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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2010年05月23日 イイね!

出羽秋田紀行その3 うやむや

出羽秋田紀行その3 うやむや三方が崖になっていて、崖下から先はすべて日本海。後ろに聳えるは台形の形を雪化粧に包んだ鳥海山。まだシャツ一枚でも平気な気候。そんな素晴らしい場所にいる。ちょうど秋田県と山形県の境目にいる。ここに関所跡があるらしいがこいつが曲者ななのだ。後述しよう。

日本海沿いをずっと南下している。
秋田県を抜ける前に象潟という場所に立ち寄った。
江戸のある時期までは潟であったという謂れがあるようだ。どうもわからない。説明書きによれば、江戸時代の地震の際に陸地が隆起し、いまの形になったという。陸地とは日本海に浸される岩礁のことなのだろうか?
日本海沿いに転がる岩や流木?なんかを見ていたのだが、どこが隆起した陸地なのだろうか、私には分からなかった。次回の旅までの解決課題にしよう。なお、象潟は松尾芭蕉がおくのほそみち紀行で訪れた最北の地らしい。

さて関所である。関所の名前を有耶無耶関という。地図によれば、私がいまいる県境に何らかの碑文くらいあるはずだが、まだ見つけていない。その前に象潟から県境に入る手前の集落に有耶無耶の関所という小さな表示を見つけ、私は案内に沿って、そこに入ってみたのだが、車幅いっぱいの道の左右に無数のお墓があるだけだ。一つ鳥居のある神社らしきものを見掛けたが決め手にならない。関所跡らしきものはない。結局、この海辺の集落を二往復したところで、国道左手に諏訪神社という村落の鎮守らしき社を見つけた。そこにも関所の痕跡は無かったけれども、途中羽越本線を跨いで本殿に行く構造が歴史の古さを物語っていた。車馬禁止の立て札が掲げられていたので、急いでお詣りして、この土地に少しばかり縁ができたことに感謝した。

旅の面白味の一つはこうした偶発的にみえる事柄が起きて、しばしばいい思い出になることにあるだろう。有耶無耶関所跡にはいまのところうやむやにされているわけだが、それもまたよいだろう。

風が涼しくなってきた。ここは夕日が非常に美しいようだが、おそらく新潟市まで日本海沿いを通ると肚をくくったので、出羽か越後で最高の夕日がみえるはず。目標は今夜中に帰宅。ではまた。

旅人より
Posted at 2010/05/23 15:30:48 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2010年05月23日 イイね!

出羽秋田紀行その2 なまはげは大陸人だった?

出羽秋田紀行その2 なまはげは大陸人だった?いやはや非常に暑い。なまはげで有名な男鹿半島にそびえる寒風山という山の頂にいる。全然寒風など吹いていないし、風もない。

眺望が素晴らしく眼下に八郎潟調整池、極めて整然と四角に区切られた水田や日本海が一望できる。

男鹿半島自体は野がほとんどなく、切り立つ断崖に沿って、また樹が豊富に生い茂る山々無数の道がある。木々の合間に山田も見られる。集落はところどころに分散されており、山中の集落はどうやら稲作を生業にしているらしく、絶壁下にある集落は漁業で生計をたてているようにみえる。

このような男鹿半島のなかで、寒風山は風の強さで木々が育たないのか草原になっていて、それが眺望をよりよくしている。ラジコンの飛行機を飛ばす人がいたり、バイク乗りの人が集ったりと賑わいをみせている。寒風山に至る道はやや狭く勾配やアールもかなりある。小さいハッチバックが似合いそう道だが、冬場はどうなるのだろうか。まっさかさまに駆け落ちる可能性もある。そんな道だ。

さて、男鹿半島といえば何よりもなまはげで有名だろうか。なまはげのルーツはよくわからない。

鬼というのがミソかもしれない。鬼は怖くて恐ろしいものの象徴。ということは、共同体外部の人間であることを示唆しているのではないか。古来、特に農民は共同体単位で生活し、それが彼らにとっての世界のすべてだった。だから共同体外部の人間は得体が知れないから怖くなる。

なまはげは結局なだめすかされて帰るわけだ。てことは泣く子供(共同体の住民)は親(共同体の首長ないしは首長の連合体?)の術策により、見事に不気味な外の人間を追い出した歴史があったのではないか。

外の人間とは誰か?私は大陸沿海州辺りから漂着した民族だと思っているがどうだろう?古来より大陸と日本列島との往来は盛んであった。沿海州に渤海国という狩猟を生業としていた国が平安時代に日本に朝貢してきたことがある。当時かれらが持参した黒豹の毛皮は貴族たちに大人気だったらしい。

海上から都までのルートを考えると越前敦賀から琵琶湖をつたい、京都にきたとみるべきだろう。だが、日本の遣唐使船なんてそうだが、行き当たりばったりの船旅だったかもしれない。とすると距離的にも男鹿半島近辺に彼らが来訪した可能性は大いにあるのではないか。

てなことを考えてみたが、なまはげよりも、景色や道路が良い。八郎潟調整池なんて見事に角形に区割りされており、防御用の掘りみたいだ。九州の水城も似たようなものなのだろうか。とにかく人間が手を加えたことが如実に了解できるのだ。

附記→初めて渤海の大使が日本に来たのが、奈良の大仏を完成させた聖武帝の時期なので、京都に都が移るまえから日本と渤海は交流があったともいえる。
Posted at 2010/05/23 11:03:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域
2010年05月23日 イイね!

出羽秋田紀行その1 ひたすらに直線~朝靄をかいぐくったのちに~

出羽秋田紀行その1 ひたすらに直線~朝靄をかいぐくったのちに~カッコウがしきりに啼いている。空は快晴。朝だけどすでに暑い。秋田県大潟村にいる。

北に舵をとっているさなか、午前三時半頃には空が白み始めていた。
岩手県北上から秋田県横手に向かう山中では、朝靄が漂い、奥州武士が法螺貝を吹きながら騎乗しているような、幻想的な風景を醸し出していた。ゆめのあとのもののふが靄のなかから大挙現れそうな気がした。

県境付近の湖を眺めてみた。湖までは栗林に覆われ、小径が通っている。山にも春の訪れがようやくきた。緑がびっくりするほど淡い。できたてのもぎたての春。そして、お伽めいたことに、その風景は私が想像している奥州のむかしの光景そのものだった。靄に淡い緑。奥州のもののふたちはこんな環境にいたのではないかと思う。

秋田県を東西につっきった。やはり緑が淡い。また、豊穣そうな田地が盆地を埋め尽くしている。さすが、こめどころである。

さて、八郎潟という琵琶湖に次ぐ大きな水を湛えていた潟は、米の増産のため、戦後に開拓された。その開拓地に大潟村という村ができた。まるでオランダの街みたいな歴史を持っている。四囲は無論、広大な田地で、その間を直線で非常に広い道路がいくつか縦横していて、その光景はおよそ日本的ではなく、大陸的で地平線の彼方という言葉を思い出すほどに広々としている。田地が小麦畑や草原なら、トムソーヤみたいな少年がいてもおかしくない。
Posted at 2010/05/23 07:44:28 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 旅行/地域

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「クリオ店にアリーナ店車で来訪🚗
四年ぶりくらいの再訪。」
何シテル?   06/16 11:40
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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