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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2017年07月04日 イイね!

外に求めないほうがいいんじゃない Tさんへ

最近夙に思うことがある。

どんなに楽しくて幸せな生活を続けていたとしても、それゆえにそれを喪うのではないかという恐怖や不安が同時に湧いてくることもあるし、楽しさや幸せを目標とする生き方をしていると永久に渇望にまみれた人生に終始しそうな気もする。
後者についてはより具体的に述べよう。
ある目標を達成したり、欲しかったモノを手に入れたり、といった具合に念願が叶ったとする。その時点では満足しているが、やがてその叶った念願にも飽きてしまい、より別の目標を探し求めてしまう。楽しさや幸せを再び手に入れるために。死ぬまでずっとこのような営為を求めることが人生だとするならば、シシフォスの神話のように何度も何度も同じことを死ぬまで繰り返し繰り返しするのが人生なのだろうか。とすると、どうもやりきれない。
厭世的な気持ちにはならないけれども、虚しい気持ちに陥ることもある。
確かに楽しいことはたくさんあるのだけれど、自分の外部環境に楽しさを求めてしまうと上に述べた理由から、やがてその人は楽しみを感じるハードルをどんどん上げていかなくてはならなくなり、しんどくなってしまうのではないだろうか。

むろん、あらゆる人がこのような考え方を抱いているわけではないけれども、私は愉楽を求める生き方は苦しさと表裏の関係にあると思う。となると、人生というものはおよそ絶望の二文字が相応する救いのないものなのだろうか。

楽しさや幸せというものは求めるのではなく、すでに備わっているものだと考えてみればどうだろう。すでに備わっている楽しさや幸せを自分で感じるようにする。さすれば、絶望という淵に陥ることはない。
どんなに艱難辛苦な状況下であっても、己には楽しさや幸せという要素がすでに備わっていると確信できれば、人生は常に快活で陽気なものとなる。

という具合に思わざるを得ないことが最近はたくさんあって、しんどいといえばしんどい。でも、しんどさも受け入れてしまって、すでに備わっているということを心から信じることができれば、生きる情熱も湧いてくるのかなと思う。

辰巳で極上のカローラFXを見た。気持ちが高ぶった。これって、外部から幸せを感じているのかね。
まあ、ざっくりと人生の原理みたいなものを自分で推測しておいて、あとは思考はせずに状況に委ねるように生きる。そこに意味を求めることなく。
そんな具合で過ごしていけば、ちったあ生きやすくなるのかもしれないし、そうでないにしても、幸せであろうという負荷を掛ける必要が無くなるから、ひどく絶望することもないと思うのです。

というのが、私の現時点の考え方ですよ、Tさん。もっとも朝になれば私の考えはまた変わるかもしれない。
そんな適当さも許容範囲してしまっていいと思う。すべきであると考えてしまうと、許容できない事柄と闘わないといけないし、それってかなり辛くて苦しいことだと思いますわ。











Posted at 2017/07/04 01:36:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索
2017年04月27日 イイね!

クラウンコンフォートと江戸時代

クラウンコンフォートと江戸時代久し振りにホンダアコードハイブリッドのタクシーで帰宅した。
もっとも、ホンダ車のタクシーというのは東京都内では少数派である。
実際にホンダ車とタクシーのイメージというのはどうもあまり結びつかないし。
個人タクシーには様々なバリエーションがあるが、法人タクシーとなると、日産のセドリックないしはクラウンコンフォートが大勢を占めるのが当地の現況である。
法人タクシーの良さは後部ドア開閉部の大きさで、いかにも後ろに人を快適に乗せることを前提にした作りになっていて、背を屈めることもなく、実に乗りやすい。

それにしてもクラウンコンフォートとセドリックという姿形だけならば、何十年も変化していないタクシーを都内のタクシー会社は、或いは、トヨタ・日産はいつまで続けるのだろうか。
個人的にはこのまま続けてほしいと思っている。

ポスト構造主義哲学のボードリヤールは、私たちの社会が記号消費社会であると喝破した。ブランドなどがわかりやすい例だろうが、記号というコストのかからないものを次から次へと生み出すことで、私たちは永遠に現況の資本主義社会の掌の上に載るのだそうだ。

クルマに関して言えば、頻繁にモデルチェンジをすることで、単に利便性や安全性・環境性能といった技術革新を訴求するだけではなく、絶え間なく記号を生み出さなければならない。さもなければ、充分に衣食住を満たされた私たちは退屈してしまうからだ。ゆえに、自動車メーカーは常に新しいモノを作らなくてはならない。消費者である私たちの目を引かせるために。

江戸時代は数百年もの間、ほとんど変化の無かった社会だと言われている。むろん、その間に貨幣経済の進行があったし、趨勢は確実に資本主義社会を受け入れる萌芽を育てていたのだが、基本的には新しいものをどんどんと作っていくという発想は無いとみてよいだろう。なぜなら、新しいものをどんどん生み出そうという強い動機が江戸の社会には生じ得ない。新しいものを作るために血眼にならなくても経済が成立しうる社会構造であったからだ。
経済を回すためにあくせくする必要性がない構造であったともいえる。
ゆえにこそ、江戸時代にクルマが存在していたとしても、頻繁なモデルチェンジは行なわれなかったはずである。これをどうみるかはむろん、各人それぞれだが。

クラウンコンフォートやセドリックのタクシーがたくさん走ってみるのを見かけると妙に落ち着くことがある。
記号消費社会に飽きてしまったのかもしれない。


Posted at 2017/04/27 21:55:50 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索
2017年01月03日 イイね!

ありのまま この二日間の甘美な体験

ありのまま  この二日間の甘美な体験To my think of it,I might try to remove negative feelings and I forgot focusing on possible assets. I can walk and drive around freely,talk with lots of people,see amazing scenes and so on.
I recognized emotions are not removed but accepted.
Now I feel a bit anxiety but I decided not to try to remove it. Just acceptance is important.
Anyway,I'll overcome some disorders.
These pics were shot on 1st and 2nd of January. I experienced a lot of wonderful and happy things in only two days. I'm really happy.

自身が数々の神経症に悩まされた著者が数々の肉体的・身体的困難のなか、あくまでも不安をそのまま受け入れつつ、自分の生きる意味を求めるために、逝去前に口述筆記させてまで完成させた森田療法について解説した本が手元にある。大晦日に届いて、年末年始の間、適宜読み進めていった。不安感というものは排斥するとより増大する。であるならば、そうした不安感をありのままに認めて、認めながらも自己の目的のために行動しなさいというのが森田氏が主張していたことのごくごく大雑把な要約である。

思えば新年が明けてからも、地元の寺社でお神酒を振る舞っていただいたり、新しいお店を見つけたり〔ユーミンが訪れるという昭和レトロな雰囲気の和菓子屋なのか食事処なのかよくわからないようなお店が近所にあった〕、大井町でばったり知り合いに会ったり、川崎駅前の商業施設に行ったり、SNSを通じて知り合った方のクルマを見つけたりと、なかなかに豊潤そのものの一日であった。
昨日も大黒で何度かお話させていただいたスターレット乗り〔4AGエンジン換装〕の方とお会いしたり、内房の海の幸を満喫したり、東京湾越しの富士の姿を夕日と小々波とともに堪能したり、と盛りだくさんであった。
館山のホテルの日帰り温泉に入ってからは、館山の友人たちと海ほたる・大黒を来訪。
邯鄲の夢の如しという言葉が思い浮かぶほどに、次から次へと事象が折重なり、それはいずれも素晴らしい体験であった。

それは私が不安感を受容して、自分がやりたいことに没頭しようと決意したからであろう。
人間が思い浮かベざるを得ない感情のコントロールについては、いかにコントロールするのが良いのかということを数年来追い求めてきた。
しかし、追い求めないことが、すなわち、あるがままでいることが、コントロールする最良の方法なのではないだろうか。
マインドフルネスの隆盛に見られるように、自身の感情を排斥・否定するということよりも、ただ観察・受容するという方向性に社会も変化してきているように思える。

実は私には幾つかの乳児記憶があるが、受胎前の記憶も一つだけある。受胎前に指導者のような人に大丈夫かと問われた時に、大丈夫行ってきますと答えたことを覚えている。このことが真実か否かはどうでもよい。
ただ、そのような記憶があるということは、感情について自覚的であることを学ぶことが、自分の人生のテーマの一つなのかなという気もする。

さあ、ありのままで今日も過ごすとしよう。不安や恐怖の荒波から逃避するのではなく、荒波の先にある穏やかで美しい海原を求めて航海することにしよう。




































































Posted at 2017/01/03 11:58:57 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思索
2016年11月03日 イイね!

この世の中の面白味

この世の中の面白味昨日は帰社後の寒さを慰安しようと、外風呂にゆっくりと浸かろうかと思い、折からの雨天も手伝い格好の四駆日和だとの思いも手伝って、横浜の温泉でまったりとしていました。
ちなみに、私は超晴れ男なんで、昨日のような機会を逃すとワイパーを動かす機会もありません(笑)

近頃はいろいろな一つ一つの事象が折り重なって、一つ一つの出来事が出来する、この世の不思議さに思いを馳せています。
特に秋に入ってからその想いを強くしています。

一例を挙げれば、
以前に静岡の由比に立ち寄った時に(その時は由比に行く目的はなく、山梨南部から細い峠を越えたら、ふと由比に出たのです。これも不思議です)、ふとロータスのセブンを洗っている方がいらっしゃり、お声掛けをしたところ、懇意にさせていただき、ガレージにお邪魔させていただいたりなど、あるきっかけが思いもよらないきっかけを産んだりして、そこに面白味を感じてもいます。

みんカラでの皆さんとの出会いもそうですね。実際にお会いしたことのある方もいれば、そうでない方もいらっしゃる。
でも、何らかの機縁があるからこそ、お付き合いさせていただいているのだなということに改めて思い馳せています。

さて、横浜の温泉に行く道中でみん友さんと、プチプチオフを開催しました。開催時間は3分ほど(笑)
お互いに住まいが横浜にうんと近い訳でもなく、また、たまたまみん友さんが私の目的地の温泉のすぐ近くのお店にいらっしゃったということで、お会いすることができました。
私は温泉に浸かりたかったので、インスタントラーメンばりに短い時間での立ち話となりましたが(今度はダラダラとお話しをしましょう)、ひとえに偶然という言葉ではない何かが伏在しているなという風に私は考えています。

以上、久し振りにブログを認めてみました(*^^*)
さてと、近所の公園を散策して、駅前の喫茶店で寛いで、気が向いたらクルマを出動させるとしますかね(^-^)








Posted at 2016/11/03 12:00:20 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思索
2016年09月13日 イイね!

いまここ

いまここ由比の狭い旧街道筋でふと左折したくなり、枯山水が備わったいかにも禅的な世界観が投影されているお寺で、ほんの三十分ばかり写経をしていた。白隠禅師の言葉を書写していた。
境内には私一人しかいなかった。
ちなみに、写経をするのは初めてのことである。

ところで、人間の意識には時間という観念がある。過去・現在・未来である。
ここのところ私は過去や未来の不安や恐怖に苛まれていた。
アランの言葉ではないが、不安に対する不安に取り憑かれていた。

こういうときにまずは自分はどうすればこの状況を打開できるのだろうという解決志向に私たちは得てして向かう。むろん、それが間違っているというわけではない。

しかしながら、私は当今の私内部の葛藤を経るなかで、私の外部を変えるよりも、私の感情を形作っている観念と向き合うなど、私の内部と向き合うことが、畢竟、状況を肯定的に変容させる(根源的には全ての状況は肯定的でも否定的でもなく、そうした価値判断を超越したニュートラルなものであると私は考えているが)要因となり得るのではないかと思うようになっていった。

こうした認識に至った理由はあまたあるけれども、過去は過去でしかなく、未来は未来でしかない。なぜならば、過去のことを回顧するのも懐かしむのも、そして、未来に希望を持つのも懸念を抱くのも、考えてみればすべては現在という一点のみだからである。

先人は冒頭に挙げた禅の教えに限らず、今という瞬間の大切さを皆説いている。
私が彼らに追従する必然はまったくないのだが、現在という一点の無限なる連続に生きることが、どうやら存在としての充実感を味わえそうだなという気がしている。

白隠禅師の写経をするのは途中で飽きてきてしまった。しかし、飽きることが悪いことではない。良いことでもないが。
老荘の境地のように、ありのままに生きることに決めている。

久しぶりにブログを書こうと思ったのだが、ドライブ旅行ネタは豊富にあるし、以前のようにドライブ紀行として、旅でのよしなしをまとめあげる気がせず、冒頭の出だしから、何も考えずにつらつらと書いていたら、上のような構成になっていた。

猿は子を抱いて青い峰に帰って行き、鳥は花をくわえて苔むした岩の前に舞い降りる。
猿も無心、鳥も無心に、みずからなすことを淡々としている。
私たちは何かをしようとかなりたいと思うことがあるが、今のままでもう充分に完璧であるのかもしれない。

といって、何も考えないわけではなく、この瞬間を懸命に生きる。クルマなら運転に集中して道路を走る。
人生に目的があるとすれば、今を生きることではないかとつとに思う。







Posted at 2016/09/13 02:28:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思索

プロフィール

「建物そのものがすでに歴史民俗資料になっている気がする😅」
何シテル?   06/18 13:17
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
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