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2011年03月27日

いざ鎌倉 長谷寺編

いざ鎌倉 長谷寺編 「いざ鎌倉」と勇ましい気概をもって、一路鎌倉を目指したわけでもなく、代々木で朝食を摂りながら、ゆっくりと古都を目指した。
鎌倉という街は学生時代に夜な夜なドライブにて訪問したことはあるが(峠があるゆえに)、思えば、古都を偲ぶといった風雅なことはしばらくしていないことに気づいた。
そこで、震災後になり、ようやく落ち着きを取り戻した記念に、鎌倉に向かったのである。走行距離も震災後の二回の走行ではいずれも五キロくらいだったので、鎌倉に向かうだけで、その十倍以上は走行したことになった。

さて、今回のブログは長谷寺編ということで、長谷寺に焦点を絞ろう。いや、いつもどおり脱線することは想定しているが、一応の目安として。

長谷寺は鎌倉でも著名なお寺で、市街地からやや離れた地にありながらも、観光客で賑わっている。大仏が鎮座している高徳院に近いことも大きいだろう。


折々の自然に彩られている素晴らしい寺院である

創建は奈良の長谷寺と同様、徳道上人・藤原房前(ふささき)(!)といわれている。
平城京に都があった時代(奈良時代)であり、相当に歴史は古い。
ところで、なぜ、当時ヤマト(奈良)からみて僻遠の地にあった鎌倉に長谷寺が建立されたのかは謎である。鎌倉というか東国一般は九州や近畿に比べれば、
本当に僻遠の地だった(近年はそれに異を唱える説も出始めてはいる)。



一応の説明はある。
721年に徳道上人の本願により、一本の楠の霊木から刻まれた二体の観音像のうち、一体を大和の長谷寺の本尊とし、残る一体を開眼供養の導師を務めた行基(!)により、海中に投じられたという。
それが、相模の国に流れ着き、尊像を鎌倉に遷座したということになっている。
近畿地方から相模まで木が流れ着くものなのだろうか。

さて、藤原房前が気になる。
645年の乙巳(いっし)の変において、天智天皇となる中大兄皇子とともに、蘇我入鹿を殺害したクーデター(どちらかといえば、その後の天智天皇の改革といわれている「大化の改新」の名で有名だろう)にて歴史上に登場する中臣鎌足(藤原鎌足)の孫にあたるのである。
鎌足自身も実のところ出自が定かでない人物で、中臣一族は東国出身であったとも言われているし、鎌足は朝鮮に当時あった百済の皇太子であったのではという説さえある。
その孫の房前が、東国の鎌倉にて長谷寺創建に関わったというのは非常に興味深いことである。
また、行基に関しては、彼は奈良の東大寺の大仏創建でも力を発揮した私度僧であった。つまり、国家公認の僧侶ではなかった。奈良時代では、僧侶は国家の公認する国家資格であり、行基のような僧侶は本来は認められていない。
しかしながら、長谷寺に関わらず、行基は実に各地のさまざまな寺の創建に際して名前が出てくる。彼は一体何者なのだろうか。

こうした古代のロマンに浸るのも楽しいが、あくまで長谷寺境内は
風景明媚で静やかな土地である。
鳥が池に佇むのどかな風景は、後背に迫る山とのコントラストを通じて、さらに美しく縁取られているかのようである。



この長谷寺は山裾がちょうど山門(入り口)になっていて、本堂に向かうためには階段を使わなければならない。その階段中腹にあるのが、地蔵菩薩の大群である。地蔵菩薩とは、もともと極楽浄土(阿弥陀如来が住んでいるところ)の仏たちの元で、自身も菩薩となって、私たちを見守ってくれる存在で、道に迷った衆生を助ける存在であるとともに、子どもを救ったり、早世した子どもが無事に極楽浄土に辿り着けるように手助けするとも言われている。



ちなみに、右手に持っている杖を錫杖(しゃくじょう)といい、山野をめぐるときにこれを突くことで、毒蛇や害虫から身を守るという。
なお、長谷寺の十一面観世音は錫杖を持っている点で独特である。
また、左手に持っているのが、宝珠(ほうじゅ)といい、災難を除き、願いをかなえる力をもつ珠とされている。
地蔵さんならば、皆さまのご近所に一体はあるだろうから、今度観察してみると面白いかもしれません。
なお、このたくさんの地蔵菩薩は千体地蔵といい、この世に生まれることのできなかった子どもたちのために供えられているとのこと。

さて、さらに階段を登ると、いよいよ本堂(観音堂)や阿弥陀堂が見える。
以前のブログにも記したが、阿弥陀如来とは、もともとわれわれと同じく解脱をしていない俗人であった。阿弥陀が修行している際に、48の誓いをたてたといわれ、その18番目の願いが、念仏をする人々を必ず救済するということであった。
ゆえに、われわれはいまでも「十八番(おはこ)」という言葉を使ったりするが、由来は阿弥陀の誓いにあるのだろう。
他者を救済するという思想はもともとの釈迦仏教にはなく、阿弥陀の18番目の近いはそういう意味で、仏教の教えにコペルニクス的な転回を与えた。
もっとも今でも釈迦の当時に近い個人単位での解脱を目指す一群も強く上座部仏教と呼ばれており、東南アジアで盛んである。また、解脱の道は一部に限られているとする宗派もある。
対して、大乗仏教と呼ばれる仏教思想は、人は誰でも解脱して仏になれるということを核としており、念仏を唱えることで極楽浄土に行けるという発想は大乗仏教的な考えに由来している。念仏称名が極楽浄土につながる発想は日本独自のものであるが。
なお、浄土とは仏が住まう場所であり、実にたくさんの浄土があるが、阿弥陀如来の住む浄土のことを、極楽浄土という。このことは先に触れた。
長谷寺にある阿弥陀如来像は源頼朝(鎌倉幕府創設者)が42歳のときの厄除けの際に建立したとされており、厄除阿弥陀とも言われている。

本殿に歩を進める。
高さ9.18メートルもある巨大な十一面観世音菩薩が長谷寺のランドマークだろうか。その黄金色に光った高貴な姿に手を合わせる老婆もいた。
写真撮影は禁止ということだったので(厄除阿弥陀もそうだった)、手元のボールペンでラフにスケッチしてみた。実際はもっとふっくらとしていて、富貴の相である。また、威厳に満ちており、スケッチにあるようににやけてはいない。



さて、十一面観世音菩薩という珍しい名前の由来だが、尊顔の上に十一の顔がひっついていることから名づけられている。
十一とは「たくさん」を意味する。なぜなら、指先で数えられるのは十まで。十一までは再び指を折らねばならない。そこで象徴的に十一をたくさんあるという意味で用いるようになった。
なぜ、そんなに顔が必要かといえば、いろいろな方角を見渡すことができるからである。視野を広げて、いろいろな人々の願いを聴くためにこれだけの顔を持っているのだ。
なお、観世音菩薩の観音とは、皆の願いや思いの声(音)を自在に観る(聞く)ことができるから、観音というのである。
ところで、観音扉という言葉があるが、あれはなぜにそう呼ぶのだろう。
それはともかくとして、長谷寺の十一面観世音菩薩は地蔵菩薩が持つ錫杖をも持っているため(先述したが)、地蔵菩薩の力も兼ね備えているということになる。

さて、本堂まで登りきると相当の高台にいたることが理解できる。
眼前に鎌倉の家並みが見え、そう遠くない位置に相模湾が見える。実に眺望が優れた場所なのである。



さらに、もう一踏ん張り登ると眺望はさらによくなる。鎌倉と外部を隔てる山の頂に非常に近い場所に至る。鎌倉に来たならば、高台まで来なければ。
そう思うひとときである。



ここで再び、観音について考えてみたい。
これまた撮影禁止の秘宝なのだが、観音三十三応現身立身像という数十個(三十三あるのかどうかは確認できていない)もある像が一斉に立ち並んでいる。鬼の形相をした像もいれば、貴人のようないでたちをした像もいれば、いかにも仏らしい姿をした像もおり、これらが並ぶさまはさながら兵馬俑(始皇帝の墓から発見された馬や兵士を模した大量の人形群)を彷彿させるが、思想的にはこちらが断然優れていると思う。
これらの像は実は皆、観音菩薩の姿なのである。
観音菩薩は天上界・人間界・地獄界・餓鬼界・畜生界など、その世界に合わせた姿をして、そこにいるものどもを救済すると言われている。まさに変幻自在の存在であり、「あの人は観音様のようだ」と人が言うとき、人は無意識に観音を意識しているのみならず、観音の変身した姿そのものを観ているからこそ、こうした表現が口に出るのであろう。

長谷寺にはまだまだ見所があるが、ひとまず冒頭の鳥が池に佇む山門まで降りることにする。岩窟がある。



弁天窟と呼ばれ、岩窟内に弁天を模した石像や弁天に奉仕する童子が鎮座している。身をかがめながら岩窟奥に進むと、そこらじゅうに小さな弁天像が置いてあり、ジオラマでも見ているような気分になる。
なお、弁天(弁財天)とはもともとはインドの神であった。
弁財天を含む、七福神は恵比寿以外はすべてインド(弁財天・毘沙門天・大黒天)と中国(布袋尊・寿老人・福禄寿)が発祥であり、現在のように福神を参拝するようになったのは江戸時代になってからのことである。
長谷寺には大黒天の像も置いてあるが、日本に伝来した頃は今とは異なり怖い顔をしていたという。
それが出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)と同体であるとする考えがいつのまにやら広まり、いつのまにやら福をもたらす極めて親しみやすい神となった。
大国主命については、出雲大社に祀られた存在でヤマトに滅ぼされた出雲族の主ではなかったかとも言われているが(いわゆる「国譲りの神話」としてほのかに伝えられている)、今はさておく。

弁天である。さまざまなご利益があり、これは現世利益が盛んだった江戸時代の影響と見られるが、特徴的なのが、芸事や財宝に関する神様として認知されたことであろう。だから手に楽器を抱えているのだと思われる。
財宝に関する神様だから、銭を水(それは日本では穢れを落とす清浄な空間である)に入れるような慣習も生まれたのだろう。それならば、同じく財宝(と長寿)を扱う福禄寿については、銭を水に浸す習慣が無いのはなぜだろうという話にもなるのだが。

なお、長谷寺近くの御霊神社にて福禄寿は祀られている。
ここでは御霊という言葉に注目していただきたい。
日本は古来より怨霊という死者の祟りを恐れた。その恐れの克服としてついに平安時代に、怨霊をきちんと祀れば逆に人間を救ってくれるという思想が発達した。これを御霊(ごりょう)信仰という。
京都の御霊神社が有名だろう。
それが、なぜに福禄寿と結びついているのかはわからないが、日本という国はこのように謎に満ち溢れていて、楽しい国だなとつくづく思う。
いい意味で、いろいろなものを取り入れ、改変してきたために、もともとはなんだったのかがわからなくなってきている。
ゆえにこそ、謎解きとしてはこの上なく面白い風土なのだ。
もっとも、和を尊んだり、言葉が現実化する(言霊)を信じるという点で、現代日本人は今でも万古不変の思想(宗教)を保持しているとも考えているが。

時代を遡る。
江戸時代では、流行神(はやりがみ)と呼ばれ、流行のようにどこぞやに何々のご利益があると聞けば、皆が競って、それを拝んだ時代であった。こうした残滓が今にも残っている。
なお、鎌倉の隣の藤沢市に位置する江ノ島神社が弁財天を祀る社としては有名である。
江戸期以前も日本の思想風土はごたまぜを許容する文化であったが(たとえば、日本古来の神道と仏教を合体させた神仏習合など)、江戸期になり庶民の欲求が俗世的になり、ますますごたまぜになり、高度な形而学を持つキリスト教などの宗教に比べ、自分たちには宗教がないと考えてしまう傾向が加速化したように思える。ただ、無宗教と呼ぶことにためらいを感じるのは、以上に述べた事情ゆえであろう。

長谷寺は単純に景色を楽しむだけで満足できる素晴らしい場所だが、仏教にせよなんにせよ、歴史的知識を多少持っているとさらに楽しさが倍増するであろう。
そして、十一個の顔を備えた奇妙な観音の姿の意味合いなどもわかるようになり、その意味付けの合理的説明の見事さに驚嘆する場合もあるだろう。
私自身は日本の宗教というものについてよく知らなかった。ほんの二年ほどのことである。元来、寺社が好きだったわけではない。
ところが、宗教について学んでいくうちに、寺社に行くのが楽しみになった。
ついでに宗教という人々を魅了する価値観を生み出す社会に興味を持ち、社会の連続体である歴史にも興味を持つようになった。
正直に言えば、鎌倉は自動車のドライブとしては適地とは言いがたい。
鎌倉市街に入る道が限られており、市内の駐車場は東京ばりに高い。
ただ、それでもドライブする価値があると思えるようになったのは、自分自身の上に述べた関心のあり方によるものであり、その点、私は非常に恵まれている。
地蔵菩薩や阿弥陀如来、観世音菩薩たちに加護されているのかもしれない。
少なくともそういう風に考えることで、私は過去から蓄積されてきた人間の思想という智恵とつながることができると思っている。
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Posted at 2011/03/27 01:39:45

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