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2011年02月02日

崇徳の祟り ~歴史をみるときに考えさせられるもの~

崇徳の祟り ~歴史をみるときに考えさせられるもの~
歴史というものはとても不思議なもの。
過去からの連続によって、私たちは生きている。
だから、ごくごく形式論理的にいえば、過去を辿っていけば、歴史という過去の空間のことは全てわかるはずだ。
しかし、実際に歴史はそんな単純な因果律で動いてはいないし、歴史に対する解釈も時代・地域・個人によって様々だ。
この点、数学のように万人に共通して納得される「解」がないのが、歴史の難しさでもあり、また、面白さでもある。
もっとも、数学にしてもパラダイムシフトという形で、既存の学問体系があっという間にひっくり返されることがあるのだが。
たとえば、非ユークリッド幾何学によって、絶対に交わることのない二つの平行線は交わっていてもおかしくないとされた。
これは空間のゆがみとも関連する難しい問題なので、私はスルー。
ともあれ、本当に俄かに実感できないのだが、自然科学においても絶対的な基準というものは無くなりつつあるのが現状だ。

歴史学は証明行為がしにくい学問だし、論証したとしても新たな遺跡や文献の発見等で、説は容易に覆される。
それでは時代を遡った古代の歴史となると、これはもうほとんど推理の世界といっても過言ではなかろう。
古代史学に通暁されているジムニー魂さんのブログを拝見して、その感を強めた。

もっとも知識が多ければ推量もしやすくなるし、いかに古代という遥か昔のことであっても、何がしかの歴史的事実を掬い取れることは確かだろう。
平城京は確かに奈良にあったのだろう。奈良の大仏は聖武天皇の発願により、
造営されたのであろう。
しかし、なぜ聖武天皇は大仏を造ろうとしたのだろうか。
彼が敬虔な仏教徒だったのかもしれない。
それも一つの回答だろう。彼の時世にはごくごく権力者のうちのものであったけれども、仏教は普及していた。
でも、奈良時代頃には既に存在していたとされる怨霊信仰というものを知っていれば見方はまた変わる。

怨霊信仰といえば菅原道真が有名だろう。不慮の死を遂げたものが祟りを起こすという考え方だ。聖武天皇が怨霊を封じ込めるために大仏を利用したと考えれば、それだけ視座が増す。
 
崇徳上皇という悲劇の上皇がいた。
日本史の教科書で有名な保元の乱で敗れた上皇である。
以上おしまい。
でもいいのだけれど、崇徳上皇はその後どうなったかを知ると、より視座が深く広くなる。
崇徳は讃岐の国に流された。そこで後鳥羽は仏教に傾倒し、写本を書いて京のお寺に納めて欲しいと述べたという。
ところが、保元の乱の勝者の後白河天皇は、「この写本には、呪いがかけられているんじゃないのか」と疑い、写本を付き返した。
激昂した崇徳は、舌を噛み切って写本に

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」
(つまり、天皇中心の国家体制よ、ぶっ壊れてしまえという呪詛の言葉である。この呪詛は武家政権が成立したことで達成されたと言える)

「この経を魔道に回向(えこう)す」
(自分の書いた経を仏ではなく、魔にささげたのである。何たる執念)

と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、そして、生きたままに天狗になったとされている。
話はこれで終わらない。
実は明治天皇や昭和天皇までもが、崇徳上皇の墓を詣でて慰霊している。
まだまだ怨霊に対する鎮魂が行われているのだ。
私たちも、不慮の死を遂げた人が化けて禍を起こすことに生理的な恐怖心を感じたことはないだろうか。
これは、日本独自の怨霊信仰がいまだに残っているためであると私は考えている。

崇徳上皇の話が長くなった。
歴史とは無数にある過去の集合体であり、ごくごく一面的な見方だけでは、過去の世界の息吹に触れることは難しいだろう。
マルクス主義史観のように、原始共産制が封建制になり、やがてブルジョワジー支配の社会が訪れる(最終的にはプロレタリアートたる労働者独裁の共産主義社会が実現するというのがいわゆる発展段階説)というように直線的に発展するほど、単純なモデルではないと私は思う。

崇徳の呪いがごくごく現代まで残されていたことだけでも、私たちのほとんどは知らない。しかし、その呪いという事柄を忘却してしまえば、聖武天皇がなぜ大仏を建立したのかについて深い考察は得られない。
菅原道真は不慮の死を遂げて祟りを起こしたなんて、昔は大変だったんだねと感に入るだけで終わる。
まあ、別にそれでも構わないし、確かに怨霊に対する怖れは昔に比べればほとんど私たちは持っていないことは事実だ。
だが、崇徳の祟りが現代までに皇室に影響を与えているというちょっとした事実を知るだけで、過去という歴史を見る視座が大きく変わる。

だから、歴史を学びたい人は自分自身が自明だと思っていることについて、深く洞察してみることが必要だろう。
たとえば、われわれはなぜ、お寺を詣で、神社に参拝するのだろう。クリスマスを祝うのだろう。
我々は無宗教で節操がないのだろうか?
そうではないと思う。
そうではない論拠を見つけるには、歴史という世界に対して深い洞察を持って臨むことだと思う。
ブログ一覧 | 歴史 | 趣味
Posted at 2011/02/02 19:00:33

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この記事へのコメント

2011年2月2日 21:20
歴史が好きです。
崇徳上皇や菅原道真などの怨霊についてもいろいろ読んできました。
まだまだ知らないことばかりです。

すみません、こんなコメントで…。

コメントへの返答
2011年2月3日 7:56
「逆説」の読書具合はいかがですか?

歴史は奥深い大海みたいですね。私もまだまだ吸収したいなと思う事柄がたくさん山ほどあります。
だからこそ、面白いのかもしれません。

怨霊思想など、日本独自(?)の思考に興味を持ったのは最近のことです。近頃は日本人一般に潜む価値観とはなんだろうということに興味を持ち、神道について学んでいます。
2011年2月3日 16:16
怨霊信仰・・・この例は歴史的に今の学問は正式に認めようとしません。
御霊信仰が明確化するのは平安時代以降ですが、その上限がどこまで遡れるかどうかは、
人によって理解が一定していないので、認められていません・・と言うのが現状ですわ(@_@;)

確実な例としてあげられるのは、『続日本紀』の玄昉の卒伝にみえる藤原広継の怨霊です。
それ以前については意見が分かれます。
聖徳太子が怨霊であったとする梅原猛氏の説は自分としてはあると思っています。

長屋王や広嗣の怨霊の記事は、『続日本紀』が平安時代の編纂まで下ることで
この時代の潤色であるとみて、早良親王以前の怨霊の存在は認めがたいという見が今の学問の主流なんですね。残念なことですわ(@_@;)

正直、怨霊思想なんて人が頭(知恵)を使い、自分(人)を自覚した直後に少なくても生じる性です。
でうから、弥生人も縄文人も・・・当然、怨霊思想があったに間違いないでしょうね。。。。
仏教は確かに怨霊封じで日本に取り入れられられた傾向はありますが、古代神道も強力な怨霊思想が入っています。

息子の病気祈願に、親神が天降って神憑ったとされる…農民であった母親の中山みきは
その後、三女の出産に対して初めて行った安産の救いである帯屋ゆるしを望む人に行ったり、人々の病気を治す陽気な授けなどの奇跡を起こした・・その後、おやさまと呼称している。
中山みき…正にあの『天理教』教祖です。
天理教では人が没した場合、人間の発祥の根源「ぢば」へ帰ると解釈するため、「亡くなった」「死去した」とはせずに、「出直し」と表現するが、教祖の中山みきだけは「現身(うつしみ)を隠される」と表現している。 これは、「魂は永久に元の屋敷に留まり、存命のまま一れつ人間の成人を見守り、ご守護してくださっている」という考え。
死後の魂は守護もあれば、怨霊もある。・・・の思想である。
例として今回は天理教を挙げましたが、教派神道・・・
即ち、神道十三派に代表される神道系新宗教教団を学ぶと、その元は古神道(縄文時代)に繋がっていると思います。。。。

出雲神道
物部神道
復古神道・・・
↑この辺りは深く勉強しています(笑)
(神道諸派、他にもありますが・・・)

平田篤胤 本田親徳 川面凡児・・・読まれて無かったら、
書物一度読んで見て下さい。



コメントへの返答
2011年2月4日 16:42
コメントをありがとうございます。
大変勉強になりました。

怨霊の起源に関しては平安初期とするのが定説のようですね。
私も飛鳥・奈良、或いはもっと昔まで怨霊信仰を遡ることができると考えています。
一例を挙げれば、「雲太・和二・京三」の口遊が好例ですよね。国家鎮護の大仏や天皇家の大極殿より出雲大社が大きいというのは、通常の感覚(日本以外の歴史と言い換えてもよいと思います)では考えにくいです。
権力者の建物より大きなものを造り、しかもそれを平然と人々は口遊む。よほど、大きな存在が出雲大社に祀られていないと考えられませんね。神話を信じれば、大社の神様オオクニヌシは国譲りにより、ヤマトに政権を移譲した。
だとしても、旧勢力に対してこれほどまでに豪壮な祀りを施すことは考えにくいですね。
少なくとも他国ではありえない厚遇ですね。
オオクニヌシを怨霊化した存在と考えればなんとか理解できます。ヤマトと拮抗する権力者でヤマトに負けたのでしょう。ゆえに、天皇家の建物以上の大きな建築を造ることで怨霊として祟りをもたらすことを封じようとした。
私はそう思います。

怨霊という存在は、死穢や気枯れといった発想が進化して生まれたのかなと現時点では考えています。だから、丁寧に祀れば御霊となり、逆に私たちを護ってくれます。
根本的な悪ではなく、鎮魂行為によって、善の存在に転化するという発想が、いかにも日本の信仰らしいなと思います。性善説ですね。
また、怨霊の起こりは、神々の怒りによって、天変地異を起こすとする古くからの考えとも結びついていると思います。

天理教(教派神道と読み替えてもいいかなと思います)の例は興味深いです。発想の大元は神道なのですね。
中山みきが今でも生きていて、皆を加護してくれているという発想から、私は高野山における弘法大師のことを思い出しました。両者ともに現身でしょう。密教と神道との結びつきについて思いめぐらせました。
名阪国道の無料区間の終点ということで天理市街には何度か行ったことがありますが、次回来訪時には違う視点から天理の街を見ることができそうです。

まずは平田篤胤を勉強してみたいですね。平田篤胤の国学も神道以外の要素が入り混じっているようで、こうした点がまた面白いなと思っています。

諸々学習することがあり、大変幸せだなと思います^^
感謝です~♪

プロフィール

「保土ヶ谷パーキング。エアコンレスで来た。ここ一週間ばかり続いている咳喘息の如きものが地味に苦しい。」
何シテル?   08/15 17:05
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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