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2013年03月16日 イイね!

家康が静岡にとどまった謎・辰巳の意味・大黒の謂れとは?

家康が静岡にとどまった謎・辰巳の意味・大黒の謂れとは?徳川家康はもともとは三河岡崎の小領主で、徐々に勢力を広げて、遠江や駿河など、今の静岡県の大多数を領有するに至った。織田信長と同盟を結びつつ、着実に力を蓄えていたけれども、本能寺の変で織田信長が倒れたあとは、豊臣秀吉の電光石火の政略の妙で、彼に先に天下取りを譲る形になった。後手に回ったともいえる。もっとも家康に当時天下取りの意志があったかどうかは微妙である。
とはいえ、家康は小牧・長久手の戦で秀吉軍を個別的戦闘で破っているし、秀吉も大いに家康の力を恐れた。
そのためであろう。
豊臣秀吉が北条早雲を開祖とする後北条氏の本拠である小田原城を制圧し、いよいよ天下をとると、家康は東海地方に領有していた領土をそっくり召し上げられ、代わりに後北条氏の勢力圏であった関東地方の大部分を与えられたのであった。
家康は唯々諾々とこの処置に従い、しかも小田原ではなく、当時は片田舎であった江戸を根拠地にすることに決め、盛んに街づくりをはじめた。
もしも、秀吉のこの処置が無ければ、或いは今頃日本の首都は駿府(静岡市)や浜松だったかもしれない。現に家康が天下を取り、悠々自適で隠居した後は、江戸は二代将軍の秀忠に委ね、彼は駿府に居を構えるようになった。
家康は東国に地盤があったから、旧敵国がたくさんいる西日本への備えとして駿府に自ら赴いたともいえるだろうが、それならば、駿府でなくとも浜松でも良かったようにも思える。どんな深慮遠謀があったのかは窺いしれないが、ともかくも大御所と呼ばれたご隠居家康は駿府を終の棲家とした。
実はその駿府(静岡市)に来ている。
ゆえに、書き出しを家康の関東への領地天封から駿河駿府での隠居生活という話題を持ってきたのである。たしかに、浜風も無く実に温暖な地ではあるが、なぜに駿府で隠居を始めたのだろうという疑問が湧く。
駿河の国の国府ゆえ、街は既に大きく発展していたから、華やぎはあっただろう。が、家康は派手好みではなかったとされている。ただ、商業経済に対する理解はあったと思われる。
だいたい、江戸幕府が鎖国を始めたのは家康が亡くなってから遥か後のことで、家康はむしろ海外との貿易を推し進めていた。
それはともかく、駿府に住んだ謎につき。
或いは江戸から南西の方向(裏鬼門)の方角にあたるため、ここを大いに重視したのだろうか。
久能山東照宮に遺骨を入れるように命じ、自ら権現(つまり神だ)として徳川体制を護ることを遺言したのだから、江戸との方位関係とそれに基づいた江戸守護・西国への防衛を考えていた節は非常に高いといえる。
また、彼の生まれ故郷の岡崎、駿府久能山東照宮、その近くにそびえる富士山(不死山)、江戸や日光との距離関係を鑑みると、非常に面白いことが浮き彫りにされるのだが、既にわかりやすい説明があったので、興味のある方は以下を参照されたし。
完璧な説明だろう。
天界僧上の家康晩年における権力は大変なものだったという。
家康神格化と神である東照大権現家康による護国思想に宗教的合理性を与えた功績は大だろう。
なお、東照大権現の「東照」はまさに東を照らすという意味であり、天照という日本の中心的神をも意識したように思われる。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114491381

江戸をやや著名にしたのは、室町時代の太田道灌だが、江戸時代に既に百万を超える当時世界一の人口を誇ったという江戸の基礎を作ったのは、やはり家康だろう。
ゆえに、我がクルマも東京にいる以上は、もっぱら舗道を走ることがほとんどなのである(牽強付会かな)。それにしてもいやはや、微妙な車高でしょう。



昨晩は首都高をクルージングしてきた。
ことにレインボーブリッジに程近く休憩に便利で眺望も良い辰巳パーキングの「たつみ」は、もろに江戸に関連している名称である。



昔は十二支を等分して、時間や方位を呼称していた。ちょうど、辰と巳が位置する方角が南東であった。現在の辰巳はまさに旧江戸城(皇居)から南東の位置にあり、ゆえに辰巳と称する。
ここへ来て、このようなことしみじみと考えたことはないけれど(笑)




大黒の由来は、七福神の大黒天から来たものだろうか。
大黒PA一帯は埠頭ゆえに、モダンで新しい横浜でもさらに新しい部類に入る(幕末まで横浜は横浜村という寒村だったそうだ。むしろ、東海道の宿場町があった現在の神奈川区に当たる神奈川のほうが発展していた)。
しかしながら、陸側鶴見区に大黒町という街はあり、こちらはさすがにハマの古参選手という観であろう。また、鶴見という名は源頼朝が名づけたともいわれ、そうなると相当に古い。
辰巳同様に、大黒にいながら、大黒の地名の由来についてあれこれ考えていたわけではないけれど、
インドのシバ神の化身マハーカーラが日本に伝わってくるまえに、早々といでたちを変え、日本に到来したときには、出雲の大国主神と習合し、大黒天とされ、やがては福の神(だから七福神のメンバーなのである)になったという辺りが面白い。
おそらくは大黒天から名づけられた大黒町に埠頭が出来て、ベイブリッジや大黒PAが出来て、いま賑やいでいるということに、面白みを感じなくもない。

Posted at 2013/03/16 02:55:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 旅行/地域

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