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ワルめーら@Terryのブログ一覧

2010年07月31日 イイね!

運動ごっこの時代は終わり、平成22年となった

運動ごっこの時代は終わり、平成22年となった
「学生運動」という言葉はもう死語になっているといってもよいだろう。
時折、スピーカーでがなりたてながら、大学当局の不正を批判する者を見掛けるが、
彼らは大学の門外から寂しげに大声を出しているだけである。

しかし、時計の針をかなり大掛かりに戻すと、60年代の安保闘争や70年代の新左翼運動を始めとして、大学当局に対する反抗が学生たちにより盛んに行われ、教授は吊るし上げられ、大学の授業もまともにできなかったという時代もあった。
学生たちは様々な派閥(セクト)に別れ、お互いに対立し合っていたのだが(派閥が同じでも対立していたという例が、浅間山荘事件だ)、基本的には現在の反動的な日本国家を打倒して、マルクスの著書を片手に共産主義的(これも共産主義と単純に言ってよいものか迷うところだが)な社会を指向しようという大掛かりな運動だった。
安田講堂事件などは有名だし、東大の入試が運動の混乱で中止となった年もあった。

ところが、面白いことにあれだけマルクスに通暁し(皮肉を込めて)、学校長などのブルジョワ階級を打倒しようとした学生たちも、就職となれば、あっさりとその主義・主張を置き捨て、彼らの敵である資本主義社会の象徴である会社組織の一員となった。
私は非常に無節操極まりないと思っていたのだが、これだけあっさりと敵対する資本主義社会の中枢に入ることを厭わないということは、結局、持て余したエネルギーを発散させたかっただけなのではないか。要は運動ごっこだったのだ。これではマルクスが気の毒だ。

戦後、知識人たちの間で、マルクス主義の検討が大いに行われたのは知られたところである。また、戦後日本は豊かさの代償として、対米追従の道を歩んだ。「改正新安保条約」の調印が学生運動勃興の端緒かと思うが、豊かさと自由主義はビクともしなかったというのが、運動学生たちの卒業後を見ると了解できる。

そもそも、学生や知識人がしきりに反体制やマルクス主義(マルクスが述べていたことと必ずしもイコールではない点もあるのだが)を述べていたが、それは高度経済成長に湧き始めた日本の国土では極めてマイノリティであったということは指摘されるべきであろう。大多数の庶民は三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ)とそれに続く、3C(カー・クーラー・カラーテレビ)に憧れ、やがてそれらを身につけることになる。彼らにとって、階級間の対立構造だとか、革命による労働者政権の樹立なんてことはどうでも良かった。そんな小難しいイデオロギーよりも、身近で実感できるワクワクとした物質的な満足感を望んでいたのだ。私は彼らの立場に共感する。
もしも、階級闘争に命を捧げるならば、とことん闘士になれば良かったのだ。例えば、戦前不転向を貫いた徳田球一のように。やるならとことん自己の信念に沿ってやるべきだったが、結局はお遊びの運動だったから、彼らも消費社会の一員として取り込まれることになる。

2010年の今ともなると、学生運動だのマルクス主義だのという言葉はもはや消滅してしまったのではないかと思えるほどの稀少な単語となったが、時計の針をいささか力を込めながら過去の針に戻せば、戦後の一時代に学生運動やらマルクス主義(マルクスの主張とは異なる箇所が多くあると思うが、通称として)に逆上せ上がっていた人々がいたことは紛れもない事実だ。
私の幼年期は学生運動はほぼ収束していて、80年代のノンポリで消費と享楽が良しとされる時代だった。運動などはかっこ悪いとされていた時代で、ニューアカブームもあったが、それもファッションの一つに過ぎなかった。
運動ごっこの反動なのであろうか。

その後、バブルエコノミーの熱狂があり、失われた10年を経て、日本はようやく狂騒したり、お痛の過ぎるごっこ遊びなんて視点にも入らないようになった。
これを成熟と呼ぶのかはよく分からないが、最近はウェブの進化・浸透もあり、個々の価値観もある特定のものに引きずられるということも少なくなった。
私はそうした日本の現在を評価しているし、今後の日本にとても期待している。
「ごっこ」もしないけれども、懸命に流行やら社会的に重要とされる価値観に惑わされることなく、自分の天分をよくよく認識し、生きていくことが容易な時代となった。
私はこれを「進化」と呼びたい。
なぜならば、私は個々の価値観と自由意志の源は何かに影響されえるものではなく、個々人が自発的に編み出していくものだと考えるからだ。今はそういう状態に社会全体の合意ができつつあるように思える。だから私は「進化」と呼ぶ。

Posted at 2010/07/31 03:46:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | エッセイ | その他
2010年07月29日 イイね!

やはり旧東海道をゴロリン

やはり旧東海道をゴロリン古の街道筋に沿って走る道路を運転していると、往時の人々の息遣いまでが明瞭に聞こえるようで、創造性というエキスを発酵・熟成するには丁度良い。

という理由もあり、新道ではなく、旧道を下ってきた。
どちらにせよ、天下の巓を通過するには、江戸時代に歌川広重が急峻な箱根越えを描いたごとく、今の私たちも、登って下る所作をする必要がある。この点、上代から箱根は変わらない。箱根が日本の西と東を分ける役割を果たしていたのも、なんとなく理解できる。
Posted at 2010/07/29 21:46:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2010年07月29日 イイね!

風雨つよし 芦ノ湖中継所より

風雨つよし 芦ノ湖中継所より久し振りに箱根に来てみました。東名御殿場インターから乙女峠をエッチラオッチラと。続いて箱根神社の鳥居までヨイショコラショと。

それにしても風雨が強いですね。画像の写真を撮影する瞬間に台風レポーターのことを思い出しましたわ。

帰路は新道を使うことにします。ユックリユックリと。ずっとエンブレを使用すると思います。
寄木細工の集落を通る旧東海道は昼間に来ることにしよう。

以上、
久し振りの箱根において、これまた久し振りの雨風と涼しさを堪能する幸せを感じているワルめーらでした。
Posted at 2010/07/29 21:15:41 | コメント(2) | トラックバック(0) | ドライブ | クルマ
2010年07月28日 イイね!

外房の楽園 安房日蓮の天才 魂 自意識

外房の楽園 安房日蓮の天才 魂 自意識
灼熱の太陽が肌を小麦色にする。
遥かに広がるか大空も海もひたすらに蒼く、まるで生き物のような入道雲はその輪郭のはっきりとした白さで、大空や海と美しいコントラストを成す。

九十九里浜の砂浜はひたすらに続く。
その広漠さは、凡そ私たちの想像を絶するほどのもので、感情は昂ぶり、自然法爾で漫然と冷静に感情を維持することを困難にさせる。
釈迦がこの大海の広がりを、ジーザスがこの蒼き世界を、もし見ていたら人類に普遍的に通用する大宗教を構築できただろうか。
ここは然程に楽園なのである。
人類が形而上的にあれやこれやと思想を練る必要もない。ただただ、高揚とした気持ちで自然と相対し、楽しめればいいのだ。
楽園とはそういうものだ。

法華経至上主義の日蓮法師は安房(千葉県南部)の出身だ。この果てしない楽園の中で、法華経の不立文字(言葉では伝達できないというほどの意味)の思想を元に、法難を喜び(なぜなら、法華経を広める過程においては法難が必ずあるという考えがあったから)、さらなる布教に邁進したという心境が理解しがたくなる。

日蓮は自我が強く、日本人離れしていて私は好きだが、教えについてはあまり賛同できない。私は仏教ならば、念仏や禅の方に親近感を持つ。ま、ウチの檀家は真言宗だけど(あんまり関係ないか)。やはり法華経至上主義に経ってしまうと、多様性が否定されてしまう感が否めない。折伏という思想が生じるのも止むを得ないと思うが、私はそこまで普遍的な価値を広めようとは自身思わないので、やはり日蓮上人の偉大さは認めつつも、共感はできないのだ。

それはともかく、今は昔の房総と現在の楽園のような房総を比較するのは愚ではあろうが、これほどまでに空や海が果てしない世界に囲まれながら、内面的思惟を深め、実践に移すというのは余程の天才なのではないかと思う。
こんなのどかな風景が広がる暖かい土地で、思索を深めていくとうのは日蓮自身の才能というほかないだろう。
という具合に私なぞは勝手に決め付けてしまう。
当時は当時なりの時代背景があったし、海で遊ぶなんて習慣が無かったのは百も承知。

しかしながら、この蒼い天界を仰ぎ見ると、日蓮の思索と実践の凄まじさと違和感が同時に去来してくるのだ。
もっとも、常日頃そう思っているわけでもないが。

閑話休題。
そういえば、この間、祖父の三回忌に行けなかったことを思い出した。
自動車が不具合になったのと、身体の調子が悪かったのだ。
物凄く近くまでは向ったのだが、ついぞ行くことができなかった。
おっとっと。日蓮から墓参と話が大きく飛んでしまうがお許しあれ。

人間には魂がある。私はそれを信じている。
しかし、死人の魂はお墓にだけにあるとは思えない。
私が祖父なら祖父のことを思いはせるときに、その魂は私と合一するのだと思う。
だから、私は墓参りのように半ば儀式的に執り行うようなものに出席するのは好きではないと思っていたら、案の定、三回忌には参加できなかった。

ただ、これは不見識かと思うが、真言宗の伽藍は私には興味深く、坊さんのお経もなんだか面白い。空海のエキスが濃密に入っているのだろう。そういう意味でお寺には行くのだが、弟や祖父の骨が墓に埋められていることが事実であっても、お墓参り自体が至上目的ではなく、どれだけ故人に思いを馳せて、対話するかが重要だと思う。そういう意味では日蓮の徹底的な法華第一主義というのは私には共感できる面があるのかもしれない。
なぜなら、私は世間で言われるように決まった日時にだけお墓参りするという決まりごとが大嫌いだからだ。墓参は自分が行きたいときに行けばいい。
私はそう思う。因みに、私は唯物論者ではないぞ。唯物主義については勉強したが。

このブログをうまくまとめるのはかなり難しい。
九十九里の果てしない天空は自由さを象徴している。
日蓮の一途さは彼の堅固な彼の意思だ。
私は両者を等分に愛する。
だからこそ、ふと墓参について思い馳せたときに、九十九里と日蓮法師のことが思い浮かんだのかなと思う。



Posted at 2010/07/28 22:42:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思索 | クルマ
2010年07月28日 イイね!

T.K.Kって何?

T.K.Kって何?ウチの近所の汽車(二両編成)の車体に書いてあった謎の文字、「T.K.K」。
ホワット?

色々と推理してみた。
結社名?誰かが書いたダイイングメッセージ?
いやいや、もうちょっと真面目に考えてみよう。

東京急行なんとかの英略字なんだと思うが、T.K.Kの最後のKが意味するものが解らない。

「東京急行コノヤロ」かな?
んなわけないわな。自虐的過ぎるわ。

「東京急行キング」か?
いや、真面目に考えよう。

「東京急行軌道」か?
うん、汽車っぽくなってきた。
もしくは「東京急行上町機関区」か?
機関区などあるかどうか知らないが、上町駅で必ず車掌さんが入れ替わるしな。これも容疑に挙げておく(犯人かい)。

事件(←マテ)は迷宮入りか?

「一先ず一服して、いまとりかかっている仕事に戻りたまえ、ワトソン君」
「八角堂でですか?」
「いや、スコットランドヤードの連中も動いているだろうから、番町の例のビルにしよう」
Posted at 2010/07/28 12:41:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域

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何シテル?   07/30 14:39
帝都東京の地を根城とし、四方八方と旅する行動力の塊がワタクシ、ワルめーらでございます。 東京から大阪くらいまで(往復で1000キロ程度)なら日帰りで行き帰りす...

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