この記事は、
【田中俊一対談特集6】緩和緩和緩和緩和・・・ですって。について書いています。
もう、シツコクしつこく、何度も何度も触れてる、田母神さんのアメブロ(↑えー、また~~(汗))。
「1リットル中に300ベクレルの放射能を含む水を飲むと危険だという政府の基準があるが、新潟県のある温泉では現地の人たちは何十年も温泉水を飲み続けているが、その温泉水には700ベクレルの放射能が含まれているという」
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-10937067515.html
ココで言ってる温泉水って「ラドン泉」のコトですわな↑。
もう、このところの(いや、ずいぶん前からか)TV映像みるだけで、この言説自体が、
古典的な測定方法に拠ったモノだ、
とわかりますよね。
「放射能」って言ってるだけで、核種に関しては何にも触れてないから。
そう。この↑考え方自体が、古典的な測定方法に基づいたヤツなんですわな。
あくまで放射線の計測しかできない、核種の可視化が出来ない場合のモノ。
実はラドンとか、セシウム137とか、21世紀の日本の技術では(いや、ウクライナでさえも、か(汗))、キッチリと可視化できるワケですな。
↓こんな具合に。いや、もっと単純化もできるんでしょうな。
http://agata107.ktkr.net/hinan/genpatu/
より。
そう。
実は実は、田母神さん自体が、「弱小国の論理・思考形態」にズブズブになっている。
「一味違う小名浜の鰹の刺身も今年は食べることも出来ないか」
↑
なーに言ってんだか。
出来るじゃないですかー。あなたのような方なら―――。
ヤフオクででも何でも、入手すればイイんですよ―――。
トラバ元のchocovanillaさんの用語で言うと、
「「安全だ」って言うなら、
基準値越えの安全な食品買い占めてみろって。
安全派で、バブル起こせばいいじゃん。
オークションで市場より高値で売買すりゃいいでしょ、
で自分たちで食べつくせばいいでしょ。
国なんてクソクラエって、汚染食品だけで生活すればいいでしょ?」
って話になる。
そーそー。
今はヤフオクでも、簡単に出来ますしねー。
田母神さんみたいに、集まって、「放射能は安全だ」運動出来る人は率先して、ベクレル食品を仲間内で食べつくすコトだって出来るし。
田母神さんなんて、
ブログとか、
ツイッタ―(←私なんて、全然やってない)とか、
もう、IT使いこなしちゃってますからね―――。
別に、
「流通してるモノを買うしかないんだ―――。店舗に出てくるモノを買うしか、自分に与えられた手段がないし、そうするしか、時間がないし―――――><
食べ物とか珍味探して、ネットとか、運動とかやってたら、赤ちゃん死んじゃいます――――><」
とかいうワケでもない。
そもそも、流通食品の場合、↑こういう人を、
それこそ、
「食べ物とか珍味探して、ネットとか、運動とかやってたら、赤ちゃん死んじゃいます――――><」
そう・・・この↑状態で買い物したって、安全が担保されるモノでなきゃヤバいワケで。
21世紀の今日び、
↓こんな、ラドンとセシウム137もごっちゃにしてるような呪文でもって、食品の信頼性を低下させる・もっともっと基準緩和すべきだ!! とか怪しげな話をされても困る。
↓
「1リットル中に300ベクレルの放射能を含む水を飲むと危険だという政府の基準があるが、新潟県のある温泉では現地の人たちは何十年も温泉水を飲み続けているが、その温泉水には700ベクレルの放射能が含まれているという」
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-10937067515.html
↑
何せ、「放射能認識の変更」とかいう、世界的にみても斬新すぎる認識論だし、
それに基づいた「放射能ってあんまり危険じゃない」論ですからね~~。
それで・・・
田母神さんなんて、
ブログとか、
ツイッタ―(←私なんて、全然やってない)とか、
もう、IT使いこなしちゃってますからね―――。
・・・それだけじゃなくて・・・、
「一味違う小名浜の鰹の刺身も今年は食べることも出来ないか」
↑
なーに言ってんだか。
そんなの、知人に声かけて、協賛者集めりゃ、
船だって出してもらって、採ってきてもらうこと、いっくらでも出来るじゃないですか。
有力な六十代男性(しかも、協賛者集める能力もあって、ブログだって、ツイッタ―だって出来る、IT活用能力もある)が、
何言ってんですかね――――。
な―――んだって、
「一味違う小名浜の鰹の刺身も今年は食べることも出来ないか」
とか、何だって、
↓こういう人の論理に立っちゃってるんですかぃ?
「食べ物とか珍味探して、ネットとか、運動とかやってたら、赤ちゃん死んじゃいます――――><」
そ。
そもそも、「普段からの規制値(暫定基準値じゃないですよ)」、それ自体が↑こういう人を対象とするものであって、
そもそも田母神さんらにとっちゃ邪魔者でしかないでしょ。
別に原発が爆発する前の時期から。
そもそも、田母神さんらは、
「暫定基準値」はもちろんの事、
「普段からの規制値」なんてモロに相手にする必要性自体が無い。
(トラバ元のchocovanillaさんの言葉で言うと、
「国なんてクソクラエって、
汚染食品だけで生活すればいい」
↑×「汚染食品」○「ベクレル食品」)
逆にいえば、「規制値」ってのは、そもそも田母神さんたちではなく、
「流通してるモノを買うしかないんだ―――。店舗に出てくるモノを買うしか、自分に与えられた手段がないし、そうするしか、時間がないし―――――><
食べ物とか珍味探して、ネットとか、運動とかやってたら、赤ちゃん死んじゃいます――――><」
↑
こういう人らを守るためのものなのだから(そもそも、「国」の存在意義自体が、そういうコトですから)、
「規制値が必要ない人たち」の意見に合わせていくと、規制値の意味自体がなくなる。
だって、「規制値が必要ない人たち」の意見に合わせていくワケだから。
もっと語気を強めて言うなら、
「規制値が必要ない人ら」が、規制値に関して、緩和♪緩和♪とかやりまくって、
「規制値」をこれ以上無意味にしていくのはやめろ、
という話。
(忌憚なく言うなら、「先生方には、そもそも、一般的に言われてる“国”っての自体が、あんまし要らないんだ。自分たちが“国”を必要としないからって、必要とする奴らが大勢いるってのに、“国”(が保障する安全)を、珍説・新設を唱えまくって、ドンドン無くしていくようにするのはヤメろ」となるのだが)
「一味違う小名浜の鰹の刺身」
が食べたけりゃ、
知人に声かけて、協賛者集めりゃ、
船だって出してもらって、採ってきてもらうこと、いっくらでも出来るし、
みんなでそれをヤフオクで売ろうがOKじゃないですか。
そもそも、そういう立場の人なんだから。
それが何故、今になって、
「一味違う小名浜の鰹の刺身も今年は食べることも出来ないか」
とかって、つまり、
「流通してるモノを買うしかないんだ―――。店舗に出てくるモノを買うしか、自分に与えられた手段がないし、そうするしか、時間がないし―――――><
食べ物とか珍味探して、ネットとか、運動とかやってたら、赤ちゃん死んじゃいます――――><」
とか、こういう人の論理にズッポリ嵌っているのでしょうか?
「一味違う小名浜の鰹の刺身も今年は食べることも出来ないか」
何ゆえに、↑こんな「弱小国の論理」にズッポリとハマり込んでいるのか?
何ゆえに、
ブログだって、ツイッタ―だってやりまくってて、IT活用能力もある、
知人に声かけて、協賛者集めりゃ、
船だって出してもらって、採ってきてもらうこと、いっくらでも出来る、
有力な六十代男性が、
何ゆえに、↓こんな「弱小国の論理」にズッポリとハマり込んでいるのでしょうか?
「一味違う小名浜の鰹の刺身も今年は食べることも出来ないか」