
最近の私のブログは「読書感想文」です。ただ、何かを探そうとするとき、参考資料はなるべく多い方がいろいろと精度が増すかなと思っていまして。考古学というわけでもないのですが…。
そして探そうとしているその「何か」がまだうまく言えない不思議さが自分自身の中にあります―。
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1995年のル・マンー。
これも参考資料は「最速GT-R物語(家村浩明氏著/双葉社刊(1996年))」の付記「1995年ル・マン レーシングGT-Rの記録」と、それに加えて「プロジェクトGT-R(水野和敏氏著/双葉社刊(2009年))」からです。
1995年のル・マンのチーム監督は水野氏。のちのR35GT-Rの開発責任者になる方です。
発行された時期も、書いてある内容も違うもの(書籍)なのですが、今思うと興味深いところに符合することがあるんです。
まずは「最速GT-R物語」より。
・水野氏はR33GT-Rをル・マンだけではなくのちにプライベートチームにマシンが供給できるよう、サスペンション形式をマルチリンクからダブルウィッシュボーンへ。エンジンはあえてRB26DETTのままでと考えた。
・家村氏からの「スカイラインGT-Rは直列6気筒エンジンではならないのか」という問いかけに、渡邉氏は
「『ニッサンGT-R』だったらエンジンはV6でも何でもいいでしょう、でもスカイラインではそれはできない」と言われた。
・ル・マンに、ファンの夢を乗せて走らせるのは、あくまでも「スカイライン」でなければならない。その夢とイメージに忠実でありたい。これが水野氏のスタイルであった。
次に「プロジェクトGT-R」より。
・周りはカーボンボディのレーシングカーばかり。なぜ、背の高い市販車ベースのクルマで戦うのか。しかし観客席で、日本から多くのGT-Rを応援にやって来た人々を観てその熱は、ある意味、他のレーシングカー以上なのである。この鉄板ボディのクルマになぜこんなに多くの人の期待が集まるのだろう。
・導き出した答えは一つだった。それはGT-Rが市販車で、レーシングカー専門で作っていないということである。逆にいえばそれがこのクルマの存在意義だった。
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1993年でグループCカー規定がなくなり、ル・マンが「スーパーカー世界最速耐久レース」になるのでは、と思っていたところに結局認められる車両もあったりして、レギュレーションの解釈が混沌としつつあった時期です。その様な中で予選前の車検ではフラットボトムの解釈の食い違いを指摘され、突貫作業でそれを修正。「NISSAN NISMO GT-R LM」は無事に決勝グリッドに着きました。
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1995年は雨のレースだったと記憶しています。レースカーに必要な強度とかを考えてない当時の私は「4WDならいけたのでは―」などと浅はかなことを考えていました。けれども競争相手は関谷正徳選手たちの駆る「マクラーレン F1 GTR」をはじめとするレーシングカーですもの。「市販車・改」のGT-Rファンとしては「4WD」の導入ぐらいしかそれに対する優位性が思いつかなかったんです。
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その後「スカイラインGT-R」は2007年に「NISSAN GT-R」へと、少しだけ名前を変えました。
まだR34も出てない時代ですが「GT-R」単独の名前はこの頃から考えられていたのでしょうか。
今年2015年のル・マンは「NISSAN GT-R LM NISMO」と、20年前と少しだけ変わった名前で「GT-R」は参戦します。
メーカーがトップカテゴリーに出すレースカーに
市販車と同じ名前を付けるのは、1996年から参戦する「ポルシェ 911 GT1」以来かもしれません。
でも、20年前とは違います。市販車の形をしていない「GT-R」での、ル・マンチャレンジになるのです―。
Posted at 2015/03/20 02:18:45 | |
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