
用向きがあり、数日後に中部地方に行くことになりました。
いまちょっと取り込んでいることもあるので、それらも携えて向かいます。
自分が今欲することだけをやればいいので、気楽に構えています。
未来のことも考えますし、過去のことも考えますけれど、結局、すべて今という立ち位置にいるほかないんですよね。
今やりたいことをやるだけで生きていけるかという産業革命以来の価値観をどう内部から瓦解させるか。キリギリスの私は考えています。
社会システムが劇的に変化する今は逆にチャンスです。
こういう試みがやりやすいので。なぜなら、守るべきものに執着する度合が少なくなるからです。いわば捨て身になれます。
さて、今日は徹夜でした。
これまた、想定とは異なる方向に進むという意味で、非常に面白いことなのですが、その点については追って記しましょう。
ここのところ、セカンドカーを探しています。明確にこれがいいという希望はありません。流れに委ねてみようと思っています。
最近、神経症がひどいのですが、ともあれ、パソコンにしばらく集中したのち、夕方、ダイハツの業販店も兼ねているお店に向かいました。どうやら、ダイハツ車以外にもいろいろと面白そうなクルマが入庫されている模様。こういう点は業販店らしいのかもしれません。いや、相当なクルマ好きの方が経営していらっしゃると判断しました。
ダイハツならば、コペンの初代が欲しいと思っているんです。
デザインは現行よりも草食系な感じがするので、好みなんです。気軽にオープンにすることができますし、最小限の荷物も乗ります。スパルタンなモデルも好みではありますが、家人と乗る機会のことも考えると、ロータスセブンイレブン(笑)のようなモデルにするわけにもいかないと思いました。
外車を含めた他のクルマの話もあるのですが、とりあえず行動します。陽明学徒の如く。
素晴らしい社長さんですね。私は正直コペンについては詳しくありません。
不明な点を親切にご説明してくださったばかりか、近々入庫してくるというコペン(ワンオーナー・ワンオフマフラー)が届いたら、気の向いたときにお越しくださいとおっしゃってくださいました。家庭事情のことも配慮してくださいましたし、クルマに対する感性も似ているような気がしました。マニュアル車で渋滞にはまることに疲労感を感じないとのことでしたから(笑)
せっかくの出会いですので、購入しないにせよ、いろいろとインプに関する相談もしていきたいと思いました。
鶴見区に佃野町(つくのちょう)という地域があります。鶴見駅からも離れているのですが、わりあいと大きな商店街があります。
商店街はいわゆる昭和の風情を色濃く残しており、正直なところ、シャッターが降りているところもあったものの、総じて元気なような気がしました。
板橋の大山ほどにぎやかではないものの、昭和濃度はこちらが上だと思います。
なぜ、ここに大きな商店街があるのかはわからなかったのですが、加藤清正の家臣にもゆかりのある土地らしく、総持寺ほどではないにせよ、地域ではそこそこの規模を有する日蓮宗辺りのお寺の門前町だったのかなと推測しています。
さて、散策です。
西国の人はご存じないかと思われるすま〇、じゃなくて、すあま(東国の皆さん、すあまは全国区ではありません)を買って、びっくりするほど昭和50年くらいの風情を残しているお店に向かい、お菓子を購入。
お菓子の賞味期限は令和だと思いますが(笑)
さて、いよいよアーケードに入ります。まず野菜を購入。
そして、コインラインドリーに入って佇んだり(新聞配達時代を思い出しました)、漂白剤が買えるか試してみました(買えました・笑)。
喫茶店も外観は新しいですが(もともと川崎で営業していたそうです)、挙措振る舞いが昭和らしいですね。喫煙も可能です。私はだいぶ前にタバコをやめましたが。
向かいがそもそもかなり大きなタバコ屋(?)でした。
アイスミルクティーですが味わいが独特ですね。ずばりおいしい。クリームとのバランスがとてもよく、再訪してみたいと思いました。
結局、昔、昭和的なものへの憧憬って、こんなものだと思うんですけどね。
昭和はなぜかくも心を打つのだろうか
夕食は商店街の外にある中華料理店で、おそらく在日中国人の方が経営していらっしゃるかと思います。こういうお店は大抵、量が多いんですよ。とわかりつつも、エビチャーハンと麻婆ラーメンを注文(笑)
いや、これはうまいわ。
私以外のお客さんはみな、お酒を飲んでおり、まあ、地元の方なのでしょう。
酒豪だった私ですが、お酒を滅多に飲まなくなりました。しかし、この時は飲んでみたいと思いました。あっ、酒類提供って駄目なんでしたっけ?
じゃあ、店舗の写真は載せません(笑)
なんか禁酒法でアルカポネが台頭した20年代のアメリカみたい、いや、違うか(笑)
最近、運動をしていないのと家にいることが多くなり、太りました。
その上、たらふく食べたので、お腹が膨れて、これが中国であれば尊敬されるのでしょうが、この島国においてはデ〇に過ぎません。
国道一号線を下ります。某ICに入ってほどなく、ミニクロスオーバーが見えた瞬間、「ああ(笑)」と思いました。こういうのはなんとなくわかるものなんですね。
大黒PA到着。どうやらクイーンエリザベス号を観たかった様子ですが、もう出港していたようですね。これから長崎まで向かえば間に合うのにと思いましたが、以前、平和島PAでお声がけしていただいた19歳のインプ乗りの方と三人でしばらく談笑。
クロスオーバー氏が帰ったのち、インプ乗りの方の提案で平和島PAまで、プチツーリング。
平和島はやはり平和でした。ここでランエボ6乗りの女性の方とお話させていただきました。
13年前に、蔦屋でワイスピを買おうと思ったところ、なぜかワイスピの違うシリーズを買ってしまったそうです。ところが、それがある種の啓示であると直感した彼女は急いで免許を取りに行ったそうです。
そして、あるとき、ワイスピに登場するモデルとは異なるものの、エボ6が三菱に置いてあり、これが私の求めていたものだということを直感し、購入したとのことです。
ディーラー側でも迷ったそうですが、三か月間取り置きすることを約束されたそうで、その間に年末年始を挟みながらも、普通免許を取得されたそうです。
すごい話ですが、ありえなくはないと思います。
ところで、このエボ6は、めちゃくちゃ状態よかったっす。エボ6を見ても、相応の個体が目立つなか、ミレニアムの頃、ヤビツでくそ速かったエボを思い出しました。
鉄チンホイールにラリーアートのマッドガード。このクルマも追いつけなかったけれども、白くてきれいだった記憶として残っています。
10年以上前、トミマキエディションを持っていたご近所のみん友さんと首都高に行ったっけ。6はなにかと印象深いのです。
さて、彼女に去来した出来事をどうとらえるか。
19歳のインプ乗りの方は実物も見ないで購入したとのことですし、私も今のインプを買うまでに15分ほどしかかかっていません。タイミングと直感なのでしょう。
ただ、お二人は父君が三菱の整備士であったり、祖母君がインプのパドルシフトを操作しているような塩梅で、そうなる素地はあったと思います。
そう考えると、私は親との共通性がまったくありませんね(笑)
ハコスカ、KP61、赤いファミリア、、
名車だとは思います。が、影響されることはありませんでした。高校の時はむしろ二輪の方が好きで、ハーレーやビーエムのバイクに乗っている近所のおじさんの家に遊びにいくのが楽しみだったくらいです。
それはともかく。
平和島PAで解散。流れ星の話もしましたね。
私はしばらく平和島で平和に過ごす予定でしたが、帰り道のことを考えているうちに、19歳インプ乗りの方が向かうと述べていた芝浦パーキングに行きました。
空いてる。そして、彼はもういないんでしょうか(後で聞いたら私が先着していたようです)。
東京の夜景を観ながら、またまた大黒に向かいます。今日は神奈川で首都高を降りると決めたんです。境界沿いの民は古来、天皇直属の民として、神聖視されていたものの、中世以来、差別されることも多くなりました。道々の者など、基本的に移動する民は常に差別されてきました。境界線はその象徴でもありました。
差別は逆に畏怖の裏返しでもあったわけですが。
そして程なく、19歳のインプ乗りの方も合流(笑)
さすがに疲れましたねということになり、少々談笑して、各々家路についたという次第です。
コペンを見に行こうということ以外は一切決めない結果がこの有様で、おかしみと愉快な心持ちを抱かずにはいられません。
※なんとビックリ。
昨日買った漂白剤の製造元の電話して番号の桁数が昭和時代のときのものになってました(笑)
東京23区と多摩の一部は「03-4桁-四桁」(例03-3615-699○)の回線表示。
昭和の終わり頃までは、「03-三桁-4桁」だったのです(例03-615-688○)。
ちなみに、横浜は今も、045-3桁-4桁です。
というわけで、漂白剤そのものも、昭和製造?(^◇^;)