
あれほどまでに、西洋文化の啓蒙をしていたかの福澤諭吉か早くも西南戦争前には、
近代への懐疑について考えていたようで、彼が西南戦争後に出版する予定であった「丁丑公論」は言論規制の厳しさを憚ってであろう。発刊されたのはその数十年後となる。
明治維新は開明的であるという見方が近年批判されてきている。保守陣営は司馬的な日本のくにのかたちを作りあげた源流としてそれを評価し、左派のたとえば、講座派のマルクス主義者は、明治維新を歴史の発展段階の一段階として(封建主義から絶対主義への移行。マルクス主義的にはここから民主主義、そして社会主義革命、共産主義革命という風に歴史が進化していくことを理想とした)、評価を与えている。
詳細はともかく、ひと昔前の常識は通用しないことが多い。とはいえ、存外に核となる部分は変わらないような気もしている。
ホンダのS660 というクルマがある。ご推察のとおり、半日あまり乗ってきたのだが(スイフトを出動。座席の色味がインプにそっくりなのでゆりかもめにも乗ってきた・笑)、ホンダのクルマはバイクのような高回転型エンジンで、ふけあがりも驚くほどに鋭く、一方で、荷室や居住空間の確保などのパッケージングを両立させているものが多いように感じる。
思えば、50CCのNS-1にあったメットイン機構も利便性という観点を勘案したのかもしれない。
今回乗ったのはおそらく上のグレードのクルマでクルコンも付いていたCVTモデルである。エンジンが後方にあるというだけで、エンスーはなぜにこのように高揚するのだろう。
エンジン前置きであれば、高揚感を感じることも無かったであろうに。
フェラーリやランボなどのスーパーカーの影響なのだろうか。この辺りについてはよくわからないけれども、お江戸の街を出発して、まずはエンスーの聖地である大黒に向かった。
大黒にクルマを停めるや否や、ビートのオーナーにお声がけされ、自作のキーホルダーをくださった。ありがたき幸せであるが、オーナー自身もS660を何度か借りて乗っているらしい。私も当初はおっかなびっくり(駆動系が後ろにあるクルマにはちょっとした思い出が・笑)に乗ったけれども、後ろがものすごく安定しているような気がして、徐々にではあるが、
スポーツモードというボタンを押して、回転数を挙げて調子こくようになっていったのであった。いや、ホンダのスポーツカーは踏んだ時の鋭いふけあがりと音に陶酔するのが嗜みであるとさえ思っているので、これは致し方あるまい。
だが、ある人にはそれは大いなる雑音にしか聴こえないし(今は昔、デートしていた中国人女性がランボの爆音を聴いた瞬間にあからさまに罵倒していた。ランクルみたいなクルマがいいそうだ)、それがS660 というクルマをアンチ大衆的(つまり多数派からまずまずの支持を受けるクルマ)ではなく、エンスー車であることを許容させていると思う。
常時ではないものの、後ろからヒューヒューと音が鳴る点は軽自動車らしく可愛らしい。あとは幌付きのミッドシップということで仕方ないけれども、音楽はロードノイズとエンジン音である。
ただ、街乗りをノーマルモードで走る分には、クルマが醸し出す音楽を鑑賞しなくともよい。
乗り降りはしにくい部類なのだけれど、私はWRカーに乗り降りしちゃう人間だから、むしろ快適に感じてしまったが、鵜呑みにしてはいけません(笑)
ただ、荷室はないにしても、ダッシュボードもあるし(ロードスターにはない)、私には充分だと思った。幌に関しては開けるのが面倒らしいので試みなかったが、開ける気にはならなかった。とにかく運転への指向性がすごく強く思えたのだ。
俗っぽいいい方をすれば、異性にもてないクルマというやつだろう。
もてない人はビ〇ーパンツを履いて、ズル向けしても変わらないとは思うが。
かなりのクルマ遍歴をお持ちの年配の方、お二人がやはりお声がけしてくださり、あれやこれやとお話をさせていただいたのだけれども(うち、一方がアルファロメオスパイダーの3型をお持ちです>業務連絡)、大衆性とエンスー性がマッチした例といえば、かつてのマークIIのツアラーVとか、エボやインプくらいだろうか。
いや、マークIIはともかく、エボやインプは後部座席にもしっかり乗れますよというだけなのだけれども。インプの純正の足回り(涙目モデルのアプラウドC)はバリカタであるが
、それが快適だと思う人士はいかんせんマイノリティにならざるを得ないのだろう。

※先般、お会いしたご近所さんのLP5000S(さすがに500Sではないです)とホンモノの356
というわけで、このエンスークルマが気に入ったので、茨城まで行くことにした(笑)
昼前に借りたので、出発はおやつどきくらいである。
それほどにあのマイノリティにしか理解できない音楽を堪能したかったのだ。
岩間の愛宕山(絶景を愉しむことができます。が、知名度はいまいちの模様。クネクネとした道も用意されています。箱根の七曲りをソフトにしたような感じ)を登坂し、フロントが圧倒的に軽いことによる鼻っ面の良さにほれぼれとしてしまった。幸いなことに(?)、昔のミッドシップを乗ったこともあるので、あくまでもゴールド免許確定といわんばかりの安全運転ではあるが。
笠間の街から筑波までは、茨城ニュルの一つ(と勝手に命名。実際はそうでもない)である
道祖神峠越え。いや、最高っすね(笑)
コーナーで今少し臆病にならなければ、クネクネ道は最強。
どうりで欧州ライトウエイト車を中心とした某ツーリング集団がこういう道を好むわけだ。
インプもよく曲がるけれども、ちょっときっかけを作ったり、敢えて前荷重を掛けたりするという工夫はしている。
というほど、峠小僧はしていませんが(笑)

※さすが茨城。守谷サービスエリアのフードコートで何気なく頼んだカツ丼が絶品
はてさて、東京砂漠というのは恐ろしきもので、昔、エ〇本を拾っていた埋立地には高層ビルが乱立し、それがまたどれも同じように見えるものだから、返却場所がわからなくなってしまった。
まあ、おかげさまで、誰もいない立体駐車場をぐるぐると走り周り、美しい夜景を眺めることができたのだけれど。
祭の後の宴。
帰りは驚くほどに閑散としていて、たまに立ち寄る芝浦パーキングエリアもまた同様であった。しかし、芝浦とはいえ、特にパーキングの佇まいはそろそろ年季が入ってきた。なにせ私がイキって夜中に首都高に集結していたときから建物や構造には変化がない。エーエムピーエムが無くなったことくらいか。
これからいかなる血が自動車に注がれるのかはわからない。脱炭素だとか、様々に言われている。基本的には脱炭素は政治的なイシューだとは思うのだけれど(ハイブリッドや日産のeパワーや水素が本来の意義からすれば、循環社会のフェーズとしてはより最適となると思うが、この点はさておく)、長らく続いてきたものにはそれなりに効能があったからこそ続いていると思う。明治維新以後の日本にしても、批判的に検討するにしても、そこには一定の意義があったのだと思う。同様に内燃機関というのも、贔屓目無しで、今後とも効能を発揮すると思う。一般的にはわからないけれども、少なくともエンスーたちにとっては。
まあ、S660は軽自動車ということで維持コストも安いですし、別に常にレーシングサウンドを聴かせられることもないので、ずばりおススメです。あれで乗り降りがしにくいのであれば、ヨガで身体を柔らかくするといいでしょう。
ただ、ビートのときみたいに、踏んでもそれなりの速度ということはないので、速度の加減に要注意です。
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Posted at
2022/01/18 00:32:33