筋の整理と指し示す方向性を常に考えていました。

車の運転は、サーキット等、その場で終わるモノではなく、これからも続く。いやいや、公道とサーキットのステージの使い分けは、大人として社会人として有効に活用できるかもしれない。と、BMWSitterイベントでは試行錯誤しました。

社会人として若輩と言えなくなる年頃。率先して後輩に何かを示さないといけない年頃の私達。

車の運転を通して、交通安全を声高に、そして堂々と謳える車好きになる。そして、合法的に走りを楽しむ。自分自身の成長やスキルにトライし続けるetc

公道の運転。自身の過去を振り返ると恐ろしくなります。なんと、無謀で無知で危険で独り善がり。そして大勢のほかのドライバーに甘えている運転や考え方。反省。

公道は、国民が移動に利用する道路。法律によって管理され、交通法規を守って安全に通行する義務があります。それを車の合間を縫って飛ばしていた自分は・・・。他のドライバーが譲ってくれていたり「見守ってくれて」思いやって貰っている何て考えも及びませんでした。

現在、法定内で走行車線から眺める、追い越し車線での、車間を詰めたり、煽り行為をする沢山の無謀ドライバーを頻繁に見るたびに、彼らにも家族や心配する身内もいるだろうにと「御無事に」と言う思いと、安全運転の大事さに早く気付いて改めて欲しいと言う思いが交差します。

昔に「公道走行の矛盾」を書きましたが、私達に用意されているフィールドは公道だけ。市販されている車は300馬力も珍しくない高性能マシンも選べる状況で、交通法規を守りましょう、と言う言葉はなかなか伝わらない。「飛ばす魅力」=「ドライビングプレジャーの快感」に抗えないのは人間として難しい。と。

そんなドライビングプレジャーの快感を利用して、公道とサーキット場と言う、2つのフィールドを使い、車の運転を合法に、安全を優先して楽しめるプランを提示し始めました。

Posted at 2010/09/03 13:22:35 | トラックバック(0) | コラム | 日記
2010年09月02日 イイね!

交通安全を考えて行動する

清水和夫さんのブログに「ヒヤリハット」と、交通安全について書かれていた。

車通勤する身として、毎日が「生き残り」の為の戦いのような心持ちなのは、ずっとかわりない。道路の移動は危険がいっぱい。道路で怖い思いや、アクシデントに合うのは誰もが一度でも経験しているハズ。

悲しい事故は無くしたい。そして被害者にも加害者にもなりたくない。出来れば安全で気持のよい、道路の通行が出来れば最高。

譲り合い。と時間と気持の余裕を持つ。

これが、気持のいい安全運転の基本だと痛感。これは、人と人とのコミュニケーションと同じものを運転に持ち込もうというプラン。

交通トラブルは、ほぼ全てが人間の感情が引き起こす出来事。オーバースピードによる違反や事故は「急いでいた」と言う「焦り」の言い訳が先頭に来る。

改めて欲しいのは、道路の移動で時間の短縮を考えない事。もう一つ言うと、自分の時間管理のミスを道路を飛ばすことにより帳消しにする行為は、回りの大勢の人間に甘えて尚且つ危険に曝すという認識は必要。

約束時間等、到着に時間設定をするならば、車の移動は1時間の余裕を取り入れると安全。時間に間に合わないなどの保険のプランは必ず用意する。時間に焦って車の運転はしない環境を事前に作るのは、社会人として当たり前であって欲しい。

焦る時ほど、交通ルールに遵して精神を落ち着けたいもの。

イライラしない。とくに、他のドライバーや車に対して感情的にならないこと。優先意識はできるだけ自分の中から追い出したい。もっと言うと、他のドライバーに思いやりを持つと考え方も変わるかも。

出会いが違えば、いい仲間になったかも知れないし、その方にはその方也の正義があり、守る家族があったりする。

ドライバーが一番してはいけない事は、人間を物のように扱うこと。車をみて人間をみないのがいけない。もたもたと走るように見えるドライバーに感情的にならず、もし、その車の運転が自分の身内であれば、感情も違うはず。見守る感情に変化する。全く、その通りで、見知らぬドライバーには家族や身内が、影から心配しているのも見えるようになる。

車だけでなく、徒歩や自転車やバイクなども通行する道路。彼らもまた、道路を通行する責任を意識して欲しいと常々思う。車が勝手に避けてくれると、自分勝手な振る舞いや交通ルール無視が目に余る。

私達、車好きのドライバーは、周りの状況を見ながら走る事が難無くできる。もっと言うと、安全に走れ。と言う指示があれば、交通ルールに沿って完璧に演じる事も出来るはず。スキルは十分あるのだから、後は、「道路を通行する事」と言う肝心な事柄をキチンと整理できるかどうか。そして、感情をコントロールする意識があるかどうか。

そして、家族を乗せたり、子供を乗せた折に、出来事に接触するたびに、必ず「これは危険」「こんなことはしてはいけない」「こうすればいい」と、移動の旅に遭遇する、危険に対して警告と対処を口癖のように指摘すること。

例えばヘッドホンをして路側帯を歩く人や、走る自転車の危険性は教えて欲しい。徒歩でも一旦停止して左右確認は教えてあげて欲しい。

夏休み、大型ワンボックスに家族を乗せて無茶で無謀の走りをする車を多く見る。そのまま子供たちにソレは引き継がれるのだろうか。

車を運転していて、何かの折に、他の車から進路を譲られる。相手を見るとにこやかに「どうぞ」と聞こえるよう。うれしくなって、手を挙げて挨拶をすると、向うも挨拶をしてくれて、気持ちよい時間が流れる。

人と人の顔が見える、安全で譲り合う交通社会。まずは、自身の気持の整理をしないと前に進まない。
Posted at 2010/09/02 11:34:08 | トラックバック(0) | コラム | 日記
2010年07月07日 イイね!

たかが漫画

されど漫画。

日本人の潜在意識に、大きな影響を与える漫画/MANGA。

物事の本質を知らない、偏った大人達は「大人が漫画を読んでいる」のが気に入らない。それは、読む側の質の問題で、漫画の本質は全く違うのを知らなければいけない。

世代毎の人間の感覚や感性を知るのに、漫画文化を知るのは重要であり、未来を作るその世代の動きや変化を読むのに重要なアイテムと知るべし。しかし、観察したり読み方を間違うと意味が無い。

ここでも、ブリースリーの「Don't think feel」=「考えるな感じろ」

精神世界にフラットに取り込んでみる。要するに「楽しむ」だけ。しかし、これはかなり難しい高度な術。客観的な分析思考をも持ち合わせなければいけない。

「海皇紀」が12年の連載を終え完結。独自の世界観を壮大なストーリーと人間の生き方を描いていた魅力ある作品。

そんな魅力ある作品が、各誌からドンドンと消えている現状。コンビニと切っても切れない縁のある漫画誌が、店頭から続々と減らされているのに驚いた。無節操に、中身の無い漫画誌を発行し続けた結果。

理不尽な暴力、犯罪、性、を「現実感/リアル」にストーリーにする漫画が現在は当たり前のように目に付く。メジャーへの始まりは、10年以上前、プロファイルをテーマに小学生が主人公の漫画。首を切り落とされるシーンも普通にあり、メジャー誌の掲載には驚いたが、世間の風潮や空気感は、そちら向きであったため、致し方ない。彼らも「夢・希望」と言いながらも商売なので、無節操な気はするが売れるものは何でも売る。

人間の死を簡単に、そしてゲームのように扱う。

リンクするように現実に起こる様々な事件を見るたびに驚きよりも、やはり、という思い。

漫画が、その世代の層に与える潜在意識は、やはり大きい。小さい頃、倫理観も知らない時期に、大人の商売のエゴで、無節操で膨大な情報量を浴びさせられると、いったいどんな子達になるのだろうか。

何事も、影響のある事柄に携わる人間の「モラル」「信念」「正義」がなければ、悲惨な惨状が待っている。我々に出来ることは、アクティブセーフティー。そのためにも、色んな物事の一編として漫画の本質を見極める力は必要。
Posted at 2010/07/07 12:07:44 | トラックバック(0) | コラム | 日記
2010年06月18日 イイね!

使えない先輩、ダメな上司、最悪な親

ダメダメの使えない先輩、上司に当たったら最悪ですよね。

物事がうまく進まない。コイツがいなければ、スムーズに目的を達成できるのに。

新人で、入ったのに、好き嫌い関係なく、いつのまにか先輩、上司になります。後輩、部下時代に、上に対して「コイツ使えねー」「最悪ー」と言う憤り。今度は自身がそれを一身に受けていようとは、知らないのは本人のみの悲劇。いや、喜劇か。

机上の空論の「先輩、上司講習」を何度受けても、自身の本質は変わらない。プロフェッショナルな人格と、プライベートな人格の形成の仕方を知らない。なので、ちょっとした挑発にも簡単に乗るし、部下、後輩の態度にむかつく。その溜飲を落とす為に下らないことをやりだす。

考えを間違えて「自分が好かれよう」とする輩はもっと最悪。友達になろうと、組織の要の「縦のライン」崩しだす。挨拶や礼儀を壊していく。無礼講を勘違いして呑みにケーションは、本当に迷惑。共通の盛り上がる話題は「組織や仲間の批判や悪口」を無意識に率先しだす。組織をどんどんと衰退、低下させるキーマンになる。

先輩、上司になるのは、好む、好まざるに関係なく「道を指し示す善き先人」にならないといけない。それは家庭を持ったリーダーも同じこと。

人間性が出来ても居ないのに、のほほんと、キャリアだけを見せるのは無頓着と言うより無責任。

率先して、勉強をして自身を変質させていかなければ、後輩や部下の迷惑な存在になるだけ。

「物事の本質を見極める」

この世の中の全ての物事。目に映ったモノの本質を見極める、つまり常日頃「思考」する癖付けをするだけ。仕事遊びプライベートに関わらず、本質を見極める思考を、無意識に出来るまで繰り返す。

最初から全て間違えるので気にしない事。

ポイントは「目的と手段」を簡潔に、できるだけ簡単に内容をそぎ落とす。

物事を、難しく誤魔化して、ダラダラと解説するのは、実は、非常に簡単であり、それは無能に近い。怖がらずに、簡単に単語一つを提示する癖をつける。

場数を踏んでいくと、精度は上がるのでトライが肝心。

「上司って何?」

「親って何?」

「教育って何?」

「仕事って何?」

「車って何?」

「交通法規って何?」

と、後輩や部下から質問を、簡単で簡潔な言葉、1つを選び出して答えられますか?

ほらほら、難しく長い話で誤魔化し始めてますよ。そんなもん、改めて考えたこと無いですから無理ですよね。でも、常日頃から「物事の本質を見極める訓練」をしていると、改めて考えていなくても、パーッと光が見える如く、簡単に簡潔に提示する事ができます。

簡単に簡潔に提示する事が出来れば、それを行動に移すのが容易くなりませんか。「道を指し示す善き先人」たる先輩、上司に欲しい能力になります。

また、部下、後輩からすると助かります。

例え話をすると

「コンビニの店長の仕事は何?一言で答えてみて」

と、現役の店長に質問すると、商品管理をうまくする、シフトの管理、バイトの教育、etcと、どんどん答が出てきて、まとまりません。店長自身が一番自分の役割を知らないようです。

答えは簡単。一言で言うと「売上を上げること」それが目的です。その手段として、上記のようにダラダラと答えた項目が繋がってくるのです。そして、簡単に言葉が出ると、手段たる行動の示唆もドンドンとシェイプされて、効率が上がってくるのがわかります。

手段と目的が入れ違って理解している「上司や先輩」で世の中はあふれています。そして、仕事に感情を持ち出す始末。

仕事でもプライベートでも、見聞きした全ての物事の本質を見極める。そして、目的と手段を簡単な言葉に置き換えてみる。そんな「思考」を無意識にできるくらい意識して、見聞を広めてみる。

後輩や部下のため、そして家族や周りのために、自身を変質させるのは、人間として義務に近いのではないかと思ったりしています。
Posted at 2010/06/18 16:07:24 | トラックバック(0) | コラム | 日記
2010年06月11日 イイね!

物事の本質を表現してみる

昔、講師のお仕事をしている時に「本質の表現を言葉にする」と言う授業展開をやっていました。

内容は「誉める」と言う事柄になりますが、これが簡単なようで難しい。

勘違いしている方が多く、誉めるという事を知らずに、だいたいが「煽てる」と言う「嘘」つきになりますね。「誉める」とは、「プラス面/好感になる本当の事を指摘する」事なのです。

しかし、他人を、妬む、うらむ、くさすのが、大好きな私達日本人には、自然にf出来ません。謙遜の美徳と言い換えて誤魔化していますが、それは大きな間違い。良い所に目が行かずに、悪い所ばかりに気持が揺れてしまいます。他人を受け入れる事ができない心の狭さを映し出しています。

これらは、本来、人間のベース(野生・笑)となる部分なので恥じることはないのですが、よりよく人生を「生きるため」、勿論「よりよく仕事を成す」には、物事の本質を見極める事が重要であると、先人達は説いてくれています。また、揺るがない自分を形成するにもソレは必要です。

日本人は、その心の野生を矯正し、心の豊かさを開眼させ、修行させる場を、いろんな方法で伝えようとしたのが「道」と言う精神修行の習わしでした。

書道、花道、茶道、剣道、柔道 etc

静と動。極端な行いなのに目指す内容は同じなのです。それは「作法」として体現させ「内観」を育成するものになります。

何も考えずに、ボーっと行っていても、くり返し行うことで、気付かせる事の出来る、心の鍛錬になるシステムですね。

さて、「誉める」と言うのも同じように「物事の本質」を見極める勉強にもなるのです。

見る目を養う。これを育成します。

これが出来るようになると、自然と人様に対しての心の価値観が変わってきます。もっと言うと、自分の幸せのあり方や生き方が、ハッキリと見えるようになります。

道理。

ここにも「道」の考えが通じています。人間として、よりよく生きるための理(ことわり)。それが見えてきます。

回りの人様の幸せのために尽力する。その結果もわかってきます。人の和が人の輪をよび、大きな輪に変わります。

ただ、私財や時間を使い生活に影響を及ぼすと、これまた、それを突き抜けて、いろんな側面に気付きます。

生きていく、と言うのはまさに日々勉強です。漫然と生きてきたので、今更ながら勉強の楽しさに気が付いたりしています。

車の日常の運転も精神修行ですね。挑発に動じない。イライラしている心持を制して、譲り合いの精神まで高められたりしますが、なーんも考えて居ない方が多いので、流れに流される・・・反省ですね。

あれ

何の話でしたっけ。

Posted at 2010/06/11 11:22:20 | トラックバック(0) | コラム | 日記

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「冷却水定期交換してないと・・・えらい目に合います http://cvw.jp/b/478044/39969031/
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