
母親の祖父母が常磐地区出身(福島県いわき市)だったこともあり、茨城県は自分にとって身近な地域だったりする。いわき市のお隣だし、首都圏からいわきに向かうときには必ず通過せざるを得ない。
国鉄で常磐線の赤電が走っていた頃、祖父母は取手の会社に勤めていた(その頃は社宅で千葉県我孫子市に住んでいた。だから、チバラギとの縁は深いのかもしれぬ)。
というわけで、今でこそ、洋モノ車比率の高いブルジョワ住宅街に住んでいるものの、茨城は第12番目くらいの故郷である(笑)
ここのところ、どうも何事もやる気が起こらず、クルマにも乗りたくなかった。
といいつつ、クルマで横浜の
日産エンジンミュージアムに行ったりもしていたけれど、横浜は近所なので。L型のディーゼルがあるのに、L20や28の展示が無いところなどもまた面白く、建物は文化財である。おススメである。無料駐車場完備でニスモ本社(同じく展示と無料駐車場アリ)の近くである。
話が逸れたが、やる気がともかくも無かった(マスクするようになってから多くなった)。
が、かつてつくば万博が開催されたつくば学園都市に住むみつびんさんの忘年会プランその他の書き込みを見るや否や、行動力の神が憑依し、一時間後には茨城にいたところが私らしい(笑)
時間帯次第ではウチからでも、一時間程度で行けてしまうところなのだ。そういう意味では近所みたいなものだ。そう、横浜に行くような感覚。
昭和63年のつくば万博の印象も強いけれども、昔から人工的に計画的に形成された都市に興味があった。常々、散策してみたいと思っていたけれども、コインパーキングは駅前に集中し、意外とクルマを停める場所が無い(と思っていた)。
が、今回、ご厚意により、ドイツ、というより世界が誇るクルマのメートル原器であるゴルフで学園都市を案内していただいた。
まずは中古車屋を見てみようということになった。
AE86がものすごい値段になっていたけれど、そう感じるということは、当時を知っていたり、底値の時の相場の時代に生きていたりするくらいなので、この点は注意せねばならない。
インプも置いてある。300万越えの個体もある。走行二万キロ程度でワンオーナーらしい。下回りを見てみたけれど、公道というよりサーキットメインで走っていたのではないか。タイヤはひび割れがあったので紫外線にはあたっているものの、サイドにひび割れはなし。タイヤの角がとれているわけでもないので、ヤフオクものを装着して売りに出したのであろうか。エンジンルームまでは見ていないけれど、悪くはないと思う。涙目のE型だから、PCDも114.3と汎用性もある。
ネオクラ車については、例えばシルビアは状態により大きく値段が変わるという。マークIIなどは状態に関係なく高値を維持するという。これはひとえに中身のエンジンである。JZというエンジンの海外需要があるからだろう。知り合いのクルマ屋さんもエンジン需要のことを話していたし、JZに憧れている外国人を何人も知っているので、さもありなんだろう。だから、旧車でもフェアレディZなどは意外と落ち着いているプライスだ。
まあ、この辺りの相場の形成過程は需要と供給で成立する古典経済学だけでは当然解明できず、行動経済学等のアプローチも使用しないと理解できないのかもしれない。クルマは大英帝国がインドで栽培させたアッサムティーのように、単純に「商品」ではなかったのであった。
続いて、つくばエクスプレスの駅前へ。駅前のコインパーキングの値段が安いことに驚いた。
これは私を移住・居住させるための罠だろうと思っていたが、本当のことらしい。一日五百円。秋葉原まで一時間足らずで行ける立地なのにも関わらず、これは安いでしょう。埼玉スタジアムができて、埼玉高速鉄道ができた当時の駅前がだいたいそれくらいだったけれども(浦和美園?)、こちらは回りは畑しかないような有り様であった。さもありなんという要素があったが、こちらはもうれっきとした都市になっている。
茨城は私にとってはやはり異界であるが、高層ビルが整然と立ち並び、道路も碁盤の目のようになっていて、時折、地場資本があったりする街並みは不思議であり、ロサンゼルスを思い出した。似たような街並みだった記憶がある。
学園都市はの人種は基本的にモンゴロイドばかりだけれども、東南アジアの人も多くみられるし、ネイティブな茨城県人の比率も少なく、そういう意味では人種のるつぼではあろう。茨城訛り率も少なく他県ナンバーが目立つ。
おいしいお饅頭をごちそうになり、キャンプ場を下見。こういうローカルな場所というのは、やはり地元の人の案内があってこそであるが、その最たるものが、
居酒屋で、自動車雑誌やミニカーが多く並んでいる。
話をこと、自動車に限定しても、好きなんだなということがひしひしと伝わり、
なんでこんなものを集めるのかねという奥様(マニュアルの方が運転しやすいと感じてしまう私と同類の方)の嘆きながらも理解してくださる愛情も心地よかった。
とはいえ、趣味に惑溺するわけでもなく、洋食屋をなされていたということで、
食事がまた絶品で、私が今まで食べた洋食の中で一番うまかった。食事するために来てもいいんじゃないかとマジで思った。
ちなみに、私はイスラム教徒でもなく、また飲酒をするイスラム教徒も意外と多いのだが(ムスリムの友達がたくさんいます)、数年前から基本的に飲まなくなった。実はその前までは大酒飲みで、馴染みの店を数軒持ち、仕事の付き合いで飲んだあとに、さらに飲んでいた。結婚してからは家のみが中心になったけれど、なんでやめたんだろう。パニック障害を考えれば、やめる方がいいのだろうけれど、もう覚えていないんだよなあ。タバコもまたしかり。
はい、飲みました(笑)
ということで運転ができなくなったので、ホテルに宿泊。
いつもとはまた異なる趣向で楽しく過ごさせていただき、感謝の念に堪えないが、翌日もまた結局は、、というお話になる。山越えもしちゃったし(笑)
ブログにするかどうかはわからないけれども、そういうわけで、鬱屈とした午前中とは好対照だったのだった。
ドイツ(ゲーテの時代にドイツという国はない)の宰相を務めて鬱屈したゲーテがイタリアに旅行して一気に気分が晴れたという話を思い出した。
学園都市は私にとってはイタリアの如きものであった。
そういえば、茨城の人は皆、陽気である。
でも、「いばら「ぎ」」とウッカリ言ってしまうと短期な遊牧民族のように怒ります。どっちでも良くないすか?(^_^;)
https://youtu.be/d4K_2FF3YQw