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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2020年12月22日 イイね!

本妻と栃木弾丸旅行 その2

本妻と栃木弾丸旅行 その2凄まじいまでの積雪は四輪駆動の強みを実感するのに充分でした。

ということもなく、冬場の北部山沿いを除く関東地方らしく、いいお天気でした(笑)

宇都宮を昼頃に出て向かった先は、大田原市にある、れすとらん駒。いつぞやのツーリングコースと同じですね(笑)








ニンニク汁がドバッと掛けられています👍






またまた缶コーヒーをいただきました。
ありがとうございました😊

さてさて、続いては、いつぞやのツーリングでジネッタとともにミスコースしたために、絶景をあまり堪能できなかった御亭山登山。凍結している様子もなく、スイスイと到達しました。
しかしながら、風花が舞っていましたし、那須や白河方面は明らかに雪国の景色であることが、この高台から窺い知ることができました。











ちゃんと山頂まで行きました(笑)

続いて向かった先はいつぞやの、、(笑)
紅葉が実に美しかった雲巌寺に来訪しました。
予想通り、今月は閑散としておりました。
しかし、この枯れた景色が禅風の境地を現しているようであり、日本的美の象徴であるともいえましょう。






















松尾芭蕉も吉永小百合も当地を訪れております。







雲巌寺土産ってどこで買えばええのやろ?

時折、風花が強く吹き、禅的恬淡さに叙情を加えているかのようでした。

この時期は日暮れ前が早いので、峠道走行に備えてグリップするタイヤに履き替えます、
なんてことはせず、大人しく平野部に戻ります(笑)

そして、閉館15分前に辿りついたところが、いつぞやのツーリングで向かった高根沢町の歴史民俗資料館でした(笑)









前回はNSXを鑑賞しましたが、今回は高根沢町にあった平山城の模型と宇津救命丸の展示物と若干の土器を観て退散しました(笑)

宇津救命丸の話だけしましょうか。
もともと宇都宮に程近い高根沢は宇都宮氏の支配下にありましたが、秀吉により滅ぼされ、重臣であった宇津氏は薬を作るなどして生計をたて、やがて諸国の評判を呼ぶようになります。
徳川の時代になり、暴れん坊将軍吉宗が創設した御三家の一つである一橋家がこの地域を治めるようになると、救命丸を水運を使い、江戸まで運搬し、一橋家まで届けるなんてこともやるようになりました。
そんなこんなで有名になった救命丸は昭和40年代に正式に宇津救命丸として定着をみるに至ります。

城の方については、宇都宮氏と那須氏という豪族が対峙していて、宇都宮氏の那須氏に対する抗争の最前線だったとされていた、とだけ述べておきます。
今度、実際に行ってみます(笑)




まだ帰るには早いので、宇都宮市と芳賀町との境目にある喫茶店でスイーツを堪能。いや、美味かった。
栃木といえばやはりオレンジですな😁
(或いは、自販機と定食屋が混合している高根沢の大泉に行ってもよかったかな?店主の修行場所は世田谷だったそうで、以前、盛り上がりました)。

ところで、宇都宮はデフォで二回転となる面白い土地ですが(理由は未だに判明せず)、そういうところには行かずに、草加で寿司を堪能したりしながら、上野入谷まで国道四号をひたすら南下しました。
なお、本日の晩めしも寿司でした😅




たぶん、栃木の北部山沿いはこんな具合になっていたのかなという想像図(笑)
Posted at 2020/12/23 00:19:11 | コメント(3) | トラックバック(0) | ドライブ
2020年07月02日 イイね!

松平郷のことや今日の夜のこと

松平郷のことや今日の夜のこと徳川家は三河を根城として勢力を伸ばし、ついに日本全国を宰領し、三百年弱もの泰平の時代を築いた。
徳川家はもともと上州新田郡に在していた徳阿弥という人物(時宗の僧俗と思われる)が三河松平郷に土着し、松平親氏と名乗ったことを嚆矢とするという。
若干疑わしい。当時の源平交代思想では征夷大将軍の身分を得て武家の頭領として認められるには、源氏であることが先例とされ、必要条件とされており、家康は新田源氏の末裔であることを偽造した可能性もある。
しかしながら、松平郷を根拠として勢力を広げていったのは間違えのないところである。松平郷は三河山奥にある。

新東名ができてからというもの、山奥といえども、実に気軽に訪うことができるようになった。
なんとなく西に向かおうと思い、昼前に江戸を発した私は夕方前には松平郷の地にいたのである。

松平家の菩提寺で高月院というのどかなお寺がある。かの司馬遼太郎の若年期に絶賛され、晩年に失望の象徴として槍玉に挙げられたお寺である。

「山門を修復する資金を集めるにはどうしたらいいかねえ」
ボクシングの亀田兄弟のような顔をした住職が私に話し掛けてきた。
取っ掛かりはそのような具合で、東京の十条に住んでいたことなど、様々なお話を伺ったのだが、私がふと口にした釈迦の中庸という話から、人間は過去の情報を基に判断をせざるを得ない存在であるという、まことに哲理に富んだお話にまで話柄が広がり、悟りに至る過程を述べることが不可能なように、このときの情景を文章化することは不可能に近い。
知識人であり、道の探求者でもあり、仏僧らしく俗的な(これは釈迦の中庸を基にすれば当然のことで、聖そのものの僧侶がいたとすれば、その僧侶は物事の二極のうちの一つを顕現しているに過ぎない)人物であった。

行くあてもない流浪の旅人の心算であったし、日も暮れかけてきたので、夜もそこそこ賑わっている名古屋市街を抜け、清洲のお風呂に入ったときに、明日の東海地方の雨が尋常ではないとの旨を知り、いささか迷ったが、とんぼ返りで帰ろうと思った。

しかしながら、長篠の辺りで眠くなり、車中泊。
翌朝の天気は概ね良好だったが、ともかくも、神奈川まで戻ってきた。宮ヶ瀬を周遊したり、横浜でクルマのメンテをして、大黒までテストドライブ(ようやく降ってきたと思ったが、すぐに止んだ)をしてみたりした。
どだいまっすぐに帰宅ができない人間なのである。



























というわけで、どうも東海地方の豪雨はかなりのものだったようですか、勘が働いたようで一足先に戻ってきたというわけです。
高月院の住職が「明日は雨じゃないですか」という言葉が脳裏に残っていたのかもしれません。

水曜日は仕事後の水泳を楽しみましたが、木曜の夜はランエボ乗り、インテ乗り、シーマ乗りの方たちとプチオフをしてきます。
余談ついでに。

ランエボ乗りの方から地元に帰ってきているので会いませんかという連絡を受けたんです。
もう四年前のことですかねえ。当時、S2000に乗っていた彼と知り合ったのは。
スカイラインをレンタルしていたカルロスという外人と三人でおしゃべりしていたのが印象的でした。
昨年、白メガネ団で北陸遠征をした折に立ち寄った豚汁屋の話をあるときに機会があってしてみたら、実はいままさにその店のすぐ近くに住んでいますとのこと。
えっ?
びっくりしました。
この世界というのはどこがどのようにつながっているのかが、時として、偶然にしてはできすぎているという形で立ち現れてきます。

なんなんでしょうねえ。
世界が唯物論の世界だとしたら、これらの現象にも特段の意味はないということになるのでしょあが、私は意味を見出したいですね。

Posted at 2020/07/02 02:06:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ
2019年03月27日 イイね!

奥多摩・甲州恵林寺 私はマグロ

奥多摩・甲州恵林寺  私はマグロ





まだ昭和帝が健在だった頃、観光地に行くと、木刀やら観光地の名入りの三角旗やら、キーホルダーなどが売っていたものだ。
さすがに平成の世の中も終わるとなれば、このようなお土産の風物詩もさすがに過去のものと相成った。
と、思いきや、そうでもなく、どこの問屋が卸しているのか、シーラカンスやかつての三菱デボネアの如く、長い風霜を物ともせず姿形を変えずに、お土産として売られているところが存外にある。私は諸国を旅しているので、各地にまだディスカバージャパンが残っていることをこの目で確かめている。







さて、東京都、のだいぶ山奥である奥多摩の大麦代の土産屋もまたそうで、試しに鈴の付いたキーホルダーを買ってみた。

製造年も昭和時代なのか、色褪せている。値札は無かったが、聞けば450円という強気の価格であった。これは昨今の旧車価格の上昇と比例しているのであろうか。
ともあれ、買い求めようと、私が千円札を出したときに、奥で声がした。

「こんなものを450円で売るの?」

まあ、商売なんてそんなんでいいのではないか。





この日はメガホンを持った人こそいなかったが、ツーリングや走りのクルマで賑わっていた。

実はここに来る前にかつて奥多摩湖湖畔まで走っていた鉄道路線の廃線跡を少しだけ散策してみた。















私は廃れゆくものが好きで、既に朽ちているものにはあまり興味が無かったが、ここ最近は志向性が変わってきた。例えば、女性だってピチピチであることだけが全てなのではない。朽ちていく、、とは言わないけれど、まあ、有終をとうに終えた達観の美のようなものもあるんじゃないか。
いつも、ビンビンに快活に反応するまでもない。頭も身体もシオシオとしおらしくしているのもまた存在の在り方ではあるまいか。
あっ、墓穴を掘ってしまった予感。


西日暮里駅から日暮里に向かう途上にて(この日は県境と草加を旅してきたのであった)

実は仕事と遊び、冒険を多数こなしているので、ブログはしばらく休止しようと思っている。キャバクラに行く時間を割いてまでブログを書こうとは思わなくなった(私は酒を飲まなくなったので、キャバクラにはとんと行ってないけど)。
マダガスカルのホニャララ村の長者番付で常に上位を占める私としては、円やドル、ガバスの対価として執筆したい気持ちが強いのである。

さて、奥多摩の隣は山梨県である。しかも、有数の山岳地帯であり、道路が寸断されると本当に孤立してしまう。住みたくはないが、そういう場所が好きで、メガホンで解散の号令がかかると、いつも自宅のある東京砂漠とは逆の方向を目指していたものだ。










青梅街道から大菩薩ラインを通り、ましろにぞな富士山がくっきりと見える柳沢峠にきた。標高も高く、まだ雪が残されている。
峠を下ると甲府盆地となる。盆地に下る側は、高規格なトンネルや高架が着々と建設されている。走り屋さん的にはどうなんだろう。インプのようなハイパワーでコーナリング性能に秀でたクルマに分が出てきそうだ。三島と箱根峠とを結ぶ国道一号線のようになるのだろうか。そう思うと少し寂しい。茶屋でメシ。






甲府盆地を下ると、蛇口からも温泉が出るはやぶさ温泉など魅力的な場所もたくさんあるのだが、今回は寺散策。武田信玄が大いに加護し、武田家の菩提寺にもなっている恵林寺の境内を存分に歩いてみた。

























心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉は当寺の中興の祖である快川和尚が、織田軍の武田軍殲滅の煽りを受け、信長軍に包囲されたときに、四方が炎上したときに述べた言葉とされている。また、写真にある怒り顔の像は信玄が彫り師に自分を模して作らせたものだという。
自分の胸毛を刷毛で像に塗りたくったとも言われているが、胸毛は確認できなかった(笑)

加えて、境内には信玄を尊敬していた柳沢吉保という人物の墓と像もある。生類憐みの令で有名なとくがわの時代にめきめきと頭角を現した。

という、歴史的由来はともかくも、のんびりと境内に佇むだけでも良いと思う。土産屋も数件あるので、是非立ち寄られたい。
















日が暮れてから甲府にある模型屋さんで、ホンダ1300の77Sというマニアックなクルマのミニカーを購入。空冷エンジンでオールアルミボディ。いかにもホンダらしいが、販売が振るわずに三、四年で姿を消した。現存個体はいかほどだろう。
昨年、茨城でクーペの7Sを数台見ただけである。
そんな具合で何十年もの人生を生きてきたのであった。まあ、1300に囲まれた人生というのも、いい意味でかなり数奇だとは思うが。

温泉に浸かり帰宅。鈴の音の付いた昭和モン(?)のキーホールダーはグローブボックスに据え付けておいた。微かに鳴る鈴の音が心地いい。ドライブらしいドライブをしたなと満足していたのだが、翌日、洗車を依頼している途中で購入した添加剤を購入したことをいいことに、神奈川県をほぼ一周するなど、相変わらずのマグロぶりを発揮。
クルマでなくとも全国行脚をする。鉄道でもバスでも歩きでも。
そこが名の知れた土地であろうが、無名の土地であろうと。


























とりあえず休筆。


















Posted at 2019/03/27 21:11:00 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ
2019年03月13日 イイね!

江ノ島が見えてきた!俺の家も近い〜

江ノ島が見えてきた!俺の家も近い〜某月某日。
映画を鑑賞するために青山のホンダ本社から川口の巨大ショッピングモールに移動するという、気宇壮大なナポレオンのモスクワ遠征、或いはアッチラ大王の東欧遠征ばりのことを済ませた翌日のことであった。
九州や青森等に行くのとはまた違った意味で遠さを感じた次第である。
映画に影響されまくってるな(笑)

澄み渡った蒼い蒼い空が印象的な日であった。そこにただいるだけで気分が爽快になるような絶望とは真逆の極上の陽気であった。
エンジンオイルを交換し、ダイヤの窒素ガスのセッティングを変更。
テストコースでの走りは上々。
東海道保土ヶ谷宿でスタミナ定食を食べたら、その名前の通りの効能が発揮され、途端にスタミナが溢れんばかりに湧き出たので、フロンティアを求めてさらに先に進むことにした。
気がつくと蒼い空以上に蒼い海原が見えていた。

私は藤沢市にも住んでいたことがあり、取り立てて湘南には珍しさを感じないのだけれど、離れてみるとわかる。海はいいよなあ。
江ノ島神社に向かう参道前ですぐにUターンして戻ろうと思ったが、島から帰るクルマで対向が、ジャカルタの道ばりに混んでいたので、駐車場にクルマを停めて散策することにした。







せっかくだから誰も行かないような場所を歩くことにした。時折、大波が来るので、波が引いたときに小走りになりながら突き進む必要もある。かつての北陸の親不知海岸と同じである。大変な難所である。違うのは命がけではないということくらいか。












島を岸辺伝いに外周できそうな気もしたが、そこまでの冒険心はないので引き返して、続いて狭い道と急勾配が続く江ノ島の住宅街を抜ける。










江ノ島神社の中津宮の近くに出た。
ここで、生まれて初めてエスカーに乗った。石段を登り降りしても良かったのだが、西洋近代文明の合理性や利便性とは何かということを哲学的に思弁しようと思ったのだ。
なんてわきゃございませんね〜〜



といっても、江ノ島は小さいながらも坂が登り降りしており、エスカーが途切れたあとは歩くしかないんだけどね。


















高い岩石の上にひょいっと登り、海原と観光客を見物。







遠景に富士山を眺めながら、気分はフィジー島辺りにきた西洋人。水着になって椅子に横たわりながらグラサンでもしていたい気分だった。
というのはウソで、日も落ち始めて、寒くなってきたし、グラサンなんて掛けて水着に姿になっている場合ではなかったがの。







実はこのような素晴らしい環境を有するところに住んでいらっしゃる神奈川県の皆さんと夕ご飯を食べようと思い、お声掛けしていた。
しかし、場所がギリギリ東京都という遠方であり(帰る方角ではあるのだけれど)、しかも、炭酸泉に入りたかったので、遅れて到着。
アラビア語をスラスラっと書く中東のシーマ乗り氏(世界のkさんのお友だち)やハチマル御大もお誘いしたが(期せずしてご自宅近くを通った、と思う)、仕事や病等々だそうだったので、単騎で突入。まあ、誰かいるでしょ。



※社用車が一台写ってません


※一人、早退しちゃったので、写してません。ごめんね。いつもの通り、みっちぃさんだけモザイク無しね。

まあ、なんというか、ああいう集まりはその場で楽しむものだと思うから、これこれこんなことを話しましたといったことは書かないけど、書いてみたくなるような、グダグダトークが炸裂(笑)

それにしても、私の人徳の賜物であろう。今回も急な告知の公布にも関わらず、県内でもわりと遠くからお越しになられた方々もいらっしゃった。感謝感謝でございます。








Posted at 2019/03/13 23:11:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ
2019年03月04日 イイね!

男五人で遠乗会 グルメ・廃墟探検ドライブ

男五人で遠乗会  グルメ・廃墟探検ドライブ
この記事は、女五人でグルメ・廃墟探検ドライブ(茨城・千葉)の続きです。

表題の趣きを変えてみたのは、調布基地で昼飯とデザートを堪能したのち、日本初のツーリングの折り返し地点であった国立にある谷保天満宮に立ち寄ってきたということも関係しているやもしれません。



明治後期に皇族有栖川宮を中心としたクルマたちが、日比谷公園を出発し、谷保天満宮の梅林で食事会を催し、また、都心に無事に戻っていったそうです。
当時は東京でもクルマは数十台ほどしか無かった時代のことですから、それはそれは注目を集めたことでありましょう。
なお、この記念すべきツーリングは遠乗会と呼ばれたそうで、遠乗りなんて言葉など、まるで今の私に投げかけられているみたいです(笑)
ともあれ、その模様は今はさておきます。

注目といえば、数十台の旧車群が食煩悩を満たしている私たちの目の前をすり抜けていく様を見ました。お寿司よりも、運転なのでしょうか。ストイックですね(違)







大洗を出た私たちは再び朽ち果てた美を追い求め、県内をうろちょろすることにしました。

























さして興味のなさげなすっとさんは早々と車内へ。白メガネ団長が思いのほか食い付いていたのが印象的でした。この辺りはひたすらに平地が広がっており、日本では稀有な大平原と化しています。ゆえに、このような雨天だと、同じような景色が八方に広がり、どこにいるのかがわからなくなってしまいます。

田舎の道路というのは油断大敵で、ちょっとした水たまりかと思ったら、スプラッシュマウンテンばりに水が襲ってくるなど、アドベンチャーらしい演出を実現させてくれます。
河川も随分と増水しているように見受けられましたが、たまさんによれば、この辺りはこんなものらしいです。うーん、ダウト!
明らかに増水していると思いました(笑)

その前に、鹿島神宮を参拝。したのは、たまさんと私くらいで、他の三人、特にさざれ石さんは境内のさざれ石の前で、自らがさざれ石であるという、ちょっとやばそうな言辞を吐いたりして、結局、なにをしに来たのかいまいちわからない神宮来訪となりました。
さすがは白メガネ軍団のドライブ旅です。












鹿島神宮には真夜中に境内脇を通り過ぎたことがあるだけで、実は初来訪でしたが、このようなグダグタした形で来訪が叶うとは予想だにしていませんでした(笑)

栄華を誇った藤原一族はもともとはこの辺りの出身で、奈良の春日大社の鹿ももともとは鹿島神宮にいたものを連れてきたといわれているくらいです。鎌足神社という小さな社も神宮のすぐ近くにありますが、過去に囚われることなく、今を生きるんだという軍団の生き様が如実に現れた格好となりました。





その後もスプラッシュマウンテンを浴びながら、おやつ休憩。ここも初来訪です。近くはよく通るのですが。














今回は焼肉弁当とセリカXXと、マークXとの三択でした。しかし、セリカXXは出てきませんでした。ともあれ、さらなる食の充実感を求めて、私たちはついに千葉県に入り、チバラギ地域のさらなる代表的スポットである丸昇へ。
先週も来た気もしたのですが、気のせいでありませう。









帰路はミニバンの中で昭和や90年台くらいの歌を歌っているうちに、いつの間にやらコンクリートジャングルの東京に戻っていました。いやはや、これまでの出来事は邯鄲の夢の如し。




都区内某所で反省会という名のスイーツ三昧。
くうねるあそぶという言葉が思い浮かびました。



最後にあんなところにこんなものがオフ(謎)を開催し、解散と相成りました。白メガネ軍団の皆さま、本当にありがとうございました。私もあのように気ままで自由奔放に生きることにします😁




私はといえば、普段あまり通らない道を適当に走り、拙豪邸に向かいます。



折りしも外出中の家内のことを思い出し、慈愛に満ち溢れた私は駅まで迎えにいき、次いで、最寄り駅ではない街まで雨水をスプラッシュさせて向かい、河津桜を鑑賞しながら、今日一日のことを神に感謝した次第。




遠乗会の一日はかくしてあっという間に終わったのでありました。
まあ、一台でドライブをしたわけですから、遠乗会とは言わないのかもしれませんが、有栖川宮殿下ならば、かような細かいことなど気にせずに鷹揚と構えていらっしゃることでしょう。
















Posted at 2019/03/04 21:41:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ

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「2018年の小倉駅近辺〜
昭和〜😆」
何シテル?   08/21 01:33
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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