2010年11月14日

チャイナの昔の賢人たちのお話って本当に面白い。
チャイナ語が分からないのだけれど、漢籍は日本に豊富に輸出(というか輸入か)
されてきたから、ある意味、大陸チャイナよりもたくさんの資料があるのかも
しれない。
荘子の胡蝶の夢というお話がある。
こんなお話だ。
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荘周(荘子)がこんな夢を見られた。
ご自身が蝶になっている夢を。
自分が蝶であることを寸分疑わずに、そして荘周であることすら意識せずに
飛んでいる。
やがて、夢から覚めた。
荘周は、自分が荘周であることに気が付いた。
しかし、荘周はこんな風に思ったとさ。
「私は周で、蝶の夢を見ていたのだろうか?
それとも、蝶が周の夢を見ているのだろうか」
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私はこういう発想が好きだな。
どちらが真で、どちらが幻なのかわからない。不明瞭な状態。
このお話に関してはいろいろな解釈があるらしい。
私は退嬰的な思想だと思っていた。昔はね。
今は違う解釈をしている。
「視点というのは自身では掴みきれないほどにたくさんあるんだよ」、つまり、
「絶対的なものと認識しているものでも、実はそれは見る人によって異なるし、
相対的なものに過ぎないのだよ」、という教えかなとおもうようになった。
どっちがどっちでも(相対的だろうが絶対的だろうが)
構わないじゃないかというのはもっともな発想で、どちらでもいいとは思う。
そんなことを考えるまでもなく生きている。
ただ、厳密にいうと、その生きていることが確かなのかどうかはわからない。
まあ、そんな発想が「胡蝶の夢」的なのかもしれないけれど。
同じ空間・環境にいても、まったく別の事柄を認知していることが往々にしてある。
妻と同じ部屋にいる。妻は鑑賞花が成長したことに気づくけれど、私はそんなこと
を気づきもせずに、ぼんやりと額に掲げられた絵画などを見ている。
器質的にいえば、同じ人間なら同じ認知構造を持つはずだけれども(視覚認知の
仕組みも同じだ。解剖してバラバラにすれば明らかになろう)、ちっとも同じところを
見ていない。
むろん、同じところを見ていて、「妙にウマが合うな」とか「偶然だね~」なんて
言ったりすることもあるんだけれど、この個人個人の視野(視点)の違いって何だろう。
しかし、今のところは難しく考えずに、ほぼ無限の視点があるからこそ、多様性が生じて、世界が活気づくし、自他の区別も生じる。そして、いろいろな視点がいろいろな物事を創造していく。まあ、そんなんでいいやとも思う。
荘子と双璧を成す、老子が面白いことを述べているようだ。
ちなみに、二人の思想をまとめて「老荘思想」ともいう。
「道の道とす可べきは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。無名は天地の始なり。有名は万物の母なり」
(道徳経第一章の一部 五井昌久著『老子講義』より読み下し文参照)
のっけから難解な読み下し文だが(やばっ)、融通無碍に自己流に解釈しよう。
道とか名という特定の固有名詞がついてしまうと、人間が本来的に持っている
自由自在な心を奪ってしまう。たとえば、政党に所属すれば政党の枠組みに従う
必要が生じる。といって、別にある特定の道徳(道)や、特定の価値(名)を持つことは構わないけれど、それだけに捉われてしまうのはよくないんじゃありませんかねぇ。もうちょっと自由自在な多種多様な視点から物事を見ることが本質なんじゃ
ないでしょうかねぇ。
で、無名というのはそういう本質的な世界の原理みたいなもので、
特定の名がつくと、いま私たちが生きている物質世界になると。
だから、繰り返すように名があること自体が悪いわけでもない。
そういう捉われからも自由になろうや。
といった感じだろうか。
老子の思想は全体的に極めて抽象的な言葉で彩られているので、その解釈も多様なのが現状だ。よって、私も勝手に解釈してみた。たぶん、老子としては視点というものがたくさんあることを忘れないで、生きなさいよと述べたかったのだろう。それが有名な「無為自然」という言葉にも表れたのではないか。
「無為自然」とはありのままということだけれども、私流に解釈してしまえば、ありのままとは一つの事柄や側面、状況に拘泥しない、もっと高度な俯瞰した視座のことだと思う。言い換えれば、私がさんざん述べた視点の多様性を意識することなのだと思う。
あー、まー、今日も無為自然にいきませう。
Posted at 2010/11/14 05:12:16 | |
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思索 | その他
2010年11月01日

わが街には人々が憩える広場があります。
駅から徒歩0分という好立地です。
何の用事がなくとも、広場に行って、腰かけて街並みや人の動きを観察してみたり、風を感じたり、葉の色具合をみたりして、季節の移り変わりを感じたりしています。
私は喫煙の習慣もあるので、広場に設置されている灰皿が非常にありがたく、
そういうわけで、私はこの広場がとても好きです。
夏祭りなどさまざまなイベントが催されることもあれば、高校生が音楽を掛けながら
ダンスに興じる姿を見ることもできる。
いくつもの顔に変化(へんげ)しながらも、いつでもずっと落ち着いていられる安定した場所です。自由を感じます。
ところで、欧州では街づくりの基礎段階で「広場」というものを非常に大切にしており、今でもほとんどの都市では必ず広場が設けられているそうです。
人々が集い、交わるような空間が私は大好きで、だからこそ私は広場に親しみを感じるのでしょう。
アジール(聖域)という概念があります。
アジールとは政治権力から自由な場所というほどの意味で、そこでは外の権威や権力とは無縁な空間が展開されます。近代国家成立以前に盛んだったようです。
アジールは、宗教的な神聖な空間であったり(教会など)、自由交易の市場や商業都市が対象に含まれていますが、細かい定義についてはわかりません。
アジールなんていう難しい概念を出してしまいましたが、要は「ほっとする場所」ですよね。いつ訪れても自由を感じ、豊かさを満喫できるような場所。そうした場所がおそらく欧州では広場であり、わが街でも広場であると。
それを学問的な言葉でいえば、これら広場にはアジール性があるのだなという具合に言えるのではないかと思います。
私には「ほっとする場所」が身近にあり、大変幸福を感じています。
しかしながら、今ふと気づいたのですが、私がほっとする空間である広場は、アジールの定義のように「~からの自由」を実現する場所ではなく、「もともとあった私の~の自由」を再発見・再認識するための場所なのかなと、この文を書いているうちに、思うようになってきました。
私たちはもともと自由で豊かであって、それを見出す(顕在意識ではっきりと意識する)ことが自由を楽しみ豊かさを満喫することではないかなと思います。
「~からの自由」というのは、やはり限定的な自由のように思えます。
この文を書いているうちに、所与(すでに与えられている・すでに持っている)の無限な自由に足枷をはめて、権力から逃避するための自由な場所なんてものを規定しているうちは、本当の自由ではないと思います。
ゆえに、本当にほっとする場所ではない。
遍く世界に広がる豊かさや喜びや自由を再発見・再認識すること。
これが真に「ほっとする」ことであって、そうした落ち着きを私たちが見出した時に私たちは、魂の内面から喜びを感じるのだと思います。
わが街の広場のお話から逸れてしまいましたが、広場に行くといつも発見があります。それがとても喜ばしい。
広場の隅に背の高い木ながら、今まで気にも留めていなかった木が、とても鮮やかに私の目に映ってきました。
こういうとき、私はまた一つ、経験の中に新しい豊かな発見を付け加えたんだなと思い、心地よい気分で広場に佇むのです。
Posted at 2010/11/01 01:25:00 | |
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思索 | 旅行/地域
2010年10月23日

大人の男性と手を繋いで歩くということに関して、どう思われるでしょうか。
私は手を繋いで江の島を歩いたことがあります。
おそらく、日本やアメリカでは、こうした振る舞いは同性愛の関係にあるという風に思われることが多いかと思います。
ただ、世界には非常にさまざまな習慣があって、男同士が手を繋ぐことが「友情」を意味する文化圏もあります。
上に述べたように、私が手を繋いだ相手というのは、男性同士で手を繋ぐことを友情の証とする文化圏の人だったのです。
より具体的な地域を明かせば、イスラム圏のアフガニスタンの人です。
さて、手を繋がれた瞬間です。
最初はびっくりしましたし、私には同性愛的な傾向がないので、とまどいました。
当時はそんな文化習慣がある地域のことなど知りもしませんでしたから。
おそらくは、文化的な慣習なんだろうなという予測はつけていましたが、ちょっと恥ずかしかったことも事実ですね。ただ、当時の私はそれならそれで、異なった文化習慣に自分を合わせてやろうという意識が旺盛だったので、そのまま件の彼と江の島を手を繋いで歩いていたわけです。
彼は在日アフガン人のリーダー格のような人間で、彼より若い仲間が数名いました。彼らとも一緒に江の島に行きました。
私は本当によくもてなしてもらいました。
私がタバコや飲み物を買おうとすると、「No」といって、すぐに買ってきてくれるんです。だから、私は一銭も使うことなく、彼らと過ごしました。
これは好意なのか文化的習慣なのかはわかりませんが、イスラム教には貧しい者に何かを施すというザガート(喜捨)という習慣があり、それとも関連があるのかなとも思いますが、ここは単純に彼らの大いなる好意という風に思うようにしています。
彼らの仲間の一人のウチに泊まりに行ったこともありました。
おいしそうな鶏肉が用意され、ヨーグルトが添えられていたので、
「鶏肉にヨーグルトをつけて食べるのか?」と述べたところ、
「As you like(好きなように食べろ)」
と言われたので、鶏肉にヨーグルトを浸して食べたら、これがおいしいんですね。
辛いソースに浸された鶏肉にヨーグルトの酸味が加わり、胃袋にも非常にやさしいなと思いました。
ある日、例のリーダー格の人間が帰国することになり、私と彼は、彼の家の布団のすぐ隣になって寝ていました。仲間たちも一緒です。
奇観のように思えるかもしれませんが、彼からは特に感謝の言葉をいろいろとかけてくれて、涙ぐみそうになりました。私はもてなされただけなのにと思いましたが、
今思えば、彼の琴線に触れることもしたのでしょう。出会いに感謝しています。
縷々述べてきましたが、私は常識とか価値観というものは、相対的で実に範囲の狭いものなのだなということを、アフガニスタンの人々たちとの交流を通じて、身を以て体験することができたのでした。
上のエピソードを紹介することで、常識や価値観について述べたかったんです。
以下、さらに話を進めます。
私たちは「これはこうするのが当たり前」とか「こうあるべき」という風に常識で以て、ある程度、行動を規定してしまうと思うのです。
常識とは社会の約束事や決まり事なので、それが悪いというものではありませんが、それを当然のことと思ってしまうことで、思考や振る舞いが固定化されてしまい、私たちとは異なる考え方や文化習慣を持っている人たちにとっての、常識があることを忘れてしまいがちのような気がします。
それは異文化同士のことのみならず、日本国内同士においてもあてはまるかもしれませんね。特に日本社会は自由な思想を尊重している社会ですから、実にさまざまな考えを持った人たちがいます。その一つ一つを理解しようなんて気負う気はありませんが、私はそれぞれの人たちの見解を尊重したいと思っています。
「みんながそれぞれの考えを持っているのだから、お互いに尊重して仲良く行きましょう」といった理想主義的な標語のようなものには興味はありません。私は自分を含めたそれぞれの人の考えや行動を尊重し、関与したりしないという考え方を持っているだけで、この考えをベースにして、お互いに仲が良くなればそれでよいですし、気が合わなければ別段に交流する必要性もないと考えています。むしろ、無理して仲良くしようとか他人と合わせようと思ったりするから、自分自身の本当の意思というものを無視してしまうほうが不健全だと、あくまで私は考えています。
人はいろいろですし、当然そのいろいろな人の中の一人である私は、私なりに基準を持っています。
今回、このようなことを書いたのは、まあ、気が向いたからです。気が向かなければ書く気も置きません。
時折、自分自身の考えがどういう具合になっているのだろうかなと自問するときがあって、ブログを利用して、自分の考えがどういう風に変わってきたかとか、そういった内面的なことを考える足場として活用しているだけです。
ブログを含めたみんカラの活用方法はそれだけではありませんが、内面的なことを思案する格好の足場として活用することがあるというのは確かです。
Posted at 2010/10/23 05:17:18 | |
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思索 | その他
2010年10月15日

いずれも二重括弧内は、アメリカの作家、故ヘンリー・ミラーが述べたとされるものだ。
『過去にしがみついて前進するのは、鉄球のついた鎖を引きずって歩くようなものだ』
人生とは、「たった今」から始まる。より正確に言うならば、
我々は「たった今」だけを生きている。
人生とはこのような「たった今」の繰り返しだと思う。
そして、「たった今」という刹那刹那に続くその瞬間ごとに、私たちはいろいろな感情を抱いて、いろいろなことを考えている。考えていないようにみえても、潜在意識ではなにほどかのことを考えているはずだろう。
未来を夢見るのもいい。過去を顧みるのもいい。
それはその人個人の自由だ。
しかし、それは「たった今」からみた過去であり、未来であるに過ぎないと思う。
だから、私たちは過去とか未来という言葉・概念を持っているのだ。
「たった今」という視点を軸にしないで、永遠に夢想するつもりだとすれば、それはあまりに足場がない生き方だと私は思う。
その人は永遠にユートピアを求めるだけで、「たった今」という足場を見ていないから、幸福や喜びという与えられたものを永遠に未来に置いてくることになる。
つまり、「たった今」が幸せになることは永遠に訪れないということにもなる。
夢見ることは私も好きだ。ただ、「たった今」という足場からその夢が、やがて来るだろう「たった今」という時間に現れることを望む。
時間とはごくごく心理的なもので、過去も現在も未来も実のところ、すべて「たった今」という現在において、初めて私たちに実在感を持って、認識されるのだということは覚えて置いたほうが良いだろう。
過去を顧みることでただただ懐かしむという感情も私は好む。
ただし、私はやはり「たった今」という具体的な足場から物事を眺めたいのだ。
ただ、その過去をどう解釈するかは「たった今」の自分であることを私は常に念頭に置きたい。
もしも、過去の事象に関して、煩わしさや悲しみの記憶があるとすれば、
それをそのまま放置して前へ歩こうと思っても疲れるだけだろう。
まさに、重い足枷をはめたような鉄球の鎖を引きずりながら、歩くようなものであると思う。
鉄球の鎖を外すにはどうしたらよいか。
それは大変難儀なことのように思えるかもしれない。
しかし、その鎖を引きずって歩いて疲労するくらいならば、「たった今」という時間で
、自分のできる範囲で疲労を忘れてみればよい。
無理して鎖を断ち切ろうとするから、余計に疲労して絶望する。
無理をする必要はない。それは過去へのしがみつきを強めるだけだろう。
それならば、鉄球の鎖はそのままに、空でも仰いで深呼吸でもしていたほうがよい。自分の指でもつねっていればいい。その痛みがより重いしがらみを一瞬だけでも忘れさせてくれる。
そう、少なくとも、「たった今」に過去や未来ではなく、「たった今」という足場を意識した思考をとったときだけ、その時だけは、鎖の存在を忘れる。
こうしたことの繰り返しを「たった今」の時間に、無理のない範囲で行うだけで、私たちはだんだんと、元気よくスピーディに歩くことができるようになるのではないか。
コルベットとハーレーが、身の丈の倍以上もある熟していない蒼いバナナや熟し切ったバナナに包まれるといたとしたら、それをわれわれは現実だと思うだろうか。
でも、私たちは得てして、このようなお伽めいた空想をすることも多いのではないだろうか。しかも、私たちはその空想を確固たる現実と信じてしまっている。
こうした空想は創造性を編み出す効用もある。現実を直視しないで済む。
が、いつまでも夢だけを追い求めて、現実を直視しないでいたり、
過去の何らかのしがらみにもだえているとするならば、
それは「たった今」という時間軸の存在がベースであることを忘れてしまっていることにもなるのではないかと思う。
現実とは今自分が自明と思っている状況や環境のことではない。
「たった今」自分が考えていることが現実であり、それが未来の現実を編み出し、過去の解釈を変容させるものだと思う。
『大切なのはどの本、どんな経験を持つべきかではなく、それらの本や経験のなかに自分自身の何を注ぎ込むかだ』
自分自身の何ごとかをいつ注ぎ込むか。
注ぎ込むとすれば、「たった今」であって、それは過去ではもちろんないし、未来でもないだろう。
「たった今」なのである。
『人生とは、二気筒のエンジンで440馬力を出すことだ』
エンジンをかけるのはいつか。少なくとも未来ではない。
過去だろうか。可能性としてはあり得る。
だが、少なくともバイクに乗り出すのは「たった今」だ。
ギアをローに落として、クラッチをつなぐのは「たった今」だ。
永遠にニュートラルにしておいて、バイクが走り出すだろうか。
二気筒であれ四気筒であれ、何馬力であろうと、
基本となるのは「たった今」ではないだろうか。
Posted at 2010/10/15 02:07:32 | |
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思索 | その他
2010年10月01日

ちょっと前に妹が手術を受けるというので、病院に行ってきた。
手術は成功で、もうちょいで退院するらしい。
術後は麻酔のせいか、ぐっすりと眠っていたので辞去の挨拶もしなかったけれど、
そんな私も彼女がオペしている間に麻酔無しで爆睡していたというのはここだけの話(笑)
病院のソファに横たえて寝てました。プリメーラで車中泊するときと同じ格好(笑)
○殿場のパチンコ屋の駐車場で野宿できる人間なので、基本的に野性味がたっぷりなのですわ。
私は手術とかそういうものはまず間違えなく成功するだろうと楽観的に見ているし、実際に成功しているので、手術そのものの経過自体についてを主眼に書く気はない。
それよりも、病院や彼女から色々と学んだことがあったなと感じたので、それを覚書で記そうかなと思っている。
堅苦しくないので、お気軽にコメントもお待ちしてますよ(笑)
まず、私は病院という空間が好きじゃなかった。
アホみたいに待たされたりするのも嫌だし、病気をネタにして会話している人たちを見ていたりすると、自分には合わないなと思っていた。
で、人はよく何かがあると病院にいきなさいというけれど、私は自己治癒の力が備わっていることをなんとなく感じているし、上述した理由から病院の門をくぐることは滅多にない。
今回も手術前に面会するということなので、特段に行く必要もあるまいと思っていたけれど、妻が行ってみたいというので、それならば行こうかなと思い、とある大きな病院に行ったという次第。
そして、どうせ病院に入るならば、病院に対するネガティブな気持ちを払拭して、いい面を見いだそうと首都高に乗る前から考えていて(笑)、病院に入ってからもそのいい面を見いだそうとした。
そもそも医師は人間の本来あるべき健康という姿を実現させるために奮闘しているわけだし、看護師も昼夜問わずそれを助けている。往来で行き違う白衣姿の医師や看護師を見て、そんなことを考えていた。
個人的な経験として病院で健康を実現するという考えは持たないけれども、少なくとも病院は健康を実現するための場所であり、そのサポートをする人々が常駐する崇高な空間でもある。
という風に思考の焦点をだんだんと病院(というよりもそこで働くスタッフの方々かな)に対する思いをポジティブな方に持って行くようにした。
そうすると、気分がとてもよくなり、上に記したような病院に対するネガティブな思い(もともと医師や看護師に対する嫌悪はないけど)も立ち消えた。
そういう意味では、私はおよそ病院とは縁がないかもしれないけれど、気持ちの上で病院という対象に対する思いを良い方向に持って行くことができて、とても良かったと思う。
それに病気をネタにしている人たちの会話はなんだか元気で、あれは一種の社交として機能しているのだし、私があれこれと良くない印象を受ける必然性はないなとも考えた。
人はそれぞれだし、私が経験の中でそういう人たちに出会ったとしても、茶飲み話を眺めているような感じで、もっと肯定的な眼差しで見るのが自然であるし、そう考えると、抵抗感みたいなようなものがどんどん取れてくるのが分かった。
まずこれらが今回のブログで覚書することの一点目。
病院空間についての認識の肯定的な変遷だな。
続いて妹についてなんだけれども、私個人は術前であっても特にそわそわするような人間ではなかったし(私も手術した経験アリ)、妹も気丈というか、ごくごく自然体でいた。
ウチには妹が二人いて、この妹は今年転職したのだけれど、のほほんとして自然体でいるなという雰囲気がしていて、気負いというものがない。それでいて意志をしっかり持っているから、転職もうまくいくだろうなと私は人事的な視点で確信していたものだ(笑)
因みに、妹宅にはインターネットをする環境がないので、昨年は時折ウチの部屋を貸していたりしていたのだ。
もともとそういう資質を備えているので、世間的に言えば「大変な手術」ということになるのだろうけれど、彼女の言葉や振る舞いからはそんなことを考えている節は無かったし、実を言えば、私も病院への過去の思いと異なり、手術などの医療行為に関しては、大変なものなど何もないと思っている。
なるようにしかならないわけなのだからね。
本人がどう思うかの問題のように考えている。
そういうわけで、私は改めて彼女の自然体な姿勢に触れ合い、自然体の大切さを再認識させられたし、その意味で私はとてもいい経験を爆睡前後にしたのだと思う。
結局、上記に述べた「大変な」という言葉も、医療的見地から判断してそうだというわけで、大変さをどう認識するか、というより大変かどうかを認識するのは個人次第だと私はやはり考えてしまう。
もともと手術の類に「大変さ」は感じていなかったけれど、彼女の手術における姿勢をみて、その想いがますます強まったし、そもそも「大変」というネガティブな基盤に視点を置くのではなく、ごくごく自然体に流れに任せるのが手術に限らず、
人間にとっては重要なことではないかという気づきを得た。
このことが覚書しておきたいことの二つ目だ。
Posted at 2010/10/01 05:17:35 | |
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思索 | 暮らし/家族