
バブルエコノミーが翳りを見せ始めた90年頃、メルセデスベンツはまだ高嶺の花であった。
どのモデルにも最新の安全装備を施し、造り込みの凄さはまさに「最善か無か」を具現化していた。
(ちなみに、アウディは「技術による前進」をモットーとしており、いまなおそれを標榜している。
さて、その当時のメルセデスベンツにエントリーグレードなるものを求めるとすれば、190Eであろう。とはいえ、その格調はとてつもなく高いもので、値段も当時の国産車との開きが大きかった。
そんななか、190Eアンファングというモデルが設定されていた。パワーウィンドウも省かれたシングルカムマシーンで115馬力を発揮した。
560SECのアーマーゲーが三千万円以上した時代の中で、メルセデスをとにかく乗ってみたい層には、価格的にはまずまずのクルマだったのではないか。
ABS等の装備は付いているし、最高速度は185キロ以上と書かれている。
過去への回帰はこれまでにしよう。
私はここでふと思ったのだ。あれから三十年。
190Eアンファングを追い抜く国産大衆車があってもいいのではないかと。
思いついた。
世界のトヨタが作った渾身のカロゴン後継バン。サクシードである。
しかもこの個体は最上級グレードである。冬タイヤ装着ながら、大晦日にはターンパイクでF40に猛追した実績もある。いけるのではないか。。
ということで、都内某所のワルめーらベースまで迎えに来てもらい、各所から集められたテストドライバー四名を乗せて、さっそく出発。まずは直線の多い有料道路を快走。
ん?メルセデスではないか?
いまこそ現代のバンの本領を発揮する機会である。
しかしながら、あっさりと抜かされたのは乗員四名というハンディを背負っていたからに他ならない。
しかも、向こう様はこちらの動きを知っていたご様子。
アーマーゲー相手とはいえ、緒戦から大日本帝國車輛に暗雲が走る。
保土ヶ谷で朝食を摂り、若干の重量増を背負うものの、
バンは湘南を快走。
前日の大雨にも関わらず、存外と相模湾の海原はきれいで、空とともに青々としていた。
BGMはサザンのライブ映像。
C調言葉に騙されずに天下の箱根の麓まで辿り着いた。
写真は早川駅前(小田原駅の隣駅)。
この辺りで、関八州内陸部の籠原行きの表記の列車や駅看板などを見ると、違和感を感じてしまうものの、これも時代の流れであろう。
取り締まりが行われているという内部情報を得ながらもターンパイクへ。
さすがはターンパイクであり、四人フル乗車となると、失速気味である。しかし、これはトヨタが取り締まり回避と絡めた高度に制御されたエンジン出力抑制システムなのだと理解した。サクシードのパフォーマンスならば、おそらく、アウディでもぶち抜いてしまうはず。パッシン●等をすれば。。いや、なんでもありません。
自動失速システムの力も借りて、厳しいヒルクライムをものともせずに登頂。さすがは現代のトヨタのバンである。
霧の名所である大観山レストハウス付近も快晴。
趣味性の高いクルマがズラッと並んでいたが、むさ苦しく男四人で登坂しているクルマは見当たらず。
ライバル不在のなか、呆気なく箱根を越えてしまった。
そろそろお腹が空く時間でもあったので、沼津港へ向かう。海といえば海産物。これは万国の公理である。
よって、昼メシは海産物に決定。私は握り寿司と蟹汁を堪能。
スシローで寿司を食べて以来、六日ぶりの握り寿司であった。実に長い六日間であった。
大晦日のバンドライブで好評だった柿田川湧水公園の湧水を観に行くことにした。ドライバーは地理に詳しい私。地元の公園という風情がまだ残っているのが素晴らしい。そして、どうしても地元の名水を自分で汲んで飲むことを推すおばさんにも好感を持てた。つまりは、それほどに地元の名水さに誇りを持っている証左であろうから。
実際にこの辺りは富士山の雪解け水が伏流しており、三島出身の大岡昇平が当地にいた頃は街のあちこちから水が湧いていたとか。
沼津の商店街を散策してみた。うーん、大垣みたいだなあ(福岡・山陰ドライブの帰りに立ち寄ったことがある)。
即ち、昭和がそのまま迷い子となって令和世界に残ってしまったような風情である。
ちなみに、商店街散策は私のライフワークの一つである。その街の発展度合いや廃れ具合、人情や歴史を把握することができるからである。
チバラギ軍団の人たちが好みそうな昭和風情のギミック。すなわち、樽で頼んだものが運ばれてくるというギミックで、昔はこの手のお店も物珍しくは無かったように記憶している。模型の舟や汽車で食事が運ばれてくる飲食店が幼少期にはたしかにあったように記憶している。
ブルーハワイ色も今となれば、V10エンジンばりに風前の灯火ではないか。どこにいっても、ブルーハワイが用意されていた昭和時代。戻れるものなら戻りたいものである。
エースドライバーにバトンタッチして箱根八里越え。
昔、よく走っていたので懐かしくもある。
素早い情報収集能力で、20時閉店の店を見つけ、バンの素晴らしさを讃えあう四人。
ちなみに、写真は茅ヶ崎市内である。
足回りが優れているような気もするし、エンジンが思った以上に伸びる。190Eアンファングを超えた、すなわち、30年前の新生統一ドイツの水準には達したくらいに日本車は進化したのだと結論付けたい。
ともあれ、八時ちょうどのあずさ2号ではなく、サクシードで一気にワルめーらガレージに到着。
ありがとうございました。
余話である。
軒並み、古き良き時代の名車が高騰している。190Eとて例外ではなかろう。もしも、パフォーマンスだけを求めるのであれば、値段もまずまず安い(国産車の新車価格がインフレ率を勘案しても高くなっている)バンなどどうだろう。少なくとも、トヨタのサクシード(プロボックスもそうだろう)は190Eのシングルカムくらいのパフォーマンスは発揮されていると述べてみたい(ただし、2.3より上のグレードを除く)。
我が国はドイツ帝国にクルマ作りに於いて、大きく遅れをとったといわれている。
品質やパフォーマンスについてはそうでもないような気もするが、メーカーの哲学やその国の文化が醸し出す雰囲気や特性(ドイツであればアウトバーン走行が基本にあるから、それに基づいた設計が無意識裡のうちになされる)が濃厚なのはやはり欧米であった。
我が国は言語化しにくい個性という面では没的であったと言わざるを得ないかもしれぬ。
例えば、シトロエンみたいなクルマが我が国のスタンダードになることはなかった。
創始者シトロエンはフォードシステムを模倣した。トヨタはGMのシステムを学習した。しかしながら、両者に明確な差ができてしまった。少なくとも、20年くらい前までは。
かたやクルマの動かし方すらわからない(つまり、他のメーカーのクルマとギアの位置や動かし方等が著しく異なっていたりする)独特の世界観に没入し、かたや販売の名手となり、世界大の企業に成長していった。
今でこそ、国産車にはそれなりの味があるように思えるが、昔は没個性といわれていた(実はそうでも無かった気が今ではしているが)。
今でも、そういう面がなきにしもあらずといえるが、グローバル化により、欧米車の濃密なクセが希薄化され、国産車もやや個性的になったかもしれないとも思うし、簡単に異国間交流ができる今となっては、どれも同じに見える、とも云える。
さらに余談だが、一部都府県で緊急事態宣言下にあることをどうやって、海外の知人たちに伝えれば良いのかわからなくて、わりとマジで苦慮している。或いは、生真面目に伝えずに置くべきか。そうする予定ではあるが。
現今の日本の状況はまさに日本的状況としか言いようがないようである。
様々に話を錯綜させたが、ともあれ、日本車はバンであっても、優れた水準にあり、没個性といわれているからこそ、バンや軽自動車のようなジャンルではよりその魅力が見えやすい形で発揮するようにも思える。
日本的状況でこそ輝いてきたバン。その性能は男四人がフル乗車しても衰えることをしらない。
かつてのテンロクNAよりもスポーティさを見せる場面さえあり、このことはもっと強調されてよいだろう。
疾ることのできるバン。30年前には想像だに出来なかった事態が到来している。
以上、代車生活半月の自動車評論家ワルめーらでした。
STiは水曜日に大体の仕上がり期日の目処が出ます。
30万キロ越え手前で足踏みです。
You might see that the performance of a commercial van is superior to basic Mercedes 190E. I’m sure that you agree with me,maybe I hope.
However,actually,it could go up pass roads with four members. That’s true. So maybe you should rent a commercial van when you fly to here. You would be satisfied with that to a extend.
✳︎厳密にはサクシードワゴンで、カロバンというよりは、カルディナバン後継という位置付け。
今回のテスト車両(笑)は、TX Gパッケージ・リミテッドで、この頃はマニュアルとオートマの設定があった(その後、CVTとなり、サクシードは廃止され、プロボックスのみとなった)。テスト車両はオートマ。それでいて箱根の登坂もラクラクこなしてしまうのである。