
齢40歳を越えて、ステッカーの作製に凝っています(苦笑)。
使用しているタイアメーカーのものや、「CARBOY STREET 最速戦」など、片側に3枚程、貼ってあります。
いえ、もちろんステッカーをそのまま貼るようなことはしません(苦笑)。
「マグネットシート」に一度、ステッカーを貼ってからボディに貼る。
「旧Auto Works」連載の漫画のネタを活用させていただいています。
その中で、やはり一番のお気に入りのステッカーは、写真の「'97 Le mans R390 GT1 NISSAN」のもの。日産ディーラーで分けて貰えたものです。
あれからもう、14年が経ちましたか。
今さらながらですが「1997年」のル・マンは、一人の日産ファンとしてとても悔しい思いをしました。
ル・マン決勝での「R390 GT1」の成績結果は、前評判とは裏腹に散々なものとなってしまいました。
でも、そんなことが悔しいなんて思っていません。
車体が日産製ではなく、「TWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)製」で、当時のレース雑誌では酷評(性能ではなく、なぜ日産で車体を作らないのかという意味)を受けたこと。
これも、その後の日産の経営状態を見るにあたり、仕方のないことだったと思えます。
じゃあ、なにが悔しかったか?
ル・マンの主催者団体と日産とのレギュレーションの解釈の違い(または交渉能力の力量の差)です。
当時の「R390 GT1」は、ル・マンでの「予備予選」で他を寄せ付けない、ぶっちぎりの「1番時計」でした。
日産の優秀なスタッフとエンジニア、VRH35Lエンジンは日産CカーエンジンのOB、東海大学の林義正教授の助言を受けながら開発、ドライバーも国内外の優秀選手を揃え、「本当に勝ちにいける」マシンだったのです。
ただ一つ、主催者団体から「トランクスペース」の解釈への異議を受けなければ―。
当時の「GT1」はレギュレーションに「トランクスペースを設けること」が明示されていました。
「マクラーレン F1 GTR」にも、「ポルシェ 911 GT1」にも、「トランクスペース」はもちろん備えられていました。
当然、「R390 GT1」にも、「トランクスペース」は備わっていました。
ただ、「『穴だらけ』にされて、冷却用の走行風がミッションに当たるよう考えて設けられた『トランクスペース』」だっただけです。
これに主催者団体は異議を唱えます。
「トランクスペースを設けること」から「『機能』するトランクスペースを設けること」へと。
どこでどう、解釈の違いが生じたのかは私にはわかりません。
ただ、確かなことは、もう設計変更が間に合わないこと。
やむなく、日産は「穴をふさいだ『トランクスペース』」を作り、ル・マン決勝では案の定ミッショントラブルを抱えての走行となり、事前の記者会見で「ル・マンにおける日本車と日本人ドライバーによるル・マン制覇」を掲げた日産の目論見が水泡に帰すこととなってしまいました。
それでも、私は「1997年のR390 GT1」が大好きです。
すべては「今にして思えば」なのですが、のちに経営状態が苦しくなる日産があのマシンを出したこと。
「交渉能力の差」により、結果が出せなかったこと。
そして、結果が出なかったとしても、設計の意図どおりに走らせていれば、きっとどのマシンよりも、24時間でより遠くまで走りきることができたであろうこと。
あとこれは私見ですが、やはりあのマシンのフォルムは美しく、また勇壮です(日産の独特の意匠、あのエアインテークでも格好よく見えるものだと感心したものでした)。
難い話ばかりになりましたが、言いたいことは単に自分が「R390 GT1」が大好きで、だから「240ZG」にもステッカーを貼っている。ということだけです(苦笑)。
例えその時、大負けという「結果」しか残らなかったとしても、そこへ行き着くまでの「過程」では、断じてあきらめない。
また、大負けしたとしても「次の機会」のために爪を研いでおく。
私もそうでありたい―。
「仕事」も、「家庭」も、「趣味」だって。
久しぶりに開いた14年前の「Racing On」に掲載されている、「'97 R390 GT1」を取り巻く人々の記事を見て、あらためてそう考える自分がいます。
Posted at 2011/01/22 09:05:31 | |
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