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2011年02月22日 イイね!

WRCラリーカー回顧録

え~


予定ではオリオール~グロンホルム辺りまで書こうと思ってたんですが(笑)





疲れました(汗)



でもこんな終わり方もあれなんで。

自分が初めて映像としてWRCを観たのは1991年総集編

ST165セリカのサインツとランチアワークスのカンクネン、ジョリークラブのオリオールでした。

いやぁ デルタに惚れましたね(笑)
当時スバルがレガシィで

三菱はギャランでエントリーしてました。

ま、昔話はさておき、

グループAとは市販車の延長であり
ベース車両のポテンシャルがラリーカーにも影響しますよね。

ランチアが撤退した後

スバルはより小型なインプレッサへ

三菱はランサーへスイッチします。
トヨタだけが、205セリカで流れで取り残された感じになります。
大きいボディ、不利なフロントサスの中、レギュレーション違反をしてしまい、出場停止処分。

もっと多くのメーカーのエントリーを!

特に、ヨーロッパのメーカーのエントリーが無い状況を打破?なのか?

そんな中、WRカー規定が出来ます。
(プジョー、ルノーによりF2キットカーはフル参戦意思が無い為立ち消え)


1997年ワールドラリーカー元年
エントリーはグループAの車両をベースにした暫定的な仕様の
インプレッサとエスコート

ランサーは三菱により市販車へのフィードバックに拘りグループAのまま。

シャシーバランスのインプレッサ
アクティブデフのランサー

バランス良いけど、パンチが無いエスコート


みたいな印象の図式。

ドラマチックな展開でチャンピオンが決まり

翌98年

よりWRカー規定を深い解釈、特例を時間の許す限り利用した

カローラWRCがデビューします。

ですが、時間が無かった分

WRカー過渡期の車な印象的ですね。

ランサー、インプレッサに対しても、

どこのメーカーよりも早くアクティブデフを使いこなした三菱マキネン

シャシーバランスの良さで限界点を上げ、ドライバーが如何無く使いこなしたスバル


パッケージングの優位性とジョイスティック等の先進性
ドライバーの開発能力により
パフォーマンスを発揮してたカローラ
でしたが、

徐々に優位性は無くなります。

99年フォーカスWRC、206WRCのデビュー

フォーカスはカローラよりもWR規定を深く解釈?抜け穴を見つけ
重量バランスや足回りの設計を行い、デビューイヤーでも勝利を納めますが!


206WRCは更に深く解釈を進めたモデル。

4mに満たない206をビッグバンパー装着モデルを市販で限定販売

旧型モデルのエンジンを特例で認可させたりして規定と特例をフル活用しました。

フランス人はしたたかですね~(笑)

99年中盤 ツールドコルスから参戦。

思えばこの中途参戦により

マーカス・グロンホルムという不遇のドライバーに表舞台に立つチャンスが来る事にもなりました。
デビュー戦から驚愕のパフォーマンスを発揮した206WRC

そのポテンシャルは翌年
グロンホルムのドライバーズタイトル獲得で証明されました。


シャシーバランスのスバル

パワフルなエンジンとアクティブデフを使いこなしていた三菱

振り返れば暫定的でしか無かったカローラ


206はより小さなシャシーで重量バランスを改善し、

はっきり言えば曲がりたがる車

に仕上がっていたのでしょう。

それをうまく使いこなしたグロンホルム、バーンズにより三年連続チャンピオン

ただ、206に限らず、プジョーは速いけど良く壊れてましたね(汗)

プジョーの速さに対抗すべく
他メーカーが手を出したジャンルは

エアロダイナミクス。


多分なんですが、この頃から

見ててツマラナイWRCになって来てたと思うんです。

ダウンフォースを利用した形で更なる速さを手に入れてたなら

車は余計な動きをしなくなって

だれがドライバーでも大差ない動きしかしなくなるでしょう。

もはや、カンクネンやマキネン、マクレーの
ような、ドライバーが車を積極的に姿勢変化させコントロールして走らせる

ではなく

ダウンフォースとシャシーセットアップを頼りにより高いスピードでコーナーに侵入するような走り方?みたいな形が主流になってるのかな?

ちょっと、この辺で知識不足は否めないのですが、

インプレッサ2003のリアウイングやフォーカスRSのフロントバンパーとか速さの発揮具合を見ると


そして、マキネン、マクレーの冴えなさ加減を見ると

何となくそんな印象を受けます。

自分は狂気の時代と呼ばれたグループBを知りません。

ただ、91年からWRCを見続けた人間として時代の変化を真に受けて感じたモノも色々あります。

ただ、思うのは

速さの追求でコストが高騰し参戦メーカーが続々と撤退してしまった今、

もっとコストを抑え、間口を広げる様な方針をしっかりFIAがやれば
昔みたいなワクワクするようなWRCになると思います。



はい、酔っ払いながら書いてるんで

多分、グダクダなんですが許してください(笑)


取り敢えず、以上を持って

WRC関係の回顧録は一旦終了します。

憂鬱な冬の中、春へ向けて

過去を振り返る事で

気持ちもようやく盛り上がってきました(笑)


次はそろそろスイフトの話が出来ればいいなぁ(笑)
Posted at 2011/02/22 23:44:45 | コメント(5) | トラックバック(0) | モブログ
2011年02月21日 イイね!

WRCドライバー列伝 カルロス・サインツ

WRCドライバー列伝 カルロス・サインツエル・マタドール

嘆きの王

1990年、92年チャンピオン
スペインと日本車にとって初の王座を獲得。

それまでのWRCの流れを変えた男です。

サインツがチャンピオンになる以前は得意なラリーに参加してポイントを獲得し苦手なラリーをキャンセルしたり、スポット参戦する
地元のスペシャリスト達も沢山いた時代でした。


サインツはターマックが主流のスペイン人でありながら、グラベルでも速く、スカンジナビアン以外での初のフィンランドラリー優勝など、スペシャリスト達を蹴散らします

サインツ以降、オールラウンドな適応能力を持つドライバー達がチャンピオンになっていきます

情熱の国出身らしく、勝利への要求たるや凄まじく

セットアップの為に走り終わったラリーカーの泥を全部洗い流させたり、ミリ単位の車高の調整を求めます。

その為、サインツが在籍したチームの車は確実に速くなり
その仕事振りは同僚ドライバーにも影響を与えます。


が、


嘆きの王 と言われる由縁


結構波乱万丈ですよね。

TTE加入後、二度の王座獲得し
これからも、この蜜月関係が続くはずだったんですが

TTEがカストロールとスポンサー契約しチーム在籍が不可能になりました。

サインツは個人スポンサーとして
レプソル(スペインの石油会社)
を持っており

バッティングしてしまったのです。


泣く泣く、ワークス活動が終了したランチアのプライベートチームに移籍するも奮わず(汗)

貢献度の高かった昇り調子のワールドチャンピオンがこんな理由で移籍ってのもスゴい話ですよね(笑)

スバルからトヨタに戻ろうとしたら違法改造でトヨタは出場停止
フォードを経て満を持してトヨタ復帰後、マーガム・パークの悲劇があったり、翌年ワークス活動終了(ホント色々あるわ)

二度のチャンピオン。


まともに行けば4、5回はチャンピオンになれてたはず。

最終戦までチャンピオン争いをしてチャンピオンシップ2位が多い(汗)

1番悲劇的だったのが98年

最終戦グレートブリテン

ポイントリーダー、マキネンがラリー初日でリタイヤして

ラリー最終日、サインツはそのままの順位で走りきればチャンピオンのはずが…………

最終SSマーガム・パーク
エンジンブロー


残り300メートルでリタイヤ


嘆きの王 ここに極まれり。

2003年にも最終戦までチャンピオン争いをしますが、
スタート直前、車載カメラから煙が出てゴタゴタしたりしてリズムを崩しあっさりコースアウト

でもサインツにしてみれば98年よりマシだったでしょう(笑)


さて、そのドライビングスタイルは

多分、基本的にはFFの延長的な

フロントを軸にリアを振り回す感じだと思うんですが

結構乗ってる車によって印象が違います。

ST165~185だと上記の印象で
スバルの時には
アンダー気味というか
常にステアリングがイン側に切れている事が案外多く
フォードエスコートの時には
見てて結構キレイな感じリアを振り回してたり

カローラはフロントを軸にリアを動かしたり

様々な印象があります。

が、個人的な印象として


フォトジェニックなドライビングでは無いというか(汗)

見栄え良い車の動きがあんまり無い感じ(ファンの方すいません)

自分の手持ちの映像には何故だか
ターマックで

Rの小さなコーナーで華麗にリアを振り回して行こうとしてる最中にグリップが回復して車の動きが止まってしまったり
グラベルで侵入アンダーで
アウトアウトアウトなだったり

まぁ、「あ、失敗したな?」
的映像は各ドライバーそれぞれ
あるんですが、
サインツの出演率は高いです。
反対にほとんど無いのがカンクネンでした。


ただ、90年前半からグループA、WRカー初期~中期

機械式から電子式、パッシブからアクティブデフ、そしてダウンフォースに重点を置かれ始めた時代
目まぐるしい変化の中、適応し
第一線で活躍し続けた唯一のドライバーだと思います。

個人的には、コ・ドライバー、ルイス・モヤの

スペイン語のペースノートの声が印象的でしたね(笑)



Posted at 2011/02/21 18:55:17 | コメント(5) | トラックバック(0) | モブログ
2011年02月18日 イイね!

WRCドライバー列伝 トミ・マキネン

WRCドライバー列伝 トミ・マキネンスリーダイヤモンドの栄光は

トミ・マキネンと共に語られる。
96~99年 前人未踏4年連続チャンピオン

ターマックでも速い新世代北欧系ドライバー。


そのドライビングスタイルは

比較的クリッピングポイントでも
ステアリングはイン側に切れ込んでいる事が多い

これは三菱独自に開発した
アクティブデフが起因になってるみたいで

確か、ターインアクセルオフ時にはデフがフリーになり グイグイ曲がる方向に作用し

ステアリング角度やアクセル開度などを読み取り反応し作用していく。

マキネンは左足ブレーキを駆使しながら

ランエボをコントロールしきっていた。

と言う事です。

アクティブデフに関しては
記憶が朧気でして(笑)

この辺に関しては 青RCさんの方が詳しいでしょう(笑)

補足、訂正あればヨロシクお願いします(ぶん投げ)

ただ、このランエボというマシン

並のドライバーには無理(笑)

気が狂ってるレベルでマシンを自由自在に操る技術で世界の舞台に上がった人間にとっては

生理的に受け付けない、理解できない挙動を示してしまいます。


ロイクスなど将来有望と言われて若手が沈没していったのが良い例です。

ターマック、Rのキツイコーナーでの立ち上がり加速区間

ランエボは他メーカーのマシンとは異なる挙動を示します。

立ち上がりステアが若干イン側に切れてる時

リアタイヤが若干ぬるっとスライドしながら外に回り込み
結果ステアリングを早く戻せる。
カローラにもインプレッサにもエスコートにも無い

ランエボだけの独特の挙動でした

マキネン自身のスタイルとしては
コース幅を目一杯使いながらインカットしかながら車の向きを早めに変えて早くアクセル全開にする。

はい!気づきましたか?

根拠は全く無いんですが

マキネンとマクレー

これが似てると思うんです。

車も違う、動きも違いますが

インカットしながら他のドライバーより早めに向きを変えアクセル全開


気のせいかな?(笑)ま、いいか(笑)

それはさておき。

三菱での栄光の時代が過ぎ

グループAに固執し過ぎ(結果的に)WRカーの波に乗り遅れ
輝きを失ったチームを離れ
かつてのライバル、スバルに移籍します。

時代はプジョー全盛期

速さは見せますが厳しい戦いが続く中

チームメイトのペター・ソルベルグに

王者の仕事を背中で語り、伝えていきます。

その成長を見届け2003年に引退となりました。


マキネンで印象的な事は

スバル在籍時、上位陣がアクシデントにより、ひさびさに優勝のチャンスが!!


ハードアタックするマキネン!!
が、とあるSSでイン側の岩に足回りをヒットし破壊!!リタイヤとなりました。

その時のオンボード映像が

岩に当たった衝撃、ガラガラと異音がします

真っ青になるマキネン


次の瞬間、涙を流し涙をぬぐいながら何か言葉を発しています。

4度のチャンピオンになっても速さと勝利を渇望し、それを自分のミスによって失ってしまった
男の悔し涙でした。



トミ・マキネン

4年連続チャンピオンは マシンのお陰や運だけでは不可能

この男の卓越した技術と速さ、強さがあったからこそ、成し遂げた偉業でしょう!!



Posted at 2011/02/18 22:39:18 | コメント(4) | トラックバック(0) | モブログ
2011年02月15日 イイね!

WRCドライバー列伝 コリン・マクレー

WRCドライバー列伝 コリン・マクレー1995年チャンピオン

別名クラッシュキング


そのドライビングスタイルは

デフロック気味のリアをフェイントやサイドを駆使しながら振り回す豪快なドリフトに根強いファンも多いでしょう。

他の北欧系ドライバーにも似てる様に見えるそのスタイルですが

ちょっと違う様に見えます。

かなりインをカット気味に走り
デフロック気味のリアを振り回して早めに向きを変える(クリップが手前みたいな感じ)事で早い段階でアクセルを踏める状況にしている。

向きを変えてしまってアクセルを踏む瞬間、それまで邪魔だったデフロック気味のリアが

立ち上がり加速の為の武器になる。

そんな印象です。

マクレーといえば、スバル

チャンピオンを取った95年も印象的でしたが

自分的には97~98年

WRカーとなったグラマラスなインプレッサをエリクソン、リアッティと共に 豪快に振り回しながら勝ちまくった時期が1番好きでした。まぁスバルの各ドライバー共々振り回す系のドライビングでしたし(笑)
97年なんて五回くらい勝ったのにチャンピオンなれなかった、

通算勝利数に対するタイトルの獲得が合わないドライバーです。

同郷?(スコットランドとイングランド)

のリチャード・バーンズとは良く比較されたみたいでマクレーは良く
バーンズをおちょくった事を言ってたみたいで、1時期雰囲気も良くなかったみたいですが、

バーンズがチャンピオンになった後は互いを良く認めあった上での良きライバルだったのでしょうね

スバルからフォード移籍後は

散発的には勝利を収めますが、
ターマックでの戦闘力の低さと
WRカーとしてフォーカスの1歩先を行く
プジョー206WRCの台頭により
チャンピオン争いは厳しい状態でした。

2000年以降カルロス・サインツ
と共にマシンの熟成に精を出しますが、チームの若返り&経費節約方針により、シトロエンへ移籍。
2005年にシュコダ ファビアWRCにおいて最終戦オーストラリアで
トップ争いをする中、惜しくもリタイヤ。

以降は ダカールラリーや
ラリー・レイドへ向かいます。




その後の事は皆さんが良くご存知の通りです。





90年代、WRCがスプリントラリーへと変貌していく中、強烈な輝きを放ったドライバー


コリン・マクレー


今はリチャード・バーンズと共に天国でも良きライバルとして走り続けてる事でしょう。
Posted at 2011/02/15 11:25:21 | コメント(8) | トラックバック(0) | モブログ
2011年02月12日 イイね!

WRCドライバー列伝。ユハ・カンクネン

WRCドライバー列伝。ユハ・カンクネンフライング・フィン

ラリー界の帝王

グループB全盛期のプジョーでタイトルを取り
90年代を駆け抜けたドライバーです。

通算四回のチャンピオン


ただ、ターマックは苦手でしたね(笑)

ターマック上がりはグラベルもそれなりに速くなれるのですが、グラベル上がりがターマックで速くてなるには限界がある傾向はいまでも続いてるみたいですね。


そのドライビングスタイルは
堅実は走りの反面、テールを豪快?華麗に振りだして曲げていく

グラベル戦でクリッピングポイントでステアリングがイン側に切れてる事はほとんどありません。


なにより、まるでダンスのステップみたいな車の動きがとてもキレイでした、スバル時代の車載を観た時もビックリ(笑)

カウンターの当て方が普通じゃない(笑)

スパッとステアを切るで無く

「するるっ」と案外ゆっくりステアリングを動かしてるんです。



プジョー、ランチア、トヨタで計四回のチャンピオンになった後

悪名高きトヨタの「リストリクター改造事件」が起きました。

吸気を絞るリストリクターによって馬力制限をしていたその部品を若干、可動式にしたお陰で

他メーカーが300馬力前後だったのに対し、トヨタは450馬力前後のパワーを手に入れてた様です。
それによりポイント剥奪、出場停止の処分を受けました。

確か朧気な記憶ではカンクネンはポイントリーダーだった気がします。

その後、フォードに移籍、次期車両フォーカスの開発にスイッチされ改良がまったく無くなったエスコートWRCにて随所に存在感を見せつけます。

個人的なハイライトは99年
スバル移籍後、ピレリタイヤの低調なパフォーマンスに影響され、シーズン前半はチームも不振を極めます。



99年アルゼンチンラリー

スバル復活の狼煙

みっちりテストした甲斐あり
チームメイト、リチャード・バーンズ共々絶好調!!

ラリー初日をカンクネンが1位、2位バーンズ

二日目はカンクネンからの出走

1番手は砂掻き役になる為
タイムは出ません。

案の定、バーンズ1位
その間隙を縫ってトヨタのオリオール2位、そしてロスを最小限に抑えたカンクネンが14秒差の3位でした。

デイ3最終日

快調に飛ばすバーンズ、追いすがれないオリオール、その後ろからグイグイと差を詰めるカンクネン
1秒2にまで詰めてきた。

デイ3最終日最終ステージ

両者譲らずのラストファイト!!

2秒4差を付けて4年振りにカンクネンの勝利!!


帝王復活の時でした。

インタビューに目を潤ませながら答えるカンクネン、コ・ドライバーは泣いていました。


実は、バーンズに譲れ!

とチームオーダーが出てたらしいんですが、『シカト』したらしいです(笑)

バーンズは相当怒ったらしいです(まぁ当然)
このイザコザがありながら、カンクネン2勝、バーンズ2勝とポイントを分けてしまい、

僅差でトミ・マキネンにドライバーズタイトルを取られてしまいました(汗)


仲良くしとけば良かったのにね(汗)

この年以降、フル電子制御デフなどの台頭により精彩を欠いて行きます。

最後はヒュンダイのドライバーで引退になりましたが。






が!

2010年地元フィンランドラリー

8位入賞!!


51歳にして不惑のヒゲのおじさん。

元気そうで何よりです。
Posted at 2011/02/12 22:48:24 | コメント(6) | トラックバック(0) | モブログ

プロフィール

「みんカラ:【MICHELIN 2022年春 新商品タイヤモニター】 http://cvw.jp/b/615063/46068902/
何シテル?   05/01 03:58
スイフトでサーキット走ってます パワーが無くても十分楽しいです 「北海道GTシリーズ」 と言うサンデーレースに参戦(2009~2013) Jrコース...

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ハイグリップラジアルタイヤの真実 
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メーカーに聞いた,ハイグリップラジアルタイヤの真実 BSとGY編 
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