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2010年05月17日 イイね!

西郷どんはなにを考えていたのか ~維新三傑と龍馬~

西郷どんはなにを考えていたのか ~維新三傑と龍馬~
西郷隆盛(吉之助)と大久保利通(一蔵)、木戸孝允(桂小五郎)という維新三傑。
やはり、彼ら三人がいなければ、維新回天とその後の明治政府の進展はなかったのではないかと思う。

私は維新後に西郷が不平士族を集め、西南戦争を起こすに至る動機がよくわからなかった。陸軍大将でありながら、勝手に薩摩に帰っちゃって隠遁して、そのうち不平士族にかつぎあげられて内戦を起こすという彼の行動基準がよくわからなかった。最近は少しわかったような気がするが、それは後に述べる。

結局、西郷は明治以降の近代化の波にすんなりと乗れる人ではなかったんだなと思う。でも、それは西郷自身の評価を落とすことではない。考えてみれば、明治政府は旧体制のシステムを大掛かりにぶっ壊したわけだ(秩禄処分とか廃藩置県とか)。これはこれでかなり大胆な変革で、ゆえにこそ日本の近代化が一挙に進み、今日があるわけだ。こういうぶっ壊し側にいたのが、大久保・木戸たちであろう。大久保の果断な決断力や木戸の開明的な思想があったからこそ、ほんのわずかな期間に太政官政府はさまざまなぶっ壊しができたんだと思う。

西郷はどうか。
ぶっ壊されて不満を持つグループも当然いるわけで、彼はそうしたグループの大いなる受け皿となったことで非常に評価できる。ではなぜ彼は受け皿足りえたのだろう。
彼の人徳には誰もが圧倒されたという。一種のカリスマ性があったわけだが、それだけではなく、彼自身極めて冷静に物事を判断できる人物だし、不平士族という旧秩序の種を断ち切るために、自分が犠牲になろうと決意したのではないか。
西郷は陽明学の徒だった。陽明学では行動を尊ぶ。西郷が「おいどんの胸を貸しもそ」と唱えたときに、彼は徹底的に不平士族の感情をよく理解しつつも、新政府の秩序のために、命を投げ捨てようとしたのではないかと思う。

征韓論はどうだろうか。もし、彼が大久保や木戸と同じく、遣欧施設として渡欧していたら彼の考え方は変わっていたかもしれない。ただ、いずれにせよ彼を慕う不平士族をむげにするようなことはしなかっただろう。
この点、幕末から封建秩序がほぼ崩壊していた長州出身の木戸ならば、遥か先の近代日本しか見据えないだろう。ただ、不平士族を一気にぶっ潰すという大掛かりなことはやはり大久保のように肝の据わった男がいてこそ可能だったのではないかと思ったりもする。
そういうわけで維新三傑とはよくいったもので、西郷・大久保・木戸がいたからこそ、
近代日本の礎が構築しえたのだということが、大まかながらもいえるのではないかと思う。

維新直前に殺された坂本龍馬はどうか?
龍馬は西郷・大久保の薩摩と木戸の長州を結びつけ、回天の礎をなしただけで、大いに功績があると思うし、彼の行動には飛躍がない。いや、当時からすれば飛躍そのものなのだが、彼は藩という枠にとらわれずに日本という概念を見ることができた。世界という概念を見ることができた。そして、その範疇でいろいろな行動を試みた。幕府とか藩とかそういった事柄を既に超越して物事を考えていたのだと思う。
それが彼自身の土佐郷士出身という環境に原因があるのかどうかはわからないが、やはり彼の存在は維新三傑を成立せしめた点でも偉大であると思う。だから私は彼をとても評価している。
そして仮定として、彼が維新まで生きながらえていたら、どういう立ち位置を占めていたのだろう。私は西郷のように懐でもって不平士族と運命を共にするのではなく、
より狡猾な方法で不平士族を押さえ込んでいたような気もするのだが、案外、政治の世界などは放り出して、海援隊を大いに発達させることに執心していただけかもしれない。
Posted at 2010/05/17 21:54:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 旅行/地域
2010年05月17日 イイね!

愛車購入から四年 感謝感激雨あられ

愛車購入から四年 感謝感激雨あられ
我が愛車も購入してからまもなく四年が経とうとしているのか。
四年の月日は長いのか短いのかよくわからないな。

購入当時、プリメーラ仲間には本当にお世話になった。
よき整備工場とも知り合えた。
このことは何度か触れたけれども、記録に残さねばなるまい。
当時のことは詳しくは書かないけれども、本当に感謝しています。
その後も各部チューンアップや作業等で随分とお世話になってきて、
今の愛車があるのだと思う。そういう意味で私は恵まれているなと思う。
マンションの駐車場代も相場の半額でお借りしているし、妻もよく自動車趣味
を理解してくれていると思う。

愛車自体にも感謝だ。本州・四国とよく駆け巡ってくれている。
いろんなエピソードがあるが、総じて頑丈でいい個体を選んだと思う。
いずれは北海道・九州行きも控えているが、もう安心してドライブできる。

この四年間、いろんな楽しい思い出があったが、ここでは二つほど印象に残ったことを挙げてみる。

暗闇の恐山道中(大間崎を経ったのが午後6時だったんだけど)で、急に前に発進できなくなったり、窓が閉まらない(PWレギュレータ寿命ではなかった)といった怪奇現象もあったっけ。あれはなんだったんだろう?
三途の川を渡ったのがまずかったかね。ははは。

一日二千キロ走破のときは、燃費がものすごくよかったな。鳥取から無給油で下道で都内に戻るってのはちょっと信じがたいけど、本当に達成しちゃったんだよな。
究極のエコカーじゃないか、我が愛車よ。エコカー減税対象になれるじゃないか!
耐久レースも行けるぞ!


といったこともあり、旅のお供としての用途を重視する私にはぴったりの自動車なのだ。どうかこれからもよろしくっと。









Posted at 2010/05/17 21:19:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車 | クルマ
2010年05月17日 イイね!

街並みについて思う

街並みについて思う
混沌極まりなく自転車が路上を闊歩し、沿線でも独特の雰囲気を醸し出している我が街の駅近辺も大いに変貌しそうだ。駅近辺の大通りの路上再舗装が完了し、いよいよ駅舎も今様に?変化するようだ。けど、周りの建物は一向に変化しそうにないし、そのうち駅近辺は貴重な文化保護地域になりそうな予感。いや、風致地区か(笑)

東京でも隅田川の東側に位置する墨田区と味わいとしては似ているかな。スカイツリーが建設されても、そんなの関係ねえ的な業平橋や押上の商店街なんて好ましい風景だね。ただ、それでもやはり街並みは少しずつ、変貌しているのかなとも思う。押上辺りなんて迷路のような裏路地に入ると木造家屋の家並みに囲まれ、迷子になったもんだが、いまはスカイツリーが目印になっている。高校時代までハサミを持った駅員さんのいた京成曳舟駅は周りの大変貌に合わせて、駅の構造すべてが変わるようだ。

好ましい街並みって何だろう。変貌著しいのが小気味良いときもあるし、十年昔と変わらない雰囲気を持つ環境に安心感を覚えるときもある。昔の北京みたいに大量に押し寄せる自転車を横目にそんなことを考えてみた。
Posted at 2010/05/17 16:57:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ | 旅行/地域

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「建物そのものがすでに歴史民俗資料になっている気がする😅」
何シテル?   06/18 13:17
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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