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2011年05月23日

《本邦初公開》私がご飯を必ず平らげる理由をお教えしよう

《本邦初公開》私がご飯を必ず平らげる理由をお教えしよう
実家が畑を借り始めて、早二年。
最近ではいろいろな作物を栽培している様子。
都市生活者なのに本当に器用だなと感心してしまう。
親父なんて五年ちょっと前までは、東京都心の某大手メーカーでばりばり仕事をしていたのに、大したもんだ。
同時にばりばりと遊んでいたのかもしれないが、それはそれでよし。そうならば、私も相伴したかった(笑)
閑話休題。。


東京駅八重洲口。まさに都心でしょう。

さらに余談をしばし。
先だって私が渡した岡林信康のコンサートに両親が感動した模様。
送られてきた携帯メールによれば、「我が青春(ハートマーク)」だそうだ(笑)
しかし、それだけの魅力があるんだろうな。そして憧憬と懐かしみの気分が到来するのだろう。たとえば、桑田佳祐がもう少し歳を取った時に、両親と同じような気持ちを覚えるのだろうか。しかし、桑田(サザン全体)が有名になった『勝手にシンドバッド』が鮮烈に登場した時代といえば、私はまだ乳児期に過ぎない。
だから、デビュー時からリアルタイムで聴いていたとはいえないだろう。
両親にとっての岡林信康のような存在は、私にとっては誰になるのだろう。
ユーミンもよく聴いていたけれど、やはり一世代上の方たちにとっての青春なんだろうな。

岡林信康の時代 ~アンチ権力性の最後の華たる70年代~

さて、この畑は、ものすごく山奥のかなり上の場所にあり、当時の仕様のプリメーラ(今より若干車高が高かった。指一本分くらい・笑)でも途中までしか行けなかった(笑))
『こち亀』の大原部長の家(今は周辺開発が進んだんだっけ?)に向かうがごとく険路をひたすら行くという感じで、畑まで辿り着けるクルマといえば、軽トラだけ。
最初は蔦を切ったり、土地を馴らしたりと、農地としての土地を作ることから始めたもの。開墾地主の気分ですな(笑)

歴史与太話を一つ。
奈良時代を中心に律令制度というお隣のチャイナの制度を真似た制度が導入され、土地は国家による公有制となった。
しかし、その原則は早くも崩れた。墾田永年私財法なんて聞いたことがあるでしょ?
朝廷で威を張るようになった藤原氏は荘園というものを作り、盛んに私有化した。
すると、各地で開墾して土地を私有した人々は、その土地の所有権の安定性を確保するために、藤原氏に若干の名義料を払うのみで、土地を寄進した。
藤原氏の反映はこうした荘園による収入が大なのだが、逆に国家財政は破綻し、芥川龍之介の『羅城門』のごとく、朽ち果てて、盗賊が跋扈するような状態となったのである。そのうちに土地の唯一の所有者である天皇の荘園までできたのだから、この制度は日本には根付かなかったといってよい。

さて、畑での開墾作業を通じて、
平安時代に荘園が普及してから、土地を切り開き、武士階級のもととなった平安時代の農民達の労苦と土地への執着がよくわかった(笑)
源頼朝が推戴される理由がよくわかったのだった。また、歴史の話に戻るが、当時は土地の所有権が不安定だった。だから、荘園地主たちは所有権を保証するとともに、土地争いについても公正に判定する人物を探していたのだ。それが、源頼朝だったわけだ。彼は源家というもともとは皇族であった一族(皇族から臣民身分になったのが源家や平家である。これを臣籍降下という)なので、身分格差にうるさかった当時では、人々をまとめる存在として適していたのだ。さらに、頼朝は長年、伊豆に軟禁されていたから、農民たちの土地にかける情熱というものをよく理解できた。
かくして、土地の所有と引き換えに一所懸命に軍事などの奉公をする武士(もともとは土地開墾をしていた農民たち)による鎌倉幕府が誕生したのだった。
ところで、土地の私有にかける情熱は、現在では大陸チャイナでものすごいらしいが(チャイナでは土地など不動産の所有権は認められていない)、それ以上の熱意だったのだろうと想像される。


秋田県大潟の田園を臨む。私はどこへでも行くのだなと感心。
自分にイイね!を付けたい気分です(笑)


この彫刻の男性は農業従事者ではないと思います(笑)
あくまでイメージ図です(笑)

話を戻そう。
土地にはみかんの木がもともとあったので、摘み取りに出かけたこともあった(画像・撮影は親父による。せっかくの機会だから一枚撮ってくれと頼んだ)。
一つのみかんの木から溢れ出る渋谷交差点の人並みのごとく、みかんの実がなることにびっくりした覚えがある。インドの人口爆発もかくやといわんばかりに実っていた。
まあ、それだけ豊饒な土地だということですな。

農家の方や農業と関わりのある仕事に従事されている人々にとっては他愛のないことでも、私にとってはとても貴重な経験だったのですね。
その貴重な経験を元に農業をやろうとは思わなかったけれども、私たちが食事を食べられるのはすべて大自然がめぐらせる豊饒さと、その豊饒な現場に従事する人たち(農業従事者)で、そこから流通・加工・精製・販売といったつながりを想像すると、
私はいただいた食事は必ず平らげようと思うのだ(笑)
もっとも胃袋頑健で、たくさん食べられるという点もあるし(テラメシもいける・笑)、好き嫌いがないことも大きい(幼児期までは好き嫌いだらけだったが直に解消された)。
逆に食べなくとも平気な体質なのだが、それはともかく、食事は平らげる。これは倫理的・道徳的な問題というより、習慣的なものなのかもしれないな。
しかしながら、自然の豊饒さが食卓に上ることについてのさまざまな過程についての賛美の気持ちは変わらない。


日々是感謝也。

以上、今日のブログもかっこよくしめてみました(爆)
今日はテニスラケットのガット張りとグリップ巻きが完成するから今から楽しみなんだよね~~
テンションアゲアゲです♪

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Posted at 2011/05/23 16:04:36

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この記事へのコメント

2011年5月23日 19:13
一所懸命ですね。
この武士の土地への執着を奪ったのは信長でしょう。
ただし信長も「本貫の地」は安堵してましたから、完全ではないですね(^^;)

鉢植えのように武士を転封する体制は秀吉からでしょうか。
江戸時代は頻繁に大名の転封が行われていますよね(^O^)
コメントへの返答
2011年5月24日 2:32
赤ビートさんは博学のみならず、賢い方ですね。要領を絞り、簡潔にわかりやすく文章をまとめる。素晴らしいと思います!

「おっしゃるとおりです」
だと一行で終わってしまうので(笑)、続けます。少し冗長に書きます(笑)
赤ビートさんにご説明するというよりは以下、半ば覚書的に記述します。

信長が登場するまでは、皇族も公家も僧侶も農民も皆、土地に関して、いざこざを起こしていました。そのため、自衛のために農民は武装するのが当たり前で、寺社も僧兵や神人(じにん・神社の傭兵)を雇っていたのが、長い日本史の姿でした。
信長は僧侶の持っていた利権(自分で勝手に設けた関所からの金銭徴収など)や兵農分離(信長以前では農民は同時に戦闘員としても駆り出されました)の政策を推し進めたことで、日本の土地争いはほぼ落ち着きました。
しかし、信長は志半ばで倒れたので、日本全国での土地のいざこざに終止符をうったのは秀吉でしょう。おっしゃるとおりです。
武士階級以外の武装解除も秀吉の刀狩で完成したといえるでしょう。土地については太閤検地で鎌倉幕府とは規模が違う全国規模での土地の把握がなされました。
信長は商業にも力を入れており、時代的にも貨幣経済が進んでいたため、脱土地思想を活かすことができたのですが、それにしても今では信じがたいほどに寺社が権力を持ち、農民が武装している時代に、よくも日本を改革したものです。その実行力が凄いところです。
因みに、私たちが、お坊さんというと、丸腰であるとイメージしてしまうきっかけも信長のおかげかもしれません。
比叡山焼き討ちも寺社権力解体への強い意志ですね。時代が生んだ天才です。
家康の時代になってからは、再び米が中心の経済となりましたが、貨幣経済が衰退していたわけではなく、それゆえに大坂(現在の大阪)の船場・堂島などは、全国からの物資を集積して栄えました。樽廻船が有名ですね。
余談を挟めば、京・大阪からのものを「くだりもの」といい、これが「くだらない」の語源になりました。
さてしかし、名目上は米が中心の経済だったため、武士階級は米を貨幣に変えなければならず、しかも米の支給日が一緒だったため、相場の安いときに米を売ったため、困窮していきました。そういう意味では江戸幕府の改革者として田沼意次(商業重視の政策を進めようとした)が評価されてもいいと考えます。
家康は統治の天才で、譜代の大名や外様大名をたくみに配置するシステムを構築しました。頻繁に転封(領土移し変え)が行なわれ、大名勢力は軒並み弱体化し、武士階級も士農工商政策により、農民と完全分離され、以後は平和が続いたために、もっぱらインテリ層になりました。

という具合に教科書でも書いてみたいですね(笑)
私なら天文法華の乱とか、利家と信長の○○関係など、あまり知られていないけれど、当時の文化・社会背景を知るのに重要な要素を取り入れます。
超まじめなレスでした(笑)
が、ドライブと同様、赤ビートさんの見識のおかげで、歴史への意欲が増しました。ありがとうございました~!

付記:「くだらない」はくだりものではないので、そう呼ばれました。江戸近郊の物産のことを指します。
ですので、正確を期すれば語源とはいえませんね。
2011年5月23日 23:53
こんばんは(^^)

うちの場合は、親の躾が大きく影響し、食べ物は残さない性質になりました。
お陰で大分重量オーバーしてしまい、母親に会うたびに「間違ったかねぇ~」と言われてます(+_+)

うちの奥さんもそうですが同世代は皆「目がつぶれる」とか「食べ物を粗末にするな」で洗脳されているので、頼んだものは時間掛かっても確実にお腹に収めるようになっているようです(^^ゞ
コメントへの返答
2011年5月24日 0:04
こんばんは^^

お米だけは残すなということは私もよく言われました。
それでもお米が好きになれず、欧米人のような食生活をしていた亡祖父とともにパンばかり細々と食べていたのに(夕食ですら・笑)、今やお米大好き人間です(笑)

食べ物を残すも残さないも自由だと私は思いますが、やはり頼んだからには無理のない範囲で味わいたいなと思っています。
単純にご飯をいただくことで、エネルギーが湧くからありがたいなという程度の気持ちでよいのではないでしょうか。
親からの躾はかなり影響を及ぼす場合もあるでしょうが、いい意味合いでの洗脳だと思うので、できるだけおいしく感謝の心をもってゆったりと食事をする時間を長くする程度の工夫で楽しめばよいかなと思います^^
これは精神論ではなく、合理的な論理で申し上げております^^
心地よく食べたほうがおそらく消化も良いでしょうし、身体に与える影響も良好になると思うんです^^v

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