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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2021年01月10日 イイね!

ブラタモリならぬブラメーラ さりげなくボルボのR

ブラタモリならぬブラメーラ さりげなくボルボのR灯台下暗しとはよく言ったもので、近隣でありながら、ふだんはあまり通らない、ないしは、意識しない、ところを散策すると、まあ、様々な折々の人間の営みが見えてくる。

皇太子(だったよな)は道路というものに興味があったそうだ。英国の大学に留学したときの論文テーマも道路である。道路には単なる往来や運搬といった合理的機能以外のものが付随されている。

遙かなる上古の昔、我が国にも全幅10メートル級の道路が造営された。道は最短ルートを真っ直ぐにそこには確立された合理性があった。
しかし、権力者の失墜とともに、この壮大な道路はあっという間に土に還った。

それ以後も権力者によって道路整備はされたけれども、それは壮大さでは古代的道路には及ばなかったけれども、人々が集う村や市場に沿う形て作られたので、その後も長く使用された。東海道なぞいい例だろう。
逆に街道整備により、宿場町が整備された例もあるけれども、やはりそこには人々の営みが街道に活発にあったからこそ、発展してきたのだろう。

私も道が好きだ。近くには江戸中期頃から流行った大山詣り(だいせんではなく、神奈川のおおやま)が流行り、そのための街道が整備された。赤坂見附を出発点とし、三軒茶屋、玉川、長津田、伊勢原等を通っている。

つまり、何が言いたいのかというと、道を歩くのが好きだから、散歩してきましたということである(笑)
土曜日のことである。

まず環八に出る。
ここは未曾有の自動車横丁だから、散歩するとなると、あちらこちらに目がいって仕方がない。
そこで、レクサスLCのコンパチとRC-Fを眺めるに留めておいた。
あとは目隠しして歩いた。褌姿で。















二年ほど前まではやたらとレクサスに乗る機会があったけれど、例えば、LCにしても実に乗りやすい。
そこがトヨタらしさなのかもしれないけれど、LCってラグジュアリーカーだと思う。
だとすれば、当然ともいえるけれど、あまりにも優秀過ぎる気がした。ボロが無いから、印象に残らない気持ちが湧いてくるのだ。
エモーショナルな部分を表現するのは難しいし、人によってエモーションは異なる。
もしかしたら、こういう超が付くラグジュアリーカーは、それを生業としているところが有利なような気がする。
出来の良さを感じるときに、どうしても世界有数の優れたメーカーであるトヨタのことを頭に思い浮かんでしまう。ということを今思ったし、くれるのなら欲しいけど(笑)

23区も端っこのほうになると、まだまだ農業地帯はたくさん残されている。農業公園にある呑気なアヒルだかカモだかが私の新品の靴ヒモを引きちぎろうという言語道断なことをし始めた。無礼者。俺はムツゴロウと違うからな、鍋にして食ってしまうぞ!










江戸期の遺物が高級住宅街の随所に残されている。
ベンツ、ベントレー、フェラーリ、そして、馬頭観音という具合に、高級車のあるところには、寺社がある。
トヨタやスバルのあるところにも寺社はあるけれど。
この辺りは東京大空襲の被害を受けなかったところなので、大石内蔵助の討ち入りの事件くらいの時代からのモノがたくさん残されている。東日本大震災でも切り抜けたのだろう。

こういうものに関心を抱き始めたのは、さほど昔のことではない。実のところは。

昔は資本主義体制が好きではなかったし(といってコミュニストではない)、今も昔もグローバリズムが好きではなく、保守系論壇誌に私は時折寄稿していた(当時は謝礼が良かった)。日本の国柄なるものについて、私は歴史と伝統を持ち出さざるを得ない点で保守主義の限界を感じてはいたけれど、止むに止まれぬという具合で、戦後民主主義者よりはマシだろうという比較においてのみ、旧きものを評価していたことを白状したい。

ということを想いながらも、モミモミパフパフなことをしていたのだ。
いまはピュアにクルマを運転するだけ。
こんなにストイックでいいのだろうか。
ごくまれにそう思う。





































それにしてもほんの五キロほど歩いて、こんなにもたくさんの人間の営みの確かな証拠を見ることができるのだから、散策は面白い。
特別区(ホントに特別に税金を払ってます)の周縁とはいえ、これらを自動車道路で移動するのは却ってめんどい。昔ながらの道をてくてくと歩く方が楽なのだ。

しかし、ここはみんカラだから、カラオケの話題をするか、カーライフの話をせねばならない。道や散策だけに浮かれてはなるまい。
とはいえ、フミヤのAnother Orionで99点取った話などもしたいところだが、今は昔。

老夫婦二人で営んでいらっしゃるお蕎麦屋さんを見つけた。見つけた瞬間に明かりが点いたので、これもなにかの縁だと思い、暖簾をくぐった。
うっかり注文したものと違う蕎麦を食べてしまってから気付いたが、これも縁であろう。
国分寺崖線の急坂(ホントに急です)の下まで来て、ニコタマくんだりまで来た私は、軟弱にも大東急で坂の上まで戻ったのでありました。







ホイールにRのアルファベットがあった。ボルボのスポーツモデルだったっけ?
さりげなく置かれているボルボのホイールに気をとめている人の数がアフガニスタンの人口を超えたとき、世界は救われる。



Posted at 2021/01/11 00:26:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ
2020年02月19日 イイね!

スバルの話 結局はGDBに回帰する

スバルの話  結局はGDBに回帰する99年刊行の櫻井眞一郎と片山豊の対談(!)が掲載されているジェイズティーポに掲載されている中古車の広告の価格をみてビックリ。ハコスカなどの王道を除けば、驚くほど格安。86もこれから上がるかな程度の価格。イニDはもう連載されていたかと思うけれど、そこまで高くはない。

スバルの話をしたい。
富士重工は360から1300までが特に興味深い(興銀の援助を得られなかったP1ことスバル1500も含めたいところだが)。
パッケージングを希求する結果として生まれたRRやFFというパッケージング。水平対向エンジンもパッケージング優先のために搭載されたものだから、言ってみれば、901運動のプリメーラみたいなもんだ(違)
後継のレオーネは時代の世相に合わせて豪華な造りとした。もしも、東北電力がジープのような本格的且つ快適な四駆を作ってくれとオファーしてこなかったら、P1の二の舞になったのではと思うこともある。
規模においてトヨタや日産はおろか他メーカーにも勝てないからだ。
ただ、東北電力は縦置き前輪駆動のスバル1000ならば(そう、試作段階ではレオーネではなく、スバル1000がベースだったのだ)、後輪駆動用のデフを付ければ四駆になるんじゃないかと思っていたらしい。
宮城スバルの試作車はff-1の1.1リッターを搭載した1000バンだったのだが、下回りにはブルーバード用のデフやドラシャを装着させて四駆としていたようだ。
たまたまなんだろうけれど、プリンス自動車も元は同胞だし、どうも日産との縁が深い時期が何度かある。

今後のスバルはますます北米を向いて歩くのだろう。ひとまずそれしかない。これだけ資本が国境を越えるのであれば、差別化するなり、コンセプトを明確化するのがよい。かつての富士重工のように。
恵比寿本社に立ち並ぶSUV群を眺めてふとそう思った。レヴォーグがただ一台、どちらかといえば、欧州オリエンティッドなワゴンであった。
カルディナやアコードを駆逐したレガシィの衣鉢を継ぐことはできているのだろうか。

設定の無くなったEJエンジン搭載車オーナーはかくして、またもや20年落ちのクルマを保持しようとしている(まだ18年落ち)。
まあ、新しいものが最善とは思わないし、物欲もないし、いいなと思うクルマはあるけれど、結局は、GDBに回帰するんだ。








Posted at 2020/02/19 02:27:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | エッセイ
2016年01月22日 イイね!

石川家の謎

石川家の謎    南原幹雄著「謀将石川数正」を読了。図書館に返却した。

石川数正は、徳川家における双璧を成す存在で、家康が幼少時に人質として今川家に出されたときも、数正は共に同行していた。
それほどに密だった徳川との関係を断ち、石川数正は、家康と秀吉とが争った小牧長久手の戦いののち、関白となった秀吉のもとに出奔する。

徳川家におけるこれほどの重臣の出奔の理由については、あまり語られていないように思える。理由を証明するような資料も無いのだろう。当時には資料が残されていたとしても、豊臣家はその後滅亡するし、数正の息子の代で改易され、お家が取り潰しとなったから、真相はより闇に深くなる。
しかしながら、本能寺の変の真相の基礎資料ともなる公家の日記の類等は残されていないのであろうか。

本書では謎めいたままとなっている出奔の真相を小説仕立てで解き明かしている。数正自体は関ヶ原の戦い前に亡くなっているためか、息子の康長や康勝の代にまで筆は及ぶ。

ところで、石川数正は秀吉に召し抱えられてから、しばらくしたのちに松本に封を賜っている。そして、松本城を築城した。数正が没したのちも、関ヶ原の戦いで東軍、すなわち、家康側に石川家は付いたために、領土は安堵された。

各地の鉱山開発などで活躍した大久保長安の息子と数正の長男である康長の娘が婚姻していた。長安は大いに権勢を振るったが、その死後に一族はことごとく財業を被ることになった。大久保家と関係のあった石川家もまた然りで、松本の領地は没収となり、石川家の命脈は尽きる。

長安事件もまた謎めいているが、石川数正の出奔を含め、この古くからの徳川譜代の家は謎に包まれている。

さて、本書においては、石川家出奔の真相は先に述べたごとく明確に述べられている。
その後、大坂夏の陣までの石川家の行動が描写されている。よって、推理的な魅力はあまりないが、いかんせんこのように石川家についての謎がベールに包まれたままであるから、歴史に詳しい人でも一読の価値があるように思えた。

Posted at 2016/01/22 17:33:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ
2016年01月07日 イイね!

館林との縁

館林との縁偶然ではない出会いの折々、これを縁と言ってもよいが、私はこうしたことを信じている。

群馬県館林市市内にある子の権現(ねのごんげん)と呼ばれている小さな社もまたそうで、発端はただなんとなく館林市に立ち寄り、ふと社の看板表示を見つけ、ふとウィンカーを出して、裏道に入ったという、いわば縁起の繋がりによって、この社と懇意になったと表現してもいい。五年ほど前の出来事である。
ところで、「なんとなく」という機序の発生はまことに不思議且つ面白い。

足腰の神様として伝えられている子の権現については、過去に何度か記事を書いている。とりわけ、妻の足の手術前に参拝したときに、立ち現れた純白色の猫のことが未だに印象深い。

さて、館林という邑は群馬県でも東南部に突き出るような場所に位置していて、埼玉・栃木・茨城との境目に近く、江戸幕府の五代将軍綱吉がかつて藩主を務めてきたこともある城下町でもあった。
四代将軍家綱に嗣子がおらず、綱吉は館林藩主から徳川将軍への栄転という縁をどのように捉えていたのだろうか。
ちなみに、綱吉は一連の動物愛護の法令、いわゆる生類憐みの令で有名で、彼の統治した時代は元禄という爛熟した文化が壮大に繰り広げられた時代でもあった。

毀誉褒貶はあろうが、誠に華やぎを持った時代の将軍がかつて藩主を務めていた故地にも関わらず、殊更にそのことを強調しない抑制さがある。同様のことは、室町幕府を開いた足利氏の本貫である足利市や、新田義貞を出した新田郷や古河公方の鎮座した古河も同様で、関東には過去の事象を殊更に拡大していく性向に乏しいともいえ、この点が坂東武者を彷彿させるようで、小気味がいい。
私は関東が好きだ。

子の権現では足腰に験があるために、実は他県からの参拝もあるようだが、境内と呼べるほどの明確な境界はなく、山門もない。
どこからどうみても、一地域の小さな社なのだが、東京もんの私はここに縁あって、引き寄せられた。
このことの不思議さと面白さを堪能している。








Posted at 2016/01/07 02:24:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ
2015年02月18日 イイね!

畳にうつ伏せになりながら記す感傷と鑑賞の追憶

畳にうつ伏せになりながら記す感傷と鑑賞の追憶日曜日までに体験した、ただひたすらに雪が広がる世界は、今朝方に家の前に咲いている蝋梅の華やぎの姿態を眼前にすることで、夢幻だったのかとさえ思えてしまった。来月末までは冬タイヤを履いているから、いつでも夢見の世界に舞い戻れることができるのだけれど。
I felt that I had a dream in which was covered with snow.When I saw yellow plum flowers across from my house in the morning,I thought what was my reality.Anyway,spring may be about to show up us here in Tokyo.


















Posted at 2015/02/18 20:56:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ

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「2018年の小倉駅近辺〜
昭和〜😆」
何シテル?   08/21 01:33
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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