2010年04月29日

今日は旗日なんですね。そして、もうゴールデンウィークなんですね。
私はテレビや新聞を見たり、読んだりする習慣がないので、なんとなく、世間に充満している独特の空気のようなものを読み取って、はじめてゴールデンウィークなんだなといったことが了解できるんです。
私自身はゴールデンウィーク中は、普段と変わらず、仕事に励み、遊びに励みます。今日は仕事です。楽しんできます。
長期休暇をとられた方は思う存分楽しんでください。めいいっぱい遊んでください。
通常どおりお仕事がある方も、新緑が香るとてもよい季節ですし、楽しんで仕事をしてくださいませ。
いずれにしても、皆様すべてにとっていいゴールデンウィークでありますように。
さて、私は新聞やテレビは読みませんし、見ないのですが、もともとそうだったわけではないんです。新聞は高校くらいまではよく読んでいた気がしますし、テレビも中学まではよく見ていました。だんだんと興味がなくなってきたんです。
理由はよくわかりませんが、読む気もないし、見る気もないんです。
書籍はよく読むのですが、新聞の文字情報というのがどうも波長が合わないようです。映像自体も興味はあるのですが、テレビのように一方的に情報が流れるような状態だと、どうも見る気がしません。
まあ、個々人の勝手なので、私が新聞やテレビを利用しないところで大した問題でもありませんが。マスメディア批判なんてする気は毛頭ございませんのでご心配なく(笑)
私はマイペース人間なので、受動的な情報というのを好まないのかもしれません。新聞ならば、自分なりに見解を考える暇もありますが、テレビ情報でがんがんと情報の大波を受けると、ちょっと嫌な気分になります。
幸い、妻がテレビ好きなので、なんだかんだいって、テレビを通じた情報というのもそれなりに把握していたりはするんですけれど(笑)
てなわけで、新聞は購読しなければ済みますが、我が家にはテレビが鎮座しております。妻がワンセグ対応の携帯電話を購入するかもしれないということなので、とっとと購入してくれないかなとひそかに思っております(笑)
いずれにせよ、現在の受像機の場合、来年度以降の受信はできなくなりますけれど。
私はどちらかといえば、アナログな人間だと思いますが、新聞やテレビを欲しないということは相当なアナログ人間なのかなとも思います。自分がまるで19世紀初頭くらいの人間のような気もしてくるのです。
Posted at 2010/04/29 01:11:08 | |
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エッセイ | その他
2010年04月29日

この明るい蛍光色のようなグリーンでまとわれたKP61スターレットを見ていると、
幼き頃に我が家にあった、KP61を思い出す。
色合いはもうちょっと暗めだったように記憶しているけれども、まさしくライムグリーンだったことをよく覚えている。こういう原色をフルに活かした色というのは、80年代のハイソカーブームのときにいったん消滅したかに思えたが、最近はまた多様な色がラインアップされていて非常に嬉しく思う。
我が家のスターレットはハコスカ(GTだった)の後継機だった。
なぜ、KP61にしたのかは知らない。親に聞いたこともないし、別に興味はない。
ただ、KP61でいろいろなところに連れて行ってもらったという記憶だけは濃厚に残っている。ただ、それだけで嬉しい。
まるで蛙みたいな色だなと思っていたけれど、今の時点で改めてKP61を見ると、すごく懐かしく愛おしい。
親父は都内に転居したのち、長らく自動車を所有しなかった。
そして、落ち着いて温暖な土地に引越ししてから、再び自動車に乗るようになった。
軽自動車だったり、フランス車やドイツ車だったりと実に一貫性のない自動車選択だが、とりあえず今のところは210系のトヨタカルディナで落ち着いているようだ。
20年以上隔てて、ようやくトヨタ車に復帰したということになる。
親父自体はハコスカが忘れられないようだ。またR34のリアテールのようなデザインも好きなようだ。
彼の考えていることはよくわからないが、おかげさまでいろいろな車種を味わえた。
そのことに深く感謝したいと思う。
殊にKP61は私の幼少期の環境には常にあった自動車なので殊更に懐かしみや愛着を覚えるのだ。
Posted at 2010/04/29 00:41:57 | |
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思い出 | クルマ
2010年04月29日

「このお湯は熱いのでやめてくれたまえ」
生後まもなくの私は、両親や祖父母に対して、そのように訴えた。
しかし、彼らは、私が泣きじゃくって、この子はお湯が熱いんだなと、非常に優しい愛らしいまなざしでもって、私を見つめるだけで、私の言葉はついぞ届かなかった。私自身、言葉を発しても、泣き声という形でしか彼らに伝わらないということを了解した。
産湯での経験で、私は今でも非常によく覚えている。
私はその時に、別の世界に来たんだなあと思ったことを今でもかなり明瞭に思い起こすことができる。
三島由紀夫みたいなエピソードだが、私には産後の産湯の記憶が非常に明瞭に残っていて、今に至るまでその記憶は非常にしっかりしている。
私が発した言葉が伝わらなかった瞬間に、私はそういうものなのだなという感想を得たことをよく覚えている。
これが真実であろうと幻想であろうとどっちでも良いのだが、私は以後、ごくごく普通に幼年時代を過ごし、思春期を過ごし、今に至っている。
ただ、産湯の記憶だけが濃厚に残っているだけに過ぎない。その他、幼少期の記憶のいくつかは明瞭に覚えているのだが、ここでは紙幅の都合もあり記さない。
私は別に三島のような神童だったわけでもなく、ごくごく平凡に両親に愛されて成長してきたと思う。学業は優秀なほうで、運動も得意だったが、それは神童という領域といえるほどではないように思える。
こうした記憶を秘めながらも、私はどんどん成長していった。
高校時代から徐々に異性にもてはじめ、私の青春時代は順風であった。
私は特段にこの世界の根源だとか小難しいことは普段は考えずに、悠々自適の青春を過ごしていた。ただ、産湯の記憶の件を含め、ごくごく小さな頃の記憶が私に濃厚に残されているため、この世の中の仕組みというか、自分という存在はなんだろうという悩みにも同時に忙殺されていたことは事実である。
ただ、それらの悩みは学校生活での日常に差し障りがあるわけでもなく、私は一方で青春時代特有の異性への深い関心を有しつつ、時折、自分自身の存在について思いはせることが大だった。だから、私にはかなり明瞭な二面性があったと思う。
私は大卒だが、もともと大学空間に行く気などなかった。ただ、働いているうちに、大学という空間で様々な人々と出会い、自分なりに成長できるのではないかという予感があったため、大学受験をすることに決めた。その中には、大学に行けば、異性との出会いがもっと増えるんじゃないかなという下世話な期待もあった。
結局、私は受験する大学を絞って(受験料が高かったから)、幸いにも合格した。
そこで、勉学の面でも人間関係の面でも異性との付き合いの面においても、実に素晴らしい経験をすることができた。その頃は産湯の記憶について改めて思い馳せるということは少なくなっていた。「今が楽しければいいじゃない」と私は割り切っていたのだ。
私は学業の成績も幸いなことによく、大学院もパスできたが、結局のところ働くことにした。何がやりたいというわけでもなく、大学を卒業してから、することはとりあえず就職かなという意識だけで、私は社会人となった。
初めて入社した会社では海外研修があり、私はそこで大いに自分を評価していただいた。それはすごくありがたかったのだけれど、私には何か欠けているという意識がぬぐえなかった。
以後、いろいろな職種を転々とするようになったのだが、このように転々とする自分は何なんだろうと思い始めたときに、産湯のときの記憶が蘇ってきた。
私は生まれる前から何らかの意図を持って、この物質世界でワルめーらという人間として生まれたのだろうと推測した。そして、この物質世界で生きる意味はなんだかわからないけれども、ひとまず自分自身ができることを精一杯やるのが一番ではないかなと思うようになった。根拠はないのだけれど、私はそうすることがもっとも自分にとって良いだろうと推測するようになったわけだ。
ただ、時にはこの生存の意味がわからず、私は死という場面を強く意識するようになったこともある。しかし、結局のところ肉体的な滅亡が永遠の存在の抹消にはならないと確信していたから、私は意味づけはともかく、とりあえず生きようと考えた。
近頃になって、私は素直に、生きることは素晴らしいことであって、死というものは原理的に存在しないという確信を抱くようになった。つまり、肉体としての終焉があったとしても、存在としてのワルめーらは永遠に生きつづけるのだろうという確信が強まったのだ。そして、その確信を深めたのは、生後まもなくの産湯のときの記憶ではないだろうかと思う。あの時、私は確かに自分自身で明瞭な思想を持っていたし、それを言語化することもできた。
てなことを書いてみたけれど、実際はどうであれ、私は今現在を楽しく生きようと思っている。焼酎もボトルを開けるほど飲んだけれども(三日に一度くらいはそうしているのだ)、私の信頼する知人の見解によれば、私は酔うと客観的に自分の立場を持っていく素質を持っているらしいから、だったら、飲んだ時に思ったことを書き連ねるのも一興かなと考えた次第。
というか自分はつくづく酒が強いんだなと改めて感じている今日この頃。
遺伝ではないと思うんだよな。祖父母はほとんど飲めないし。
Posted at 2010/04/29 00:09:31 | |
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思い出 | 日記