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2011年12月15日 イイね!

値打ちというもの ~越前の窯工房で思ったこと~

値打ちというもの ~越前の窯工房で思ったこと~越前福井については格別な思い出がある。
まだ初秋の時期だったかと思う。
越前福井に訪問したことがある。むろん、クルマで。
このときは若狭地方(福井県西部)や滋賀県・京都府も観光し、若狭の小浜市内においては、たまたま開催されていた夜祭りの画像を撮影したところ、とある写真展で入選したという実に愉快で心地良い思い出がある。

概してエネルギッシュなドライブ紀行であったように心地良く記憶している。
越前に限っても、敦賀の気比の松原や金ヶ崎、一乗谷遺跡(戦国大名朝倉氏の本拠で、京風の文化が残されていたとされる。当時の街並みが一部復元されている)、戦国の風雲児にして大天才の織田信長の先祖が神主をしていたという織田神社などを訪問した。
そして夜中に至り、ようやく岐阜県との境である九頭竜を超えた(冬期は通行できない難所と記憶している)という次第で、質・量ともに大満足をした記憶が今でも脳裏全体に心地良くぼんやりと蘇る。
そういえば、山門が閉じられたあとの永平寺にも立ち寄った。風が冷たかったように覚えているが、どうだったか。





焼酎を飲んでいる。越前の釜工房に立ち寄ったときに購入した椀で飲んでいる。
上記のドライブ紀行時に立ち寄ったときに購入したもので、今日はこの椀に関わる話をしようと思う。
そして、「値打ち」というものについて考えてみたい。
なお、補足するならば、値打ちとは価値観と言い換えてもいいかもしれない。

私はそもそも窯焼きには興味もなく、従って知識もなかったのだが、司馬遼太郎氏の著作を読んで、越前焼の窯工房があるのならば立ち寄ってみようかなと考えていた。
すると、その意を汲んだかのように、越前福井をドライブしているとき、眼前に二階建ての窯工房が見えてきたのである。
誠に僥倖であると言わざるを得まい。さっそくクルマを停めて工房に入ってみた。



くだんの窯工房には当初人の気配がなく、無数の工芸品が陳列されていたのみであった。それらのほとんどは売り物であったが、どうも私が気に入っていたものと価格とが比例しない。
私は黙々とそれらを眺めていて、まず品定め(何が自分好みのものなのかを検討)をしてから、工房で値付けされたと思われる値札を眺めることを楽しんでいた。
やはり自分にとっての値打ちと提示価格とは一致しない。
こういう世界は主観性の要素が強いし、まあそんなものだろうなとは思っていたが、これほどに隔絶しているとは驚きであった。
実にいいなと思った作品が存外に安価であったり、見向きもしないような作品に数十万円の値札が付けられていたりした。

やがて、一人の女性が現れ、自分が窯工芸に無知であること、そして自分の品定めと提示価格とがまったく一致しないことを告げた。
女性は微笑を浮かべながら、『ご自分が好きなものを選べばよいと思います』と実に明確に答えてくれた。
なるほど、もっともなことなのだけれども、では工房ではどのような基準で値付けをしているのだろうと思いそのことを質してみた。
『焼き方の過程にもよりますが、それよりも私たちは楽しんでやっているだけなので、
値付けに関してはあまり気にしていないんです』
女性はなおも続ける。
『窯の面白さは、出来上がりの結果がわからないことなんです。私どもも窯の火の中に作品を入れて、どのような文様やら形に仕上がるかがよくわからないのです。でも、それが楽しんですね』



私は蒙を啓かれたような気がした。
現代資本主義の需要と供給との均衡で定められる価格選定の原理とはおよそかけ離れた値付けの基準はまあ理解できる。
窯を焼くような人たちには主観として、「需要と供給」というワンセットの言葉が漂ってこない気がしていたからだ。売るために作成しているのではないという頑固な職人気質のようなイメージを私は明確に持っていた。
彼らはあくまで楽しいから作成しているだけであって、その余剰が売り物として提供されているに過ぎないのである。
実際に彼女や後から現れた職人さんに接して、私は好ましく思った。
そして健全だなと感じた。
そう感じた理由はおいおい理解していただけると思う。

私たちは「労働と対価」をもワンセットで考えてしまう。
しかし、労働には楽しみが伴わなければ私は意味がないと思う。
労働をすることで経済的報酬を受けることは否定しないが(むしろ大いに肯定する)、労働時間と収入はしばしば比例しない。そして、労働の質というものはおよそ客観的に判じられまい。世に能力主義・成果主義というものがあるけれども、百パーセントの客観性は保証できないだろう。
なお問題なのは、人はしばしば労働に縛られ、「生活をしなくてはならないから仕方なく働く」という、なんだか顛末した発想で人生を歩んでいることが多いようにも思えることである。
仕方なく働くことでやっと維持できる生活とは一体なんなのだろう。
私はずっと疑問に思ってきた。

しかしながら、この越前の一工房には、そうした倫理感(当世の常識?)は微塵もなかった。
楽しいから作る。そして結果にワクワクする。
まず第一義にこの前提を重要視する。
むろん、お金は大事だろう。いや、非常に大事だ。
だが、私が思うにお金というものは手段であり、お金という手段で達成しうる目的とは喜びや自由を享受することであろうと思う。
だが、本来は手段であるはずのお金そのものに捕縛されているような人々も見受けられるような気がしている。
すなわち、いつも汲々として「生活のために」とつまらない仕事を無理にして、お金を得て、そしてそれを「生活のために」使用する。そして、また「生活のために」つまらない仕事をする。
人間の営みとして少々滑稽ではないかとさえ思ってしまう。
ここで私はシシフォスの神話を思い出す。ギリシャ神話にある。
シシフォスが重い岩を持ち上げる。ゼウスの命によって。
重い岩をようやく山頂まで持ち上げたと思ったら転げ落ちる。
そして、転げ落ちた岩をまた山頂まで持ち上げる。これを永遠に繰り返す。
これがゼウスが与えた罰であり、シシフォスはこの行為を未来永劫繰り返すこととなる。
私はついついこの神話を思い出してしまう。

「お金さえあれば楽しむことができる」「お金さえあれば好きなものが買えるし、自由な気持ちになる」という意見もある。その通りだろう。
しかし、根底として常に工房の人たちの如く、楽しみワクワクしながら労働をしなければ、仮にお金が手に入り、一時的な楽しみや自由を味わえたとしても、また「辛い労働」に回帰しなければならないという構造は一切変わらないだろう。
「シシフォスの呪い」は解けないままである。
畢竟、人生のうち半分は辛いことに費やさねばならない論理になる。
これって健全なのだろうか。
「お金さえ」という前提が無ければ、楽しめないのだろうか。自由になれないのだろうか。

この時期、私は特に人間として生きる上での楽しさや喜びの意味や金銭について考えていたので、彼らの姿勢をとても好ましく感じ、労働(仕事)のなかでも楽しみやワクワクさを見いだすようにしようと考えたわけだ。この考えは今でも変わっていない。

因みに、いままさに私が使用している椀だが、
電磁焼の窯が気に入っていて、ワンポイント的に付いている葉の形の文様が気に入った。
たしか700円くらいで購入して、今でも愛用している。





Posted at 2011/12/15 21:23:45 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出 | 旅行/地域

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「建物そのものがすでに歴史民俗資料になっている気がする😅」
何シテル?   06/18 13:17
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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