2009年05月29日
ものの本によると人間がワクワクして感動する基本は「自身の成長」の「努力」や「苦労」。
その結果が、回りの人間から、その成長の承認/喝采を得られモチベーションにつながり、さらに感動を得るための自己努力を行うと。
もう一つは「刺激」
日常とは違う非日常に刺激を受けて感動する。
前者は自身の努力が必要で、後者は反対となる。
オフ会は楽しい。同じ車に乗っている仲間との交流はたまらない楽しい時間。
大人になってくるとなかなか友達は見つけにくい。ましてや同じ趣味となると・・・それがネットの普及により趣味の仲間ほどグッと身近に。
なのでオフ会は単純に楽しい。
参加するのに、無理も努力も成長もいらない。空いている時間、気が向けば都合さえ合えばハッピーな時間に会える。
日常と非日常を感じる刺激的な時間。
しかし、非日常の刺激は、続いてくるとある時に日常に変化して、刺激がドンドンと薄まってくる。付き合いは義務でも仕事でもないので、気が向かなければフェードアウト。幸いにして馬の合う仲間を見つけて、蜜に仲良くなれる方はラッキー。
やっぱり「楽しい事」を継続させるのは、ちょっと努力が必要なのかも。
Posted at 2009/05/29 11:44:43 |
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コラム | 日記
2009年05月27日
車の本質は「移動手段」
車を買ってドキドキワクワクは持続しにくい。
日常と非日常。それを演出してくれる車達は別。
車でドキドキワクワクを感じ続けるには、すこし努力が必要だ。
タイヤを買う?ホイルを買う?パーツを換えてみる?
一瞬ときめきが蘇るが高揚感が持続しない。
車の本質やパーツの本質が「買ってドキドキ」するモノではないからで、何かをとっかえ引返しても感動は帰ってこない。
それらを「如何に使うか」で心の満足感が大きく違ってくる。
よい道具をどのようにして使うか?それに尽きるのかも。
しかし、人間が道具を使う為のスキルアップに努力し、チャレンジし、成長していく自分自身があるから「車で感動する」事が出来るのだろう。
環境は関係ない。安い道具高級な道具も関係ない。
自身がどれだけ努力し成長を楽しむかでカーライフは大きく変わってくる。
それは、車のスキルかも、洗車の技術かもしれないし、メカニックなスキルかも、車の写真を撮る腕前かもしれないが、腕をまくって汗をかいて車に時間をかけようとする気持が大きいかもしれない。
冷めてる場合じゃネーゾ(笑)
Posted at 2009/05/27 13:12:26 |
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コラム | 日記
2009年05月26日
これからの時代は情報と水は無料ではない。
随分昔に聞いた言葉です。
まさに、水道水は飲めなくなり、水は販売され、情報もプライスが着いている現代。情報は、ネットの力で、プライスフリーで大量に手に入ります。
真贋。本質を見極める。
たくさんの情報社会たる現代。情報管理は、これらが重要になってきます。
本当の事、嘘の事。役に立つ情報、気になる情報。真実。
人間は感情の動物です。感情によって情報に振り回される事を知らないといけません。
25日に核実験の報道がありました。
社の食堂で昼食を取っていると、隣近所から聞こえるそれについての会話。
「あの国はお金が無いから、核をちらつかせて援助を引き換えにしている」「お金が無いから武器を作って売ろうとしている」「核を作らずに国民の生活を安定させればいいのに」「各国が何を言っても止めないよ」etc
耳を傾けて、あっけに取られました。
「核実験が行われた」
この情報だけなのに、動機や背景など、当事者のように雄弁に語る方が非常に多かった事にです。この報道に限らず、本当の事や真実は、真ん中にあっても、人間の目には隠れて見えなくなるのかも知れません。事実を切り取り、自分で思考したのではなく、報道や情報を真に受けるのは危険を感じました。
これは、メディアや報道が「出来事」を報じる以外に独自に取材した動機や背景などをプラスするからです。出来事と憶測が一緒になって報道されるわけです。
これは視聴率や購買率を上げるため。つまり報道の情報は「売上」「商売」に直結しているので、他の報道ライバル組と競争をしないといけない事実は存在します。
なので「やらせ報道」など事実無根の報道までエスカレートしていたのだと安易に推測できます。
先入観。
思い込み。
固定観念。
ハローエフェクト効果。
これらが、情報の真贋や本質をゆがめるのを知る必要があります。とくにハロー効果では、メジャーな報道機関やテレビや新聞等の情報を全て信じてしまう傾向になってしまいます。
そして、当事者より第三者の説明の方が真実と思い込む。
いくら当事者が真実を説明しても「嘘?」と判断されやすく、当事者の近くの第三者の説明は「なるほど!」と受け入れる心理状態は人間あります。※犯罪は別。
この心理の仕掛けにも引っかからないように、常にフラットで本質を見極める考えや指摘が出来るように、常日頃から養いたいものです。
Posted at 2009/05/26 12:33:59 |
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2009年01月25日
若い世代の車好きが少なくなった。メーカーが、車好きに受ける車を作らなくなった。
みんカラスペシャルブログの自動車評論家の皆さんが話題に挙げている。
彼らのスタンスはユーザーとは違うので、内容から受けるメッセージの温度差はかなり異なる。評論する車や評価する車の価値観が旧来の対象から離れられないからだ。
「運転して楽しい車」
本質がずれているのを知っているのか、知らないのか。
全ては乗り手で決まる。
その乗り手とメーカーを時代に乗せられなかった罪は自身に返るのだろうか。
車の本質に車が戻ってきた時代。
それをいち早く察知していたのはメーカーであった。より本質に沿った魅力あるモデルを投入。それを評論家は白物家電と呼ぶが時代の流れは変わらない。
車が特別なモノではなく、我々の生活の一部になったのだ。
自動車評論家の寸評だけ変わらない。
従来の手法のまま評論を繰り返す。
飛びぬけた「魅力」を持つ人物だけは生き残り、それ以外の従来の人物達は淘汰されてしまうのか。
少し視点を変えれば、この「自動車評論」不景気は下克上のチャンスに繋がる?
Posted at 2009/01/25 18:02:36 |
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