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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2012年04月14日 イイね!

朝のエッセイ

朝のエッセイおはようございます。本日の都内は雨です。
折角なので仕事場までの道中、雨に滴る桜でも見ながら歩いてみたいと思っています。ゆったりと早めに家を出ます。
いつでもいいものを感じ取りたいですからね。

ところで、人間って自由意思があると思うんですね。
「面白い人生」を選ぶ自由もあるし、「つまらない人生」を歩む自由もある。
どちらがいいとか悪いとかではありません。それくらいの自由な無限者的な存在だと思うんです。最近は特にそう思います。
私はといえば、面白く人生を生きていきたいので前者を選びます。
コインの裏表のようにポジティブとネガティブは表裏一体だと考えます。
コインの表を凝視するか、裏を凝視するだけの違いで、そこに本質的な違いはないと思います。ただ、私はポジティブに焦点を当てたほうを選択したい。
そう考えているだけで、ここに絶対的な価値観があるわけではありません。
あくまで、私の選択に過ぎません。
だから、私はポジティブシンキングであろうとしますが、より正確にいえば、ポジティブなほうに焦点を当てようとしているといえます。

さて、雨に似合う花といえば、紫陽花でしょうか。
紫陽花が雨に似合うのは梅雨という時節柄もあるでしょうが、桜と雨というのも相性がいいと思うんです。紫陽花と異なり、雨滴が花びらにしっかりと付くという光景が見えにくく、また桜の花の儚さを感じてしまうゆえに、感傷的にもなってしまいますが、なんの雨でも桜の花は魅力的なんだぞというところを見いだしていけば幸せですね。
来年も咲くわけですし、今年は開花が遅いせいか、まだまだ観賞を楽しめるでしょう。
八重桜などはこれからが旬です。私の癒しのスポットの真向かいにある八重桜も間もなく花が芽吹きそうな感じです。



閑話休題。
年末にかけたパーマネント(curl)で伸びた髪の毛を切り、「フォーマルだけれど、ワイルドでちょいワルな要素も見せたい」という私の要望(笑)にお応えいただき、美容院の担当の方にいい仕事をしていただきました。要望がワイルドだぜぃ。
また、今回はストレートパーマをかけてみました。
髪は一種の芸術空間だと思うんです。ですので、美容師さんにはこちらの要望に応えていただきつつも、自由にアレンジしていただきたいと考えています。
別に頭髪がなくとも、頭の空間自体がキャンバスなのではないかと思います。顔というのは他人がよく見る部位ですし、髪型等でその印象は大きく変わります。
「面白き世を さらに面白く」(幕末の偉人高杉晋作辞世の句のパロディ)という心構えで過ごしたいですね。

続いて、「出身地」という概念について私見を述べたいと思います。
私の生まれは福島県いわき市なんです。
ところが育ったことはなく、その後は神奈川県で小学校中学年まで過ごし、続いて東京の下町に引っ越しました。いわきにはよく遊びにいきましたが。
高校卒業後はいったん渋谷で一人住まいを始めましたし、大学に入ったときは再び神奈川に住んだりということで、出身地とはなんぞやという気持ちがあるんですね(以後も転居を繰り返し、世田谷に越してきてから六年経っております)。
まあ、どうでもいいかという気がしてきました(笑)
これからの拡大されるだろう世界を見据えて、出身地は「太陽系地球」ということにしておきましょうかね。



最後に、愛車プリメーラについて。
機関が絶好調です。今年中には総走行距離19万キロ超えは確実で、20万キロ突破もあわよくばという感です。
しかし、それは通過点です。数値的な。
楽しく愛情を持って接することが本意であり、結果として19万キロなり20万キロを突破したらとても幸せだなと思っています。






Posted at 2012/04/14 06:45:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | エッセイ | 日記
2012年04月10日 イイね!

夜喫茶

夜喫茶近所の夜桜を鑑賞し、駅前スーパーにて買い物を済ませたのち、喫茶店にて寛ぎのひとときを堪能している。

ここはご近所の馴染みのお店の一つで店内空間が広い。調度や照明も良い。
喫煙席がたくさんあるのもいい点だと私は思う。
もっとも、私は喫茶店など外で飲食する場では基本的に喫煙はしないのだけれど。選択肢があるほうがいいではないか。
ライターで着火させるときの「チャッ」という音も好きだし。

そうそう、ライターで思い出した。
もう一つの馴染みのお店にはしばらくご無沙汰である。
そこは個人経営でやっているお店で分煙はされておらず、店内に公衆電話ボックスまである。
こちらでは、煙草を数本吸うようにしている。
気分的な問題なのか、昭和の時代に戻った気がして、私もその昭和の空間内にいるような錯覚がするのだ。
松本清張が作品を執筆しながら、煙を燻らせる様をたったいま思い浮かべた。昭和とは斯様な雰囲気だったと私は思う。
即ち、煙草の煙が日常にあった気がする。

さて、喫茶店も銭湯同様に社交の場であり、サロンと言えよう。西欧の喫茶店の歴史を紐解いても、そう言えるのではないか。人々が会話している声が聴こえる。
ただ一方で、自分の内面と対峙しつつ、寛ぐという選択も許容してくれる。
素敵だなと思う。

Posted at 2012/04/10 21:15:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | エッセイ | 暮らし/家族
2012年03月27日 イイね!

宵の三篇

宵の三篇【スポーツへの情熱】
フォアボレーとサーブ(フラット・スライス)時のラケットグリップの握り方を少し変えてみた。今日もテニスを楽しんできたのだ。
テニス用語を使用してしまうけれど、握り位置をコンチネンタルよりやや厚めのフォアイースタンに近い位置に変えた。
様々に試行錯誤しながら、テニスを楽しんでいけばいい。
最近は特にそう思う。幸いなことにテニスを熟達させる様々な環境が整っている。
感謝一念である。

さて、私は「いま・ここ」にいることを楽しみつつ、同時にどんな事柄についても従容として受け入れるありのままの姿勢を大事にしたい。
テニスをやっている最中はこういう小難しそうなことを(簡単といえば簡単だけれど)自我で考えずに自然にできてしまうから、ちょうどいいのかもしれない。

スポーツでいえば、最近はフットサルやバスケもやりたい。
既にプリメーラのトランクにはフットサル球が何年も放置されているので、準備は万端。上手い具合に近所にフットサル場があるから、あとはメンバー募集のみ。
誰かやりませんか?



【いつだって適当さ】
先だって、飯山観音に行ったとき、観音殿で拝む男女がいたのだけれど、これが二礼二拍一礼の神道方式だった(つまりは、神社で参拝するときの方式)。
観音とは観世音菩薩であるから、仏教である。ゆえに、杓子定規に捉えればここは一礼するだけで良いのだろう。お寺で詣でるのと同じ。
しかし、このいい加減さが、逆にいいのかななんてことを思ったりした。
かつての日本の宗教界(江戸時代末期まで)は神仏混合と言われほどで、神社にお寺があったり、逆のパターンもあったりと、釈迦が見たら仰天するようなごたまぜ世界が展開されていた。
一旦、明治時代になって、国家神道の誕生と共に、神道と仏教が明確に分離されたかと思いきや、今の御世になっても、日本人というのは観音様に対しても神式で応対するのだ。このこだわりの無さがいいと思う。
無知は罪ではない。
あれやこれやと規則を設けるのもいいけれど、私は融通無碍に適当さを認める日本の宗教が好きだ。私はね。
すべてを空ととらえて、一切のこだわりを捨て去る老荘思想とはまた違う、多用雑種なこだわりのない適当さが魅力だろう。
そうそう。
こだわりを捨てるといえば、釈迦の頃の仏教もそうであったな。
善悪だとか、そういう価値観を超越すること。
釈迦はこれを「中道」と呼んだ。
私たちは倫理的に生きてもいいし、悪徳に生きても構わない。
そんなものにとらわれている時点で、己も倫理という枠や悪徳という欲にとらわれているのだ。
そして、日本に仏教が渡来してから幾ばくかもしないうちに、日本仏教は釈迦のときの仏教どころか大陸中国や朝鮮仏教とも異なる独特の発展を遂げた。
もう仏教なのかと呼んでもよいくらいに。
それほどに日本の風土は何者をもデフォルメして、自己流にしてしまう雑食気質が蔓延しているのかもしれないな。



【最近よく見掛けるクルマ】
アクア・フィアット500アバルト(いい音だね!)・ekアクティブの三車種。
アクアはなんとなく分かるのだけれど(売れているんだな)、あとの二つはなんでなんだか知らないけれど、よく見掛けるんだよね。
まあ、どのクルマもものすごく希少というわけではないから、見る可能性は高いのだけれども。

アクアはぶっといタイヤを履かせるといいなと思う。力感がでるんじゃないかな。
現代のクルマだからそれなりの横幅はあるのだろうけれど、タイヤが細く見えてしまう。燃費等を勘案するとタイヤの細さが合理的なのかもしれないけれど、オバフェンが必要なくらいにぶっといタイヤを履かせても面白いかなと(笑)

500のアバルトは音だけで悶絶(笑)
大きさもちょうどいいのではないかな。さすがに初代の500は小さすぎるなと思うから。フェラーリやアルファロメオもそうだけれど、イタリアのクルマって官能的な音を出すという印象がすごく強いのだけれど、なんでだろう?

ekアクティブはもっとオフロードに振ってしまってもいいかもしれない。
ジムニーに対抗するような本格的なクロカンの誕生だ。
むろん、三菱にはパジェロジュニアがあるのだけれど、ボクシィなスタイルの軽自動車はたくさん出ているのだし、ekアクティブはこの際、思い切ってボクシィなジムニーを目指したらどうだろう。

なんてことを考えてみた。

画像は親父のアルトワークス。イメージ画像として採用。
車検に通したらしいから買い換えは多分当面ないのだろう。シートがいいのと、案外とスペースが広いのが良い。それと早いんだよね。
人をたくさん乗せてもかなりの力を発揮している点に驚いたことがある。
ついでに動画も掲載させておこう。

Posted at 2012/03/27 21:48:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | エッセイ | 日記
2012年02月28日 イイね!

立体の有限 平面の無限 クリムト生誕150年

立体の有限 平面の無限 クリムト生誕150年グスタフ=クリムト(1862~1918)の生誕150年にあたるのが、ちょうど今年である。

と、白々しく書き始めてしまったが、私はこの19世紀末に活躍したウィーンの画家のことを一切知らなかった。
過日、酒井健氏(法政大学文学部教授)の講義を拝聴して初めて知り、そして彼の絵画を通じて、立体と平面というものについて深く感ずることがあり、ブログに認めようと考えた次第である。
彼の来歴等に関しては、詳しくは述べない。私はいわば復習の意味も込めて、本ブログを記しているので、より専門的に詳細に知られたい方は、関連書籍やサイト等をご覧いただきたい。
とはいいつつも、画風の特徴や変遷について述べなくては本ブログが成立しないのもまた事実である。

クリムトはルネサンスの時期から続いていた写実的・均整のとれた歴史主義的な絵画を当初描いていた。ダビンチやミケランジェロ、ラファエロなどの絵画を思い浮かべると良い。遠近感があり、輪郭がしっかりしている。そして色遣いは非常に穏やかである。
そもそも、ルネサンスはヨーロッパ人の意識に深くある古代ギリシャへの憧れから始まった。私はその憧れの源泉がどこにあるのだろうかといつも疑問なのだが、ともかくも、ルネサンスを境にして西洋絵画は大きく変貌した。
しかしながら、19世紀にもなると、ルネサンス的な絵画に批判的な画風が生じてきた。我が日本の浮世絵などの影響を受けたモネやゴッホのような画人が生まれたのもこの時代のことで、フランスでは「ジャポニズム」と呼ばれ、日本画への評価が大変に高まった時期でもある。
クリムトの心中にも今自分が画いている絵画に対する疑念が湧いてきたのかどうか。次第に彼はルネサンス的な絵画からの逸脱を試みるようになる。
歳月を経るにつれ、彼の画風はルネサンス的絵画とはおよそ異なる平面的な画を描くようになってきた。

古代ギリシャへの憧れについて今少し言及しよう。ヨーロッパ人が憧れている古代ギリシャ世界というのはゼウスやアポロなどの神々がいた世界のことで、酒井氏によればそれは征服民族による新しい神なのだという。
一方、姿を見た者は石になってしまうという髪の毛が蛇で出来ている不気味なメデゥーサやディオニソスなどは征服民族に浸食されるまえのギリシャの土着の神々なのだそうである。
クリムトは絵画のなかにメデゥーサを描いたりして、土着的なものへの志向を強めることになった。
なお、土着的なものとは何かと述べることは難しいが、我がアジアのカルチャーに近いように思える。絵画であれば、平面的に描く画風であり、自然や風景や紋様を存分にキャンバスいっぱいに散りばめた世界で、そこには均整さはないが、多様さがある。

「自然とは永遠に到達・没入することのできない世界である」とクリムトはどうやら考えていたらしい。人間存在とは「死」を通さなければ、自然風景的な世界(永遠)には辿り着けないという認識を持っていたとのことである。だから、クリムトの作品では人物だけが浮いているような感もする。
同時代のムンクの作品が人物も背景も渾然一体となった景情一致的な画風だったのと対照的であるといえる。
そして、ここで重要なことは平面的であることが永遠であるという認識である。
立体的なものはいつかは崩れる。それに対して平面的なものは崩れない。
ゆえに、クリムトは平面的な画を描いた。しかし、いつかは朽ちる人間については、平面的に描かなかったとも言えるであろう。
しかし、人間ではない自然は永遠であり、ゆえに平面的に描かれるべきものなのである。

クリムトは黄金の装飾も多くキャンバスの中に描いた。
酒井氏によれば、黄金の装飾とは永遠のイメージなのだそうである。つまり、自然と同じ意味合いを持つと見て良いだろう。
私はヨーロッパ人の黄金に対する情熱というものがどこから湧き上がっているのか理解できなかった。黄金が永遠を象徴するものだとすれば、それは単なる物質的富以上の価値があるはずだ。彼らの黄金への情熱は永遠への憧れとも同義であったのだと考えれば腑に落ちるのだ。
対して、日本人は黄金を尊ぶ風がさしてなかった。
例えば、金屏風に金を入れるのは、奥行き感を出すという即物的な理由であって、永遠への志向という思想性はない。

以上、復習として記してみたが、平面的な画風というのはヨーロッパでも中世までは普通だったはずであり、ルネサンス以降に絵画は立体的になったと記憶している。
これは立体的な画を描く技法が確立していなかったからであろうか。
この点、不思議である。
また、世界の大方(多分にアジア)の地域では画は平面的に描かれる。
これは単なる技法の拙によるものだけではないと思われる。
我が日本においても、立体的な絵画を志向するようになったのは、盛んに西洋の絵画と接する機会が増えた明治時代以降のことなのである。
平面的な絵画こそが、ディファクトスタンダードなのだとも言えるかもしれない。
もう一点、二次元世界(非現実?)へ没入してしまう風潮が昨今、一部の人々の間で強く志向されているが、このことも含めて考えると面白いかもしれない。

クリムトとは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%88
Posted at 2012/02/28 13:54:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | エッセイ | 趣味
2011年11月26日 イイね!

東京大学本郷キャンパス訪問

東京大学本郷キャンパス訪問東京大学の本郷キャンパスに行ってきた。一度くらいは入っておこうと思ったのだ。
都心とは思えないほど広大な立地に、立ち並ぶ洋式の煉瓦造りの建物の数々。そして背の高い銀杏の樹木が道路を彩っている。まさに、最高学府らしい雰囲気を感じた次第。こういう環境で学べるというのは幸せなことだろうな。
ナイター施設もあり、夜遅くまでサッカーやアメフトの練習をしている学生たちがいた。
これまた幸せなことだろう。
東大でも駒場キャンパスは割合と通っていたのだが、本郷のキャンパスに入るのは初めて。こちらのほうが面積も広いし、さすがは専門課程を学ぶ場所だけはある。
ただし、単なる広さでいえば、京都大学のほうに分があるだろう。
なお、私自身は郊外型の広大なキャンバスで存分に学問を学んだり(遊んだり)することができたが、古さびた煉瓦造りの建物には、なんと形容してよいものか、歴史的な地層のようなものを感じ、アカデミックな香りが濃厚に漂ってくるのである。



驚いたのは夏目漱石の作品にも出てくる三四郎池の鬱蒼とした樹木で、池に降りるにはかなり険しい階段を一段づつ下りなければならない。
もっとも日が暮れてから池に向かったわけだから、足場がおぼつかないのは当然で、昼間は案外とラクに池に辿り着けるのだろう。
おそらく漱石がいた頃の東大と変わらないのではないかというくらいの印象を受けた。
三四郎池の名称は、『三四郎』という漱石の作品から取られたものであろうが、今一度漱石の作品を再読したくなった。
たしか、主人公の三四郎は対岸の女学生から笑顔を送られる。そんなような場面があったような気がする。そして、なぜかその場面がすごく印象的なのだ。
日が暮れていたので、池畔の向こう側の様子はわからなかったが、私が戦前の帝大の学生で田舎から来た学生だったとすれば、華やかな女学生の姿に対してどんな印象を持つのだろう。そんなことも考えた。



三四郎池のすぐ近くに有名な安田講堂がある。
全共闘運動が絶頂期の頃、ここは反体制の砦ともなった。今はそんな面影は微塵もないが、40年以上前に遡れば、ここにはひしめき合う運動学生と機動隊が跋扈していたのだなという想像もできなくもない。



たまに行く神田の古書街では、当時歩道のコンクリを剥がしてバリケードにして学生たちが立て籠もっていたという。日本にもそういう時代があったということだろう。
最高学府の頂点ともいえる東大でもそういうことがあった。
彼らはやはり総じて知性に優れていると思うが、バリケードを作って立て籠もることに
意味を見いだしていたのだろうか。
案外と、フランス革命における第三身分的な地位に自分たちを投影させていただけのような気もするのだが、当時の東大生でいまは元気に資本主義社会に生きている人に私は出会っていない。出会ったら聞いてみたいと思う。
特に私が大学に在籍していた頃は学生運動など下火もいいところだったし、そもそもがノンポリで有名なお坊ちゃま大学であった。
だからこそ余計に興趣が湧く。

次は時間を見つけて、生協の開いている時間に来訪しようと思う。
大学生協の書店では割と専門的な書籍が揃っていて、退屈しないのだ。







Posted at 2011/11/26 00:00:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | エッセイ | 日記

プロフィール

「個人的には四気筒のバリオス。もう30年選手なんだなあ。」
何シテル?   08/27 00:55
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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その他 なんでしょ その他 なんでしょ
令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
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