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2010年06月17日

「和」というもの

「和」というもの
最近、物事を推理・推量することが多くなってきている。
私自身は明確な回答をすぐに知りたいと欲する性質の人間なのであるが、
思考の幅を大きく、過去へ過去へと遡及させると、いわば、想像を司る部位がより活発化するようである。この場合、即座に明確な回答を提示されるよりは、しばらくは結論に至るまでの道程を楽しむほうが心地よい。

みんカラのコミュニティの
日本古代史のミステリー 通説を覆せ!! (kodaishi)
にて、大いに想像を司る部位を刺激させていただいている。
想像というのは非常に面白いもので、しばらく想像行為をしていると、ふと何らかの知見や視座が思い浮かぶことがある。また、これらの知見や視座のさまざまが相関関係を成して、また別の知見や視座を提供してくれるように思うのだ。

「古代」という想像の翼を大きく羽ばたかせることが可能な領域では、想像性という原子の活動も当然、活発化する。明確な答えのない曖昧模糊とした古代空間のなかに、
想像性という原子を投入してみると、やがて閃きという化学反応が起きる。すると曖昧模糊であった古代世界がだんだんと輪郭を露にしてくるように思えるのだ。

さて、わが国の生活や心情に強く根付いている「和」という精神。これはよほど古い時代から連綿と流れてきた日本古来からの日本人の根本的な精神だったとされる。
和というのをとても簡単に言ってしまえば、話し合いにより問題解決を図ろうという
相互協調の精神であろうか。
聖徳太子の十七条憲法の冒頭の条文が「和をもって尊しとなす(以和爲貴・・・以下略)」というのは非常に示唆的である。既に飛鳥時代にも条文の冒頭にくるくらいに規範として重要だったということが窺える。

ここで時計の針を現代に戻して、日本国憲法第一条を抜書きしてみよう。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
現在の憲法でも、非常に根本的な原則に関しては一番序の位置にもってきて、以下にその原則に基づいた約束事を記述するというのが一般的ではないかと思う。
「天皇は象徴である」という点と、その地位は主権を有している「日本国民によって担保されている」という点が、戦後日本の有り様を強く位置づけているのが理解できるはずだ。象徴天皇制は主権は天皇という特定の存在ではないということを示しており、あくまで現代日本の主権者は国民ひとりひとりなのだということを明快に述べている。既に戦後60年以上隔てている現代では、このことは自明のことと思うかもしれないが、いま一歩客観的に引いた視点から日本国というものを眺めてみると、この条文が日本国(Japan)の性質をよく物語っており、われわれはそれに従って暮らしているということがよくわかるのではないだろうか。

序の言葉の重要性を述べるために、日本国憲法の条文まで抜粋してしまったが、
十七条憲法を制定した聖徳太子という人間は、いままで自明だった「和」の精神というのを改めて条文という形で書き起こすことにより、初めて日本国という在り方を明瞭に示してくれたのだと思う。以来、日本人は「和」という概念を明確に輪郭づけられるようになり、日本の隅々まで行き渡る根本精神となったのであろう。

では、聖徳太子以前にあった日本の「和」のかたちというのはどのようなものであったか。当時の巨大文明国であった中国では日本のことを「倭(わ)」と呼んでいたそうだ。
この理由も明確ではないが、おそらくは当時の中国人が「貴方の国はなんというのですか」と当時の日本人に問いかけたときに、「わ」という回答がかえってきたのだと思う。もちろん、当時の日本人は日本という言葉を使っていないし、知らないだろう。
ところで、中国語は漢字のみの表意文字なので、発音を表す場合にしばしば当て字を使う。
そこで、「わ」の発音に近いと思われた「倭」という言葉を当てたのだろう。さらに、この言葉は中国の中華思想を示している例かとも思うがいまは詳述しない。

中国と異なり、日本では国家と呼べるような巨大政権は少なくとも飛鳥時代まで待つ必要があるだろう。それまでは大小さまざまな国(非常に小規模だが)が乱立していた時代がずっと続いていた。
したがって、紀元前一世紀頃(弥生時代)に中国にて記された『漢書』の地理史の記載で初めて散見される「倭」の記述の時点では、国家を意識した日本人というのは皆無であっただろう。だから、中国人に「貴方の国はなんというのですか」と問いかけられたときに、部族国家内で流通していた言葉をひとまず提示するしかなかったと思われる。その提示された言葉が、何度も述べている「わ」であろうと思うのだが、私は未だに「わ」のかたちをよく掴んでいない。
集合や協調、連帯を表す意味の言葉のみならず、もっともっと奥底に秘められた意味があるように思う。もしかしたら、我々も潜在意識下では和の本質を見抜いているのかもしれないが、これほど芯の強い概念だと逆に当たり前過ぎて、私たちは意識するまでもないのであろう。
少なくとも「わ」という概念に基づく考えは古くは縄文時代から存在していたようであり、このわずか一文字の言葉に凝縮されている厚みというのは極めて重いい。
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Posted at 2010/06/17 08:58:24

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この記事へのコメント

2010年6月17日 15:47
こんにちは~♪
私の「和」というとE655系・・・という電車です(^^;
自分もここ最近推理・推量すること多いかもしれませんね。
コメントへの返答
2010年6月17日 18:18
こんにちは^-^

E655系ですね。調べてみました。
デザインが秀逸ですね!
一目見てかっこいいと思った車両は久しぶりです。ついでに、TGVのページも覗きました。こちらはクールなかっこよさですね。
ご紹介いただいたE655系は装備も優れているようですし、お召し列車として使用されることもあるので、歴史的な「和(わ)」とも縁があるともいえますよ~(^^

「なごみ」という言葉はいいですね。
真冬に会津若松まで電車旅をしたのですが(行きは黒磯・郡山経由で帰路は郡山より新幹線)、若松駅前の居酒屋で大いに和みました。とても店員さんが親切にしてくれたんです。
また、若松城近くの茶室では一時間以上話し込んで、大いに和みました。
母方の祖父母が福島県在住なので、発音や気質などが、私と非常に合う面が多く、非常に和みます♪
なんてことを思い出しました^^

いろいろな角度から推理・推量するのは、小学校のときに、アガサ・クリスティの「オリエンタル急行殺人事件」を読んで以来かもしれません。頭の体操になります!

素晴らしい「和」の紹介ありがとうございました♪
2010年6月17日 18:33
日本古代史のミステリー 通説を覆せ!! (kodaishi)
楽しく推論をありがとうございます。
「和」と言うことで…論点は沢山ありますから、ココでは・・・
漢委奴国王印の金印のお話を・・・
ご存知の通り・・・漢委奴国王印は、日本で出土した純金製の王印(金印)であります。
読みは印文「漢委奴國王」の解釈に依るため・・・・と言われますが、他の説もあります。
また漢倭奴国王印とも書きます・・・。
実際に博多で見学した印象は・・・メッチャ小さい・・・・

いや・・・ココはその金印の大きさや出所ではなく・・
漢委奴国王印とも漢倭奴国王印と書かれる委と倭の事を・・・・少々
どちらも読みは(かんのわのなのこくおういん)でわです・・。
この金印の字体は篆書体で秦代より前に使用されていた書体全てを指すもので・・
倭の発音は中国語では異なっていますが、朝鮮語でウェ(we)と発音をします
委は朝鮮語でウィ(wi)と発音し、日本語のヰ(ui)とおなじ発音です。

委は倭の略字であることが通説(印章には略字やくずし字を使うことが多かったらしい)となっていますが、中国人は他国の国名に対して略字を使うものだろうか・・・と、疑問が残ります。
しかし、まだ文字をもっていなかった倭人自身が国名を後漢の人に音声で告げたのを受け、後漢の人がその音を漢字に当てた国名であるから、「倭」と「委」のどちらの字でもよかったはずです。
倭奴国でも委奴国でも、これを後漢で発音されていた古い漢音で読むと、「イト国」、あるいは「イド国」となるという説もあります。

「倭」は「委(ゆだねる)」に人が加わった字形。よって解字は「ゆだねしたがう」となる・・・と
言われてますが・・・
倭人が自らを「わ」(われ)と称したことから倭となった、とする説がどうしても有力かなぁ。。と
自分は思っています



コメントへの返答
2010年6月17日 19:29
いつも楽しませていただいております。
非常に奥深いテーマ提供と知見をいただき、ありがとうございます。
「倭」と「委」の発音の違いですね。

なるほど。たしかに、倭奴(ウェノム)なんて言葉もありますしね。
李朝よりも前の古代朝鮮語でも発音はやはり「倭」の発音は「ウェwe」なのでしょうか?

ところで、中国語・朝鮮語において、「倭」と「委」では意味が異なったりということはありませんか?
と申しますのも、「委」という言葉で「わ」を表す例は「倭」に比べて少ないように思えるのです。
中世に「倭寇」なんてものが登場しましたが、朝鮮でも中国でも「倭」という文字を選択しているのですよね。少なくとも私の知る範囲では。
そして、現代では「倭奴」という言葉も使われている。
「委」という表記はどこへ行ったんだろうかということが気になります。
そこで、推論すると「倭」というのは、倭に夷を表す意味があったからこそ、華夷秩序思想から、選択的に選ばれたような気もするんです。
そうなると、後漢の刻印ではなぜ「委」とも表記されるのかという疑問が沸いてきます。後漢の時代では、
もう日本は東夷ですよね。
しかし、朝貢をすれば中華圏に入れるのが中華思想の特徴なわけですから、「委」という文字は、夷ではなく、中華様式に慣れ親しんでいる人や地域に使われる文字なのかなとも思います。
朝鮮についてはわかりませんが、中国サイドでは、公式的に華夷秩序に組み込まれた日本に関しては「委」と呼称し、それ以外の場合では「倭」という言葉も並列して用いていたのかなと思います。つまり、「委」よりも「倭」のほうが、意味範囲が広いのかなという推論をしています。

しかしながら、私はやはりおおもとは、古来の日本の人々が「わ」と答えたからこそ、「倭」なり「委」という表記が定着したのだと思います。
「倭」が「ゆだねしたがう」という意味であれば、別の朝貢国に対しても、その文字を当てはめることができると思います。なぜ日本だけ「倭」と呼ばれるようになったのか。

或いは、その鍵は篆書体に関わるかもしれません。秦代より前に用いられていたとのこと。ということはよほど歴史が古いですね。
周・春秋戦国辺りで、「倭」と「委」がどのように使用されたのか。加えて、殷代の甲骨文字まで想像の幅を伸ばしてもいいかもしれません。
文献が豊富に残っていそうということでは、諸子百家が活躍した戦国時代でしょうか。孔子の『論語』に「和」という言葉が出てくるそうですが、論語以外の同時代の書物に「委」や「倭」という文字が使用された例があれば、辿ってみたいですね。文脈による意味の違いが浮き彫りにされるかもしれません。
古代中国に関する上に述べたような事柄は陳舜臣氏の著作にありそうです。書店で渉猟かな(笑)

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