
鎌倉時代からの茨城の名族に佐竹という豪族がいた。その勢力もかなりのものであったが、関ヶ原の戦いののち、秋田に移封されてしまう。
そのときに、佐竹一族は領内の美人をねこそぎ秋田に連れて行ってしまったという。あくまで俗説に過ぎないが。
茨城都民が福島経由茨城泊 ポリタンクは親の仇
未明の事件があったものの、この日はなんとか持ちこたえてくれた。
翌日は油漏れや水漏れ、その他もろもろの症状が続き、コンプレッサーもダメになった。衝撃を通じて弱っていた箇所が一気にダメになったのだと思う。
廃盤になったSTIリップスポイラーも取り外すほかないというし、仕方ない
と素直に思えるように心がけたいが、今は無理だ。
そんな物分かりのいい人間ではない。
一方、頼みの綱のスイスポも入庫が決まっており、戦国時代の信長包囲網のような
気分である。特別に手配していただいた車両に加えて、おそらくレンタカーや代車も手配できると思うので、オートマ二台生活(ノートe-Power、インプレッサワゴン)に、しばらくはパラダイムシフトするものと思われるが。
某社の某車の打診はまことに申し訳ないけれども、シフト操作が怖いので、断りました(汗)
閑話休題。
朝、地元のスバルのディーラーに行ったのだけれど、そこの女性が秋田美人のような肌の白さと顔立ちを持っており、おそらく佐竹の目を免れた一族の末裔なのではないかと思われた。
非常に応対をよくしてくださったものの、整備工場の無い場所だったので、工場を手配していただき、店長と四方山話。
この日も暑くて、といってどこにも行く気持ちにもならず、茨城県民ならみなご存じのスーパーカスミで、今回の件について、諸連絡。とり〇さんもびっくりするほどの輪留め突破運転をされる老婦人もいた。いっときは隣に横付けされたので、辞世の句を詠もうと準備していたくらいだ。
私は安易に免許を返納させる風潮にはくみしない。クルマが無いと生活できない地域が日本では大多数なのだ。
それでも危険だから返納させるのか。それなら、買い物にいくための補助金を出すなり、コミュニティバス網を充実させたらどうだろう。
義母(現在、長期施設入所中)などは、義父が不在のときは、タクシーでわざわざスーパーまで行くような暮らしをしていたが、このような実情を都市部の人間は理解できるであろうか。
という日本の大多数の地域の実情の一つに町村合併という制度がある。
先のブログに書いた矢祭は敢えて自主独立する道を選んだものの、吸収された村落も数知れない。
アタリを付けて、旧桜村と思われる建物に行った。矢祭町と異なり、小さな図書室がある。規模の経済でいえばさもありなんという感じではあるものの、寂しさを感じざるを得なかった。
そうこうしているうちに、指定された工場に向かう。こんなところが茨城にあったんだ。群馬の太田の工場脇のような雰囲気で、ヤードは百台は収納可能である。用事もないのに無駄に行きたくなる場所ではある。が、クルマの販売はしておらず、素人お断り的な雰囲気もあるので、「あっ、すみません、ディーラーかと思いました。さーせん」とでも言いながら、入るのが良いかと思う。
このときは運転には支障が無かった。霞ヶ浦の北岸から対岸の火事を眺めたり、一面の蓮根畑に驚嘆したり、縄文時代の地勢を証明するかの如く、カキの化石が
そのまま岩山に張り付いている場所に行ったりするなど、いわばプチ観光。
観光客は来ないだろうけれど。
このあと、筑波山や霞ヶ浦が一望できる前方後円墳に登り、
因縁の茨城空港に向かう。空港や新選組の初代組長の芹沢鴨の生家に立ち寄ると、帰りに冷却水漏れするというジンクスがあり、後者はともかく、前者についてはまたしても予感があたってしまったのだが。
以前来た時よりも繁盛しているようで、「なんやねん、ぱーでんねん」という言葉遣いをしている方も多く、神戸方面から茨城空港に乗ってくる方も多いようだ。国際便もある。
つくば駅までバスがあるし、予約すれば東京駅までバスで行くこともできる。
駐車場も無料だし、規模的にもこれくらいの空港なら、「これからシンガポールまで出張して、クライアントと金属取引についての交渉をします」的なホワイトカラーが多数いそうな雰囲気も皆無で、地元民しか行かないようなメロン即売所
にいるような感じで心地よい。
メシも食べる気にならず、土浦に戻る。温泉に入り、思うところがあり(取材)、色街に行く。ここは東京から通いで来る女性が多い。その理由までは聞かなかったものの、引き寄せるなにほどかの要素があるのだろう。
ちなみに、彼女たちは東京の人間だけあり、クルマの免許すらない人が多い。
都内まで電車で帰ることになるわけだが、遅い時間のときは、専用の寮があるらしい。
って、桜町ばかり行っているけれども、桜川の河川敷と匂橋がとても心地よくて、好きなのである。川からの風が心地よく、初夏とはいえ、涼しさを感じる。

※イメージ図
このまま寄り道をしなければ、拙宅まで二時間もかからないのだが、駒形パーキングエリアで液漏れを発見してしまった。
ただ、帰宅できたことはよかった。
翌日に状態確認のため、ディーラーに赴いたところ、エアコンがぬるい。
まったくそれに気が付かない家内。
で、あちこちに不具合発見。
ただ、都心は混雑しており、郊外(といっても川崎)で休もうと思ったのだが、
昨日程度の天候でも暑い。
熱中症になりそうになってきた。
まったく動じない家内。
旧車乗りの方が付けているような扇風機を試しに買ってみたが、音が強力で怖い。
ちなみに、ダメ元でエアコンガスを補充したが、コンプレッサーからガス漏れ。従ってぬるい風しか出ないままだった。
そのうちに水温も上がりだし、ヒーター全開。
それでもまったく暑くないとのたまう家内。おかしいだろ。
やはり、この人とは根本的に合わない。たまにブログを見ているようだけれど、
合わないものは合わない。
水温も危険水域に入り停車。が、都市部なのですぐには停められない。
マジな話、茨城に移住しようと思った。
いますぐでなくてもいい。が、都市部でクルマ社会的生活を歩むと決めたのだ。
だったら、ほんとに郊外に移動してもいいと思った。
駐車場も安いというか、土地の敷地内に普通にある家も多いし、大事なのは、
オシャンティな都市生活ではなく、俺様のクルマ生活にとって快適な空間造り
ではないかと思うようになったのだ。ああ、エゴですよ。
もっとも、東京生活も長いと、たいして都会とも思わず、渋谷のいかにも未来感を表現しています的な街並みを見ていると、嫌気がさす。
その点、鶯谷みたいな街の方が自然体で好ましい。
が、お金はゼロになるまで使い、未来のことなど顧慮しないと決めているので(未来に希望を持つという発想がない。大事なのは今でしょ。場当たり的な享楽主義とは思いません)、どうかごひいきに。
そうそう、最後の未来のことについては述べたいことがある。
「将来が」と訪れてもいないことを案ずる気持ちは私にもある。でも、そういうことを言う人に限って、未来においても「将来が」と言い続けているような気がする。
世の中、金持ちがいいらしいけれど、どちらでもいいじゃないか。
金持ちであるかそうでないかという客観的な指標はない。自分が金持ちであると思えば、その時点で金持ちになる。こういう精神の機敏を習慣づけられると、私みたいに、しょっちゅうほっつき歩いても年収500億円稼げます。
詳しくはライン初回無料講座にて。