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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2022年07月21日 イイね!

三河周遊記じゃん

三河周遊記じゃん三河弁の特徴を示す言葉として、『三河の「じゃん」「だら」「りん」』という言葉を聞くことがあるが、「りん」は聞いたことがなく、一番多いのは「じゃん」だろうか。年配の人から聞く機会が多いような気がする。

ちなみに、横浜の人が「じゃん」を使い始めたのは昭和に入ってからと言われており(使っている人もいなくはないけれど、方言的な感じはしない)、起源は三河地方であろう。徳川家康の拠点の推移と関係があるように思える。
ちなみに、関西圏では「じゃん」の代わりに「やん」等が使用され、それが、新興で歴史の浅い東国のあさましき象徴として「じゃん」が捉えられるようになったのかもしれない。
山梨や静岡でも「じゃん」は使用されているし、「だら」は静岡でも使われている。
近頃は標準語が全国区になってきたため、実態がつかみにくくなっているものの、少なくとも「じゃん」は首都圏固有の言い回しではないとは云えよう。

なお、ズーズー弁を用いる島根県出雲地方(全員がズーズー弁というわけでもなく廃れ始めているかもしれない・現地での実感)でも、「じゃん」という言い方があるのだけれど、こちらは「たくさん」という意味が込められているようであり、だいぶ様相が異なる。
出雲はいわば神話の世界で抹殺された存在であるが、日本各地に出雲発と思われる神社や地名がある(東京と埼玉で多数見られる氷川神社などは出雲系の名残りであろう)。なので、出雲は別途考察したい。

夏はいきっとる スズキ歴史館再訪 でらうま餃子じゃん

市街地から離れたところに宿泊したので、街散策する気もなく、ホテルでデリーを呼べる(ちなみに呼んだことはない)確率は40パーセント弱のようで、まるで梅雨時の天気予報のような不確定性にみちみちていたのでやめておいた。

翌日はひとまず、三河湾沿いにある吉良海岸に行こうと思った。

【画像有版 モザイク無し!】東海地方におじゃまんま


が、道中、「三河国国分寺・国分尼寺跡」という表記を見つけ、ちょっとした散歩のつもりで行くことにした。基本的にナビは使用しないので、ナビ画面を地図の代わりにして現地に向かうのだけれど、どうやら一本手前の狭い道に入ってしまったようで、折り返そうと思うものの、警告のピーピー音がうるさいし、なんと衝突回避のためだろう、緊急ブレーキが働いてしまうのであった。
キャンセルする機能もあるとは思うのだけれど、どうにもわからない。
おそらく障害物等を検知して警告する機能は増えていると思うけれど、ノートは比較的早めに警告する傾向があるように思えた。
駐車場の輪留めに接触するくらいのタイミングで警告音が鳴り始める具合で、
数年前までは知らない道を通り、寸止めの切り替えしばかりしていた私には却って、使い勝手が悪いなと思った。
例えば、江の島の集落のような狭い路地をクルマで走ったとしたら、ピーピー鳴りまくるのであろうか。
いろんな意味で勉強になった。






































夏らしい陽気で、首都圏の感覚からすれば空いている吉良海岸も、駐車場が有料になるくらいには繁茂するようだ。
ここで再会したかった人がいたのだが、あいにく昼食中だったとのことなので、
隣の一色(吉良も一色もすべて西尾市になっている)に向かうことにする。






















一色には特にこれといって何もないという印象が強く、走っていてもそんな印象は相変わらずだったのだけれど、多少お腹が空いてきたので、一色さかな広場(だっけ?)という施設に向かうと、鰻屋が数軒見受けられる。なるほど、鰻の名産地であったか。
おさかなセンター内にも鰻が食べられる食堂があったので、海産物も食べたいところではあったものの、鰻をチョイス!
隣は愛知県美女六人組で、窓外に停めてあるノートを見るふりをして、そのご尊顔を覗かせていただいた。
茨城の佐竹の話ではないけれども、仙台と水戸、名古屋は日本三大チョメチョメな地域として揶揄されてはいたが、いや、そんなことはない。今度、なぜか栄にある「名古屋城」に来訪することにしよう。







































海岸沿いを伝う。西浦海岸でドライブ中にたまたま立ち寄って、親しくしていただいているマスターのもとへ。こちらは夕刻になっていたとはいえ、海水浴客もまばらだ。水着やシャワー等の設備をお借りしたこともあるのだけれども、夕刻以降に来たということもあり、それは遠慮し、持参のタオルを片手に膝まで海に浸かることにした。少なくともどうやら私には海による治癒力があるらしく、幾分か心が癒された。東京にもお台場に海岸があるので、浸かってくるか。




































蒲郡で給油。満タンにしなくとも帰れるだろうことは予想できたものの、なにかとお世話になっていることだし、おおまかな燃費も知りたかった。
e-POWERでエコランする方法ってよくわからないし、あまりエコランには関心がない。といいながら、15キロオーバーをマークするのはさすがだろうか。
まったく飛ばしてもいないので、これが適正値なのかどうかはわからないけれど、リッター20キロを走っている人もいるようだし、まあ、私には燃費運転の按配がよくわからない。預けているインプの方が、パワーがあるために、アクセル開度も少なく、結果としてカタログ値と同等の数値をはじき出していることを鑑みても、私には5リッターV10くらいのクルマが合うんだろうなと思った次第。

豊橋でアカスリのおばちゃんと会話をして、「じゃん」の伝播した関東に下向。
結局、自家用車でなくても、遠出してしまうのでありました。てへぺろ。











Posted at 2022/07/21 11:57:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日本を歩くシリーズ | クルマ
2022年06月16日 イイね!

多摩川を越えるときはおめかしをする 川崎・横浜漫遊

多摩川を越えるときはおめかしをする 川崎・横浜漫遊多摩川という大河川が東京と神奈川を隔てている(上流部は別)。
どうやらあながち都市伝説もないようだけれども、多摩川の南部、すなわち、川崎の人たちが多摩川を越えるときには独特の緊張感があり、おのぼりさん的におめかしをしちゃったりするらしい。
という話を昔、川崎在の女性から聞いたことがある。

ウチは川崎やその隣の横浜に行きやすいこともあり、そういう機敏については普段は考えたことがないけれども、川崎に行くのであればポールスミスを着て、横浜に行くのであれば、アニエスベーにするといったファッション的配慮をしたことはない。

ちょっとした用向きがあり、トヨタ車やダイハツ車がずらりと並ぶトレッサ横浜に向かった。世界的なイシューに合わせてEVも作りながら(日本には中国のバッテリーリソース寡占化や欧州のCAFEやLCAのような戦略があるのだろうか)、ハイブリッドや水素自動車、そして、スポーツカーもガンガン作ってしまうトヨタの姿勢に共感しているのだけれど、このままでは製造業はちょっと危ないと思う。少なくとも、企業は海外に移転してしまうと思うのだけれど、そんな中で、日本全体を考えていると見受けられるトヨタや他の国産自動車メーカーには大いに敬意を表するものである。
















さて、横浜というのは意外と山がちな地形であり、トレッサの駐車場からも山がいくつも見える。そのうちの一つが昔の山城だったんだろうなと思っていたところ、昔からの地主の屋敷(東北地方では肝煎、関西では庄屋と云うことが多い)がその山の麓にあり、無料開放されていることを知り、立ち寄ってみた。トレッサから歩いていけないこともない。横溝屋敷という。

昔ながらの地主の家という門構えで、幕末以降の日本は特に輸出品としての養蚕が盛んになったので、この家も養蚕を始めたという。養蚕のための小屋や息抜き穴も残されている。
たしかに、当時の貿易港といえば横浜港だけで、地の利はいいけれども、最終的には八王子や長後(藤沢市)に生糸生産を委ねていたという(記憶が曖昧)。
えっ、長後?だから昔から急行が停まるのかな、なんて思ったり(笑)









































※網野善彦がかつて指摘した如く、百姓というのは単なる農民ではないのだろう。当地の横溝家が農家だとしても、名主という封建制度においては下級の人間であっても(いわゆる士農工商という考え方も最近では疑義が挟まれているけれど)、教養が大いにあったと推測される。
また、この辺りは天領だったはずなので、行政も代官に代わり、移譲されていた可能性も高いと思う。







貿易構成比をみると、明治初年だとほぼ生糸で、あとは茶くらいのもの。非常に重要なものであった。が、生糸の輸出も(茶も同様)芳しくなくなり、やがて横溝家では養蚕と茶の生産をやめたという。

「川崎市平和館」という名前を道中に見つけてしまった。私がもっとも行かなそうな場所ではある。戦争の悲惨さを訴求して、「二度とこういうことがないようにしましょう」的な教訓に懐疑的だからである。
が、ここでは戦時中の貴重な資料があるほか、国際紛争や内戦、戦争報道の在り方、メディアのコントロールという点など、実に多角的に考察されており、歴史的に戦争と平和の在り方がどのように変化したかということも図示されており、この点が秀逸だった。
閉館間際でかなわなかったものの、図書の貸出も行なっているようで、駐車場の数が少ないと告知されていながらも(川崎なので公共交通機関で充分ともいえるが)、七台ほどのスペースがあったし、私のクルマしか停まっていなかったので、少なくとも平日にお勉強しにいくにはお勧めかもしれない。

















































やたらお腹が空く。「ああ、そういえば鶴見から少し離れた場所に昭和な商店街があったよな、あれどこだっけ」と思っていたら、そこに着いた(笑)
レアールつくの(鶴見区佃野町)という商店街である。
まずは神奈川だけれど、屋号が北関東なお店で駄菓子を少々購入し、アーケードをくぐる。この辺りは交通の便がいいとは思わないのだけれど、なぜに商店街までできているのだろう。
ちなみに、商店街の脇に地蔵菩薩の像が数体あり、加藤清正の家臣の揮毫が残されている。
































少し前まで昭和的なものはほぼなくなりかけていると思っていたけれども、多少の変化はあるにせよ、昭和的なものは案外と日本国中に息づいているなというのが最近の見解である。街の変化というのは思ったよりもダイナミックではないのかもしれない。そして、私はむしろそちらを好む。







午後八時には続々とシャッターが閉まっていく。首都圏とはいえ、昔はこんなものだったかなあ。日産の横浜工場(エンジン博物館や近くにニスモギャラリーもある)の辺りを通り、なんとなく大黒へ。神奈川の首都高で休憩するとなると実質的に大黒だけになるんだよね(大師PAは下りのみだし、五台くらいしか停められない)。
近頃はやたら閉鎖しようとするけれども(都内の主要PAは閉鎖だった。それと、閉鎖するなら首都高に入る前にわかるようにしてもらいたい)、昔みいたにじゃんじゃん入れた方がいいのではとも思う。音響組がメインで朝方まで賑わっていた頃の方が、なんとなく統制的ではない気がするし、それがたぶんにノスタルジックな心情によることは理解しているけれども。

オーナーの顔には見覚えのあるFDシビックが出現。ぺちゃくりタイムその他(笑)
思い返せば、昨年の今頃はNSR・ミニとインプの二台でどうのこうのとハプスブルクな話を」していたわけなので、一寸先は何が起きるかわからない。
私はといえば、スイスポどころかスイフト(スイスポと入れ替えたクルマ)すら買っていなかった。
ある意味で、今のご時世はありがたい。変に未来を患うこともなくなった。キリギリスな生き方がむしろアリ的な生き方だったりするパラドクスが眼前に出ている。そのことの僥倖をかみしめねば。

















で、久しぶりに午前様(笑)
都心経由で帰宅(まあ、家も都心といえば都心だし)。



Posted at 2022/06/16 12:12:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日本を歩くシリーズ | クルマ
2021年12月07日 イイね!

【つくば学園都市を徘徊】ミニカーや自動車雑誌のたくさんある居酒屋さん

【つくば学園都市を徘徊】ミニカーや自動車雑誌のたくさんある居酒屋さん母親の祖父母が常磐地区出身(福島県いわき市)だったこともあり、茨城県は自分にとって身近な地域だったりする。いわき市のお隣だし、首都圏からいわきに向かうときには必ず通過せざるを得ない。
国鉄で常磐線の赤電が走っていた頃、祖父母は取手の会社に勤めていた(その頃は社宅で千葉県我孫子市に住んでいた。だから、チバラギとの縁は深いのかもしれぬ)。
というわけで、今でこそ、洋モノ車比率の高いブルジョワ住宅街に住んでいるものの、茨城は第12番目くらいの故郷である(笑)

ここのところ、どうも何事もやる気が起こらず、クルマにも乗りたくなかった。
といいつつ、クルマで横浜の日産エンジンミュージアムに行ったりもしていたけれど、横浜は近所なので。L型のディーゼルがあるのに、L20や28の展示が無いところなどもまた面白く、建物は文化財である。おススメである。無料駐車場完備でニスモ本社(同じく展示と無料駐車場アリ)の近くである。







話が逸れたが、やる気がともかくも無かった(マスクするようになってから多くなった)。

が、かつてつくば万博が開催されたつくば学園都市に住むみつびんさんの忘年会プランその他の書き込みを見るや否や、行動力の神が憑依し、一時間後には茨城にいたところが私らしい(笑)




時間帯次第ではウチからでも、一時間程度で行けてしまうところなのだ。そういう意味では近所みたいなものだ。そう、横浜に行くような感覚。

昭和63年のつくば万博の印象も強いけれども、昔から人工的に計画的に形成された都市に興味があった。常々、散策してみたいと思っていたけれども、コインパーキングは駅前に集中し、意外とクルマを停める場所が無い(と思っていた)。

が、今回、ご厚意により、ドイツ、というより世界が誇るクルマのメートル原器であるゴルフで学園都市を案内していただいた。





まずは中古車屋を見てみようということになった。
AE86がものすごい値段になっていたけれど、そう感じるということは、当時を知っていたり、底値の時の相場の時代に生きていたりするくらいなので、この点は注意せねばならない。

インプも置いてある。300万越えの個体もある。走行二万キロ程度でワンオーナーらしい。下回りを見てみたけれど、公道というよりサーキットメインで走っていたのではないか。タイヤはひび割れがあったので紫外線にはあたっているものの、サイドにひび割れはなし。タイヤの角がとれているわけでもないので、ヤフオクものを装着して売りに出したのであろうか。エンジンルームまでは見ていないけれど、悪くはないと思う。涙目のE型だから、PCDも114.3と汎用性もある。








ネオクラ車については、例えばシルビアは状態により大きく値段が変わるという。マークIIなどは状態に関係なく高値を維持するという。これはひとえに中身のエンジンである。JZというエンジンの海外需要があるからだろう。知り合いのクルマ屋さんもエンジン需要のことを話していたし、JZに憧れている外国人を何人も知っているので、さもありなんだろう。だから、旧車でもフェアレディZなどは意外と落ち着いているプライスだ。
まあ、この辺りの相場の形成過程は需要と供給で成立する古典経済学だけでは当然解明できず、行動経済学等のアプローチも使用しないと理解できないのかもしれない。クルマは大英帝国がインドで栽培させたアッサムティーのように、単純に「商品」ではなかったのであった。

続いて、つくばエクスプレスの駅前へ。駅前のコインパーキングの値段が安いことに驚いた。
これは私を移住・居住させるための罠だろうと思っていたが、本当のことらしい。一日五百円。秋葉原まで一時間足らずで行ける立地なのにも関わらず、これは安いでしょう。埼玉スタジアムができて、埼玉高速鉄道ができた当時の駅前がだいたいそれくらいだったけれども(浦和美園?)、こちらは回りは畑しかないような有り様であった。さもありなんという要素があったが、こちらはもうれっきとした都市になっている。








茨城は私にとってはやはり異界であるが、高層ビルが整然と立ち並び、道路も碁盤の目のようになっていて、時折、地場資本があったりする街並みは不思議であり、ロサンゼルスを思い出した。似たような街並みだった記憶がある。
学園都市はの人種は基本的にモンゴロイドばかりだけれども、東南アジアの人も多くみられるし、ネイティブな茨城県人の比率も少なく、そういう意味では人種のるつぼではあろう。茨城訛り率も少なく他県ナンバーが目立つ。






おいしいお饅頭をごちそうになり、キャンプ場を下見。こういうローカルな場所というのは、やはり地元の人の案内があってこそであるが、その最たるものが、
居酒屋で、自動車雑誌やミニカーが多く並んでいる。
話をこと、自動車に限定しても、好きなんだなということがひしひしと伝わり、
なんでこんなものを集めるのかねという奥様(マニュアルの方が運転しやすいと感じてしまう私と同類の方)の嘆きながらも理解してくださる愛情も心地よかった。
















とはいえ、趣味に惑溺するわけでもなく、洋食屋をなされていたということで、
食事がまた絶品で、私が今まで食べた洋食の中で一番うまかった。食事するために来てもいいんじゃないかとマジで思った。

ちなみに、私はイスラム教徒でもなく、また飲酒をするイスラム教徒も意外と多いのだが(ムスリムの友達がたくさんいます)、数年前から基本的に飲まなくなった。実はその前までは大酒飲みで、馴染みの店を数軒持ち、仕事の付き合いで飲んだあとに、さらに飲んでいた。結婚してからは家のみが中心になったけれど、なんでやめたんだろう。パニック障害を考えれば、やめる方がいいのだろうけれど、もう覚えていないんだよなあ。タバコもまたしかり。

はい、飲みました(笑)
ということで運転ができなくなったので、ホテルに宿泊。
いつもとはまた異なる趣向で楽しく過ごさせていただき、感謝の念に堪えないが、翌日もまた結局は、、というお話になる。山越えもしちゃったし(笑)
ブログにするかどうかはわからないけれども、そういうわけで、鬱屈とした午前中とは好対照だったのだった。

ドイツ(ゲーテの時代にドイツという国はない)の宰相を務めて鬱屈したゲーテがイタリアに旅行して一気に気分が晴れたという話を思い出した。
学園都市は私にとってはイタリアの如きものであった。
そういえば、茨城の人は皆、陽気である。
でも、「いばら「ぎ」」とウッカリ言ってしまうと短期な遊牧民族のように怒ります。どっちでも良くないすか?(^_^;)

https://youtu.be/d4K_2FF3YQw








Posted at 2021/12/07 11:47:17 | コメント(3) | トラックバック(1) | 日本を歩くシリーズ | 旅行/地域
2021年10月24日 イイね!

【クルマで行くぶらり散策 (jalan)第二弾】ドライブと乗り鉄と街散策

【クルマで行くぶらり散策 (jalan)第二弾】ドライブと乗り鉄と街散策土曜日は久しぶりでもないのですが、茨城にいってきました。
クルマで行くぶらり散策 (jalan)の第二弾を堪能してきたというわけです。
想像以上にあれやこれやと面白い出来事が展開されることになりましたね。天候にも恵まれました。

帰路、ジャカルタばりに道路が混雑していたので、帰宅が零時頃となりましたが、既にヤマシさんが、動画等も織り交ぜたブログを作成してくださっていたので、ご紹介しておきます。帰宅早々、振り返ることができるのって、いいですね。

関東鉄道 常総線乗車ツアー

私は文章で簡単にまとめるに留めておきます。動画は気が向いたら編集しておきます。写真もまた気が向いたら適宜、追加することとします。
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第二弾のあらまし概要

〇銀河系で一番立派で豪壮な模擬天守豊田城(茨城県石下地区)
城を治めていたという豊田氏の勢力からしても、時代考証的にも、姫路城や彦根城のような立派で巨大な天守閣があったはずはないのですが、模擬天守でもいいじゃないかと私は思います。歴史学の成果だって、常に変転するわけですし、
豊田城がえらいのは、天守の展望の眺めもいいですが(特に今日は筑波山がはっきりとみえました)、内部展示が意外と充実していて、大変勉強になりました。関東の戦国時代の一段幕や洪水にまみれた郷土の歴史を学ぶことができました。













〇三台乗り比べ
ちょうど機会があったので、お互いのクルマを乗ってみることになりました。
憧れだった205セリカGT-FOURとオンリーワンをいくようなデザインと乗り味のスマートロードスターに乗せていただきました。
前者は剛性が高い印象を受けました。軽快というよりは重厚で、高速走行が得意なような気がしました。同じフルタイム四駆でもインプとはまた異なるフィーリングだった点が面白いですね。
スマートロードスターはとにかく着座位置は低いのですが、大方のロータス系統のライトウエイトよりは乗りやすいかなと思いました。ただ、リアエンジンということが関係あるのか、運転感覚が独特でした。
スイフトはとにかく乗りやすかったと思います(これもまた魅力の一つかと・笑)
座席のサポート性や操舵感覚のしっかり感等については、長距離乗り比べのときに体感していただければと思います。シートヒーターも付いているので快適です。
インプもまた同様です。このクルマもほかにあまりないフィーリングをもたらしてくれます。四駆なのですが、後輪駆動のような感もあり、不思議な感覚に陥ります。ずばっとノーズが入るのはともかく、後輪駆動ベースのはずはないのですが。







〇関東鉄道常総線乗車・沿線散策(特に下館)
個人的には数年前に同じ試みを一人で行なったのですが、今回は同朋三人で主に下館の街を散策。商人の街だったようで、蔵が多く、たしかに駅は不当なまでに線路がたくさんありました。往時が偲ばれます。
昭和30年代頃の映画館の建物や魚市場なども残されており、時代という時間の流れの一般から若干逸脱したかのような佇まいが印象的でした。
人情味もあり、いわゆる昭和感のある食堂は、味もまた満足のいくものでした。

































〇プチツーリングそしてキャニオン
筑波山麓のキャニオン(いつもお世話になっています)を目指して短距離ながらツーリングをしました。
ある人はハンバーグを食べたり、ある人はコーヒーを飲んだり、ある人はパフェを食べていたりしていましたが、帰り際に立ち寄るにはよかったのではないかと思います。
筑波山がとにかくきれいで、日暮れ後も依然としてその雄姿が強い輪郭で浮き彫りにされていたことが印象的でした。










なぜか、阿見町役場で期日前投票のシミュレーション(笑)
スイフトももう少しで四万キロ突破(笑)



——————
※インプは32万キロに向かって全身全霊をかけておりますので、こちらもご注目ください(笑)
エンジンやミッションOH無しでの40万キロ達成支援金をクラウドファウンディングやお布施等で募る予定です。よろしくお願いします!
選挙よりもインプをよろしくお願いします(笑)













Posted at 2021/10/24 01:50:45 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日本を歩くシリーズ | クルマ
2019年12月16日 イイね!

埼玉県入間市ジョンソンタウン

埼玉県入間市ジョンソンタウンThe small town called Johnsontown is not in US but in Japan. You can go there around 40 minutes from Tokyo by car.
The buildings mixed western and Japanese ones were ever built a lot around US basements. After the ww2,the houses for US soldiers were needed. Recently such buildings are about to be a kind of heritage.
However Johnsontown try to keep them and gather residents. Though it isn’t famous,but I think that I would be more popular. Yes,of course,there are restaurants,coffee shops and the stuff like that. My recommendation is a barbershop. I had my hair cut and became more good looking than before. I’m pulling your leg. Anyway you’re worth visiting.

古きよきアメリカの中産階級たちが住んでいるような家並みが埼玉県の入間市の小さな一角に軒を連ねている。かつての米軍住宅を保存・再興したもので、米兵たちはもはや居なくなってしまったものの、新しく米軍住宅の家屋や雰囲気を求めて全国各地から集まってきている。近頃は基地の周辺部の米軍住宅を見かけることも少なくなってきたし、手軽にアメリカにいるような気分を味わえることがまず魅力的である。ジョンソンタウンと名付けられた街なので、飲食店や理髪店も揃っている。むろん、土産物屋もあるが、上のような経緯のため、観光地的な側面もあるし、住宅地としての側面を有している。都内からであれば、一時間もあれば来訪できるので、モノは試しに立ち寄る価値はあると思う。


















プロフィール

「玉川、江田、西方寺、大黒、本牧と経て、横浜南部市場で🍣食ってます。」
何シテル?   06/13 20:42
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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その他 なんでしょ その他 なんでしょ
令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
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