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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2013年03月12日 イイね!

【随筆】髪の毛のない女性

【随筆】髪の毛のない女性うだるような熱気に包まれ、冷房を付けないと、ものの二、三分で全身から汗が噴き出てしまう。全てのものが干上がってしまうのではないかというくらい太陽は煌々と大地を照らし続ける。そんな中、蝉だけが威勢よく、いよいよ鳴き声を激しくしている。
八月の夏真っ盛りの時期になるといつも、私の脳裏に、中学三年生の時の修学旅行の想い出が蘇ってくる。それは、私が本当の意味で「修学」した旅行であったともいえるし、私に貫かれていた価値観を根底から大きく変えた劇的な場面との遭遇でもあった。当時のことを回想しては現実に戻る。その繰り返し作業が頭の中で展開される。回想に浸っている時間は、とても長いような気もするし、ほんの一瞬にすぎない気もする。時計で正確に計ったわけではないから分かりやしない。しかし、私にとっては忘れがたきき想い出なのは間違いない。以下は私が中学三年生の時の回想である。
 東京東部の下町在住の、当時中学三年生だった私は、自らの不条理さを認識しつつも、それでもなお、腹を立てていた。なぜなら、十月の修学旅行先が広島に決まったからである。ちなみに前年まで、私たちの学校の修学旅行先は京都と奈良であった。
 修学旅行の名目としては、戦争の惨劇の記憶が生々しく残されている広島の地を訪問することは、生徒が課外で学を修めるという点では、まことに理に叶ったものには違いない。それくらいのことはとうに理解している年頃だ。しかし、健全たる中学生たるもの、夜に開催されるであろう枕投げを楽しみにしつつ、昼間は「修学」のことなど忘れて大いに羽を伸ばしたいのが偽らざる心境である。無邪気に過ぎる中学生の純朴な気持ちの表れといったら自己弁護に過ぎるだろうか。原爆ドームを眺めたり、広島平和記念資料館を見学をしたら、頭の片隅に「お勉強」という文字が残ってしまいそうな気が私にはしたのだ。それは隅田川を越えるばかりか、東京をも離れ、もちろん学業も放棄して、新鮮で自由な空気を味わおうという魂胆を持つ不逞の輩にとって、はなはだ不都合であった。
 もちろん、私の自分勝手な都合に学校が配慮してくれるはずもなく、修学旅行は十月に当初の予定どおり、広島へ向かうことになった。
 広島へ向かう貸切の新幹線の中では、仲間とトランプを興じたり、大声でたわいのないことを喋りあったりと、まずまずの自由と解放感を味わうことができた。時折、車窓を見やると、頂から七合目あたりまですでに白くなっている富士山の全景が拝めた。私はちょっとした異国情緒を感じた。実は私は伊豆より西の地を訪れたことが無かった。
「悪くはないではないか」と心中呟いた。
 やがて、あんなに大騒ぎしていた仲間がひとり、ふたりと眠りにつく。すっかり静まりかえった車内。私は眠くなかったので、車窓をぼおっと眺めていた。まだまだ本格的な紅葉は始まっていないようだ。緑色の木々で覆われた山肌の単調な景色に、感興が湧くこともなく眺めていた。急に手持ち無沙汰になった私には、そうする以外に退屈を紛らわす術がなかったのである。
 何時間ほど静寂した車内に身を預けていたのだろうか。新幹線はようやく広島駅に到着した。駅前のロータリーはこぢんまりとしていて、駅の北側を見やると背の低いこぶ状の山々が迫っていた。正直言って面白みのなさそうな街だなと思った。我々は、ロータリーからバスに乗り込み、予定どおり寸分の狂いもなく、さも当然と言わんばかりに平和記念公園の方角に向かって走り出した。
 まず、われわれは平和記念公園の近傍にある原爆ドームを見学した。クラシカルな欧風の建物でドーム屋根の部分がすぽんと抜け落ちたように無くなっており、骨格だけが剥きだしになって残っていたのが印象的であった。近代的建物が建ち並ぶ広島の街の中で、原爆ドームだけがぽつんと原爆の惨状から取り残されたようであり、私はもの悲しさを感じた。後世まで大事に保管しなくてはいけないなと思い定めた一方で、私は惨劇を現在に黙って伝えるこの建物に違和感を感じてもいた。建物を保存することが「ノーモア・ヒロシマ」につながるのだろうかと。
やがて、社会科担任のA先生によって、原爆ドームについての説明がはじまった。だが、私はどうしても原爆ドーム右手のT字型に川を覆っている相生橋が気になってしまい、あまり話を聞いていなかった。その他、同輩を観察すると、粛々と話を聞いているものが三割。聞いているフリをしている者達が四割。こそこそと仲間うちで雑談している者達が三割にも達していた。
その後平和記念公園に移動した我々中学三年一同は、記念資料館の一角で原爆の被爆者で六十代前後とおぼしき女性から原爆投下当時の体験を静粛に拝聴することになった。広島の惨劇については社会科の教科書や小遣いで購入した歴史の本等で、予備知識がついていたこともあり、体験談を聞くことにあまり興味はなかった。被爆した生の人間の貴重な証言を聞こうという心性は当時の私にはなかった。私は、秋空が広がる平和記念公園の地で、どういう訳か、夏場の外房沿いの広漠な砂浜で海水浴を楽しんでいる自分を夢想さえしていた。つまり、話をロクに聞いていなかったのである。
 三十分も経たないうちに、女性は話を終わらせる様子を見せたので、私はその瞬間をいまかいまかと待ち構えていた。「明らかに退屈そうな同志諸君。これで退屈な非日常は終わりだ」などと心の中でけしからぬことを呟いていた。続いて、生徒のまわりを囲むように立っている教師達をみやった。厳粛な面持ちの先生達の表情が心なしか強ばっているように思えた。このような案配で、私が悪どい人間観察をしている時、異変は起きた。
 被爆女性は、自分の頭皮を頼りがいのない小さな手で掴みはじめた。一体何をはじめるのだろうと思った。女性はその指の一つ一つに力をますます込め、頭皮の一点に集中して力を込めているようにみえた。すると、あれよあれよという間に頭髪全体が脱げてしまった。なんと女性の頭髪は全てかつらだったのである。私は予期せぬ出来事に退屈感から抜け出せる喜びも忘れ、女性の方に食い入るように見入った。この女性はどうしてかつらなのだろうか。また、何のためにかぶっていたかつらを自ら脱いだのだろう。私の数々の疑問をよそに、彼女は我々にこう述べた。
「私は原爆被害の後遺症で、髪の毛が生えない体質になってしまいました。どうか皆さんには、私が被った症状をもたらす原爆、ひいては、原爆などの残虐な核兵器を使用するような戦争が二度と起こらない平和な世の中を維持してください」
 女性の言葉は威厳に充ち満ちていた。同輩も私もすっかり細くなっていた瞳孔をかっと見開き、事態の思わぬ展開に強い驚きと狼狽を隠せないでいた。眠くなっていた頭の中もすっかり覚醒した。だが、被爆した証拠として、真の姿を晒した彼女に対して、私はどういう心情を抱いていいのか分からなかった。驚き、狼狽、そして混乱のさなか、彼女は再びかつらをかぶり直し、何事も無かったかのように退席してしまった。
 彼女が退席した後、先生達が先程の彼女の話についての感想を生徒一人一人に求めた。しかし、皆揃いもそろって、「戦争の悲惨さがよく理解できた」という程度のことしか述べられなかった。まるで口裏を合わせたかのようだった。私も例外ではない。しかし、本当はそうではない。言いたいことは沢山あった。単なる悲惨さという言葉で一括りにできるほど事態は単純ではないと私(おそらく周りの同輩も)は直感していた。しかし、唐突な事態に直面した困惑から、我々の誰一人、通り一遍以上のことは語れなかった。
 帰りのバスでは疲労も手伝ってか、皆無口だった。私達にとって、被爆した女性の後遺症の現れ、つまり、髪の毛の抜け落ちた「坊主頭」が、何よりも説得力のある歴史教育だったと思う。しかし、誰もそのことについて口にすることはなかった。箝口令でも敷かれたかのような不気味な雰囲気だった。
 夜になり、われわれは宿舎へ向かった。昼間の出来事に対する深刻さはどこへやら。特にわんぱく連中が勢揃いした我々の部屋では過激な枕投げ合戦が繰り広げられていた。枕投げに熱狂し、騒いでは教師に叱られるということの繰り返し。ひととおり、枕投げが終わった後は、好きな人を告白するといった中学生の男子らしいうぶな話で盛り上がっていた。
 翌日、新幹線で広島駅を出発する。行きと違い、帰りは疲労のせいか、皆静かである。かなり衝撃的なことを体験したけれども、皆それに執着しているわけでもなく、ただただ身体の状態に任せるまま眠りについていた。私は帰路でも眠ることができなくて、一人ぼんやりと車窓を眺めていた。
 その時、A先生が私の席に近づいてきた。私は何を言われるのだろうと皆目検討もつかなかった。少々気性の荒いA先生だったから、ひょっとしたら叱られるのではないかと思っていた。しかし、私には叱られる理由はなかった、と思う。A先生は私の眼を凝視し、普段よりも穏やかな調子で私に話しかけた。「なあ、T。修学旅行で広島に行くのが嫌だったんだってな」私の胸は凍てつくように固まった。「一体誰がちくったんだろう。お喋りのYか?学級委員のSか?」その後、私はA先生に咎を受けることを覚悟し、あっさりと自分が思っていたことを白状した。
 しかし、A先生は特段、私を叱る様子でもなく、「そうか。まあ、広島が修学旅行となると行くところが限られてしまうからな。だけど、修学旅行ってのは案外捨てたもんじゃない。お前が大人になった時、修学旅行の意味がはっきりと分かるさ」と私にとっては予想外な言葉を述べるにとどまった。私は何も答えることができずに沈黙していた。被爆した女性の坊主頭を見るまでは、確かに私は広島に面白みを感じられないでいた。今はどうだろう。広島に来たことが、面白いとか面白くないという次元では捉えきれないない別の力が自分の心を支配しているような気がした。A先生は、私が蓋を閉じた貝のように無言のままでいると、何事も無かったように列車後方へ向かっていった。
 私はもっぱら車窓を眺めながらも、車窓の景色がまったく脳裏に焼き付かない。なぜなら、考え事をしていたからである。我々にかつらであることをカミングアウトした女性の被爆当時の情景を想像してみた。
夏の蒸し暑い盛りに、大空を飛来する米軍の飛行機を目撃する。一機しか飛んでいないので単なる偵察だろうと胸をなで下ろしていた時に、突然、激しい閃光が街全体を覆った。強烈な熱風が辺り一面を支配し、あまりの熱さに人々は、耐えられずに続々と川へ飛び込む。皮膚が焼けただれて誰だか判別がつかなくなってしまった人たちもいる。原爆投下による火災や家屋倒壊で、街が一瞬にして地獄絵図と化している構図が現出している。おそらく、当時二十代であっただろう彼女が見た広島の街は、今の私にはとてもではないが凝視できるものではないと思った。微妙に太ももの辺りが震えてくるのがわかった。彼女は辛うじて生き延びた。いや、生き延びたからこそ、彼女は原爆症で、女性にとって命と同じくらい大切な髪を失うことになってしまった。こんな不条理なことがあろうか。
 ふと、学校の図書館で「はだしのゲン」を読んだときのことを思い出した。確か主人公の男の子ゲンも原爆の影響で、髪の毛が抜け落ちてしまったはずだ。私は、マンガでしか見たことのない被爆者の悲惨な後遺症を目の当たりにしてしまった。私は、彼女の姿を見なければいいとさえ思った。そうすれば、今まで通り、無邪気で何も知らない平和な中学生で過ごすことができたはずだ。しかし、私はもう見てしまった。戦争の残滓がまだ残っているという否定し得ない事実をはっきりと知ってしまった。時間が過去に戻らないのだとすれば、私はやはり粛々と彼女の髪の毛のない姿を受け入れる他ないのだろうか。
 どれくらい考えていたのか分からない。私はいつのまにか寝てしまったようだ。小田原駅を過ぎる辺りで私は目を覚ました。いよいよ帰ってきたという嬉しさが体中をほとばしった。
新幹線は無事、東京に到着し、私達の修学旅行は終わった。母親に修学旅行の感想を聞かれたが、私は「別に」としか答えなかった。祖父母も食卓に囲んで、いつもより心なしか豪華なおかずが次々と出される。得したなという気持ちと共に、隣に座っている祖父母は戦時中、どのような心境で、どのように日々過ごしていたのか知りたくなった。祖父母共に満州からの引き揚げ者だということは知っていたが、それ以上のことは知らなかったし、敢えて知ろうともしなかった。一瞬、直接的に戦争当時の状況について尋ねようかと思ったが、思い直した。夕食時に突然、孫から戦時中のことを聞かれてもまごつくだろうし、言いたくないようなことや思い出したくないような記憶が数々あると判断したからだ。広島の平和記念公園の被爆者女性のように己の体験について勇気を振り絞って語る人達と、戦後、子や孫のために一所懸命になって働いてきた祖父母との間にどちらが良いとか悪いといった価値基準の差はない。語らないことで生じうる平穏というものもあると思う。しかし、私はどちらかといえば、平和ボケの典型のような中学生だったので、繊細な感性が残っているうちに被爆した女性と出会い、髪の毛のなくなったその姿をしっかりと焼き付けることができてとても良かったと思う。
修学旅行後、私達中学三年生は迫り来る高校受験のために本格的な受験勉強を開始した。私のいた学校は下町らしいのんびりとした中学で進学熱は高くはなかったが、それでもほとんどの学友が、希望の高校に合格するために本格的に勉強を始めるようになったのだ。私とて例外ではなく、しばらくはあの日の出来事をすっかり忘れて受験勉強に勤しんだ。結果、都立高校に合格することができた。そして、修学旅行の翌年三月に私の中学生活は無事、終わりを迎えた。
 思春期には彩り豊かな出来事が想い出の数々として残っているが、今でもくっきりと印象深く、鮮明に浮かんでくる想い出となると、中学時代の修学旅行が真っ先に挙げられる。彼女は今でも戦争の悲惨さを身をもって伝えているのだろうか。
今夏も灼熱のような暑さである。広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式で安部晋三総理が内閣総理大臣として挨拶をしている。広島市長が「平和宣言」を読み上げている。私には彼らの裏手でひっそりと、彼女が原爆の被害者の一人として、我々に向かって戦争の悲惨さや平和の尊さを訴えかけてくるような気がする。         (了)                     

 
       










Posted at 2013/03/12 23:19:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2013年03月12日 イイね!

時はテラなり

時はテラなり喫茶店で司馬遼太郎の「功名が辻」を読んでいる。

時は戦国時代。
山内一豊という、際立った武威や才覚は持っていないように見えた武将が、信長・秀吉・家康に仕えながら、名だたる大名になった男の物語である(とはいえ、実際は運と共に非凡な能力があったはずだ)。
彼の妻お千代は男勝りの才知を備え、やや凡庸な夫を助け、夫の立身出世を助けたという展開が話の肝や切所になるのだが、司馬遼太郎のみならず、内助の功のお千代の評判は当時からあったそうだから、非常に賢い女性だったのだろう。
なお、「功名が辻」はたしか2004年に大河ドラマ化され、天守閣復元も相俟ってか、彼が関ヶ原の戦い前まで領していた掛川のお城には思った以上に、観光客がいたことを思い出す。

USBを購入しようと思い、家電品量販店に立ち寄った。
しかしまずそこで目に留まったのが、ポータブル式のハードディスクで、なんと1. 5テラ(1500ギガ?)の容量を確保したモデルもあり、いやはやびっくり。しかもスマホくらいの大きさだ。
気に入った色(赤色)のモデルが1テラの容量のものだったので購入。写真なら40万枚は楽に入るらしい。マジかい。
対応のテレビであれば、録画記憶装置としての使い方もできるそうで、例えば韓流ドラマをすべて録画するような人にはいいかもしれない。
しかし、テラの容量となるとそれでも空き容量がたくさんできるだろう。
一点留意すべきは、パソコンの外部ハードディスク的な使い方と、テレビ録画をする使い方とは両立できないとのこと。
しかしまあ、テラまでの容量なら、エロ動画を集めまくっても(私はその場で鑑賞するタイプだが)、やはりあり余ると思われる。





スバルビル訪問が久しく耐えていた。
ギャラリーにはフォレスターとステラが展示されていた。
フォレスターにもっぱら関心を向けていたのだけれど、SUVらしからぬ着座位置の低さだ。
これなら、SUVクーペとして販売してもいいんじゃないかな。
レンジローバーのエヴォーグみたいに。
オフロード性能は無論、オンロードでも走るのがスバルのクルマなのだから(と思う)。






と、とりとめもなく筆を進めてきた。
最後に。
明日から半月ほど、プチ独身生活をすることになった。
どなたかウチでどんちゃん騒ぎしませんか?(笑)

*付記:画像がアップロードできない云々は再起動やキャッシュの消去で解決。
いかにも昔のPCを思い出すなぁ。
それと、今回購入したポータブルハードディスクという商品は、USB2.0と3.0(後者のほうが高性能と考えればよい)の両者対応で、3.0用ケーブルを差しているんだけれど、2.0を差していることを示すライト色が付いている。なぜだろう?
Posted at 2013/03/12 21:45:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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何シテル?   06/27 16:59
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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