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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2013年10月08日 イイね!

伊良湖・伊勢の旅 その1

伊良湖・伊勢の旅 その1月末から月初にかけて、渥美半島・伊勢神宮参詣(内宮・外宮・月讀宮・月夜見宮)や伊勢南部(志摩半島南部)等を満喫してきました。

出発日は富士山が実によく見えました。晴れ男ぶりは健在です。
富士山はまだ夏の面影を残しており、白いものはまだ見えません。
しかし、稜線も心なしか淡く、たなびく雲も夏の入道雲の猛々しさとは異なるものでした。すすきの穂を前景にいれるといかにも秋らしいですね。
東名高速を利用したのですが、由比PAからの富士山もきれいでした。
すっぽりと麓近くまで白いものに覆われているお馴染みの富士山の姿とは異なる魅力がありました。




浜名湖(舘山寺・村櫛)を眺めつつ、西進します。樹木のせいか、雰囲気に南国情緒が漂っています。




渥美半島は全体としてのんびりとしていて私は好きです。時間が緩やかに非直線的に流れているように感じます。
今回は低山登山(標高百メートルもありません・笑)を目指しました。蔵王山などの著名なスポット(オススメですよ!)は今回はパスしました。
地元の人も行くのか定かではない低山ゆえに、山道入口がわからず、結局は伊良湖岬に突出している丘を登ることにしました。まあ、考えてみればここも低山ですね。
天候も良かったので、美しい輝かしい海原を俯瞰的に望することができました。




そして一泊。



翌日は海上国道(文字通り海が国道となっています。国道42号線)を通るために、水陸両用仕様に変更、、というわけにも行かないですし、船が大好きなので、
伊勢湾フェリーに乗船。往路・復路ともに船上の人となりました。
人文的に興味深いのは伊良湖から船で一時間弱の鳥羽側に行くと、人々が話している言葉のイントネーションが関西弁のそれになっていることですね。





鳥羽入りしてからのことは何も考えていませんでしたが(笑)、インスピレーションが湧き、伊勢神宮外宮(げくう)へ。
今年は式年遷宮の年ですが、あまり興味はありません(笑)
ただ、なぜ遷宮の儀式が行われるのかなという関心はあります。
出雲大社もそうですが、神代の時代から続く社に遷宮という発想があることが面白いですね。
伊勢神宮は大きく分けて、外宮と内宮(ないくう)という神域があります。
後者はアマテラスが鎮座まします場所としてあまりにも有名ですが、前者は豊受大神(トヨウケノオオカミ)という丹後出身の神様が鎮座しています。
不思議ですね。
アマテラスが一人ぼっちで寂しいということで、豊受大神を呼び寄せたと伝えられています。しかし、なぜに丹後の神様なのでしょうか。
なお、豊受大神は浦嶋伝説とも関係があると言われています。丹後地方に行くと、浦嶋神社があったり、様々な浦嶋伝説の伝承があります。
謎といえば、イザナミ・イザナギの子供にアマテラス・スサノオともう一人いたのをご存知ですか。
月読(ツクヨミ・ツキヨミ)という神様でおそらくは暦を扱っていた神だったのでしょうか。今でも別宮で伊勢で祀られていますが、参拝客もまばらでした。
スサノオが祀られていないのは、わかりやすいかもしれません。アマテラスが岩戸に隠れてしまうほどに乱暴を働いたと伝説では記されていますから。









内宮に向かう参道はさすがに殷賑を極めていました。道すがらのおかげ横丁で名物の手こね寿司を賞味してから、ご参拝という流れでした(笑)
参拝を済ませて帰ろうかなと思ったところ、参道がざわつき始め、やがて参道脇を通行するように指示されました。たくさんのマスコミもきていました。
式年遷宮での重要な儀式であり、ハイライトともいえる遷御の儀が内宮で開始されるのは翌日のはず。
しかしながら、これも何かの縁だなと思ったので、参道脇で待機していると装束をまとった一群が続々と参道を歩いていきます。
川原大祓(かわらおおはらい)の儀だと思います。その時はなんだかわかりませんでしたが。
傘を指している集団がいますが、異常な程に輝いています。
そして、それが礼厳さを増しています。
やはり、伊勢神宮は神域として類稀な聖地なのでしょう。





いろいろな箇所をもっぱら徒歩で回ったわりには、時間配分が上手にできました。川祓の儀をしばし見てから帰ろうとしたときに、ようやく日が暮れた頃合でした。
この日は南伊勢の旅館で宿泊をし、翌日はいよいよドライブ度が高くなります。
また後日記すことにしましょう。
Posted at 2013/10/08 06:50:33 | コメント(6) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2013年08月30日 イイね!

覚書 北部九州グランツーリズモ3000キロのドライブ旅

覚書 北部九州グランツーリズモ3000キロのドライブ旅
先日、五泊六日の旅より帰宅。
覚書として以下記します。
改めてブログという形で書き起こすかもしれません。

さて、今回の旅のメインは九州北部(北九州市・福岡市・唐津市・平戸市・長崎市など)だけれども、五泊目は岐阜県の大垣で宿泊し、名古屋市街を経由して帰るなど、その動きは我ながら相変わらずに予測不可能にして変幻自在(笑)
ともかくも、九州までの往還も中国路を楽しむなど(中国自動車酷道とか山陽道など)、3千キロ弱に及ぶ旅は本当に充実したものとなった。
自動車だけではなく、徒歩や路面電車で散策してみたり、時にはローカル線を眺めてみたりと楽しみ方もドライブのみならず多種多様であった。

主な滞在地・宿泊地

【初日】
・関門海峡壇ノ浦PA。感慨もひとしお。
吹田からの中国自動車酷道(笑)は長かった。島根県付近では物凄い豪雨だったし。
ただし、壇ノ浦に着くやいなや空が明るくなってきた。

・門司港界隈を散策。横浜の赤レンガ倉庫の付近にやや似ている。
瓦そばを食べたが、北九州ではなく下関辺りの名物だったりする。
宿泊→北九州戸畑区。スペースワールドの向かいにあり、大浴場から見える。










【二日目】
・若松界隈の雰囲気を楽しむ(門司港と異なり観光地化されていない)。 

・唐津鏡山にて唐津城や虹の松原を俯瞰。
雨が止み、うっすらとした雲だか靄から見える城や松原は本当に幻想的だった。

・松浦鉄道の小さな駅にて佇んだりする。
宿泊→平戸島内。ひらめやサメの刺身が特に絶品。他の刺身や牛肉その他の料理も質・量ともに絶品。温泉も素晴らしく、海や平戸城を眺望。部屋からの眺めも同様に見事であった。
 
*この日の北部九州地区は稀なる大雨だったらしいけれど、なぜか私の行く先々では大雨に見舞われることもなかった。
唐津を過ぎてからは晴れて、実に快適だった。









【三日目】
・平戸市街散策。ザビエル教会を拝観したり、市街メイン通りを散策。鯨のバーガーを食べる。

・平戸島ドライブ。河内峠の景色・眺望は本当に素晴らしいの一言。

・生月島ドライブ。東経129度よりも西にある。断崖絶壁の下にすぐ海があり、眺望抜群。海へ切り立つ狭い場所のところどころで牛が飼われていたりする不思議な島。
・佐世保市街ドライブ。佐世保市は通り抜けるだけの予定だったが、迷ってしまい市街地ドライブと相成った(笑)
地元道を疾走しまくったし、軍艦も眺めることができたしよかった。

・西彼杵半島経由で長崎市街地入り。
長崎出島にて夕食。トルコライスを食す。夜の出島地区は横浜みなとみらい地区のようであった。ネオンの灯りが実に似合う。

宿泊→長崎市街を見下ろす稲佐山の一角に立つホテル。見事な夜景眺望を堪能。
稲佐山からの夜景は新世界三大夜景の一つだそうだ。












【四日目】
・自動車を停めて、路面電車と徒歩を使い、長崎市街を散策。
孔子廟・オランダ坂・長崎新地中華街・出島商館跡・メガネ橋などの名所だけでなく、
たとえば、メガネ橋に架かる中島川沿いを散策したりする。架かっている橋はどれも江戸期のものでびっくりさせられる。
路面電車はこれでいいのかという程の爆走運転。車体がかなり揺れる。
信号も少なく、路面電車との交差には踏切もない。
長崎市の人はこれで慣れているのだろう。

宿泊→博多からすぐの一等地にあるホテル。
ホテルといっても大正時代くらいに築造された古式な宿で、今まで宿泊したホテルや旅館とは赴きが異なる。










【五日目】
・宿からすぐの場所にある櫛田神社参拝。
荒々しき博多山笠で使用されるという神輿が飾られていた。装飾も見事だが、櫛崎に飾られていた装飾を見ると、怨霊封じの側面から山笠が始まったのではないかという推測が頭をよぎる。

・天神経由でヤフオクドームを見て、福岡都市高速に乗る。

・めかりPA。九州最北端のPAで、既に対岸の本州が見える。
いよいよ九州の地を去ることとなる。対岸の赤間神社の赤い鳥居姿が印象的だった。平戸の宿の方が何かの折で述べていたから、なおのこと。

宿泊→美濃大垣(岐阜県)









【六日目】
・大垣からゆらりゆらりと地元道を走り、名古屋市街へ。
名古屋城や栄、東山などを通り、ようやく東名高速に乗る(名古屋IC)。

・新東名沼津SAではマグロの解体ショーを見学。

・世田谷で洗車・室内清掃をお願いする(夕方には東京に戻っていました)。

以上が覚書です。
六月下旬に行った北三陸への旅も長いものでしたが、今回はさらに長旅をしてみました。
これらの地域は近いうちに再訪しますし、九州の中部や南部をも訪れたいと思います。
Posted at 2013/08/30 13:23:12 | コメント(10) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2013年07月03日 イイね!

北三陸・八戸紀行ダイジェスト

北三陸・八戸紀行ダイジェスト
先月のことになります。
主に岩手県の北三陸と青森県八戸付近をゆっくりと廻る旅に行ってきました。
行動範囲が狭いようにも思えますが、岩手県だけでも四国四県の大きさに匹敵すると言われています。
道中は天候に恵まれました。ただ、時折、東北北部特有のやませが到来し、急に辺りが幻想的なまでに靄がかり、冷たいシャワーを浴びたようにひんやりするという体験もしました。雨こそ降らないのですが、とても不思議な感覚です。
この辺りを旅するのは五年ぶりくらいだと思うのですが、その時も似たような気候を体験しました。快晴の天気かと思いきや、突然やませがもたらす靄に包まれ、暑さ(乾燥しているので蒸し暑さはありませんが)を凌ぐという感じだったように記憶しています。このときの旅は八月でしたが、夜の十和田で気温が10度をきったときもありました。




やませによる靄が海全体を覆い、文字通り雲海と化した三陸北山崎

覚書を兼ねて、主だった訪問場所を記したいと思います。

遠野市街(温泉入浴)・高清水山・荒川牧場・岩泉線押角駅・龍泉洞・北リアス線田野畑駅・北山崎・久慈市街・櫛引神社・根城・蕪島・種差海岸・浄土ヶ浜・宮古重茂半島・五葉温泉

このほか、短期滞在ということであれば、中尊寺や毛越寺の境外など岩手県内陸部に行ったり、帰り際に埼玉県三郷(笑)の温泉にも浸かったりと、家を出てから帰ってくるまでのすべての時間において、旅を満喫することしきりでした。

















印象的だったことは無数にありますが、二つだけ挙げておきます。

まず一つ目。
南部氏(山梨県旧南部町から遥か八戸まで来たと言われています)の古くからの居城だった根城(ねじょう)跡で、ガイドの方に解説を受けたことでしょう。
南部氏の系譜にも興味がありましたが、忠実に往時の館を再現しようとする努力や同時に市民の憩いの場としても活用してもらおうとする寛容さをガイドさんを通じても
感じることができました。
だんだん、歴史以外の話にも及ぶようになりました。
それに比例するように訛りが強くなるような感を受け、聞き取れない箇所も少しあったくらいです。
なお、南部氏は山梨県から来た氏族ゆえか、代々日蓮宗を信奉しておりました。
当代は府中(東京都)のとある寺で日蓮宗の住職をされているとのことです。
考えてみれば、日蓮生誕のゆかりのお寺(天津小湊の誕生寺)に来訪したのが先月であり、総本山である身延山にも登ったことがあります。南部氏の本族は遠野に移封されたとのことですが、遠野にも訪れているんですよね。
こうしたシンクロの数々に面白みを感じました。

二つ目。
ふと立ち寄った久慈市街の小さなお店では、地元の方々とお話をすることができました。
そういえば、五年前くらいの旅路で十和田湖畔のお店を訪ねた折も、そんな僥倖を得ることができたことを思い出しました。
すっかりと日が暮れてしまい、辞すときに宿までの道中にということで、盛り塩をいただきました。
つまり、夜だから霊的なものに注意しなさいという、その人なりのお気遣いだったのでしょう。ヤマセの靄に包まれ、ほとんど視界が無い状態ながらも、無事にホテルにチェックインしたときは当初の予定通りの時間で、どういう具合に時間が推移したのだろうと少し不思議でした。

三陸の海際について少し。
海沿いに限っていえば、特に宮古から大船渡にかけてはようやく復興が始まったという印象でした。
三陸は数十年に一度、津波の被害を浴びてしまう土地柄ですが、此度の大津波を境に津波に関する標識看板が非常に増えていたことが印象的でした。
私は水が大好きで、海も内海・外海に関わらず、とても好きです。
海はまた様々な恵みをもたらしてくれます。
三陸はリアス式海岸として知られているように(北山崎は厳密にいうとリアス式ではありませんが今はさておき)、数百メートルの断崖の上から海原を見下ろすという壮大な光景を味わうことができる素晴らしい土地です。
人情に深く触れることもできましたし、また是非とも訪れてみたいと思っています。




以上、現地の人々との交流を二つほど挙げました。
しかし、むろんほかにも枚挙に暇がないくらいに様々な素晴らしい体験をしています。
折あれば、記してみようと思います。
Posted at 2013/07/03 12:10:17 | コメント(4) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | クルマ
2013年06月20日 イイね!

上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その4 日本の原風景

 上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その4 日本の原風景
太平洋の大海原の風浪を眺めていた頃がウソのようで、再び内陸部のこれぞ日本人が想起するであろう原風景的な景観がとめどもなく広がる場所に来ている。
承前。

上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その3 鯛の浦・太東崎・玉前神社

稲という作物はもともと熱帯性のもので、日本の稲作も当初は関東くらいまでが北限であっただろう。しかし、時代が下るにつれて、われらがご先祖さまたちは実に執念深く、コメというものを栽培し、江戸時代にはついに本州のほぼ全域が米作地帯となった。今では北海道ですら米どころである。
本州でも東北地方は今ですら、冷害により米作が不調な時期があるが、私たちのDNAにはおそらく南方の風俗が染み渡っていて、例え風雪が激しくとも、決して米作りをやめないようにできているのではないかという執念すら感じさせる。
深い山々にある小さくて急峻な棚田などを見ていると特にそんな感を強くする。

房総観光といえば、やはり都心からほど近い内房の穏やかな海ないしは水質が良い外房の海であろうか。それと心がほっこりするような内陸のローカル線の光景だろうか。或いは、マザー牧場だったり、鋸山だったりするかもしれないが、いずれにせよ、関東の人たち以外にとってはあまり馴染みがないような気もする。
そんな馴染みのない房総の土地の中でもとりわけ、旧上総国一宮であった玉前神社の内陸の睦沢・長南といった辺りは、まず観光目的で訪れる人たちはいないだろう。
それがいいわけでもわるいわけでもないのだが、仰々しくご当地を宣伝している感じもしないし、ごくごく自然に日常生活を送っている様子が感じ取られる。
これらの区域は長らく山がちだった房総半島南部の地勢がようやく広闊な野原になる箇所であり、したがって自然と風景も日本の原風景的なものが目立つ。



より北上し、下総台地と呼ばれるところまで来ると、今でこそ米作・畑作ともに盛んだが、水利の悪い箇所もあり、江戸時代までは原野が広がっていたという。ウマの放牧が盛んだったともいう。
田沼意次の印旛沼開拓事業も、土木事業による経済振興政策と共に、当時の幕府の、いや、日本人の財産であった米作地帯を広げるという農本主義的政策をも兼ねていた素晴らしい事業だったのだと思う。
もっとも田沼は失脚し、印旛沼開拓事業も失敗してしまったのだが。
ちなみに、下総台地では、明治になり版籍奉還により領地を失した士族たちによる開梱事業が行われ、その時の名残りが地名として残っている。
比較的全国的な知名度が高いのが八街だろうか。キャベツ栽培で有名な八街は13の入植地のうち、8番目の入植地となる。
以上、旧下総国の話になってしまったが、この辺り(睦沢・長南)まで来るとどうも風景が下総に似ているような気がする。地勢的には大きく異なるようなのだが。
野原の広闊さと旧下総国との距離が近づいているからそう思うのかもしれない。
ここまで来ると、日蓮が生誕した安房国は遥か彼方というふうにも感じられる。
荒々しき波も大量の鯛の群れも今は昔。



写真は麦畑だろうか。稲作の青々しさとは異なる色彩ゆえに、日本の原風景ともいえる瑞穂な世界とは様相を異にしている。
この辺りは田地と麦畑(?)が混淆しており、それが色彩として素晴らしいコントラストを見せてくれる。
コメも麦も食べるものだが、ただ食べるだけではない。育てるだけでもない。
こうして風景として楽しむ。
単なる生産・消費社会から脱して豊かになった我々が享受できる贅沢の一つではないだろうか。

圏央道の新規開業区間が近くを通っており、アクアラインまでは僅かの距離となった。しかし、新緑の季節の房総半島をまだまだ味わいたい。
そこで前日同様に小湊鉄道沿線を巡ってみることにした。






遥か昔のことに感じられるのだが、諸駅を巡ったあとのトリとして、ほんの前日に汽車に乗降した月崎駅を再訪する。




駅前でただ一軒のお店に入る。
店主はどうも昨日も同じ顔のやつらをみたなという目で我々を見る。
その機敏が面白い。

ところで、前日もそうだったのだが、月崎駅に来ると、とてもやわらかなシャワーのような雨がさっと降る。そして、青みをました草はますます青さを際立たせて、本格的な春の到来を証明させてくれる。
来月初旬には夏の土用の時期が来る。土用とは季節の移り変わりというほどの意味で捉えて良いと思う(年に四回ある)。夏の土用は春から夏への移り変わりの時期である。
よって、薫風香る晩春も間もなく終わる。
本旅行は五月のことだから、いわば春たけなわの時期だったわけだ。

房総半島は遠い場所であっても都心からせいぜい100キロほどである。
旅とは別に遠くに行くことが旅というわけでもない。
例えば、房総半島のようにクルマで日帰りできる圏内でも、その土地の息吹を感じ取ることができれば、それは立派に旅なのだと思う。
単なる移動ではなく、その土地の空気を吸い込んでしまい、自分の一部にしてしまうのである。それが私が考える旅というもの。
私は遠方へもどんどん旅できるが、遠くに行けないという人もいるだろう。
別に近場でも構わない。房総半島が遠いということであれば、自分の生活圏内でもいいと思う。生活圏内であるから、そこは見慣れた風景があるだけだろう。しかし、必ず視点を変えれば、いつもとは異なった息吹を感じ取ることができるはずで、そうなればしめたものである。
自宅裏の公園での散歩でも、そこでいつもと異なった発見があれば、それは自分の感性が著しく刺激された非日常経験をしたということだから、旅といってよいと思う。

もちろん、お気が向いたらで結構です。
ご予定が立てられれば結構です。
どんどん旅をしてください。
家の中ですら、旅はできます。
地図を広げるだけでもそこには無数の息吹が渦巻いていることがわかるでしょう。
想像するだけでも良いと思います。
立派な旅だと思います。




「美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し」(正岡子規の「墨汁一滴」より)
想像でも実際に行動してみるのでもどちらでも良いけれど、やはり息吹は味わったほうがいいでしょう。私はそう考えています。






Posted at 2013/06/20 07:17:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2013年06月11日 イイね!

上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その3 鯛の浦・太東崎・玉前神社

上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その3 鯛の浦・太東崎・玉前神社
天津小湊での徒然をまだ記している。

承前
上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その2 南無妙法蓮華経の里編

天津小湊の街を優しく包んでいる内浦湾は鯛の浦とも呼ばれている。
両者はほぼ同一地帯であると言って良いだろう。
なお、地元では「妙の浦」と呼ばれている。いつしか「鯛の浦」の名称が、伝説や鯛の生息に即した呼称(後述)ゆえか、一般的になっている。

さて、鯛の浦の漁民たちは鯛を決して釣って食に供すことは無いといわれている。
であるからこそ、鯛が豊富に生息しているという論理でも良さそうだが、鯛は本来は深海性の回遊魚で、水深の浅い場所で一箇所に定住(?)しているというのは、実は極めて不思議なことで、未だにその理由は解明されていない。
そう、学術的に解明されていないとのことなのだが、一体なぜ鯛の浦の鯛だけは、一般の鯛とは異なる棲息形態をなしているのだろう。



上の写真をよくご覧いただきたい。
海の中に黒色の物体が見えるかもしれない。これが鯛である。
餌を撒くや否や、大量の鯛が船に近寄ってきた。これは本当に尋常ではない数であったが、或いは気候や波の高さ、海水の透明度等によっては、もっともっと大量に鯛が現れるのだろう。

先の学術的解明よりもある意味鮮やかに疑問を解決してしまう方法が実はある。
天津小湊ときってもきれない日蓮に関する誕生伝説がある。
日蓮が生誕したおり、鯛の群れが大挙して鯛の浦で跳ね、その生誕を祝福して、蓮の花を咲かせたという。
日蓮という偉大な人間(仏)を祝福するために鯛が踊り跳ねてきたとなれば、それで納得がいくと思う。
私は伝承や伝説の類をすぐさま迷信扱いすることは好まず、何かしらの意味合いがあってこそ、これらが構築されたと思うから、完全に腑に落ちなくとも、伝説・伝承を聞いて納得できる。信じるとか信じないという二分法とはちと違う。

さて、それゆえに実直な地元の人々は鯛の漁を決してしないわけなのだが、禁猟のみならず、誤って網にかかった鯛の葬式まで挙げることもかつてはあったそうだ。
昭和の時代だからつい最近のことである。
また、月に一度はこれら鯛たちのための供養を行なうそうだ。
この辺りは一神教世界とは大いに異なり、また他の多神教圏以上ともやや位相を異にした、生きとし生けるものを皆尊重し敬うという日本の美学が見事なまでに息づいているように思えて、微笑ましい。

鯨供養など、我々は常に生活のために犠牲にさせてきた動物たちを慰霊してきた。
これは神道の穢の考えから生じた怨霊思想とは別個の、有史以前から続く日本の伝統的な習慣のように思える。
根拠は日本が島国だったことと、南方(フィリピンなど)から渡来した先祖も多くいた可能性もあるということを言及するに留めておこう。私自身にも実は明確な根拠は今のところ持っていない。

むろん、天津小湊では、鯛は日蓮の化身ともいわれているから、殊更に大切に扱うという面はあるだろう。
そのことを考慮に入れても、私にはとても微笑ましく思えてくるのである。
因みに、インド仏教では植物は無情とされて、生き物とみなされていない。
生きとし生けるものの範囲がインドと日本の仏教では異なることに留意したい。

話しを戻そう。
鯛の浦を遊覧する船があるのだが、この時にちょうど雨が強くなり、波が高くなったため、鯛の生息地に向かうだけとなったが、それだけでも十分に堪能できたし、乗ることができて良かったと思う。
僅か四人の乗客だったが、下船後には日蓮宗徒と僧侶が行列をなしていて、数回に分けて乗船したとしても、これは相当に窮屈な遊覧(?)になるのではないかと思ったが、もしも敬虔な宗徒であれば、上人の化身を拝めるわけだから、こんなことはどうってことはないのであろう。
私は宗徒ではないので、閑散とした船で湾と沖の境目くらいまで行けた僥倖に感謝したい。

遊覧船は決して小舟ではないのだが、写真を撮るのが難儀なほどに船が揺れに揺れた。
とはいえ、私にはとても刺激的で鯛の群れと共にもっともっと激しく揺れていたかった。





日蓮にまつわる伝承や史跡は誕生寺や鯛の浦において他にもたくさんあるし、近隣にゆかりの地がたくさんある。
だが、私はこのときどちらかといえば、荒々しき海原に荒々しき日蓮の生き様・人生を重ね合わせるという類の感傷は持ち合わせておらず、鯛の浦遊覧と誕生寺参拝後は、太平洋を沿って海を北上することにした。




誕生寺を出ようとした辺りに雨が一番ひどかったが、直に止み、そして晴れ間さえ見えるようになった。
九十九里の南端とされる太東崎の高台に付いた頃には、大眺望を眺めることができた。ただし、この頃はまだ曇天だったせいか、太平洋の大海原は晩秋頃の日本海のようでもある。
崖の上にそびえ立つ見晴らしの良い場所で、千葉から太平洋を一望するのであれば、銚子の犬吠埼とここ太東崎が良いと思う(ただし、太東崎までの道路は狭く傾斜もあるので注意されたい)。オススメの場所としておく。





太東崎をほぼ境にして、北側は九十九里浜に代表される広大な砂浜へと海岸線は変貌し、天津小湊のようなリアス式海岸は見られなくなる。
どちらも自然が織り成した造形ゆえに魅力があるが、およそ対照的な広大な砂浜とリアス式の双方が堪能できるのもまた外房地区の魅力の一つであろう。

いよいよ海から逸れる。再び半島の内陸に入っていくのである。
内陸部とはいえ、まだまだ海沿いの潮っ気がほのかに香ってくるかのような、上総の国の一の宮であった玉前(たまさき)神社に立ち寄った頃には、実に爽やかで穏やかな風が吹き、太陽が顔をそっと出して優しい光を投げかけ、時折、霧雨のような微細な粒の雨が、明るい空を目に見えないほどの小ささで浮遊し、肌に付着するという塩梅で、この上なく心地よかった。
こうしたこともあり、この神社への印象はとても良かった。

相当格式の高い古式ゆかしい社ではあるが、パワースポットとしても注目されているらしく、女性に優しい神社なのだそうである。
春分の日の日の出ラインに位置しているそうだから、エネルギーとしては申し分ない位置にあるのだろう。
なお、玉前神社から富士山頂、竹生島、出雲大社と見事に直線に繋がることが知られている。こういう例は日本に限らず珍しいことではないが、実に不思議である。



さて、この不思議な直線地帯の東端に位置する玉前神社は、春分という一年の始まり(太陰太陽暦すなわち旧暦では春分を一年の始まりとする。我々もチャイナ同様に明治時代始めまでは、いわゆる旧正月の時期に元旦を迎えていたのである)であり、昼間と夜の長さがほぼ等しくなる(昼のほうが若干長いとされている)ときであり、さらにそのような日に初日の出をいち早く浴びることができる玉前神社は、やはりそれなりに霊験あらたかといえるかもしれない。



太平洋とは別れを告げ、いよいよ本格的に内陸部に入る。
往路と異なり、上総地方でも平坦な地が続くところを来訪することにした。
旅行後にドイツの友人に写真を見せたのだが、ドイツの風景のようだと驚いていた。
時期的なこともあり、広漠で青々しいのどかな田園風景の折々が、ドイツの平原に似ているのかもしれないが、詳しくはわからない。私はドイツに行ったことがないし、彼が住んでいるドイツ北西部というと、ライン川と薄暗い平地と若干の森があるというイメージが強い。
それはともかく、これは日本人の性であろう。
都会モンのクセに(だからこそ?)、こうした風致に感嘆することしきりだったのだが、この辺りは項を改めて述べてみようと思う。


Posted at 2013/06/11 05:48:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域

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「たこ焼きを食べるためだけに家内と瑞穂町(東京都)まで行ってきましたー
クルマ仲間も入店してきたりして、びっくりしました。再訪確定です!」
何シテル?   07/28 23:13
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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