2011年03月12日
不謹慎や自粛という空気・言説に関して ~東北地方太平洋沖地震後のみんカラを拝見して~ ※地震後覚書含む
昭和天皇が病臥されておられるときに、自粛ムードが蔓延していました。
時はきらびやかなバブル景気でしたが、あの煌々とした秋葉原の街灯りがまったくなく、びっくりしたことを覚えています。各地で自粛なるものが催されていました。
今の状況はそれと似ているような気もします。
私個人は、実際に被災されている方々・地域以外の人々が、何か明るい話題(地震と関連のないオフ会の事柄など)をアップロードしても、まったく構わないと思います。
オフ会の楽しい出来事をアップロードすることと、被災状況に関する哀悼の意や問題解決に互いに関連性はありますか。
こういう場合、被災者の方々の心情を思いかばって、自粛なりをするという心情・原理に基づいていると思います。
それはそれでいいと思いますが、それって、本当に被災者のためになるのでしょうか。被災者の方々が、楽しいブログを見て、「貴様らこんちきちょう」なんて思うだろうからやめましょうなんて思っておられるのでしょうか。
楽しい話題を自分の心の赴くままにアップロードすることにより、「不謹慎」だとか「自粛」という名のもとに、断罪されてしまう構造。
人はそれぞれです。状況もそれぞれです。
被災者の方々や被災者地域についての応援や情報提供はとても有意義で尊い行為だと思います。
しかし、過度に自粛だとか不謹慎だという風に、表現の幅を狭めるようにしてしまっては、どうしようもない。
仮に、自粛をして被災が解決されればそうすべきでしょう。
でも、自粛をして被災が解決されるのでしょうか。
被災に関する事柄と個々人の考えに基づくブログの内容は別個に考えるべきというのが私の見解であり、巷流行っている(?)タグについても同様です。
タグの付け方だって、そのブログ本文に関連のあるワードを付けるのが通常ですが、どうしても見てもらいたいときには耳目を引くタグを使わざるを得ない切実な状況もあるでしょう。タグ一つにしたって、そんな一義的に「このタグはけしからん」という具合に論じられるものではありません。
タグについて不快を覚えるならば、無視すればよいではありませんか。
無視をせずに批判をするから、ますます状況が大きくなる。
そして、その状況とは被災者救援とは全く関係ないものになりますよね。
たとえば、私には東北(福島が多い)に友人がおり、また先のブログでも記しましたが母方の祖父母が原発に比較的近い街にいます。間接的ながら生命の無事を確認しましたが、屋根が倒壊し水道が断水したということ以外は、現状もわからず、未だに直接的に連絡は取れません。
自粛をされるのも自由ですし、結構ですが、自粛をされようが楽しんでオフ会などをしてアップロードしようが、祖父母の状況とはまったく関連がありません。
この点について、よくよく考えていただきたいと思います。
人の意見はそれぞれです。ですけれど、不謹慎という表現によるブログへの弾劾やタグの付け方の不作法などの論議は、被災状況解決との関連性が見出せません。
ある種の外野の論議とみなされても仕方ないと思います。
むろん、再三申しますが、善意でそうしたことをされていることはよくわかります。
本当に人間というものは心優しい存在なのだということを再確認しているところです。しかし、一方で人間というのはいかなる状況においても、固定化した思考ではなく、もっと俯瞰的な視野で眺めなければいけないと思います。
被災された方々には余裕がないにせよ、みんカラを書いたり、閲覧している余裕がある方々はひとまず生命は無事な方々でしょう。
他人がどういったこういったということより、自分自身がどうするかということを考えてみてください。
「自分は何もできないから募金でもしよう」「被災者の悲惨はわかるけれどどうしようもないな」「家族の安否で精いっぱい」などなどご自身が現状無理のない範囲に軸足を置くべきでしょう。それは道徳的・倫理的に批難されるものではありません。
ゆえに、無理をして直接的な貢献をしようと思う必要はありませんし、現状はほとんどの人には無理です。
批判の応酬をされたいのならともかく、本当に被災について思い馳せるならば、ひとまずは他人の見解ではなく、ご自身がどうするかについて考えたほうが、まだしも実効的なような気がしますね。
特に感情的な表現をされている方は、問題解決とはかなり隔絶した場所にいるような気が私にはいたします。
【追記】祖父母の安否は母親が確認したものですが、詳しい事柄がわからないというのが現状です。そして、私は直接連絡が取れていません。余談ですが念のため。放射能云々もいまは現場に任せるほかないでしょう。化学物質が飛散するといった流言が出ました。放射能についての皆さまのご意見が流言と申すつもりはありませんが、もっと幅広い視点で見てみませんか。インフラも破壊された極限の環境にいて情報が錯綜しているとき、あなたならどんな処置をとりますか。
私たちは少なくもネットができるほど安全な環境にいて、東京の場合、余震の危惧はあるものの、東北地方の方々に比べれば、遥かに心理的余裕があります。
【震災後の都内の様子の覚書】
(3/13)在京キー局では、テレビ東京が震災報道以外の通常番組に移行を始めているようです。震災関連の情報はテロップにて流しています。津波情報のみはCM中でも表示されます。関東では私の知る限り、J-COMというケーブルテレビ局以外は震災報道一色だったので、新たに記してみました。別にここに価値判断を持ち込むつもりはなく、報道の経過と局ごとの報道姿勢の比較をしてみたかったまでです。
なお、東京MXテレビも通常放送に戻っているようです。
(3/13夜)
テレビ等でご承知のとおり、東京電力管内での計画停電が明日より始まります。
停電時間以外でも、できる範囲で節電をすればいいと思いますし、私たちがやれることでやりたいなと思うことだけを行えばいいのだと思います。
都区内でも計画停電があるようですが、地域ごとの詳しい停電時間はご自身にてご確認ください。
(3/14)
計画停電はいまのところ避けられた模様です。情報が二転三転しているので、わかりませんが、ゆえにこそ自分の勘を信じ、また自分をしっかり保ちたいと考えています。そして、再び私のできる範囲で節電等を行ないたいと思います。なお、都内の天気は本当に和やかな快晴で、いかにも春めいています。
(3/14夕)
東京区部某所にいます。食料品では米や水が売り切れの店舗が多いですね。水は自動販売機で購入すればいいでしょうし、野菜などはまだたくさんあり、安心です。トイレットペーパーも代用が利くでしょうし、かつてのオイルショックのときに比べたら格段に民度は安定しているかと。ガスについては、まだ給油をしていないので、ちらっとスタンド覗いただけです。価格はいつもと変わりませんが、混んでいます。相変わらず幹線道路の一般車通行量は多く、都内に限れば代替輸送機関がたくさんあるので、私には深刻に思えません。あくまで都区内一定地域についての私の主観的な感想です。当たり前にあったものに有り難みを持ついい機会かと私は肯定的に捉えています。
中部以西ではどのような流通状況なのだろう。東京にいると逆に中部以西の情報がわかりません。通常どおりであれば何よりです!
さらに追記。「何シテル?」にも記しましたが、いわき市在の祖父母と連絡がつきました。近隣から食料を頂き、本当に感謝しているとの旨の報を受けました。断水が続き、家屋屋根が崩落しているようですが、同じ市内の海沿い(小名浜など)で津波で亡くなった方々もいることですし、祖父母は恵まれていると思います。津波で亡くなった方々の遺族の方からも食糧の提供を得ているようです。相互扶助というのは素晴らしいなと思います。
なお、テレビで情報を得ているようです。少なくともいわき市の祖父母宅付近では被害は軽微のように思えます(他の地域との比較で私の印象ですが)。
(3/15)
予定がキャンセルとなり自宅。拙宅を含む地域では輪番停電は生じていない模様です。インフラが回復しだして、食料品やガソリンについて様々な懸念が評されています。過剰に溜めこんでも、仮にもう一度大地震が来て、家や自動車が倒壊したら元の木阿弥です。首都圏にはまだ余裕がありますし、中部以西地域の方々からの物品支援も期待できると思います。モノを循環させ、融通し合うという視点も大切ではないかと私は思います。もちろん、どんな感情を抱き、行動を取ろうとも、個々人の自由ですが。もっと幅広く俯瞰的な視野から考え、行動されるのが一番かなと私は思います。
(3/15午後)
関東地方でも通常の数十倍の放射能が検出されたようです(未確認情報ですので、どうか皆さまでご確認を)。お友達の方から早めに関東地方を出てくれというお言葉を頂戴しました。ありがたいご助言と感謝しております。しかし、もし、爆発が起きて関東に多大なる放射能が蔓延したとしても、関東の多大な人口が一斉に避難するというのは現実的ではありません。
いま大切なのはいつも以上に冷静になること。関東地方からの退避命令があれば従いますが、もし退避するときも私は高齢の方や子供を優先に退避させるつもりです。
私は頑健な若者です。こういう時にこそ、頑健な若者としてのお役目を果たすべきでしょう。むろん、これは私の意見です。冷静な対応をお願いいたします。
(3/15午後16時)
自宅前に置いてある愛車のエンジンをかけてみたいと思います。震災後から放置したままです。愛車も家族みたいなものですから。幸いなことに愛車内のガソリン量に余裕があります。道路状況が落ち着いているようなら、近隣を少し動かしてみます。お金の引き出しもしたいので(無論、徒歩でATMで行くことも可能な状態です)。給油についてはスタンドの様子を見て決めたいと思います。余裕がある様子なら給油させてもらおうと考えています(スタンドや地域によりまちまちなようなので)。いずれにせよ、まだレジャー用途としては使用できないでしょうが、スタンドに立ち寄った場合、その様子などを覚書として記したいと思います。
なお、洗濯物は念のため取り入れました。どちらにしてももう夕方ですしね。
では、皆さま心穏やかに今日もお過ごしください。
(3/15夕)
スタンドは軒並み閉店です。住まいの近隣に大きなスタンドがあり(八幡山シンエネ)、そこでは待たずにハイオクを入れることができました。
もっともスタンド沿いの道路で並びましたが、片側三車線あり、交通量が普段よりも少ないためか、交通に支障は出ていませんでした。
レギュラーは枯渇気味でした。レギュラー入荷は午後10時とのこと。
軽油も大丈夫です。
↑帰路(7時ごろ)、八幡山シンエネがまだ営業していました。一般乗用車も給油しているようです。委細はわかりませんが、ご確認はご自身にてお願いいたします。
次に食料品について。
ペットボトル水と芋焼酎とがセットになっている商品があり(もともとそういう商品ですよ)、焼酎好きなので一セット入手。
お茶のペットボトル六個入りの箱も買えました。一人一箱づつ。店内は空いており、非常に落ち着いた様子。
ただ、どこのお店も、水(ミネラルウォーター)や米がないですね。
水道や他の飲料を活用することで対応できます。うどんやそばならありますし、非常に安心です。
トイレットペーパーも探しています。これも節約やティッシュを使うなどして工夫です。
まあ何はともあれ、十分に食料はあります。また我が地域は平穏です。
以上、覚書でした。
とにかく、冷静にのんびりといきましょう。それが一番かと思います。
それとメディア放送はメディアを通じた目にすぎません。最終的にはご自身の判断力をしっかりさせましょう。私を含めて。
(3/15夜)
いつも独自のスタンスをとる「テレビ東京」が有り得ないフェラーリオーナーを訪問するというバラエティ番組(「ありえへん∞世界2時間スペシャル」内の一企画)を放映。オードリーや三輪明宏等が出演。個人的にはこういう番組を見たほうが安らぐし、面白い。普段はテレビを観ないけれども、ネットも含め、原発に関する報道一色の中だと安心する。
以上、個人的な意見を覚書として記す。
(3/15夜・10時半頃)
再び、強い揺れ有り。ただし、揺れの長さは先の三陸沖のものに比べれば短く、
倒壊もなし(まだ揺れているが)。静岡県震源の地震によるものだろう。東北震源の地震のすぐ後に到来した。テレビでの様子からすれば問題はなかろう。両親が現在、震源地方面に近いところに滞在している途上である。まあ、ケセラケラの精神でいるのが良かろうな。いい意味で地震慣れし始めている。
三陸沖当時の対応もそうだったが、どうも強い揺れがあっても落ち着いているのが私の性質らしい。そして、なぜか物事を記録したくなる。
ひとまず祈ることにしよう。そして、明るい気分でいよう。
以上も覚書。
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2011/03/12 20:51:06
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