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2011年10月19日

近江・若狭紀行 湖西朽木を行く

近江・若狭紀行 湖西朽木を行く
承前

琵琶湖界隈の狭隘ながらも殷賑を極めている大津市街は、東岸に琵琶湖を湛えているせいか、非常に明るい感触がする。燦々としているという表現が似つかわしい。海沿いの道路を北上していってもその風は変化しないどころか、都市型の高層住宅の家並みが見当たらなくなるためだろうか、湖岸沿いからの眩しい光がなお一層強まってくるような気がする。

琵琶湖大橋の手前の堅田という辺りで自動車が混雑してきたので、進路を西へとることにした。もとより、私は湖西地方(滋賀県の琵琶湖西部地帯のことを指す)という山がちな地域に進路を進めようとしており、平らな地面に豊かな田園風景が広がる琵琶湖の東岸とは対照的な風景と対峙するつもりでいた。
琵琶湖を離れると、なんだか急に風情が雛さびたようになり、さらに北上するといよいよその感が強まり、やがて杉林に覆われた山岳に左右を囲まれるようになる。
もはや、琵琶湖の広大な湖水を眺めることはできず、山岳に囲まれた一本道の国道367号線沿いには、所々集落が存在するのみで、国道以外の道といえば、その集落に行くための道だけが存在しているような按配である。そのような光景である。
国道は快適なワインディングが続くが、少し前までは道路が狭かったらしく、ようやくにして拡張工事を行っている場所も見受けられた。それくらいに雰囲気が大津を北上すると異なってくる。

ワインディングの快走路の左隣に渓流が流れている。琵琶湖に注ぐ安曇川の上流らしい。車窓からちらりと見ただけでも、水の透明感がわかるくらいに清らかで、現在高島市となった市域に入ってすぐにある朽木(旧朽木村)に入ったときに、試みに渓流を横断する狭い幅の橋を渡り、朽木のなかに複数ある集落のとある一角に向かうことにした。







いかにも古民家という雰囲気が濃厚な集落には山々が迫り、眼下に清らかな渓流を眺めることができる。私は土手上にある一角に腰を据えて、清らかな水の流れの紋様や水底の粒子の細かな砂利をしばらく眺めていた。
幸いにも天気が快晴で暑いくらいの陽気であったから、半そでシャツ一枚にいでたちを変えて、飽きずに流れてきては消えていく渓流の水の動きをひたすら観察していた。時間の流れが実にゆったりとしている。







朽木といえば、朽木氏という土地の豪族がいて、面白い話がある。
戦国の昔、越前の朝倉氏討伐に向かった織田信長(徳川家康も連合軍として合流)は越前金ヶ崎(敦賀)にて、絶対中立を守ると思われていた浅井氏に裏切られ、もはや逃げ道が無くなってしまった。
ちなみに、近江今浜(現長浜)を根拠とする浅井氏は信長の妹のお市の方が嫁いだところで、秀吉の側室となる淀殿や徳川二代将軍秀康の正妻となるお江などは、浅井長政とお市の方との間に設けられた子である。もう一人、お初というこれまた京極高次という大名に嫁いだ子と合わせて、彼女たちが戦国期に慄然と輝いている様子はまるで奇跡のようである。
女性がかくも揃って歴史の表舞台に登場するという様子は、男性中心と言わざるを得ない歴史世界においては、類い稀と言えるのではなかろうか。
信長は妹を嫁がせてまで友好関係を保った浅井氏に裏切られたのだ。

四方八方に取り囲まれたときの人間の行動というのはたくさんあるが、このときに信長がとった手法が雲隠れであった。側近にも知らせずに密かに金ヶ崎を脱出した。
同盟者の家康ですら知らされていなかった。そのようなことを平気でできるところに信長の天才性があると私は思っているが。

さて、逃げ道としても周囲は敵だらけ。京都まで戻ればなんとか一息をつくことが出来るが、京都までどのようにして戻ればよいのだろうか。
ここで、戦国時代そのままを体現したような松永久秀という人物が登場する。
彼は下克上の戦国そのままの人間で将軍や主家を殺し、また大仏を焼いたりと、秩序の乱れきった戦国の世の中を体現しているような人物であった。
ただし、信長が上洛したときに幕下に入った。狡猾な人物だけに、人を見る目があるのだろう。このとき、久秀は信長に近侍していた。

久秀は当時の朽木家の当主であった朽木元綱と親交があり、したがって、越前敦賀からの逃避行は久秀の建言により、山深い湖西の道を通ることとなった。湖西を経由すると確かに京都までは近い。
朽木元綱はこのときに信長を歓待し、その後信長麾下に入る。
この逃避行を「朽木越え」という。
なお、仲介の労をとった松永久秀は数年後に信長に反旗を翻し、名物茶器と共に爆死した。

しばし朽木とは別の話をする。関ヶ原の戦いは戦略面での家康の狡猾さが勝敗の肝となったといえる。関ヶ原の合戦陣地配置図を見ると、明らかに西軍が有利なのだが、西軍は結局、不統一で統帥格の毛利輝元は大坂城(明治期までは大阪ではなく、大坂と表記した)に居座ったままだったし、実質的な西軍指揮官の石田光成(彼も近江出身である)は禄が少なく、また人望が無かった。
ゆえに、裏切りは無論のこと、いざ合戦が始まっても日和見を続ける大名が続出し、結果、家康は天下を制したのである。
朽木元綱は信長の死後に秀吉に仕えた。さらに秀吉の死後は西軍の一員として関ヶ原そんな不統一な西軍に属し、東軍に寝返った一人であったが、果たして定見があったのかどうか。或いは、もともと東軍側から諜略の手が伸びていたのか。そのあたりの事情については私は詳しくしらない。
戦いの後は、事前に東軍との関係を明らかにしなかったということで、一万石以下に所領を削られてしまったが(戦いの前は二万石の禄があった)、とにもかくにも所領は残った。
元綱はその後、朽木で死ぬ。

話を戻す。
関が原の戦いは1600年のことである。今から四百年以上も昔のことであるが、当時からそれほど風致は変化していないのではないかという感を強くもった。とりわけ、朽木の集落を囲む山々と実に清らかな水の流れだけは、悠久の歴史からみれば極めて短い四百年ほどではほとんど変化しているようにも思えず、そういう意味では歴史的史跡には乏しいが、現在の風景そのままが歴史的史跡と化しているという風にもいえるだろう。
そして、私は朽木元綱の事績については細かくしらないけれど、やけに印象深く覚えていて、ゆえに湖西に進路を取ったといっても、それはあながち間違えではない。

現代的な遊び場を探すとすれば、渓流沿いにあるキャンプ場くらいであろうか。また、朽木を始めとした湖西地方は日本海側の気候に属し、ゆえに冬は積雪がある。したがって、いくつかスキー場がある。となると、冬場ともなれば関西圏のスキーヤーたちが湖西辺りに集まり、様相が変わるのかもしれない。
この季節ではさすがにまだ北国らしさを見出すことはできなかったが、霜月辺りにはぐっと冷え込んで、北陸と同様に時には豪雪に見舞われることもあるのかもしれない。とすると、山の高い位置から琵琶湖を眺めることができたとしても、それは霞がかった灰色の土地が展開している風であり、私が見てきた大津での実に鮮やかで明るい湖水の色とは正反対の印象を与えることだろう。



再び歴史の話をする。
古来より、北陸若狭で鯖が水揚げされ、京の都まで運ばれた。明治に至るまで輸送の主流は水運だったから、保存された鯖のほとんどは琵琶湖の水運を利用され、大津で陸揚げされたものと思われる。ただし、一部陸路で京まで運ばれた鯖もあるに相違なく、ゆえにだろうか、国道367号線は別名鯖街道と呼ばれている。朽木には数々の鯖の名物が販売されており、これほどの山奥で海の魚が名物とされるのだから、鯖の流通がいかに盛んだったかが偲ばれよう。
山間の道をさらに進んで、滋賀県を過ぎ、海からはまだ程遠い県境の道の駅に入ったのだが(道の駅は福井県に属している)、そこで売られていたのはやはり焼き鯖寿司などの、海水魚を素材にしたものが名物で、この点で、山間部に鯖の食べ物が売られているのは珍奇でもなく、正しく歴史の名残を留めているといえよう。



その鯖が水揚げされたであろう日本海に向かうべく、北上することにした。
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Posted at 2011/10/19 20:52:37

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この記事へのコメント

2011年10月19日 22:12
歴史を辿って旅をするのか、旅をしながら、歴史に触れるのか。。どちらにしても、面白みが増すのは確かですね^^

徳川発祥の地に是非いらして。
コメントへの返答
2011年10月19日 22:18
きっかけはどちらでもいいんですよね。
旅が物凄く充実していれば、それでいいのだと思いますよ^^v
あの辺り(湖西地方)は運転していて気持ちいいですし(笑)

徳川氏発祥の地はそういえば、乙女さんのテリトリーでしたね。
前々から気になってはいた場所の一つです。
徳川(松平)家は三河で勢力を興しましたが、その元が関東というのが面白いですよね。
家康は結局、関東に戻ってきますし、徳川家は新田源氏の末裔を自称しました。
必ず行きますよ^^v


2011年10月20日 0:04
朽木谷には以前から行ってみたいと思っているのですがなかなか…(^_^;)

朽木には他にも将軍足利義輝が三好長慶から逃れて潜伏していたという歴史もありますね。
コメントへの返答
2011年10月20日 11:14
実に落ち着く場所ですよ♪特に国道(鯖街道)を逸れて、集落に入るのがオススメです(*^-')b
集落から少し逸れると、もう一面が山と川に包まれるのどかで雄大で涼やかな世界が待っています★

安曇川の渓流の水が本当にきれいでした。安曇族の支流は琵琶湖沿岸に住んでいたのでしょうが、この山深い朽木に入植した可能性もあって、陸路の鯖流通ルートを考えたのは彼らかななんて想像したり(笑)
朽木付近の安曇川は水深が浅く、舟は使えなかったように思えます。

足利将軍でいえば、足利義晴も京の戦乱に嫌気が指して朽木に逃れたようですね。御座所はお寺として残されているようです。

足利義輝が朽木に滞在したからこそ、松永久秀も朽木氏とコネクションがあったのでしょう。結果として、信長は久秀の朽木元綱への説得のお陰で、なんとか逃げ帰ることができた。
そう考えると歴史は面白いですね~

朽木谷はずばりオススメです。
私は再訪する予定です♪
2011年10月20日 13:08
ワルめーらさん、こんにちは。
私も近江琵琶湖は好きなところのひとつです。
戦国時代の旧跡をはじめ、このあたりは話の尽きることはないですね。
以前、金沢の自宅へ帰る途中、大雪のなかを敦賀インターまで走ったこともあります。

司馬氏の歴史小説はよく読みましたが、街道をゆくは、まだ読んだことがないのですが、どなたか影響を受けた作家はいらっしゃるんでしょうか?

コメントへの返答
2011年10月20日 23:34
JZX100さん、こんばんは。

本当に近江に関しては紙幅が尽きてしまうのではないかと思うほど、書きたいことがありますし、また話したいと思う場所です。

湖西の冬というと相当な豪雪というイメージがありますが、さすがは雪慣れしていらっしゃるのですね。真冬の一乗谷など行ってみたいと思っていますが。

司馬氏の作品はかなり読みました。
短編なら「酔って候」で、長編なら「義経」が好きですね。
「街道をゆく」はこつこつと集めていて、もう少しで全巻が揃います。
文体や表現の構成手法についてはかなり影響を受けていると思います。

作家さんではないのですが、浅羽通明氏に影響を受けた時期もありました。以後、文章を書くのが好きになりました。

2011年10月20日 18:13
ワルめーら版「街道をゆく」ですね☆

いつもながら、素敵な紀行文を書かれていると思います。

運転席にあるカラフルな物体は、一体何なのでしょうか?

太田道灌が夢見た地に是非いらして(乙女さんのパクり)。


私事ですが、チョット気分が沈みがちでして…「テニス練習風景公開」の動画を拝見、プププッと笑わせて頂きました(^-^)/

コメントへの返答
2011年10月20日 23:43
どうもありがとうございます^^

私は日本の魅力を余すところなくご紹介したいんです。日本とはかくも魅力的な土地がたくさんあるのだぞということを知っていただきたいと考えています。
なお、若狭編では司馬氏も訪問しなかったであろう、とある半島への訪問について記すかと思います。

カラフルな物体。ああ、あれか(笑)
まだ、見せてませんでしたよね。
今度見せますよ^^v
お楽しみに♪

鹿○○ですね^^v
いや、マジで行きたいですね。あそこに道灌が本拠地を定めようとしたなんて。
だかチャンが案内してくれるんですか?ガイドをお願いしますよ(笑)

笑う瞬間が一番楽しいですよね。
どんどん動画を見て笑ってくださいね^^v

プロフィール

「辰巳第二で、匝瑳からお越しになった社長さんと二時間ばかり喋っていました。今日は風も心地よいし、こんな時間を過ごすのもいいなと思いながら、余韻に浸って身います😊」
何シテル?   06/21 18:13
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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