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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2012年05月24日 イイね!

コギト

コギト20年くらいに見ていたアニメ「ミスター味っ子」の味皇が主人公の料理を食したときばりに、日常世界が大袈裟なまでにぐおんと蠢きそうな、そんな感じもする。
そんな夜だな。突然、ベランダに火星人でも降臨してきそうな気配がする。
そして叫ぶ。「これが火星の人種なのか!まさにまさにこれは~」などと叫び、静寂した世界は一気に非日常との邂逅を果たした感動ゆえに激震する。
以上、感覚的にご理解いただければ幸いである。

私はスピリチュアルな書籍をたくさん読んできた。スピリチュアルな分野でもアメリカは強く、ゆえに親しみを余計に感じる。
生きる意味合いということも時折考えたことがあるけれど、「自分はなんでこうなんだろう」という自分への低評価とそれからの脱却が、私のいわば苦悩であったかもしれない。健康な頭脳・身体を持ちながらも、何かが欠落しているという意識が常にあった。
ルサンチマンとは異なるのだろう。自分への苛めに他ならなかった。
というわけで、スピリチュアルの書籍群は押しなべて私の役に立ったと思う。

今はそれは皆無であるとは言わないけれど、「ありのまま」の自分を許容し、自分を愛してみようと考えるようになった。だから、私は自己愛的であるとも言える。
結局のところ、自分を巡るめく世界というのは、自分が構築したものだという認識に至っている。
いろいろな人々がいて、いろいろな自然環境がある。でもそれは誰もが同様に見ている世界ではなく、自分の思考というフィルターを通じて眺めた、いわば私が構築した主観的世界なのだと思うようになった。
以後、自分のエモーショナルな部分に留意するようになった。
だから、私はいつも「楽しさ」を大切にするのだ。

楽しさという要素を入力すれば、単純に楽しい世界が眼前に出てくる。それはクリエーター(絶対神)の所作と変わらないとすら思う。
「でも」とか「どうせ」という言葉はそういう意味合いでは使用しなくなった。
人間存在というものは肉体をまとった存在としては永遠ではないけれども、魂のようなものは永遠であると私は信じている。特定の宗教に奉ずる者ではないが。

いま生きている肉体人間としての人生が、肉体をまとう人生としては最後なのかなという気がしていて、だからこそ、この世で生きていく上で重要な肉体をも大事にしたいと思うのである。




Posted at 2012/05/24 23:18:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思索 | その他
2012年05月17日 イイね!

崩れ去った“いつかはクラウン“

崩れ去った“いつかはクラウン“ここ数十年、不景気だなんだと言われているけれども、根本的に社会の仕組みが変わったのではないのかなと私は思う。
それは近代社会というものの終焉であり、あるいは先祖返りかもしれない。
成長なき社会という方向への舵取りが日本では進行しているように思える。

神の見えざる手から始まった近代経済学は、その後さまざまな派に別れた。穴を掘っては埋めるというケインジアンの労働力創出優先の経済政策とか大規模設備投資による需要喚起。一方で、ミルトン・フリードマンのように古典的な市場の自由性を唱える論者も現れた。
しかし、現今は世界中のマネーが一瞬にして移動する世界になっている。
需要と供給という関係性を軸とした経済政策は有効なのだろうか。

殊に我が日本は不景気と言われてもう何十年経つのだろう。
何十年も続く不景気なんて語義矛盾だろう。
要因は様々に考えられるが、まずは消費が減退していることもある。
供給過多の状況にあるのであろう。
加えて、人々の嗜好性が変わった。
昔ならば、隣の人がテレビを買ったからうちも買おうとか、新しいクルマが出たから買おうという形の消費意欲があったが、どうもバブル期を境にそうした国民が連鎖的に消費意欲をかき立てられることも無くなったことのように思える。
プレリュードとかシルビアをなんとか買おうとか、クラウンを買うまで頑張るぞという意欲は減退し、個々人の嗜好が分散化しているような気もする。
金持ちがフェラーリを買うとは限らないし、高額商品を消費する富裕層がいたとしても、そのお金はどこへいくのだろう。
国債として銀行に集約される。
景気浮揚の方向には行っていないし、ケインズ的政策をとっても、自由主義的政策をとっても、もう消費が大幅に伸びることは、人口の面から見てもないとみていいだろう。
そうなると、お金は結果的に国家によって保管されることになる。
お金自体は余るけれども、消費のないという状況が浮き彫りにされる。

スマホなどは確かに流行っている。けれど、携帯電話やPC・カメラなどの性能を統合した機械は皮肉なことに、供給物を集約している。かくして供給するものも減少してくる。
それに、今の日本は右へ倣え的な要素はやや減ってきており、ガラケーなんて今時ださいなんて言われることはまずない。

時代は変わったのだ。
近代社会はインフレを繰り返しつつ絶えず成長を繰り返してきた。
しかし、成長とは本当に良いことなのだろうか。
生活が豊かになることはいいことだなと思う。
でも、今の日本は近代的な文脈での成長は成し得られなくなっている。
今後は定常化社会に入るような気がする。つまり、成長なき社会である。
成長なき社会といっても、皆が貧しくなるわけではない。成長という近代的概念が主軸ではなくなる社会になるだけで、GNPやGDPといった数値的指標で図られた豊かさではない、もっと実感に根ざした豊かさが希求されるであろう。

遙か古代においては、蓄積された富は戦争や祭祀によって一気に蕩尽されたといわれている。
今の日本で戦争や祭祀による富の蕩尽はないにせよ、大掛かりに余剰の富を投資し、またまた富を倍増させ、またまたという際限なきゲームは終焉を迎えつつあるのではないか。

そして、こういう社会になっているからこそ、需要喚起だとか景気対策といった実務も大事だが、少なくともここ数百年の近代社会というパラダイムはシフトしつつあるということを念頭に入れてもいいかもしれないとも思う。
Posted at 2012/05/17 18:41:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思索 | ニュース
2012年04月11日 イイね!

信念

信念「阿弥陀如来より他になしと唱えれば、私たちは救われるのでしょうか」
「実は私にも分からぬ。えらい人(法然)がそうおっしゃっているし、とにかく私はそう信じることにしたのだ」

数ある仏教の中でも特殊な地位を得た浄土真宗の開祖親鸞という人物が私は大好きである。煩悩の折々はあるけれども、それでも阿弥陀如来にすがれば、極楽浄土(阿弥陀如来がいる世界)に行くことが決定的になり、人間は仏になることができるのではないかというおよそ根拠のない確信に親鸞は人生を掛けたと言っても良い。
師匠筋に当たる法然上人も煩悩をある程度認めていたことは確かで、妻帯することも許容していた。ただ、彼自身は妻帯はせずに往生したのだが。
親鸞はその旺盛な意欲で以て、妻を持ち、子供を複数設けた。
仏教史上かつてない光景だったと言ってよい(隠れて妻帯するという例はあったが、公然と妻帯する例は仏教界では親鸞が世界初である)。

「とにかく信じてみよう」
その意気込みを私は高く評価したい。
仏になるということは厳しい修行を経たり、難しい経典を読むことで成し得るものではない。単に阿弥陀如来の人間たちを救いたいという気持ちを汲み取って、阿弥陀に帰依することを宣言すればいいだけの話(念仏)なのである。

信念の人といえば、日蓮も同様かもしれない。法華経という経典は釈迦が一番最後に説いた教えが記されているとされる。その法華経に絶対的な信頼をおけば、仏になることができるのだという信念を強く抱いた日蓮は、かの有名な題目「南無妙法蓮華経」を唱えることが重要だと固く信じるようになる。
法華経というのは最澄がもたらした経典であり、最澄が開いた宗派を「天台法華経」という。しかし、日蓮は最澄の法華経信仰ではまだまだ足りぬと考えていたようである。エネルギー旺盛な人物である。
数々の迫害(法難という)に合いながらも、日蓮は法華経への絶対帰依を通じた救済という道を確立していく。
私は親鸞のほうに親しみを覚えるが、日蓮の生き方もダイナミックで力強いなと感心することがある。

信念という揺るぎない価値観を持った人間はかようなほどに強い。
ただひたすらに正しい価値観に向かって精進していけば良いのだから。
こちこちと固められた信念でもって、他者を判断するのはどうかと思うが、自分自身が生きるにおいては、堅牢な信念でもって生きていくのが良いと考えている。



Posted at 2012/04/11 22:11:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思索 | その他
2012年03月30日 イイね!

親鸞の自由

親鸞の自由「私は自分の欲望・情念を抑えきることができないのです」

僧侶の世界に入りながらも、人並み以上に活力があり、精力もあった若き日の親鸞は師匠の法然にこうもらしたのかもしれない。
法然自体は貞操な人だったようだから、或いは親鸞が一人で抱えていた苦悶であったか?

僧侶が公然と妻帯すること。
そして、それが正当化されること。
これは、かつてのどの仏教の宗派にも見られなかったことだ。少なくとも表向きは。
親鸞という人物は自身の異性に対する欲求を受け入れて妻帯し、子を設けた。
日本、いや、世界の仏教で唯一、人間が持ちうる欲求をあるがままに素直な気持ちで受け入れた人物なのだ。
現在でも、日本の仏教世界以外では、妻帯する僧侶はまずいない。
親鸞はもう千年も昔にそれをやってのけた。

なにが「良いこと」であり、なにが「悪いこと」であるという価値観は時代や地域により異なると思う。だから、私は倫理や道徳という形式で価値観を固定化させてしまうのは、一部の人々にとっては辛いことなのではないかと思う。
親鸞は妻帯禁止という仏教世界の掟を見事に打破した。
彼はご存じのとおり、堕落した僧侶ではない。万人の救済とは何かということを考えていたまごうことなき聖職者であった。

悪人正機説という彼の教えは非常に有名だ。

「善人ですら救われるのに、悪人が救われないことがあろうか」

この逆説に満ちたかのように見える言説は、人間存在が規定してしまう価値観というものを超越した試みであると私は思う。
そもそも世の中に善人も悪人もないのだという具合に彼は考えたのではないか。
一人の心には善的な要素もあれば、悪的な要素も潜んでいる。
とすると、一人の人間の価値を認め、仏であると認めるには、こうした善悪両方を許容する必要があるのではないか。いや、むしろ善悪という二分法すら超越し、ありのままの仏としての実相である人間を見ることが大切なのだ。
親鸞はもしかしたらこのように考えたのかもしれない。

親鸞という人物が我が国において生誕したことは、非常なる僥倖であると思う。
彼の思想は徹底的な価値の相対化ではなく、己や社会が有している価値観でもって、逐次判断することの無為さを伝えたことにあるように私には思える。

人間は自由自在の存在である。自由自在とは自ら創造し、自ら判断することである。
しかし、人間は常識などの強い価値観により、自ら創造するという行為に関して規制を受け、自ら判断するという自由意思を放棄しているようにも感じる。
今後の社会は、自分自身が価値を創造し、行動を選択していく時代に変容していくと思う。
私はそう思うのだが、親鸞は既に千年前に彼自身がそういう生き方を実践していたのだ。
私はそう解釈する。


Posted at 2012/03/30 21:59:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思索 | 旅行/地域
2012年03月28日 イイね!

若いひとたちとの触れ合いを通じて(注:私も若いんですけどね・笑)

若いひとたちとの触れ合いを通じて(注:私も若いんですけどね・笑)私は人間の物理的な加齢による「老い」とか「若さ」については、個人差があると考えています。
だいたいにおいて、「老い」とは、「若さ」とは何なのでしょうか。
一義的に定義付けられるものでもないでしょう。
私にはよくわかりません。
エネルギッシュなのが若さで、ある程度落ち着きを出してきた状態を老成というのでしょうか。
まあ、どちらでもいいです。

しかし、以上の認識を踏まえても十代や二十代前半の人たちの言葉を聞くと、私は本当にエネルギーが満たされます。
ツイッターや別ブログなどで、かなり若い人たちとお友達になっているのですが、本当にエネルギーに充ち満ちているような印象を受けて、とてもいい気分になります。
そして私は、この気分の良さの源泉は何なんだろうという風に考えています。

私が十代や二十代前半の頃は気力も体力もやはりあったかなと思います。
そう、そこで現状と比較してしまうことがいまいちいい気分になれない理由なのかなと思いました。
若い人(ごくごく一般的な意味合いで述べています)には比較という概念がありません。だから、エネルギーが純粋に湧き出ているような気がするのですね。
私は「いつまでも若い気分でいるぞ」と肩肘を張るつもりもありませんが、逆に「もう歳だから」というような台詞は吐きません。
吐いたところで、その言葉がますます自分を若き頃の自己との比較に追いやるような気がしています。

私は人生の先輩を大いに尊敬する人間ですが、同時に若い人たち(私もまあ若いですけれども)もとても尊敬しているんです。
学ぶことが本当にたくさんあります。
しかし、年長者の方がダメというそんな二分法に陥ることはなく、年齢は関係なしに(むろん、礼儀は尽くすものの)私はコミュニケーションを深めていきたいと考えております。

人間は物理的な加齢ではなく、その自分に対する構えみたいなもので、生き方に差が出てくるのかなと思う今日この頃です。
Posted at 2012/03/28 21:24:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思索 | その他

プロフィール

「建物そのものがすでに歴史民俗資料になっている気がする😅」
何シテル?   06/18 13:17
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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