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2013年06月20日 イイね!

上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その4 日本の原風景

 上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その4 日本の原風景
太平洋の大海原の風浪を眺めていた頃がウソのようで、再び内陸部のこれぞ日本人が想起するであろう原風景的な景観がとめどもなく広がる場所に来ている。
承前。

上総・天津小湊をめぐる房総紀行 その3 鯛の浦・太東崎・玉前神社

稲という作物はもともと熱帯性のもので、日本の稲作も当初は関東くらいまでが北限であっただろう。しかし、時代が下るにつれて、われらがご先祖さまたちは実に執念深く、コメというものを栽培し、江戸時代にはついに本州のほぼ全域が米作地帯となった。今では北海道ですら米どころである。
本州でも東北地方は今ですら、冷害により米作が不調な時期があるが、私たちのDNAにはおそらく南方の風俗が染み渡っていて、例え風雪が激しくとも、決して米作りをやめないようにできているのではないかという執念すら感じさせる。
深い山々にある小さくて急峻な棚田などを見ていると特にそんな感を強くする。

房総観光といえば、やはり都心からほど近い内房の穏やかな海ないしは水質が良い外房の海であろうか。それと心がほっこりするような内陸のローカル線の光景だろうか。或いは、マザー牧場だったり、鋸山だったりするかもしれないが、いずれにせよ、関東の人たち以外にとってはあまり馴染みがないような気もする。
そんな馴染みのない房総の土地の中でもとりわけ、旧上総国一宮であった玉前神社の内陸の睦沢・長南といった辺りは、まず観光目的で訪れる人たちはいないだろう。
それがいいわけでもわるいわけでもないのだが、仰々しくご当地を宣伝している感じもしないし、ごくごく自然に日常生活を送っている様子が感じ取られる。
これらの区域は長らく山がちだった房総半島南部の地勢がようやく広闊な野原になる箇所であり、したがって自然と風景も日本の原風景的なものが目立つ。



より北上し、下総台地と呼ばれるところまで来ると、今でこそ米作・畑作ともに盛んだが、水利の悪い箇所もあり、江戸時代までは原野が広がっていたという。ウマの放牧が盛んだったともいう。
田沼意次の印旛沼開拓事業も、土木事業による経済振興政策と共に、当時の幕府の、いや、日本人の財産であった米作地帯を広げるという農本主義的政策をも兼ねていた素晴らしい事業だったのだと思う。
もっとも田沼は失脚し、印旛沼開拓事業も失敗してしまったのだが。
ちなみに、下総台地では、明治になり版籍奉還により領地を失した士族たちによる開梱事業が行われ、その時の名残りが地名として残っている。
比較的全国的な知名度が高いのが八街だろうか。キャベツ栽培で有名な八街は13の入植地のうち、8番目の入植地となる。
以上、旧下総国の話になってしまったが、この辺り(睦沢・長南)まで来るとどうも風景が下総に似ているような気がする。地勢的には大きく異なるようなのだが。
野原の広闊さと旧下総国との距離が近づいているからそう思うのかもしれない。
ここまで来ると、日蓮が生誕した安房国は遥か彼方というふうにも感じられる。
荒々しき波も大量の鯛の群れも今は昔。



写真は麦畑だろうか。稲作の青々しさとは異なる色彩ゆえに、日本の原風景ともいえる瑞穂な世界とは様相を異にしている。
この辺りは田地と麦畑(?)が混淆しており、それが色彩として素晴らしいコントラストを見せてくれる。
コメも麦も食べるものだが、ただ食べるだけではない。育てるだけでもない。
こうして風景として楽しむ。
単なる生産・消費社会から脱して豊かになった我々が享受できる贅沢の一つではないだろうか。

圏央道の新規開業区間が近くを通っており、アクアラインまでは僅かの距離となった。しかし、新緑の季節の房総半島をまだまだ味わいたい。
そこで前日同様に小湊鉄道沿線を巡ってみることにした。






遥か昔のことに感じられるのだが、諸駅を巡ったあとのトリとして、ほんの前日に汽車に乗降した月崎駅を再訪する。




駅前でただ一軒のお店に入る。
店主はどうも昨日も同じ顔のやつらをみたなという目で我々を見る。
その機敏が面白い。

ところで、前日もそうだったのだが、月崎駅に来ると、とてもやわらかなシャワーのような雨がさっと降る。そして、青みをました草はますます青さを際立たせて、本格的な春の到来を証明させてくれる。
来月初旬には夏の土用の時期が来る。土用とは季節の移り変わりというほどの意味で捉えて良いと思う(年に四回ある)。夏の土用は春から夏への移り変わりの時期である。
よって、薫風香る晩春も間もなく終わる。
本旅行は五月のことだから、いわば春たけなわの時期だったわけだ。

房総半島は遠い場所であっても都心からせいぜい100キロほどである。
旅とは別に遠くに行くことが旅というわけでもない。
例えば、房総半島のようにクルマで日帰りできる圏内でも、その土地の息吹を感じ取ることができれば、それは立派に旅なのだと思う。
単なる移動ではなく、その土地の空気を吸い込んでしまい、自分の一部にしてしまうのである。それが私が考える旅というもの。
私は遠方へもどんどん旅できるが、遠くに行けないという人もいるだろう。
別に近場でも構わない。房総半島が遠いということであれば、自分の生活圏内でもいいと思う。生活圏内であるから、そこは見慣れた風景があるだけだろう。しかし、必ず視点を変えれば、いつもとは異なった息吹を感じ取ることができるはずで、そうなればしめたものである。
自宅裏の公園での散歩でも、そこでいつもと異なった発見があれば、それは自分の感性が著しく刺激された非日常経験をしたということだから、旅といってよいと思う。

もちろん、お気が向いたらで結構です。
ご予定が立てられれば結構です。
どんどん旅をしてください。
家の中ですら、旅はできます。
地図を広げるだけでもそこには無数の息吹が渦巻いていることがわかるでしょう。
想像するだけでも良いと思います。
立派な旅だと思います。




「美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し」(正岡子規の「墨汁一滴」より)
想像でも実際に行動してみるのでもどちらでも良いけれど、やはり息吹は味わったほうがいいでしょう。私はそう考えています。






Posted at 2013/06/20 07:17:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 定例の宿泊旅 | 旅行/地域
2013年06月20日 イイね!

固定的な観念

固定的な観念澁澤龍彦の本を久し振りに読んでみた。
初読のものだったけれど、おかげさまで澁澤のイメージが大幅に変わった。
彼の姿というとどことなく浮世離れしていて、およそ私が住んでいる世界とは異なる世界に住まうというイメージが付いていたけれど、それが見事に剥離され、近所の商店街のスーパーで見掛けそうな感じさえする。そんな親しみやすささえ生じた。
むろん、実際の本人の生活やら振る舞いやらが書籍でのイメージとは異なる姿があったとしてもちっとも不思議ではないけれど、でも澁澤龍彦だからなぁ。

松本清張に関しても実に綿密で粘着質な「昭和史発掘」やら「日本の黒い霧」などがあるかと思いきや、こんなにも通俗的でいいのかと思えるような歴史小説(黒田官兵衛が主人公の作品なのだけれど、アマゾンのレビューだと他作品とのギャップを述べたものが無いのが意外だった)もあった。
もっとも、彼の歴史考察力にはなみなみならぬものがあるが、それら主要作品はとりあえず除外して。
ところで、通俗的なことが悪いわけでもない。私が読んできた清張本の折々とのギャップが著しく、そしてそれが通俗的だなと感じたまでのこと。
高尚だろうと通俗だろうとその価値に優劣はない。

澁澤の初読本に対しても、清張の黒田官兵衛本と似たような感想を抱いた。
こちらはアマゾンでも似たような感想を述べたレビューを散見した。
当人(のイメージ)とは異風なものを、殊に当人(のイメージ)からは想像も付かないような媒体で書いたとき、原稿料の問題で語られることも多い。
澁澤の上記本では、増築費用の捻出のために引き受けた云々という話しも出てくる。まあ、初出が当時のKKブックス(庶民の教養願望を平易な文体・テーマで叶えて売れに売れたシリーズ)だというから、そう邪推されるのもわからなくもない(当時はまだ教養主義が幅を効かせていたのだそうだ)。
そういう面もあると思うんだけれど、やはり澁澤なら澁澤が展開する世界というのは、浮世離れした博覧強記の大天才という枠組み以外にもあるということを示しているのだと思う。
松本清張だって、「点と線」とか邪馬台国論などで、脳みそをフルに推理モードにする場合もあるけれど、時にはクールダウンする場合もあろう(いや、クールダウンというのが相応しいのかどうか)。
ともかく、それは悪いことではない。
その執筆者の可能性・才能の広さにほかならないだろう。

書名を挙げてしまおう。
「快楽主義の哲学」という本は、近頃、活字離れしていた私には読みやすかった。
最近、本を読む気がしなかった。
まあ、それはどうでもいいとして。
澁澤ならではのエロティシズムの路線は崩してはいない。平易な文体にはちょっと意表を突かれるけれども、相変わらずよくもおもしろおかしいことをこれほどまでに知っているものだと関心しながら読みすすめていくという点では変わりがない。サドに関しても当然言及している。なんだか安心。
私自身の認知の幅が広まった。
狭く固定的だった澁澤に対するイメージが、大きく膨らんだ瞬間でもあった。

たまたま澁澤龍彦や松本清張をダシにしてみたけれど、固定的な観念(belief)が人間にはあると思う。
ある人は渋滞がどうしても許せないし、ある人は子供が騒ぐのが許せない、といったことなど。
考えてみれば、これら個々人の観念(価値観)のすべてが社会道徳・倫理的に許容されえないという烙印をおされたもの以外であっても、結構われわれは固定的な観念でもって、物事を解釈していまいか?

あくまで私の個的体験。
お金を卑しきものとする人たちがいる。
だが、資本主義の世の中ではお金はある価値を享受するために重要な役割を果たす。
スーパーで野菜と魚と肉を見つけた。気に入ったからといってそのまま持ち帰ったりはしないだろう。お金を支払うはずだ。
そこで、そういう人たちはお金を稼ぐことに努力する。別にそれが悪いわけではない。
しかし、常に窮乏した不足の感情があるから、日々是、「お金がない」といって不満をもらしたりする。
そして、やがてお金がないことの言い訳として、お金だけが人生のすべてではないと開き直ったりする。
時には金持ちを批判的に見たりする。
かくして、お金をいやしむことで、現状の不満足感を隠蔽しようとしている人が多いような気がしている。

もちろん、お金だけが全てではないけれども、徹底的な共産主義者でもあるまいし、今の時代ではお金は目的でないにせよ、サービスやらモノの獲得やらにおいて重要な手段となっていることは事実だ。
だから、もしお金を無意識の上であれいやしむなら、本来はお金を稼ぐことをやめるべきだろう。
しかし、ある人は、「いや、そうしないと生活できないから」といい、働きお金を得る。しかし、根底に不満があるから、「お金なんて、、」という形でお金に対して否定的な観念を持つ。

豊かさの手段というか、それ以前に「お金があればこうなるのに」という限定された図式しかないから、お金に振り回され、そしてお金が満足に入らないとなると、
お金や金銭状況が良い人に対して批判的になる。
これは視野としては狭いと思う。
そして、固定的な観念を抱いているんだと思う。
それも非常に倒錯した形で。
「お金は欲しい。でもお金がない」
そこで、自我の均衡のために彼らはいう。
「お金だけがすべてではない」

再三いうけれども、お金だけがすべてではないが、上の文脈ではお金への欠落感から生じた結論である。本当はお金を欲している。
その点では首尾一貫していないし、矛盾しているなと私は思う。
そういう思考方法をもちろん許容するけれど、私は別のアプローチをすると思う。

私なりの金銭に対する定義はこうだ。
「私はいつでも好きなときにいつでも好きなことをすることを目的としている。お金はそのための重要なパートナー(手段)の一つである。むろん、お金だけがパートナーではない。でも、パートナーの一人であることには変わりないのだから、大切にしていきたいと思うし、どんどん自分の経験の中にお金が流れ込んでくれば、自分の冒頭に掲げた目的がより一層達成されるのではないかと考えている。もちろん、いろいろな人のいろいろな人の見解があるのは承知しているし、私はそれを認める。でも、私は私のパートナーを大切にしたい。よって、お金も大切にしたい。逆にいえば、お金を介さなくとも、目的を達成できることも多々ある。そのことを踏まえた上で私はお金が大好きなのである」

たまたまお金のことが頭に思い浮かんだので述べたのだけれど、どんな分野のことであれ、手段と目的を明確にしておいたほうがいいのではないかなと私は思う。

澁澤や清張の私が勝手に抱いていたイメージは、特に前者においてはほんの数日前に覆された。でも、私はこれまで実に固定的で柔軟性の無い観念を持っていたのだなと思い知るいい機会となった。
これからは、読書の世界に限っても、より広い視野である筆者からの様々な筆致を堪能することが可能になるであろう。

視野は幅広く持つといいのではないかということと、自分自身が抱いているスコトーマ(固定観念)を解きほぐすことが必要なのではないかということと、その上で
あらゆる価値観や生き様を許容することが結局のところは、いいのではないかなということを常々思っていたので、つらつら書いていたが、あくまで自分への覚書として記したのみ。

人には人の数、時には人の数以上に見解がある。
それを逐一、検討して価値の序列を付けるよりは、すべて対価なものとして尊重したほうが自然だと私は思う。その上で自分自身の好みを心ゆくまで楽しむのはとても素敵なことだと思う。
人間としての自由と幸福を感じるからだ。

Posted at 2013/06/20 05:46:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思索 | その他
2013年06月20日 イイね!

TETRAX

TETRAX
愛車に設置させるスマホの台座について思案していた。
しかし、どうもスマホを中心にカーライフどころか生活リズムが回っているような気もしている。
これでは主客転倒ではないかと思いつつも、しっかりとしたスマホの台座を確保したいという欲求は依然としてある。この欲求を抑圧するつもりはない。
しかし、この二律背反をどう克服するか。

スマホの台座位置をどうすっぺ

たしかにたくさんの商品が売られているし、台座として十分な実用性を兼ね備えているものが、巷ではたくさん売られている。
私も購入して一定の満足はしていた。

でも、大方はスマホを挟み込むという形のものが主流で、その堅牢さは認めるけれども、スマホを車内で参照しながら(具体的にはアプリを利用する)、使おうという向きには少々面倒ではないかとも思う。
もちろん、人によりけりだとは思うんだけれど。
私の場合だが、スマホをがっちり挟み込めるのはいいけれども、挟み込みの強さゆえに、取り外しのときにスマホのカバーをついつい痛めてしまうこともあった。

所有物は大切に扱いたいと考えているので、どうにかしようと考えていた折のこと。
強力な磁力で以て、スマホをビシッと過剰なまでに安定して吸い付ける商品を見つけた。
見本品をいじってみたのだが、これは確かに強力だし、スマホは脱落するどころか、その磁力にぴたりと吸い寄せられたまま固定されている。
むろん、スマホに取り付ける磁器製品ということで、電子機器への影響はないとのこと。
愛車のどこに取り付けるかという点でも自由度も高そうだったので購入してみた。
結果として、とてもいい買い物をしたと思う。
見事な吸い付き具合。脱着時にカバーを痛めることもない。

この製品はどうやら、TETRAX(テトラックス)というイタリア製のものらしいが、
響きがイタリア語らしくない。まあそれはいい。
リンク先では、リヒターというあからさまにドイツ語単語を冠するの会社だかなんだかと並列に並べられている。どういう関係性なんだろう。
ちなみに、ドイツ語は単語と発音との間に規則性があるのですぐにドイツ語だなというのがわかるのである。こうした規則性を覚えれば、意味はわからなくともとりあえず発音できてしまうのがドイツ語の魅力である。
さらに脱線をすれば、規則性がドイツ語(その他フランス語などの欧州言語)に比べてルーズなのが英語で、だからこそいろいろな国々に伝播しやすかったのかなとも思ったりもする。
面倒な規則性を無視して、自分たちが都合の良いように(使いやすいように)文法や発音を生み出しやすいからである。
まあ、それもまたよいとして。
かつての枢軸国(第二次大戦で連合軍と対峙した国々。日本も枢軸国の一つ)の製品や商品がずらりと並んでいる様はなんだか小気味が良い。
我々は戦では負けたのに、製品の魅力では一長を備えている。
ドイツの堅牢さ、イタリアの芸術的気品さ、日本の精密さ。
もっとも、TETRAXはドイツ的堅牢さを強く感じるのだけれど。

なお、TETRAX製品の価格は巷売られている商品に比べて高いので、ご自身なりのスマホとの接し方を勘案して購入を検討すれば良いと思うが、ネットなどで安く売られていると思う。
私自身のことをいえば、自分が満足したなと思えば、絶対的な価格に関してはさして気にならないのだが(これも個人の価値観)。

さて、ここで話はスマホ本体のことになる。
現況ではバッテリーはもってもせいぜい一日くらいだし、充電しながらの使用でも、バッテリーは消費されていく。
黎明期から発展期に展開しているであろうスマホの宿痾なのであろう。
数年後にはバッテリー消費問題は解決しているだろうけれども、現段階では、バッテリー消費の早さと折り合いを付けて、アプリを楽しむほかない。

というわけで、給電されている間はともかく、ひとたび給電が終わると、一気にバッテリーが枯渇するという状況下にある。
時に給電されないということもある。
この辺りは、動作が不安定だったころのパソコンのようでもある。
節電の工夫はできるが、いずれにせよ特にGPSを使用したアプリを利用するとなると、バッテリーのもちに焦点を当てることになるが、スマホのバッテリーを確保するためだけに、いろいろな処置をするのも、なんだか馬鹿らしいような気もする。

冒頭にも述べたが、主客を転倒してはどうしようもない。
主体は私である。
スマホを活用して楽しむというのが目的である。悦びである。
このような基本的な心構えを常に意識したいと思う。
事はスマホに限らずに。


↑主体である私


Posted at 2013/06/20 03:58:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | とりとめもないこと | その他

プロフィール

「ほぼ閉店状態 世田谷地域交流版 http://cvw.jp/b/730895/48571783/
何シテル?   07/30 14:39
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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