
ようやく帰宅しました。
二日間まるまる千葉・茨城を満喫してきました。遠くに行った感覚は希薄ですが、今回も実に様々な場所を巡り、実に様々な経験をさせていただきました。
写真画像もあまたあるのですが、面倒なので、気が向いたら少しづつ加えていきたいと思います。気が向かなかったら何もしません〔笑〕
いかなる機縁であったのかは失念しましたが、匝瑳市で昭和レトロなイベントがあると知り、直感的に行ってみようと思い立ちました。一週間くらい前から決めていました。
匝瑳市の近くで、二年前にたまたま発見したラジコンサーキット〔最初はなんでこんなところにサーキットがあるんだろうと訝しんで来訪したことがきっかけです〕の所有者さんとも久し振りに会えたらいいなという期待もありました〔結局、今回はお会いしませんでした〕。
それにしても、匝瑳という漢字を出されても普通は読めないですよね。千葉には難読地名が非常に多いように思えますが、匝瑳もその一つで、各自治体が町村合併で平仮名化を進める中、敢えて難読漢字で挑んだ点はさすがですね。
ちなみに、匝瑳はそうさと読みます。読めるわけないわ。
さて、匝瑳市の会場は想像していたより小さく、ゆえにこそ手作り感があって実に微笑ましかったですね。昭和のクルマやバイク、グッズを見たり、昭和の歌を聴いてみたりしました。印象に残ったクルマもあるのですが、それはまた項を改めましょう。
少しだけ述べておくと、TE27のカメアリチューンが印象に残ったかな。あとは、ベレGのフロント丸目一灯モデル。見たことがないなあ。
やはり一週間前くらいに、みんカラのオンライン上で見知った方と、当地でお会いできればいいなとも思っていたところ、隣町の喫茶店にいらっしゃるとのメッセージを賜わったので、田園地帯を駆け抜けました。千葉トヨペットのプリウスプラグインHVの後ろにくっついたら、やっぱり目的地と違う方向に連れていかれたというのは内緒。
この日はナビの調子が悪かったので〔接触不良でしょう〕、バイク用のツーリングマップを重宝しました。
と、言いたいところだけど、やはりスマホは便利ですな。
喫茶店の場所はすぐにわかりました。駐車場に停まっているクルマから立ち込めるオーラがものすごく、江原さんにオーラ鑑定をしてもらいたいくらいに濃いクルマが集結していました。委細に関してはまたしても丸投げで、リンクを貼っておきます。
この記事は、
今日は楽しい「24丸昇レトロ自販機オフ」でした②について書いています。
特攻的に喫茶店に入店した私を快く出迎えてくださり、ありがとうございました。
「すいません、プジョーの方がいますか」と店内に入るなり、いきなり話す奴は絶対怪しい〔笑〕
ともあれ、その後は昭和が息づいている場所に移動し、夜遅くまで談笑させていただきました。皆さま、またよろしくお願いいたします。略儀ですが、感謝の意を表明いたします。
さて、この段階で帰宅するという選択肢もあったのですが、吸付けられるように北上し、潮来〔これまた難読地名ですね〕でメシを食べたのち、水戸まで走行。適度なワインディング路がたまりませんな。久し振りにインプらしい走りができたかな。
月曜も快晴。千波湖湖畔を散策したのち、隣接の偕楽園もゆっくり見てきました。どちらも久し振りの来訪でした。
ところで、水戸だと烈公〔徳川斉昭〕の評価が高いですね。黄門様はこれはもう讃えるほかありませんが〔辻斬りしていた殿様だなんて言えないですよね〕、圧倒的に烈公の史跡が多かったですね。
偕楽園からしてそうですね。
そんなところを印籠〔以前、東京の後楽園で購入〕と新撰組バッジ〔なぜか世田谷の松陰神社前の商工会で購入。ライバルにも寛容ですな〕という幕府万歳的なカバンを背負った人間が闊歩してあるわけですから、時代が時代ならチェストされてましたね。
昼メシは31スカイライン等で有名なとんかつ屋さんへ。肉がパサっとしていて本当に美味しい。しかし、あそこの駐車場の傾斜に対応してできずにSTIリップスポイラーはやはりガリってしまいました〔なぜか擦りやすいことで有名なスポイラーなのです。豪雪の会津を走ったときはまごうことなきラッセル車でした〕。ここはまたゆっくりと再訪しよう。ちなみに、茨城県庁近くの八戒というお店です。マジでうまいですよ。
なお、茨城の食事処なら筑波のキャニオンもオススメです〔こちらも31スカイラインが鎮座しています〕。
次いで、茨城町で小幡城なる表記を発見し、アクセルターン。
否、四駆ではアクセルターンができなかった。。
甲州流軍学の小幡景憲と関係があるかと思ったのですが、そうではなさそうです。室町期の平山城です。城跡内の解説も簡潔丁寧で、当時の遺構がよく遺されています。
当時の空堀を歩きながら、盛り上がった丘陵〔当時の廓や本丸〕を登るという按配です。
木々に囲まれて鬱蒼としていますが、往時の雰囲気を感じとるには最適だと思います。
当時の城の構造を把握するのにこれほど適したところは無いかと思います。
ゴールデンウィーク中ですが、来訪者は私一名でした、ハイ。
さらに南下し、旧玉造町にある芹沢集落を再訪。酒屋のおじさんにご挨拶をして、クルマを停めさせていただき、新撰組初代局長であった芹沢鴨〔近藤勇ではないのです〕の治績を偲びます。おじさんには冬の日暮れ過ぎに来訪したとき〔小美玉のクラシックカーフェスティバルの帰りでラジエター漏れがあった日です〕に芹沢鴨にまつわるお話をしてくださったり、資料を頂戴したので、今回もお礼の意味を込めて、昭和なデザインのスポンジを買いました〔笑〕
今は日本酒、というか酒一般を控えているし〔本来は大酒飲みです〕、他に買うものがないとなれば、致し方ありませんよね。
霞ヶ浦沿いの道路をひた走り、温泉にて一段落。今回も五キロ以上は歩いたかな。
ちなみに、霞ヶ浦は昭和の時代に完全に淡水湖に変貌しましたが、広大で海のような姿はそのままです。波もかなりたっていたのでなおさらその感を強めました。
語尾にだっぺを付けるのは茨城の日立方面だけではないんですね。霞ヶ浦のみならず太平洋という外洋に近いせいか、荒々しい訛り言葉が耳に心地いいですね。
母方の祖父母が福島のいわきに住んでいたので、非常に親近感があるわけです。
ちなみに、福島浜通り弁を喋れるのは祖父母以外にはなぜか私だけです〔笑〕
51号を快走して、やや内陸をはしり、船橋から首都高。箱崎パーキングで休息するが、クルマがクルマだけに仲間に思われてしまう〔笑〕
ちなみに、行きがけは、大橋経由でレインボーブリッジを通ったりと、変幻自在なルート選定。途中で高速を降りて、市川では建設中の外環道の脇を通ったりもしました。
大型連休ならではの臨時ルートでした〔笑〕
そろそろ書き飽きたのでおしまい。
〔追記〕
国道6号でお見かけしたことのあるスバル旧車とすれ違いました〔笑〕