• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ワルめーら@Terryのブログ一覧

2012年03月01日 イイね!

伊勢長島 宗教的情熱も今は昔

伊勢長島 宗教的情熱も今は昔揖斐川や木曽川の大河川の狭隘部を走行してきたところまで述べた。三重県長島でのあらましを多少の余談を加えながら述べてみることとする。

尾張名古屋の夜

尾張一宮の社と大河川の中州 



揖斐川・木曽川という大河川に囲まれた中州である長島という地は、当然の如く水に対する備えについては、昔から鋭敏であり、輪中集落(http://www.qsr.mlit.go.jp/oita/seibi/ohnogawa/aramashi/images/house.gif)という水害への対応を万全にした家並みが発達した。
明治以降、輪中様式の建築は減ったと言われるが、家並みの下にずっしりと鎮座している石垣などを見ていると、往時の様子が微かに偲ばれるような気もする。




ところで、現在日本人は自らに備わる宗教的な雰囲気を意識できない状態にある(だから、自分自身のことを「無宗教」といいながら、神社やお寺へ詣でたりする)。
世界的に見ても極めて異質で、異邦人のようでもある。
なお、イスラム教圏に入国する際に「無宗教」と述べてしまうと入国できない場合があるので注意されたし(キリスト教でもなんでも信仰する宗教を有していれば良い)。

この我ら異邦人は元来から異邦人ではなかった。
古来から寺社勢力や武器を持ち暴れ回っていたし、主に仏教宗派同士の争いというのも絶えなかった。
長島の地を訪問すると、異邦人に変容するまえの日本人の姿を思い起こさせる。

親鸞を開祖とする浄土真宗は親鸞自身が教団を組織するという事柄を考えていなかったせいか、彼の死後、教勢はまったく落ちぶれてしまっていた。
室町時代に蓮如という親鸞の子孫が生じるに及び、浄土真宗(本願寺派)は大きく変わった。蓮如は組織作りの天才であり、教勢はまたたく間に全国に広がった。
親鸞の教えでは阿弥陀如来への信仰はそのまま極楽浄土(阿弥陀如来が暮らす世界)への往生を万人に保証しており、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで、
極楽浄土に赴けるという非常に敷居の低い宗派であったため、またたく間に民衆に広まった。
同時にこれら本願寺門徒たちによる一揆が多発し、世俗権力は大いに頭を悩ませてもいた。

織田信長という人物は彼自身は人間の信仰というものを許容していたように思われるが、宗教勢力が世俗の政治権力に介入するのを忌み嫌った人物であった。
政教分離主義者であったのであろうか。
比叡山の焼き討ちも当時の比叡山の勢力状況を鑑みて評価せねばならない。
確かにやり方は強引ではあったが。
さて、本願寺門徒たちは次第に反信長という姿勢を強めていき、石山(現在の大阪)にいる顕如の指導のもと、盛んに信長に抵抗していた。
その抵抗拠点の一つが伊勢長島であり、信長勢力圏の中に位置しており、信長にとっては目の上のたんこぶであっただろう。

門徒たちは死を恐れないため非常に勇敢だった。なぜなら、死ねば極楽浄土に行けると信じていたから。当時はこうした宗教的熱気が日本にも盛んにあったのである。
ところが、さすがに信長の圧迫に屈し、長島に立て籠もった老若男女の門徒は皆殺しにされた。
長島にはこうした歴史がある。

なお、宗教勢力は信長以降、秀吉によりさらに骨抜きにされ、やがて家康により完全に平和勢力化された。たとえば、全国のお寺を幕府が管理し、すべての人々がお寺の管掌化に入らなければならないとされたのは徳川時代になってからのことである。
お寺がお葬式を請け負うようになったのもその頃で、当時は葬儀のやり方も知らないから、同門(同じ僧侶達)が無くなったときにする葬儀の方式を一般の人々の葬儀にも適用した。
「お寺=葬式を行う」という日本だけにある特異現象は江戸時代に始まったのだ。

一通り長島の中州を堪能してからは、きわめて閑散とした長島駅前(JR・近鉄)を通過し、「なばなの里」という場所を地図で見つけて行ってみた。





平日で曇天であったが、割合と人で賑わっていた。他県ナンバーのクルマもちらほらと見えた。花鑑賞ができる場所らしいが、それよりも広大な園芸売場に目を惹かれてしまい、しばらくそこを徘徊していた。



長島から名古屋までは至近だが、やはり長島は三重県だけあり、関西のなまりが強いように思えた。隣の桑名市(長島も現在は桑名市に属しているが)も明らかに関西風のイントネーションを発している人々が多く、この辺りが言語的な境界線なのかなと、東の人間の私なぞは思う。

愛知県では莫大な自動車交通量があるが、その分道路インフラも東京に比肩するくらいに整備されている。国道23号という昼間でものろのろとしか動かない道路があるのだが、今回は敢えて23号を辿ってゆっくりと帰路に着こうと思った。
名古屋から東は閑散とした田舎道だったように思えるが、ここ数年バイパス化やバイパス四車線化が進み、驚くほどに交通環境が良くなってきている。
中途、西尾に立ち寄り食事をして浜松まで向かった。そこから先は東名高速で一気に東へ東へと向かった。
なお、西尾の近くに吉良という町があり、有名な吉良上野介が殿様だった土地である。上野介の評判は領地ではとてもよく、今でも大いに慕われている。
赤穂事件というのは未だに謎めいた部分が多いが、我々は「吉良上野介=悪」のような勧善懲悪的なお話を楽しむのもよいが、歴史の実相的部分にもいささかばかり踏み込んだほうが良いように思える。



海老名SA上りの施設が既存の高速道路施設と一線を画すほどにしゃれていて、今後はますます高速道路の施設探訪を目的に高速道路を利用する人たちが増えるのではないか。
ネットワーク網という道路本来の要素だけを突き詰めるよりも、面白いではないか。
今後は単に道路網を拡張していくというだけでは、その発想は旧時代的なものと言われても仕方ないのではないだろうか。



東京まではあと僅かの距離である。塩ラーメンが身に染みた。
旅のしめくくりとしては至上の品であった。
Posted at 2012/03/01 09:15:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ

プロフィール

「33は強化フロントスタビブッシュとかまた渋いところから攻めようとしているので、こっちはどうしよう。
レイルのリアバンパーのバーとか。

シェルのステッカーが剥がれていたので、取りました。
ラリー仕様仕切り直し。限定復刻したモンスターのJノーズ買うか(笑)」
何シテル?   08/10 00:25
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2012/3 >>

     123
45 6 789 10
11 1213 1415 16 17
181920 21 22 23 24
25 26 27 28 29 3031

リンク・クリップ

トライアルC25さんのスズキ スイフトスポーツ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/10/16 23:35:54
April 6th,2024 エンジンオイル交換(エレメント○) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/07/31 22:58:43
子連れ向きの海水浴場 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/23 09:42:28

愛車一覧

スズキ スイフトスポーツ スズキ スイフトスポーツ
2025年5月26日納車🌸 赤黒2トーンのファイナルエディションです。Dオプを付けま ...
スバル インプレッサ WRX STI 涙目だけれど笑顔号 (スバル インプレッサ WRX STI)
36万キロエンジンオーバーホール歴無しの全国周遊マシン👍 黄色くラッピングされた給油口 ...
スズキ スイフトスポーツ 鈴木の運動車 (スズキ スイフトスポーツ)
ノーマルのスイフトに加えて、二代目のスイフトスポーツを購入。 5速マニュアルのチャンピオ ...
その他 なんでしょ その他 なんでしょ
令和のクルマも手に入れたので、時計の針を戻して、今度は久し振りに昭和を偲ぼうかとも思って ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation