2013年07月22日
かなり前のことだけれど、同じ車種に乗っている友人からこんなメッセージをもらった。
彼はドイツ人なので、お互いに交流しやすい言語ということで、英語でやり取りをしているという次第。
Here in Germany, I once read an article, that Japanese do not like old cars, that's why they sell their new bought cars very fast - after 2 or 3 years. And that not everybody wants to drive/buy an used car. This can't be universally applicable, but I would like to hear your opinion.
意訳すると、
「かつてこんな記事で読んだことがある。日本人は古いクルマがあまり好きじゃないから、買ったクルマを二三年くらいしたらすぐに売ってしまう。だから、誰も中古車を運転したり、買おうとしない。むろん、(これらの記事がすべてピタリと当てはまるはずではないけれど)、意見を聞かせてくれる?」
()内の部分は、当初は「世界的にはメジャーではないこと」、つまり、日本以外の国では自動車を少なくとも日本よりは長期間保有しているという意味にも受け取った。
どっちなんだろう。
今のドイツでは古い車はアフリカに輸出されたり、スクラップされたりしているという。スクラップインセンティブのようなものもあるから、()内の意味でいいようにも思える。
傾向としては、もらった記事はバブル期以前の日本の自動車の需要形態としては的を射ている気はする。要因は様々にあるだろう。
というわけで、以下は主にバブル期前の昭和50年代くらいの日本人の自動車と相対するときの状況・傾向を分析してみることとする。
まず、経済面でいえば、一年車検の制度が代替を促進する要因の大きな理由の一つかもしれない。登録後10年が経過するとそうなるんだっけ。
ともかく、一年ごとに車検を通すようになるならば、心機一転して新車を購入したほうが良いという経済的判断があった。
しかし、いまでも登録年数が経ったクルマは自動車税なのが増額されるし、コストパフォーマンスを経済合理性に求めるのは難があるかもしれない。
或いは、当時の時代環境、自動車に対する社会の見方を理由として挙げることができるかもしれない。
曰く、新しいものがいいものだという価値観が今よりも強かったのかもしれない。
三種の神器や3Cに象徴されるように、時代は右肩上がりの時代であった。
一方で、隣人を気にする日本的世間性も僅かに残存していたかもしれない。
だから、中古車に乗るのは気恥ずかしいという意識にもつながる。
そしてこれは実際のところはわからないけれど、当時、新車として発売される国産車には魅力があった(私は昭和のクルマが好きだけれど、これは私の主観だと思う)。
だから、購買意欲が湧いた。また、現代よりも国民全体に金銭的な余裕もあったことが後押ししているという分析ができるかもしれない。これは経済面とつながる部分である。
さらには、デートカーという言葉があったように、自動車を道具として割り切らず、ステイタスとして象徴される時代でもあったかもしれない。
今は一年車検の制度もないし(特殊車両車等は別として)、外車のディーラーなどではアプルーブドカーがたくさん存在しているし、中古車情報誌もあるし、自動車保有年数も伸びてきているという。
私は出会った経験がないけれども、自動車には乗らないから、所有する必要もないし、そもそも興味がないという若年層も多いともいう。つまりはステイタス性が剥落したということか。
少なくとも、人々の意識は当時とは大いに異なっているともいえるのが現在だろう。
こうした事どもと対照を成しているのかわからないけれど、逆に古い自動車を愛玩する人たちが増えているような気もする(クルマ好きの間だけだと思うけれど)。
自動車雑誌でも、懐かしいクルマに焦点を当てたものが、ここ十年くらいでとても増えてきているように思える。
これもまた主観なのだとは思うけれど、どうもそう思えて仕方がない。
自動車雑誌を読むことが最近無くなったと近頃述べたけれど、たまにページをめくってみたりすると、懐かしいクルマに焦点を当てた雑誌で無くとも、過去のクルマに関する記事や当時の広告などを載せている例が目に付くようになった。
一方で、アクアやプリウスなどのハイブリッド車はとても売れている。環境性能に優れているという点もあるだろうけれど、燃費性能という経済面での優位性を購買動機とする人が多いような気もする(ハイブリッドの是非についてはさておく)。
これらは無論、現在でもディーラーに行けば新車で購入できるクルマだ。
ほかにはミニバンやSUV、軽自動車、コンパクトカーも売れているといえるだろう。
セダンやクーペ、ワゴンには厳しい時代かもしれない。
昭和50年代といえば、逆にセダンやクーペが売れ筋だったように思える。ワゴンの設定がある車種も多かったように記憶している。
無論、当時はミニバンやSUVというジャンル自体が無かったこともあるだろうけれど(似たような系統のクルマとしてワンボックスやクロカン車があったけれど、趣味性が強いクルマというイメージがあった)。
こうした車種形状別の売れ行きの変遷も、私たちの自動車に対する意識に何らかの影響があるのかもしれない。
結局はいくつかの仮説を提示しただけだし、理由はもっと複合的だろう。
しかし、今は社会的通念から、新しさや古さという差異にこだわる人たちも少なくなっているようであり、それだけ個人の自由な価値観が発揮されやすくなっているようにも思える。そう考えると、日本の自動車社会は成熟しているなという具合にも捉えられるような気がする。
そうそう、彼のクルマは97年に購入してから32万キロ走行しているという。メルセデスのW203も所有したことがあったそうだが、われらが日本車のほうが性にあっているようだ。
彼に限らず、どうも欧州のドライバーは驚く程の距離を走っているクルマが多い感じがする。私の交遊範囲内の話だけれど、英国でも同じようなオーナーが多い感じを受けている。
ともあれ、少なくとも、彼のクルマは過走行であり、随分と長い間乗っていると認識されるだろうが、彼の国ではそれは案外と普通の状態なのかもしれない。
冒頭で述べたようにスクラップされる古い自動車が多くなってきているようだから、今後はどうなるかはわからないけれど。

Posted at 2013/07/22 16:59:30 | |
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2013年07月22日
それこそ中学生のときからプロ野球観戦のために神宮球場に通っている。ラーメン一杯何十円という時代の人間ではないけれど、それでも当時外野席が300円(小人料金)だったように記憶している。
神宮球場を本拠とするプロ野球球団といえば、国鉄スワローズじゃなくて(古いですね)、ヤクルトスワローズ(「東京ヤクルト」と地域性を押し出す名称になる前)で、ちょうど池山や広沢が活躍していた時代。
当時のヤクルトは優勝どころかAクラス入りも難しかったけれど、若手中心の球団で初々しさがあった。面白かった。
そんな私たちも初々しいガキだったのだけれど(笑)
ところで、クルマに乗り始めてからというもの、300というとコインパーキングのことを思い出してしまう。
現在、神宮近くの青山通り沿いや近辺のコインパーキングで30分300円(日中のだいたいの感覚的平均値。統計はとっていない)というところか。
青山の例に限らず、近年は駐車場の価格が随分と安くなってきているような気がする。
それはともかく、ヤクルト戦観戦以外にスタジアムに入ったことは無かった。
もっとも、六大学野球の試合時(高橋由伸が活躍した年)に球場前まで足を運んだことはあるものの、相方の体調が優れずにその時はスタジアム内には入らなかったので、いわば未遂。
皇紀2673年土用戊子(つちのえね)の日。
甲子園野球の予選試合を観てきた。
甲子園野球に関しては、本戦はむろん、予選を観るのも初めてだ。
外野席こそ開放していないけれど、観客が満員なのにびっくりした。かつての川崎球場を始めとするパ・リーグの試合よりもお客さんがいるんじゃないかとすら思った(笑・昔はパ・リーグの試合にはお客さんがあまりいなかったのです)。
売り子さんまでいるし、こんなに賑わっているとは露知らず。
青山通りはミンミンと鳴く蝉の大合唱。
数台のランボやマゼラティ、フェラーリが咆哮を奏でていたが、蝉音のほうが印象に焼きついている。大合唱がイタリアン芸術音を凌駕した記念すべき日。
思えば、昼間に本格的に蝉が鳴き出したのは、都内では初めての日だったかもしれない。
歩いて家路につこうと思い、青山通り・表参道と歩を進めたあと、原宿で充電器新調。そして新宿でまた充電器新調(笑)
思えば、行きがけに農家できゅうりを買って、午前中は渋谷の書店で数冊の本を買ったから、こうしたモノ同士の周波数がバラバラで、カバンの中はある種のカオスと化していた。カバンの中の原子構造はどういう具合になっていたのだろう。
なんてことに想いを馳せたのは、たった今ですが(笑)

Posted at 2013/07/22 06:35:19 | |
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