
netでのコミュニケーションは、人生を変える可能性は大きいですね。
Eメールなんて流行りだし、ホームページと言うモノをワケもわからずに誰もがトライしていたのは、Win95が出だした1995年以降頃からでしょうか。
それまで、車の趣味での集まりは、御地域どおしの偶然のご縁。それ以外は、個人で点在していたのが、それ以降は、点と点が線で繋がりだしました。趣味ゆえに、その熱量や情熱は大きく(それまで、一人ぼっちだったからですね・笑)車と言う機動性の利で、仲間が急速に集まりだしましたね。
「BMWおたっきーず」と言う、いち早くHPを立ち上げて、情報量の濃さに、netに繋げられた方々は、大きな光に吸い寄せられました。
かく言う私も「ぴーーー・・・ひょろひょろ・・・」と、発信音も伴う当時の回線(笑)を駆使して見に行きました。98年くらいだと思います。
当時は35歳だっ!若いっ(--;
おたっきーずの会員になり「はんどるねーむ」なる奇怪な名前を入力しないといけなく・・・うんうん、と考えて適当に入力し、もらった会員番号が2683番だったので、語呂合わせで「風呂屋さん」と命名しました。
当時乗っていた、E34-525iから、98年8月に新車でE39-525に乗り換えて、情報が欲しかったのもありますが、同じ車に乗っている方とお友達になりたかったのです。初めてnetを通じて知り合ったのが「ヒゲじいさん」というHNのお方。どうやら比較的近いところにお住まいなので、ファミレスで合うことに。
いや~しびれましたね~
夜のファミレスの駐車場に先着して待っていると、ガッーとイカツイ39が入ってきて、ガッーとバックで真横に付けられて、ガッーと出てこられたイカツイ御仁をみて、○○○の人だ・・・と本気で思いました。
あとで聞くと、ひげさんも「やばいなーこの人は絶対○○○の人だーHNのまんまやんけ」っと本気で心配してました(笑)講師用の仕事服だったので、金ピカの格好してたのは私でした(笑)
一発で意気投合し仲良くなり、宮さんの主催する夜会と言うSAのオフ会に参加し、ご近所のRie&yusukeさんやまあやさんと、よく遊ぶようになりましたっけ。
netでは、交流も多くなり、自然と自身のnetクラブをkamaさんの指導の下、立ち上げました。おたっきーずさんや夜会さんの元でワイワイやらせてもらうのは、申し訳ないしご迷惑をおかけしてはいけないと思ったからです。さんろく亭さんのお店にもお邪魔した「はじめましての会」と言うオフ会が起源になるのかな。風呂屋亭と言う漢字を使ったのは、当時は横文字ばかりだったので、ちょっとすかしてやろうと考えてたのと、変な輩さんが敬遠したくなるようにもと考えての名前でしたね。
宮さんの夜会ばりに、PAで土曜の夜のオフ会を「定例会」としてやりはじめて、焼肉定例会からラーメン定例会からと変形し、結局その定例会は200回を超えてましたね。
「風呂屋亭」と言う名前がよかったのか悪かったのか(笑)、メンバーさんがバイタリティーのある方々と個性的な方が数多く来られました。かならずやる「血液型はなに?」では、日本人に多いA型は1、2人しかおらず、10人以上の多数はB型O型ばかりで、「はっはー・・・BMW乗るのはA型少ないんや」と思っていたら、他のクラブの集いではA型ばっかりで、びっくりした事がありました(笑)
たくさんのBMWクラブやサイトが賑やかな時代でしたね。
日常が、ほぼBMW関係。ま、遊びですね。
上京して誰も友達も居なかったのに、netのお陰で、携帯のアドレスにはBMW関係で300人も入るようになり、毎日どっかでプチオフミっていて、それぞれの個人個人のエネルギーが凄かったですね。
netを介して、趣味たる車で何かエネルギーを開放したい、浴びたい、って時代。
BMWクラブの癖に、いっさい車の話ししないし、高校生時代に戻ってワイワイやっているだけで本当に楽しかったですね。
初の西日本と東日本の合同オフで、雑誌屋さんと初コンタクトし、それ以降は、頼まれたり、取材御願いしたり、果ては企画したり。
集まった方々のエネルギーが、オフミからイベントに、サーキットへと伸びていったのは必然でした。誰もやらない遊びをしょう、なんて皆子供のようにワクワクしていましたね。
風呂屋亭サイトの「ヒストリー」や「オフミイベント報告」をチェックしてもらえば判りますが、現在も皆さんが楽しんでいるnetを介したカーライフを楽しんでいました。
んー
そんなイケイケの時にでも「一期一会」を常に感じていましたし、日常になった非日常の終わりを、いつも考えていたりしてましたね。基本的に付き合いが悪いのも、お酒が飲めないってのもありますが、あまり近過ぎるとお別れも早まるかなーなんてのも思ってました。
それから日常の非日常も、年齢による気力や体力の衰えや環境が変わってくると、変質していくもの。
netの世界では、当時の私達のように、現在もたくさんの方が趣味を謳歌されています。
非日常から、一旦距離を置くと正直焦ります。が、時間と共に気持ちのざわざわも落ち着き、本当に何がしたかったのか、何に惹きつけられるのかを、冷静に考えられるようにもなりました。
何よりも、大きな変化は「歳を取る」と言う事。
朝は目が見くなって文字が見られなかったり、クラッチを踏むと足首捻挫がしょっちゅう起こり、膝が痛くてクラッチが億劫に、右足がよくつって休憩するとか、立ちくらみが友達になり、おまけに鞭打ちになって、運動も出来ないetc
歳を取ると、どのように車の趣味と向き合えばいいのか?
答えは簡単です。
遊んでいる仲間の先輩達を見れば、どのようなスタンスで趣味に向き合っているか、体現して教えてくれています。
距離の取り方がうまいですね。いぶし銀というか、周りを立てるのがうまいと言うか。
基本的に裕福な方が多いですが、相応というか分を見極められてますね。税金を考えて2リッターにするとか、お手入れの必要のある車を選んでいるとか。
あと、多趣味。それが距離の取り方になるとは思いますが、楽しみをアチラコチラに分散させられているのが見受けられます。
で
私も歳をとるにつれてアタフタとしていましたが、これまで沢山の仲間と共に下楽しい時間から見られるものは・・・
やっぱり、人と人とのコミュニケーションですね。車は機械なので話し相手してくれないし(笑)
たとえ一期一会でも、趣味の仲間とコミュニケーションを取る、というのが楽しいカーライフの醍醐味の中核であると思います。
あと
この趣味にワクワクしなくなったなー
と思ったら、それは自身に問題があったりします。その趣味に対して、向上する何か挑戦やチャレンジをやめてしまっていたりする事。それはサーキットアタックだったり、洗車技術だったり、整備かもしれません。仲間とのコミュニケーション不足かも。
新しい事への挑戦や新しいコミュニティへの飛び込み。
歳をとれば楽をしたいですが、歳をとれば逆に、刺激的でエネルギッシュな自分になっているように努力が必要になる。他人様のエネルギーを吸い取る(笑)のではなく、キラキラ輝くような、逆にエネルギーや刺激を回りに与えられるようになる事かな、っと思いました。
常に自身をアップデートする事を日常に持っていければ・・・と思います。
歳を取ると楽が出来ないって事・・・
ひー(笑)